前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

前和光市長の松本武洋です。
和光市政での経験を活かして、地方創生や地方自治の研究や教育を通じて世の中のお役に立つべく、教員として地方の現場を歩いています。
市政の現場は離れましたが、和光市を全力応援しています。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

九都県市会議は協力ゲームに

東京一極集中の議論は私が大切だと思っている、大きな観点が二つあり、一つは東京集積に効率性があるのなら、それはそれでいいのではないか、という観点。もう一つは、それはそれていいとして、インフラの負担など、いろいろと近郊都市や地方都市の立場もあるので、パイはちゃんと配分しようや、という観点ですね。
(さらに、東京に人と水、電力、食料などを送り込むもっと遠い地方との関係もそうであるべきなんですよね。)
前者は、さらに効率的な強い東京を作るにはどうしたらいいのか、という議論につながるとともに、東京一極集中のリスクを踏まえて、バックアップシステムとしての行政の場や、東京に大災害があった時などに、それで日本経済が滅びない程度に強い、いくつかの経済圏を東京から十分に離れた地方に作る、という論点につながり、後者は、強い東京に協力する地方には、それなりのパイを配分する必要がある、という論点につながります。
いずれにしても、教育環境の格差など、生活格差を首都圏内で大きくすることは得策ではないですし、首都圏のグレート東京としての強さを作るためにも首都圏内の格差は何とかする必要があります。
ここの整理がいま一つできていないのが九都県市会議の弱さだと思います(議論していないと主張しているわけではありません。その観点がもっと前面に出てくるべきなのです)。東京から奪う、ではなく、東京とともに栄え、分け前もちゃんといただく、共存共栄が不可欠です。
和光市で言うと、北インターにできた流通系の施設はべつに和光市をターゲットにしたものではなく、首都圏を潤すものです。行政の境は人為的なものであり、便宜的なものにすぎません。
ちなみに、東京を弱くする、という考え方も理論的にはありますけど、その分、大阪や名古屋、福岡が補完できるかどうかってのはやってみなければわかりません。
花粉症ゼロも、満員電車ゼロも、ゼロにはできなくても改善すればそれは都民だけでなく首都圏全体のメリットになります。そういう方向性を都民だけでなく、首都圏の住民が期待した、ということを忘れてほしいくないですね。

(問) 少子化は「政府の頑張り」で終わらせられる?

(答)
否。なぜなら、少子化の本質は「人口転換」という社会の構造問題だから。

そもそも人口転換とは何か?
図(出所 国土交通省)を簡単に説明しましょう。



①転換前:多産多死の伝統社会
昔はたくさん子どもが生まれ、たくさん人が亡くなりました。出生率・死亡率ともに高い状態ですね。

②転換期:まず死亡率が下がる
産業発展、生活水準の向上、医療技術の発達により、特に乳幼児死亡率が低下します。
このとき、出生率はまだ高いまま。
➡ この「ギャップ」が急激な人口増加を生みます。

③→④転換後:出生率も下がる
以下のような理由で出生率が低下し始めます。

乳幼児死亡率の低下 → 「働き手としての子供の補充」の必要性が減る

社会保障の発展 → 「老後の備えとしての子供」の必要性が減る

女性の社会進出 → 子育ての機会費用が増える(少なくとも、より手厚く育てる)

こうして少産少死の社会へ移行します。
そしてここで出生率がさらに下がるか、死亡率が上がると、人口は減少します。

ポイント:歴史的なタイミングの違い
この図で特に重要なのは、②(死亡率低下の開始)が歴史的に遅い国ほど、その後の変化が急速になるという点です。

つまり、後発で近代化した国・地域ほど、②→③の経過時間が短く、人口増加が急激になる。
その急増の反動で、後の少子化・人口減少も急になることが多い。

だから何が言えるのか?
子どもは今より増やせる可能性はあります。
しかし、そこには限界があります。できることにも、効果にも、限界があるというわけ。

なぜなら、人口転換は政策だけで完全に逆転できるような単純なものではないから。

にもかかわらず、社会全体にこの構造の理解がないと、次のような悪循環が起きる。

政治家が「子どもを増やします!」と、意味のあるのかわからないばらまき政策をやり続け、税金はどんどん捨てられていく。
有権者も効果があるかわからないけれど、なんとなくお金が配られるから「ま、いいか」となる。

