new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~ -101ページ目

視覚障害者の復職

今日、5年前に生活訓練とパソコンを使っての職業訓練を受けていた、大阪のリハ施設の部長さんから電話があった。
 某銀行の社員が中途失明で全盲となり、その方が、職場復帰する際の参考にと、わしの現在の仕事振りと話を聞きたいということであった。
 
「あーー、今でも、どこかで資格に障害を負い、就労が困難になり、苦しんでいる人がいるのだな。」
 5年前は、わしもそうであった。
 わしの、職場復帰の際に大変なご尽力をいただいた師匠からのお願いでもあり、快く引き受けた。

 けんど、今だからこそ思うのだが、視覚障害者はそれぞれで見え方も違うし、過去の経験も違う。
 だから、いくら他の視覚障害者の働き振りを見ても、その人にとっての参考にはなかなかならない。
 それよりも、どのような機器を使い、どのような工夫をして、資格の障害を補っているかを見ていただきたいと思う。
 それも、一つの方法であり、その人にとって最適な方法化どうかはわからない。
 結局は、それぞれの視覚障害者が、自分の見え方を認識して、できることとできないことを明確にし、できないことは、どのような工夫をすればできるようになるのか、そしてどのような援助を受ければできるようになるのかを、その場その場で体験し開発していくしかないと思う。

 けんど、少しでもお役にたてればいいなぁ?
と、その視覚障害者の方が、無事職場復帰できればよいと願うのであった。

バレンタインチョコ

バレンタインデーでのチョコ合戦って、いつから始まったんだっけ?
 わしの小学生の頃は、そんなものなかったようなあったような。
 就職してから、スーパーのお店で働いている時は、社内販売適なとこもあり、パートのおばちゃんからいくつももらっていたような気がする。
 一つの店舗に、男子社員が7~8人で、女性のパートさんが、5~60人はいたので、棚に専用のカゴを設けて、ポンポン投げ込まれていた。
 
 けんど、最近は、「バレンタインチョコ配布禁止令」が出て、チョコをもらうことはなくなった。
 それでも、妻からは毎年もらっている。
 それも、わしに、お兄ちゃんに、娘にと買ってきて、結局は、家族皆で食っている。

 ここ数年のわしへのチョコは決まっていて、表にジャージの上下を着て、メガネをかけたおっさんが、体操をしている、「お父さんがんばってチョコ」である。 【(笑)
 これがまた、わしにそっくりだそうで、色々探していても、結局これを買ってしまうそうである。

 チョコはうまい。嫌いではない。けんど、
「あまり食いすぎると、血糖値が上昇するでぇ!」
と、心の叫びが聞こえてくるのでした。
 クワバラ、クワバラ。

わしのお守り

 わしは、外出の時に、いつも左のポケットに、お守りをしのばせている。
 それは、上野お兄ちゃんが幼稚園に通っていた時に、「父の日」のわしへのプレゼントとしてくれた、キーホルダー。
 そのキーホルダーの中には、わしの顔がクレヨンで書いてある。
 それを12年たっても持っているのである。
 
 そして、そのキーホルダーの中には、ほんまもんのお守りが入っている。
 わしが、今の会社に入社して間もない頃、バイクで事故を起こしてしまうなど、不運な日々が続いた。
 そんな時に、寮母さんが連れていってくれたお払いの場所でいただいたお守りである。
 そのお守りを携帯しだしてから、転勤になり、今の妻と出会い、結婚した。
 それ以来、このキーホルダーにこのお守りを入れて持ち歩いているのである。

 もう、ボロボロになっているのだが、どうしても持っていないと落ち着かない。
 その中に書かれたわしの顔も、今のわしの視力では確認することはできないのだが、頭の中には、ちゃんとその絵が思い浮かぶ。
 これからもズーと肌身離さず持っているんじゃろうねぇ。

発達障害って何?

 今日、毎週日曜日の朝に聞いているNHKラジオの「視覚障害者の皆さんへ」の後に放送している「共に生きる」で、「発達障害」のことについてお話をしていた。

 そこで、出てきた
NPO法人 tryアングル
の方のお話しによると、

『発達障害』とは、出生前あるいは出生後も含めて、何らかの原因で子どもの発達に遅れや偏りをあらわす一連の状態像を言うものです。TRYアングルでは、見た目には分かりにくいLD・AD/HD・自閉症(高機能自閉症・アスペルガー症候群を含む)知的障害について、主に関わっている。』
ということである。

