前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -91ページ目

教育再生首長会議

本日午後、幹事を務めさせていただいている「教育再生首長会議」のメンバーで首相官邸への表敬訪問を行いました。
 
その後、都市センターに移動し、1月会議を行いました。
 
本日のお題は、萩生田光一文部科学大臣の講演「現場目線の教育改革について」。
 
大臣からはまず、「私に関する誤解が世の中にはある」として、
 
・私の選挙区八王子は市長さん方が考える東京とは違い、東京に雪が降った、というニュースで大雪が積もった様子が映ったり、イノシシやサルが出たりするところ。
・金持ちだから普通の人の気持ちはわからないんだろうとネットなどで言われるが、私の家は両親共働きのサラリーマン家庭。
・都心の高校に通っていたときに「この中でトイレが汲み取りの家庭は?」と問われて正直に手をあげたら自分だけで、「ぼっとん八王子」と呼ばれた。役所に聞いたら、下水が整備されるのはずっと先、と言われて絶望的に感じたことが政治家になるきっかけになった。
 
云々。大臣のお人柄というか、雰囲気がよく分かりました。
 
この後の講演は、新年度に向けた文科省の予算措置、基本的にはGIGAスクール構想が中心でしたので、大変参考になりました。
 
その後、質疑応答があり、私からは、不交付団体の取り扱いについて、今回のパソコンの整備もそうだが、学校のエアコンも交付税措置であり、大変財政的に追い詰められている。教育に交付不交付は関係ないはず。特段のご配慮をいただきたい、と要望しました。
大臣からは「不交付団体のほうが本来の正しい自治体経営の姿だ」とコメントをいただき、山下小牧市長も、会計年度任用職員も全部持ち出しだ。法人税の一部国税化もあり、不交付団体としては真水の負担が激増している。大分厳しい、という趣旨の言葉を継ぎました。
 
ちなみに最後の写真は総社の片岡聡一市長と。片岡市長が総理との記念撮影のために総社から持ってきた大株のセロリをいただきました。ものすごくいい香りで、電車でさすがに恥ずかしかったです。
サラダにして食べてみます!
 
 
 
 


 

サンアゼリア吹奏楽フェスティバル 第8回ニューイヤーコンサート in 和光

「サンアゼリア吹奏楽フェスティバル 第8回ニューイヤーコンサート in 和光~陸上自衛隊東部方面音楽隊が贈る吹奏楽の響きとともに~」が大ホールで開催されました。
 
陸上自衛隊東部方面音楽隊が市内の吹奏楽部や団体とコラボして贈るコンサートも8回目を迎え、名実ともに音楽の街のニューイヤーの風物詩となった感があります。
 
音楽隊のほか、
 
和光市民吹奏楽団有志
埼玉県立和光高等学校
埼玉県立和光国際高等学校
和光市立大和中学校
和光市立第二中学校
和光市立第三中学校
和光市立北原小学校
 
が勢ぞろいし、200人超が迫力ある演奏を奏でる本番はとにかく凄いの一言。
また、12月から始まる練習での児童生徒への音楽隊員の指導、何より音楽隊員の演奏技術を間近に見ての経験は大いに刺激になっているようです。
 
今年も、前半は東部方面音楽隊の演奏に始まり、後半は北原小金管バンドの可愛らしい演奏の後は迫力の合同演奏。全員がステージに上がる「パプリカ」では合同演奏に加えて子どもたちが音楽隊員とともにダンスしたり、恒例の「翼をください」では、会場からも自然に歌声が上がり大団円。
 
もちろん、関係各団体のご協力あっての事業ですが、私自身、この活動のスタートに関わり、当初はいろんなご意見もあるなかで、ある種のまちづくりのチャレンジである、と気負っていたました。
しかし、今となってはこの事業自体が生命を持ち、自立した生き物のように関係する人々の思いを燃料として走っています。
今年もJ:COMさんが取材してくれましたが、1200人しかリアルタイムでは見られないのが本当に残念で、ネット中継なりなんなり、この素晴らしい感動をもっと共有できないかな、と感じながら会場を後にしました。

 