まとめ

・少子化は「頑張り不足」の問題ではない
・人口転換という社会の構造を無視した議論は無駄を生む
・できることは限られているという冷静な見積もりが大切

「少子化対策」を語る前に、まず、ひとりでも多くの方々とこのグラフの意味を一緒に考えてみたいところですねえ。

図出所:国土交通省

あれから15回目の3月11日ですね

あれから15年になろうとする2月中旬、相馬市内を少しだけ訪問してきました。

訪問先は相馬市の沿岸エリアにある「みなとオアシスそうま港」と駅周辺です。

みなとオアシスそうま港は、「相馬港周辺に位置し、東日本大震災からの復興拠点として、震災経験の伝承や防災意識の向上、さらにはイベント開催を通した交流人口の拡大が期待されています」とのこと*。

福島県の沖合は寒流と暖流が交わる豊かな漁場として知られ、獲れる魚介類は「常磐もの」と呼ばれ、築地市場でも高値で取引されていました。

東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所の事故後は試験操業が行われ、10年が経過した2021年3月31日にようやく試験操業が終了したとのことです。

今回訪問した「相馬復興市民市場(浜の駅松川浦)」は、相馬市と相馬市の漁業関連企業などが手を組み、第三セクターとして相馬市民市場株式会社を設立し、2020年10月に、復興事業のシンボルとして、オープンしました。私も市長時代にお世話になった立谷秀淸前相馬市長(全国市長会前会長)が取り組まれた政策の一つです。相馬市内の産品と新鮮な魚介類がそろい、地元のみならず県外ナンバーの車もたくさん来ていました。

ちなみに、浜の駅には昼過ぎに到着しましたが、食事処は長蛇の列で、弁当もすべて売り切れ。恐るべき人気です。

さすがに食事抜きはきついので、駅近くのお寿司屋さんでランチを食べてきました。

この施設のほか、原釜尾浜防災緑地を少し散策してきました。

何より驚いたのは、浜野駅松川浦の賑わいです。私も最近は福島産の魚介類を積極的に食べていますが、多くの人々が食べて応援の段階を越えて、純粋に楽しみに来ているのが印象的でした。

たまたまお目にかかった地元の方と少し話をしてきました。

復興の特需の時にたくさんの単身用を中心としたアパートが建てられたものの、復興需要が終わり、市内の不動産は空き部屋が目立っているようで、当時投資した地主さんには資金繰りが詰まり、安値で売り出している方もおられるようです。

この方が不動産事業に関係している方だったために、このような話でしたが、復興が少しずつ進むなかではいろいろと課題が出てくるものですね。

一方で復興特需の頃にたくさんの他の地域の人々が入り込み、治安面で心配な事案があったそうですが、最近は極めて平和になりました、とのこと。

今回はほんのわずかの時間の滞在でしたが、遠からず、じっくりと東日本大震災のエリアを訪問したいところです。

結びに、被災地域の益々の復興をお祈り申し上げます。

 

*みなとオアシス公式ウェブサイトより

 

河津桜の物語、それはたった70年前の原木に始まった

ここのところ、河津桜ブームの松本です。

先日、本場である河津に続き、三浦半島(三崎口)の河津桜も見てきました。公園とかではなく、沿道に咲いているので、強烈な人の数と車でなかなかの混乱でしたが、地元も慣れていて、1回千円の臨時駐車場をやったり、交通整理の人も多くて、毎年のイベント感が強いですね。

ここの河津桜の歴史は意外に浅く、地元有志の方が「三浦海岸まちなみ事業協議会」を設立し、街路や線路沿いの土手に「河津桜」を植栽し始めたのは平成11年から。そして、平成14年から「桜まつり」を始めたとのこと。今では、三浦半島の春を告げる菜花とのコントラストが本当に美しい、季節のイベントになっています。