 何となく聞いたことはあるものの、自閉症以外は、どんな障害であるかは、正直言ってわからなかった。
 けんど、わしの小学生からの学生時代の時のことを思い出すと、そのような症状の同級生がいたような気がする。
 それに、同じ会社の上司の子供さんも、うつ病(ひょっとして、これは発達障害ではないのかも?)で、悩んでいらっしゃるのを知っている。

 わしは自分の視覚障害以外のことについては、全く無知であることを知らされた。
 逆にいえば、自分のことしか考えていなかったのかもしれんです。 (反省)
 上で紹介されたページに掲載されている内容を、もっと詳しく聞いてみようと思うのでした。

登用面接試験の結果発表

 1月のわしのブログ、
「登用面接試験」
で、書いたとおり、1月19日に登用面接を終え、、今日やっと結果が発表された。
 
 ダ。・ダ。・ダ。・ダ。・ダーーーン!
パン。・パカ。・パ~~~ン!
 な~~~~~んと!!!???
 合格しましたで~~~す!!

 いやー、長かった。
 ほんまに長かった。
 23歳で今の会社に入社し、トントントンと順調に昇格したものの、
29歳を境に、ダンダンと見えにくくなり、
試験は受けるものの、約18年間登用昇格がないまま、今にいたり、
1年間の修行後、職場復帰し、パソコンを使っての勉強をし、パソコンにて音声のみでの筆記試験を受け、どうにか合格。
面接試験も、質問を予想して、解答例を丸覚えし、
同じ面接を受けた社員に手引きしてもらい、席につき、
試験官がどこに座っているのか、どのような表情で質問しているのかわかる訳でもなく、
「ここらへんに座っとるんかいのぉ?」
と、首を振り振り、思いをぶつけ、
今日の、合格発表まで行き着いたんどす。

 普通の社員から見れば、今回登用になった、わしの資格は、とーの昔に通っていなければいけないんじゃろうけんど、まあ、それはそれとして、晴眼者の社員と同じ土俵で戦えて、どうにか生き残れた訳でして、わしなりに満足しておりますです。

 助言をくださった、会社の上司の方々、そして、家の中でブツブツつぶやきながら暗記していたのをじっと見守ってくれていた家族の皆、そして、応援をくださったこのブログの皆さーーん、
ほんまにほんまに、ありがとさんでした。
 やっと、胸のつかえがおりて、何かしら目の調子もよく、風景や人の顔も見えるような気が・・・???
あー、そりゃしませんです。 (残念)
 まあ、今日はゆっくり寝ますたい。

寝る前のお話し

 わしには、2人の子供がいる。
 上野お兄ちゃんが高校1年生、下の娘が小学6年生である。
 二人とも、小さい頃は、必ず寝る前にお話をしてあげていた。
  お兄ちゃんはもちろん、下の娘も小学5年生頃から、お風呂にも一緒に入ってくれなくなり、寝るのも別の部屋となってしまった。
 けんど、寝る前のお話しだけは、時々、話してくれと迫られる。

 今日も、ベッドの布団を綺麗にしてあげた後、お話をしてあげた。
 昔は、ほんまの昔話風に始まり、その話に空想のお話をアレンジし、そのうち現代版から未来版へと話は広がっていった。
 けんど、最近は、子供の学校で起こった話しからそれにちなんで、毎日の生活でのおもしろかったことや、夢の話などをしてあげたり、逆に話してもらったりしている。

 二人合わせて、今までいくつくらいの話をしただろうか?
 ほとんど毎日してあげていたので、3000話くらいはしただろうか?
 今から思えば、その話を書きとめておけば、それだけで一冊の本が書けたりして・・・。
 そりゃ、ないか。

確定申告

 わしは、会社勤めをしているので、年末調整は既に済んでいる。
 けんど、持ち家のマンションを賃貸に出しているので、その家賃収入を、毎年確定申告にて処理をしなければならない。
 といっても、家賃収入以上に、住宅ローンや管理費、固定資産税などで、逆に還付を受ける立場である。

 その確定申告のために、毎月銀行より引き落としがされている金額の合計を計算しなければいけないのだが、いかんせん、取引先の銀行が、今住んでいる近くにないので通帳記入ができない。
 よって、毎年、この時期になると、通帳をその銀行に郵送して、通帳記入をしてもらい、返送してもらっている。

