前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -93ページ目

令和2年を迎えて

新年にあたり、とあるところへの年頭挨拶を転載させていただきます。

昨年は、東武鉄道株式会社の和光市駅南口駅ビル工事が進展し、9月には南口側にエレベータ、エスカレータが設置され、さらに12月には一部店舗が先行オープンしました。新たな和光市駅の顔が徐々に見えてきました。今年春の全面オープンが楽しみです。また、昨年11月には新倉3丁目にある午王山遺跡が国指定史跡となることが事実上決定し、今後は関東一円でも随一の弥生遺跡として、地域の賑わいと文化の拠点として、整備していきたいと考えております。

さて、本年は、市制施行50周年を迎えるとともに、東京オリンピック・パラリンピック競技大会射撃競技会場市など記念すべき年であります。各種の事業やイベントが数多く展開されることになります。

東京オリンピック・パラリンピック関連では、この3月に南口の駅ビルがホテルを含む全面オープンとなり、駅前広場や駅前通りの改修も終え、万全の態勢で東京オリンピック、パラリンピックに臨むことになります。多くの市民に各種のボランティアにご応募いただいているほか、様々な団体が開催時期におもてなしや記念のイベント等を計画していると伺っています。市民総ぐるみでもてなし、皆で楽しみましょう。

また、都市計画分野では、駅北口の高度利用化計画においては、2月にパートナー事業者が決定する予定です。土地区画整理事業と相乗効果が出るよう構想を具体化してまいります。東京外環道新倉パーキングエリアについては、今後の外環道の東名高速への延伸を機に、地域振興に向けて拡張、サービスエリア化を推進すべく先月に国土交通省に陳情活動を行いました。1月中には関係各機関から委員を派遣していただき、検討会を立ち上げて具体的な内容を協議してまいります。和光北インター東部地区のまちづくりにおいては、県の国道254号バイパス延伸事業や午王山遺跡プロジェクトとも連携しつつ、賑わいのある、災害に強いまちづくりに向けて、組合設立の準備を進めます。
福祉の分野では、地域包括ケアシステムの再出発の年と位置づけ、不祥事にかかる裁判の進捗や第三者委員会での議論を踏まえ、事実関係の把握や再発防止、信頼回復に全力を尽くしてまいりますとともに、人生100年時代にふさわしい、地域包括ケアシステムを再構築してまいります。
産業振興の分野では、1月1日施行の産業振興条例に基づき、市内商工業を盛り上げるための具体的な施策の第一弾として、市内事業者が理化学研究所の技術を活用できる仕組みを構築します。

当市はいま、介護予防、ネウボラなどの福祉分野から公共施設マネジメント、都市計画まで、様々な分野で大きな注目を集めています。一方で、公務員倫理の根幹を問われる、大変残念な事件が起きてしまい、その対応においても全国からの視線が集まっていることを意識し、全力で対応に取り組んでまいります。

結びに、皆様の日ごろの市政へのご理解とご協力に心から感謝申し上げますとともに、今年一年の皆様のご多幸とご健勝を心からお祈り申し上げ、年頭のあいさつとさせていただきます。


今年最後の和光市からの夕陽は見事なダイヤモンド富士

今年最後の和光市からの夕陽もダイヤモンド富士でした。
胸を張れることばかりではない一年、対応に追われてしまった面もありますが、未来に繋ぐいろんな仕事が進展したり、懸案事項が解けた一年でもありました。

恒例のSUUMO「住みたい街ランキング2019関東版」では、一昨年の総合圏外、昨年の42位から33位と着実に人気を上げ、「穴場だと思う街ランキング2019関東版」では3年連続して3位と「不動の穴場」として認知されています。
さらに、アニメツーリズム協会の「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」にも2年連続して選定され、ネット上では「聖地に行ってきました」のコメントとともに、和光市内で撮影した写真をアップロードする方も多く、和光市の認知度がさらに高まった1年であったと実感しています。

さて、令和2年は、市制施行50周年を迎えるとともに、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の射撃競技会場となる記念すべき年であります。
皆さまとともに大いに盛り上げ、着実なまちづくりとあわせて、和光市100年に向けた次の50年に向けたロケットスタートを切れればと思います!


