憲法が変わるとき、それは社会が変わった時?社会を変えたい時!?
今日も文章が長くてすみません。
小学6年生向けの「憲法と地方自治」の授業で2分ぐらいですが、「改憲」も取り上げています。
「まず、改憲すべき、すべきでない、という両方の意見がある。安倍総理は改憲したいと公言している。憲法を改正する手続きは、2007年の国民投票法により確立されたわけですが、要するにやろうと思えばできる状況にある。(*1
では、憲法が変わるとはどういうときか。それは社会が変わったときである。
一番わかりやすいのは大日本帝国憲法から日本国憲法への改正(えー、手続きとしては改正という手続きを取ったわけです。面白いでしょ、とか言っているとまた、時間がなくなる)で、まさに社会が変わったから憲法が変わった。一例は、女性の投票権。
まさに社会が変わったから、憲法が改正され、今の日本社会がある。
皆さんが考えるべきはただ一つ。今、変えるべきときかどうか、変えるべき内容かどうか、これは国民が決めるものだということ。
いずれ改憲するかどうか投票する、という状況になったら、この話を思い出して欲しいし、しっかり判断できる力を身につけてほしい。
逆にいうと、変えたくて変えるべきときは、変えるべきだし、そういうときは声を上げられる人であって欲しい。」
2分なんで、この話を効率的に詰め込む。本当は「憲法を変えることに賛成?反対?」と問いたいが、時間がない。問うて、散々しゃべらせて、「あー、どっちも不適切です。正解は『内容による』しかありません」と梯子を外したい(笑)
ちなみに、毎年例として女性の投票権の話をしているのはフランス憲法の「パリテ原則」を意識してのこと。(*2
いわゆる男女同数原則ですね。
1999年の改憲で導入され、当時、今の日本と同じくらいだった女性議員の比率が今、約4割です。
憲法14条を改正することになりそうですね。
男女雇用機会均等法や候補者男女均等法は法律ですが、効果は出ていますか?
現状を打破するために憲法を変える、という方法もありますよ、と未来を担う世代にはぜひとも知って欲しい。
ま、ここまで言うと時間がなくなるので、授業では言いません。保護者の皆様がお子さんに伝えてくれたら嬉しいですし、これを読んでいる小学生や中学生はここで知るでしょう。
もちろん、私はパリテをやれ、と言っているのではありません。パリテもあるでよ、と言っているのですが、まあ、そういうことです。
私たち日本人はこの30年、社会を自ら変えて国際的な競争力を上げることにことごとく失敗して来ました。
社会を設計し、変える、そのツールの一つが憲法なのだ、という視点は、実は改憲にナーバスな左寄りの方々にこそ、なじむものだと思うのですが。
どっちかというと、人によっては「社会を設計するという感性」は傲慢だとも思いつつ、いや、社会は変わっていて、憲法が追いついていない、だからやむなく改憲で追いつく、という仕立てで考えないとついて行けないよ、といういわゆる保守の発想もあり。
他にも、私がよくSNSに書き込む財政健全化条項、環境権の明示なども社会を変えるでしょう。(*3
自治体の立場からは憲法裁判所とか地方自治のさらなる明文化なども挙げられます。
私は子どもたちに「憲法はありがたいものだったり、ありがたがるものではない」とも伝えています。
お経を1万回唱えれば救済される、かもしれない。
しかし、「憲法前文」を1億回唱えても絶対に救済はされません。まあ、こんなことは子どもたちには言ってませんけど。
まさに、「憲法は、皆んなが権力とうまく付き合い、使いこなすためのツール、道具なんだよ」とお話ししています。「ただし、大事な道具なんだよ、重要な道具なんだよ」と。
犬の首輪をご神体にしてもなんのご利益もないと思いますけど、犬の首輪は犬を飼うために大切な道具。首輪を拝んでどうする、と。
いっぱい書きましたけど、改憲には絶対に反対、という方、パリテ原則だけなら受け入れていい、とチラッと思いませんでしたか?