 そこで、書留として出すために、近くの郵便局に行ってきた。
 何度か行ったことがある場所なので、安心はしていた。
 家を出て、北へ進み、三つ目の角をひがしへ、バスどおりに出ると再び北へ、左側へ講演を確認し、少し行くと、右側の郵便ポストを、残された周辺の視野で確認して、その左側が郵便局の入り口。
 なーんて、頭の中で地図を描いてはいたのだが、最後の郵便ポストが確認できず、随分行き過ぎてしまったらしい。
 そこで、人の気配を感じて、
「すいません、ここら辺に郵便局があると思うのですが?」
と聞く。迷った時は聞いたもん勝ちである。
 すると、もう随分行き過ぎていたらしく、
「ありゃ、あの無効の信号のある交差点を行き過ぎて、すぐ右じゃよ。」
と、一瞬、白い帽子をかぶり、ショルダーバッグをかけ、メガネをかけてはいるのに、白い杖を振りかざすわしに、身構えた後、おじいちゃんが教えてくれた。
「何も、怪しいもんじゃないっすよ。信号??その信号は見えんが、とにかく後戻りをしてみよっと。」
と、心の中で思ったのでした。
 
 どうにか、郵便局に行き着きはしたのですが、以前に来た時には、右手の赤い郵便ポストがけっこう、残った周辺部の視野で確認できたのに、今回は、後戻りした時にもよーーわからなかったんですよねぇ。
 ちょっと、ショックじゃけど、まあしゃあないか。
 わしのRPは、日によって、調子がええ時と、悪い時があるんですよねぇ。
 ドンマイ。ドンマイ。

おでん大好き

 今日はおでんだった。

 おでんといえば、大阪でのリハ施設の近くの一杯飲み屋を思い出す。
 毎週、週末のお楽しみとして、その一杯飲み屋に通っていた。
 そこでのおでん。
 食べる順番としては、厚揚げ、じゃがいも、こんにゃく、タマゴ、スジ肉かなぁ。
 一品80円のおでんをつまみに、一杯200円の焼酎のお湯割を飲みつつ、職場復帰を夢見て酔っ払っていたっけなぁ。
 
 それに比べて、今、家庭で食べるおでんは、何とも安心して食べられることか。
 家族一人一人の笑顔を見ながら、いんや、聞きながら食べるおでんは格別である。

 けんど、今年は昨年末の、人間ドッグ再検査依頼、とんとおでんは食卓には出なかったんですよねぇ。
 久々のおでんに感激ヒトシオノ夜でした。

わしの方言は何?

 わしの生まれは山口県である。
 その後、子供時代は、島根県、広島市、岡山市を経て、就職後は、またまた、山口県、広島県、岡山県、兵庫県の店をあちこち点々とし、今は、姫路市に住んでいる。

 そこで、わしの話す方言は何か?と考えてみたが、やっぱし、広島弁、山口弁が中心のようである。
 当然、このブログでも、そのような方言で書いているようである。
 
 ここ、姫路に来て、4年になるが、わしは相変わらずである。
 勤務している会社は、同じグループ内で合併を繰り返していて、半分は関西弁、30%は広島弁、20%は山口弁が行き交っている。
 皆、自分の方言をくずそうとはしていないようである。

 一方、子供たちも、標準語で話しているようである。
 けんど、なぜかしら妻は関西弁で話すことが多くなってきた。
 なぜかしらん?
 まあ、意識して、地元の方言で話すよりは、自然に出てきた言葉で話せばいいかぁと思うのでした。

出来たての天ぷら

ヤマサ「夢鮮館」 今日、家族でカマゴコのヤマサの直販店の「夢鮮館」に行ってきた。。
 ここでは、工場で作った出来立てのカバぼこを、直販していて、その場でも新鮮な魚介類を混ぜた天ぷらを揚げていて、試食などもできるのである。
 
 イカ、タコ葱、いわし、穴子入りの天ぷらを買い込んで、早速、車の中で食った。
「こりゃー、うまい。」
 そういえば、この味どこかで食った覚えがある。
 わしがまだ小学生の頃、自転車に乗って、天ぷらを売りに来ていたおっちゃんがいたっけなぁ。
5円か10円でその天ぷらを買って、かぶりついた時の味、そのままであった。
 何とも懐かしい味である。

 あの頃は、家の近くまでいろいろな物を売りに来ていたなぁ。
 魚屋さん、豆腐屋さん、そうそう、米菓子なんかも売りにきていたなぁ。
 お米と砂糖をビニール袋に入れて、ゴミ袋を持っていき、大砲みたいな機会で、
「ポーーーン!」
と爆発させて作るやつである。
 うまかったのお。
 
 あの頃は、アイスクリームも5円10円、飴玉一個が1円じゃったけなぁ?
 なぜか、懐かしさが蘇った瞬間でした。