「阪神淡路」から四半世紀

早いものであの「阪神淡路大震災」から四半世紀が経過しました。
現代的な災害ボランティアはあの震災から始まった、とよく言われます。
明石市生まれの私は、震災の
翌週、両親の手伝いのため、早朝の飛行機に乗り、関西空港経由で明石市に向かいました。南海電鉄、地下鉄、阪神電鉄と乗り継いで青木駅まで入り、そこから三宮、元町、大開を経由して須磨駅まで歩き、須磨駅から折り返し運転の山陽本線で明石駅に辿り着いたのは夕方でした。
途中、神戸市中心部の鉄道が寸断された、とりわけ被災の激しい地域を歩いて通った、というわけです。

その際、あの有名な神戸元気村の活動を目にしました。先を急がなければならないのに、あの手書きの「元気村」のサインを見て、どうしても覗いて行きたくなったのです。
もちろん、誰に声をかける勇気もなく、ただ周りをうろうろしただけですが、後日、元気村がテレビで話題になった際に「あれだ!」と思い出して食い入るように画面を見ました。
その活動はまさしく、現代的な震災ボランティアの原型であり、偉大なる先人の記録を多くのかたに知っていただきたい、と震災から四半世紀の今日、感じています。

元気村はその後、解散となりましたが、その記憶は今でも神戸の人々のみならず、全国の関心ある方々の脳裏に鮮やかに残っています。

「N田A彦問題」と編集の力

「N田A彦問題」について。
編集は査読と似ていて、編集者、編集会議という各段階で出版社はやばい著者や企画を弾いてきました。企画が通っても今度はまた、編集、校正で徹底的に手を入れる。
編集の力が弱い会社がトンデモ本を出してしまって物議を醸すことがありましたが、そういう出版社の本はそういう評価でした。

で、現代は編集のプロセスを経ない情報がネット経由でたくさんの人に届くトンデモ時代。‬
N田A彦だって、編集者が噛んでいればあそこまで恥を晒すことはなかった。編集者は普通の人間で全知全能ではないけれど、疑問出し、ダメ出しのプロなので、やばそうなところはある程度スクリーニングをかけられる。
逆に怖いのは、世間を知らない若者、子供がN田A彦みたいなレベルの人間の他人の目の入っていない発信を信じて間違った知識を得てしまうこと。
我が子にはYouTubeで勉強するなと口を酸っぱくして言っているのだけれど、やはり見ている。


何より危険だな、と思うのはウェブ世代の子どもたちの「フォロワーが多いから信用できる」という感覚。

違いますよね、それ。素人が100万人フォローしてもなんのチェックもないし、そもそも双方向で中身を磨いていくには動画は向かない。


それと、「N田は慶應だから」というのもダメ。もともと本や雑誌を出すプロセスの中で、書いた人の出身校が東大だろうがハーバードだろうがかなり手が入っているケースが多いです。

経験則的に言わせていただくなら、編集のプロセスが関与しない原稿が、関与する原稿と同等のクオリティである確率は1割以下です。

やりませんけど、ノーチェックで原稿を回しても怖くない著者なんてほとんどいないんですよ。

「新倉うどん ひろとみ」さんのゴボウ天うどん

今日のランチは和光市のうどん界のホープ、郵便局隣の「新倉うどん ひろとみ」さんへ。今日チョイスしたのは、伝統の新倉ゴボウを復活させるために考案された「ごぼう天うどん」800円。
クリスピーすぎずサクッと揚がったゴボウのかき揚げは、かき揚げとしてまとまっているものの、剥がしても食べられるタイプ。
麺は縮れた鈴木製麺所の新倉うどんなので、いい出汁のつゆと絶妙に絡みます。
ゴボウ天との関係性は、個性が強いようでそうでもない、ゴボウだけのかき揚げとバッチリの相性でした。
ちなみに、先日、テレビでうどん県日本一戦略の「セコさ(笑)」を指摘された永谷晶久さんの「スゴい!埼玉うどん王国宣言」では、この店の「ずりあげうどん」とともにゴボウ天うどんが紹介されています。
新倉ゴボウは、明治後期から昭和初期に村長として辣腕を振るった鈴木村長がブランド化し、全国にその名を轟かせました。