そのチラッと思った、ということだけでも書いた甲斐がありました。
逆に、とにかくこの憲法を変えたい、という方、変えるのが目的になってませんか?本当に変えたい中身がありますか?
「うっ」と詰まった方、その瞬間があっただけでも書いた甲斐がありましたよ。
本当に憲法はおもしろい。
*1 2007年までは国民が憲法を管理する権利が不作為に奪われていた、という意見も、ちゃんとした憲法学者にありました。
*2 フランス憲法より
第3条「(略)法律は、選挙によって選出される議員職と公職への女性と男性の平等なアクセスを助長する」
第4条「(略)政党および政治団体は、法律の定める条件において、第3条の最後の段に述べられた原則の実施に貢献する」
*3 MMTは江戸時代の貨幣改鋳とほぼ同じと考えられますが、金貨に含まれる混ぜ物の割合を増やしますか?という問いかけがあるなかで、増やしてはならない、を前提に財政を健全化させよう、というのが先進国の趨勢。信用創造は国がやれるのだから混ぜようよ、という意見もありますが、これはそもそもの、お金を預かることについて手数料という対価をもらうのが銀行の役割だった頃まで遡って信用とは何か、検証してもらえるといいかもしれませんね。ヨーロッパでのことですけど、昔は預かったお金を貸すという行為は禁止されていましたからね。
今年も、小学校訪問で子どもたちに「憲法と地方自治」を語る
「全員が反対しているのだからやめるべきだ」では何も動かない
ある議員さんの決まり文句があります。
「全員が反対しているのだからやめるべきだ」
これまで、その思考回路が誤っている、と何度も議会でも答弁してきましたが、今のところご理解いただけていないようなので、広く皆様に訴えます。
そもそも全員が反対、なんてことはないのですが、それはあまりにバカバカしいので措くとします。
いま、取り組みが必要な政策があるとして、「(そんなことないけど仮に)全員の人が反対」あるいは「反対の人がいる」から「やめる」ことによってどういう結果が招来されるかを皆で考える必要があります。
「反対の人の反対理由」を全部解決することはこの世の資源が有限なのだから、できません。
しかし、その痛みをやわらげたり、反対理由の一部に対応することは今でも可能です。
ただし、その対応範囲は本来の政策効果との比較の上で考えるべきでしょう。政治家には可能な範囲で、というプロとしての見極めが必要になります。
一方で、反対の人がいるからその事業そのものに取り組まない、という「きわめて安易で目先は楽な、一見人気が出そうな」選択はどういう結果をもたらすでしょうか。
繰り返しになりますが、そもそも、政策が立案される、ということは「何か問題を解決しなければならない」という前提があります。目の前の反対者のためにその問題解決を止めることでもたらされるのは「不作為により問題がそのまま残る」ということに他なりません。
前述「ある議員さん」はしきりに南北格差を言い募りますが、その「南北格差」こそ、そういう「楽な方に行く」思考回路と直結した事象なのです。
だからこそ、むしろ、問題意識を感じておられる方の思いを実現し、しかも事業が出来る、そんなギリギリの着地点を見つける努力にこそ力を貸してほしいのです。
もとより、政策は政策効果を目指して行うものであり、賛成が多いからやる、反対が多いからやらない、というものではないし、政策の意義をお伝えできれば徐々にご賛同いただけるケースが多いのです。
就任したとき以来、「今の状況でもみんななんとなやっているのだから」的な考えで問題解決のしんどい部分を残してきた、「過去の負の遺産」を少しずつ、着実に溶かしていきたい、という趣旨のお話をしてきましたが、ペースが速いかどうかは別にして、土地区画整理事業ひとつとってもとにかく諦めずに取り組んできました。
とにかく今年も我慢我慢で、しかしねちっこく、市民全体の利益のために、頑張ります。私はほんの目先ではなく、将来、そしてその先にある近未来の和光市の人々の視点で判断しています。

