こちらは三浦の河津桜

 

さて、和光市です。市内には桜の時期には全市的に桜が見られ、とても楽しいです。市長の時には、和光樹林公園のあらたな桜の名所をということで新たに植樹を行いましたし、理研の桜も植えました。野木さんの時にできた桜坂公園もいい感じなんですが、河津桜を含む早咲きの桜の大きな名所は市内にはないんですよね(樹林公園の大島桜系は少し早い)。どこかの区画整理や街路樹の整備では、徹底的に河津桜などの早咲きの桜が満開になる地域を作ってもいいかもしれません。

あるいは老朽化した街路樹の代替としても考えられます。

ちなみに、河津桜の原木は、静岡県河津町田中の河津川で発見され、昭和30年に町内在住の方が川のほとりで芽吹いていた1mほどの野生の苗を偶然見付け、ご自宅の庭に移植したのが始まりとされています(河津の看板に書いてありました)。要するにたった70年前に1本の木から始まったのが河津桜まつりに繋がっている、というのが面白いところです。

そして、三崎口に至ってはたったの十数年ですから、やってみる価値はあるでしょう。

和光に限らず、神宮外苑も含め、街路樹の巨木化と老朽化は通行人への被害リスクなど問題が多いのですが、樹木を切ることには市民感情的に抵抗が大きいです。その際に、あらたな街路樹のビジョンを示して代替わりをする、というのがひとつの解決策になるのではないかというのが持論です。

その点、河津桜は中木で大きくなりすぎないことから、公共的な植樹にはソメイヨシノより向いていますし、寒い時期にピンクの花が満開になる姿は春への思いを高め、歓迎されるのではないかと思います。

三浦半島の三崎口周辺の河津桜もさほど歴史はないですが、大勢のお客さんでにぎわいます。桜の数は千本。無理な数ではありません。ちなみに、河津の川沿いの地域でもそれより少し少ないぐらいの規模感です。

花を見ながら、いろいろなことを妄想するのも楽しいものですね。

それと、これは思いつきなので、深く考ないで読んでくださいね。中木の早咲きの桜は河津桜である必要すらないですから。

ちなみに、河津桜の苗木はソメイヨシノよりはお高いですが、以前は県外不出だったとのことです。

和光市なら、という妄想ですが、「いいな」と思った人、地元でやってみてください。生きていたらいずれ見に行きますので。

 

本場の河津桜

新進党・民主党運動の終焉

2大政党制を目指した小選挙区比例代表並立制の産物である新進党・民主党運動が今回の選挙で明確に終わりを告げました。野党サイドはそういうリセット感を持って再編を図っていくことになろうかと思います。与党は世代交代は当面なく、野党には世代交代というチャンスが訪れているというのが野党の希望というか伸び代で、これをどう活かしていくか、というところに今後の焦点があります。野田さんが生き残ったのは野党としてはまずかったでしょうね。野田さんは自分の選挙については強すぎるが、野党再編では構造的にも不要な人物でしょう。小沢、岡田各氏などの落選は野党側にはグッドニュース。
そして、今回、最も明確になったのは、連合という大企業労組を中心とした組織が社会の不満を吸収する装置として、終わっている、というところかもしれません。一方で、立憲の候補は連合に頼らないと選挙の組み立て、いや、ポスターすら貼れない現状は変わらず。そういう意味で、野党サイドは第二新進党みたいな構造が一番可能性としてはあるが、これ、あまり受けないと思います。いずれにせよ、玉木国民民主の動きが一つの鍵になります。
与党側はというと、自民は構造が温存されたので、改革を期待するなら維新なんですが、与党内ではあまり重い位置にはいません。ということで、維新が仮に構造的な改革を頑張るにしても、高市さんがそれを自分ごと、いや、自民ごととして頑張らない限り、停滞は続く。うまくチーム高市が形成されていくことを期待するしかありません。そして、チームみらいが意外にいい位置にいる。彼らは与党をうまく動かせるでしょうか。
おそらく次の選挙はほぼ四年後ということになりますが、当面、期待を込めて高市さんを応援しましょう。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>