私事ながら、闘病していた母が24日、永眠しました

私事ながら、12月24日23時過ぎ、母・松本修子が76歳で永眠しました。

実は、24日は1日休みにしていただき、夜行に揺られて母に会いに行きました。もう話すことはできないものの意識はあり、多少はコミュニケーションをとることができました。ただ、25日に二つの重要公務があり、訪問医の先生からはそろそろ覚悟してください、とは言われたものの後ろ髪を引かれる思いで明石を後にしました。
「仕事に行くから、家族と戻るまで待つんやで」と言うと、コクコクと頷いてくれたのですが、その日のうちに逝ってしまいました。
日程をやりくりし、24日を開けてくれた秘書担当に、そして、最後の日に行くことのできた奇跡に感謝しかありません。

そして、25日の公務を終え、すぐに明石に向かい、26日通夜、27日告別式を行い、ひと息つくことができました。

葬儀では、私がお世話になっている数多くの方々からもお花や弔電をいただき、感謝にたえません。
特に、吉田議長、西村大臣と大野知事の代理の方をはじめ遠路わざわざ駆けつけていただいた皆様、心温まるお志を賜った皆様には心より感謝申し上げる次第です。

昨年10月に突然、悪性脳腫瘍で倒れ、脳神経外科での精密検査の結果、「かなり進行しており手術は無理。画像を見るに、余命は半年」と言われました。脳の腫れがすごくて、いきなり要介護4からのスタートでした。

その後、家族としても一喜一憂しつつ、そうは言っても進んで行く症状に少しずつ状況を受け止めながらこの一年と少しを過ごしてきました。
父が在宅を選択したため、介護保険のケアプランをそのようにシフトし、普段は父が、また、兄弟とその家族が通い、私の配偶者も通いました。
在宅にしたおかげで、ご近所の皆さんとのお付き合いも続けられ、たくさんの温かい人の輪に囲まれての日々でした。在宅介護の大変さ、課題、良さをあらゆる面から学びました。

私はというと、仕事柄、時間がなかなか自由にはならないので、月に一度程度、家の手伝いに通いました。

母方の空き家になっている実家の庭仕事から家の掃除、はたまた料理まで、なんでもやる中で、これまで自分ごととしては経験できなかった様々な現場に直面し、色々と考えを深めることができました。
訪問介護、訪問看護、そして、訪問医とのやりとり、いろんな場面と向き合う中で、和光市の地域包括ケアシステムの良さも実感しました。

母は書道塾や民生委員としての活動など、地域の方々とのお付き合いを心から楽しんでいました。葬儀では、出席してくださったたくさんの方々から、その思い出を教えていただき、母の、私が知らなかった面を知ることもできました。

思いもかけないことに、私の仕事を知る方々からは「クローズアップ現代」見たよ、大変だね、とお声かけもいただきました。この一年、市長の公務を全力で行い、介護にも関わりながら市長会の仕事もあり、いい加減なことにならないように死に物狂いで頑張ってきましたが、その言葉で少しホッとしました。これからも皆様のご期待に添えるよう、全身全霊頑張ります。

(写真は昨年の今日、母たちとつついたすき焼きです。我が家は、すき焼きには切り落としを使い、その代わりに美味しい肉の切り落としを使う、という不文律があるので、この肉も切り落とし。
絵的に美しくはないのですが、皆で食べるすき焼きは格別でした。)


大野知事の「ふるさと訪問」が和光市へ。

 
25日、大野知事の「ふるさと訪問」が開催され、午前は新座に、午後は和光に知事が来られました(上田知事時代は「とことん訪問」と呼んでいました)。
知事が和光市中央公民館で見学されたのは和光おもてなし隊のオリ・パラ応援イベント。事前の申し込みがかなり多く、申し込みを断るのが辛かった、とは井上会長の弁。
会場では、ビームライフル、ねぎライフル、パズルなどのブースを経験するとともに、オリンピック射撃競技の銅メダリスト・木場良平さんの講演を聞き、超一流選手の心構えも学習し、素晴らしい冬休みのスタートとなりました。
なお、知事はビームライフルでいきなり10点を叩き出し、会場が沸きました。「持って」ますね。
和光市のオリ・パラへの取り組みなども知事にお話しできて、短いですが、有意義なひと時でした。
 
 
 


 

