私事ながら、闘病していた母が24日、永眠しました
私事ながら、12月24日23時過ぎ、母・松本修子が76歳で永眠しました。
実は、24日は1日休みにしていただき、夜行に揺られて母に会いに行きました。もう話すことはできないものの意識はあり、多少はコミュニケーションをとることができました。ただ、25日に二つの重要公務があり、訪問医の先生からはそろそろ覚悟してください、とは言われたものの後ろ髪を引かれる思いで明石を後にしました。
「仕事に行くから、家族と戻るまで待つんやで」と言うと、コクコクと頷いてくれたのですが、その日のうちに逝ってしまいました。
日程をやりくりし、24日を開けてくれた秘書担当に、そして、最後の日に行くことのできた奇跡に感謝しかありません。
そして、25日の公務を終え、すぐに明石に向かい、26日通夜、27日告別式を行い、ひと息つくことができました。
葬儀では、私がお世話になっている数多くの方々からもお花や弔電をいただき、感謝にたえません。
特に、吉田議長、西村大臣と大野知事の代理の方をはじめ遠路わざわざ駆けつけていただいた皆様、心温まるお志を賜った皆様には心より感謝申し上げる次第です。
昨年10月に突然、悪性脳腫瘍で倒れ、脳神経外科での精密検査の結果、「かなり進行しており手術は無理。画像を見るに、余命は半年」と言われました。脳の腫れがすごくて、いきなり要介護4からのスタートでした。
その後、家族としても一喜一憂しつつ、そうは言っても進んで行く症状に少しずつ状況を受け止めながらこの一年と少しを過ごしてきました。
父が在宅を選択したため、介護保険のケアプランをそのようにシフトし、普段は父が、また、兄弟とその家族が通い、私の配偶者も通いました。
在宅にしたおかげで、ご近所の皆さんとのお付き合いも続けられ、たくさんの温かい人の輪に囲まれての日々でした。在宅介護の大変さ、課題、良さをあらゆる面から学びました。
私はというと、仕事柄、時間がなかなか自由にはならないので、月に一度程度、家の手伝いに通いました。
母方の空き家になっている実家の庭仕事から家の掃除、はたまた料理まで、なんでもやる中で、これまで自分ごととしては経験できなかった様々な現場に直面し、色々と考えを深めることができました。
訪問介護、訪問看護、そして、訪問医とのやりとり、いろんな場面と向き合う中で、和光市の地域包括ケアシステムの良さも実感しました。
母は書道塾や民生委員としての活動など、地域の方々とのお付き合いを心から楽しんでいました。葬儀では、出席してくださったたくさんの方々から、その思い出を教えていただき、母の、私が知らなかった面を知ることもできました。
思いもかけないことに、私の仕事を知る方々からは「クローズアップ現代」見たよ、大変だね、とお声かけもいただきました。この一年、市長の公務を全力で行い、介護にも関わりながら市長会の仕事もあり、いい加減なことにならないように死に物狂いで頑張ってきましたが、その言葉で少しホッとしました。これからも皆様のご期待に添えるよう、全身全霊頑張ります。
(写真は昨年の今日、母たちとつついたすき焼きです。我が家は、すき焼きには切り落としを使い、その代わりに美味しい肉の切り落としを使う、という不文律があるので、この肉も切り落とし。
絵的に美しくはないのですが、皆で食べるすき焼きは格別でした。)