デービッド・アトキンソンさんが語る「日本の課題」

介護保険制度の導入にあたり、市町村がより良い仕組みを作るために共に研究し、交流するための組織「福祉自治体ユニット」。その後、組織を改めて活動してきましたが、昨日、発展的に「特定非営利活動法人 地域共生政策自治体連携機構」を立ち上げることとなりました。
加藤厚生労働大臣、高市総務大臣を来賓に迎えた総会の後、首長勉強会があり、まち・ひと・しごと創生本部の木下地方創生統括官の講演、その後、デービッド・アトキンソンさんの講演でした。

アトキンソンさんの講演については面白かったのでメモをお示しします。

以下、講演メモ

日本の課題は生産性を上げること。
GDP=人数×生産性
よく、日本は戦後ゼロから始まり、高度経済成長により先進国の仲間入りをした、と言われ、教科書にも書かれているが、これは妄想。先の大戦の直前に日本はすでに世界第6位(5位のフランスとはほぼ同等)の経済規模を誇る先進国だった。それが戦後のベビーブームによる人口増により、世界第2位の経済規模になった。
また、明治維新による文明開化で急速に発展したというのもウソ。日本は江戸末期には識字率など先進国と同等以上で、そこに西洋式の仕組みを取り入れ、人口も増えたから、当然に経済が成長しただけ。
ことほど左様に経済規模は人数で決まる。

では、これからの日本経済はどうなるか、妄想ではなくエビデンスで考えてみる。
これから2060年までに、総人口は31.5%減り、生産年齢人口に至っては42.5%減る。
だから、同じ経済規模を維持するには、総人口あたり46%、生産年齢人口あたり73.9%生産性を伸ばすしかない。
ちなみに他の国も人口減じゃないか、という言説があるが、イタリアやスペインでマイナス5%、ドイツと韓国でマイナス8%だから縮小の規模や率が違う。
そして、なんらかの方法で人口を維持すれば、と言うが、そのためには適齢期の全員が結婚し、全員が同様に子どもを産んだとして4.5人必要。今の社会と同じ状況なら7.2人必要だから、これは荒唐無稽な話になってくる。
その分移民を、というのもありえない規模。
高齢者も働くから、という話もあるが、40代をピークとすると、人の生産性は50代が90%、60代なら70%、70代なら30%に過ぎない。

日本の生産性は1993年から横ばい。特に伸びていないのが「全要素生産性」、いわゆる技術、スキル、ブランド、特許、経営のうまさなど。ここを高めなければならない。

日本企業の生産性向上に足りないのがentrepreneurshipであり、これは「企業家精神」ではなく「新しいことをしよう」と決めること。これは経営者の仕事。
日本企業はここが足りないのに「最先端技術で勝つ」みたいなことを言っている。でも、先進国で最も多くの特許を取得し、それを世界一死蔵している。
私はよく「最先端技術です極楽浄土に行けますね!」と言って嫌われている。

統計データによると、その国の輸出比率が高いほど生産性は高い。輸出とは生産した余剰を海外に売ること(典型は日本のインバウンド)。
そして、日本は比率で言うと、先進国一の「輸出小国」。日本は人口規模が大きいから輸出の量が大きく見えるだけ。
日本は輸出大国を目指すべき。

生産性と企業の規模は相関関係がある。生産性も中小企業は低い。日本は中小企業ばかり。アメリカ人の場合、労働者の半分は250人以上の企業で働いている。日本はその3分の1。

1963年の中小企業基本法により日本は成長しない中小企業だらけになった。これがスケールメリットに逆行し、非効率をもたらしている。10人未満の会社では有給も育休もろくすっぽ取れない。
ただ、中小企業を倒産させるのは非効率。M&Aなどにより合併などの経営統合を進める必要がある。

最低賃金と生産性には強い相関がある。そして、先進国では最低賃金を引き上げて生産性向上というエビデンスを得ている。
(例 イギリス)
特別広い国、交通不便の国を除き、最低賃金は全国一律が基本。日本は例外。そして、地方から若者が流出する要因も賃金の差。
そして、日本の最低賃金は人材の質の割には異常に低い。日本の経営者は質の高い労働者を不当に安く使っている。最近、人手不足と言うけれど、賃金が高い会社には人が集まっている。出せないなら経営統合か倒産ということになる。ちなみに最低賃金の引き上げで会社が潰れるようなことはまずない。
要は伸びる会社を伸ばすこと。

日本企業は、先進国ではダントツに人材育成に金をかけていない。なぜなら、中小企業が多くて金と時間をかけられないから。人材育成のためには会社が大きくなるしかない。