前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -411ページ目

実質収支と実質単年度収支~ハムスターでもわかる自治体財政用語シリーズ

毎年、秋になると「赤字自治体、県内で◎団体、前年より増加」などというニュースが新聞の地方面に掲載されます。これは実は大変問題のある現象です。

このような報道の基準となっているのが実質収支です。実質収支は下記の手順で算出されます。


Ⅰ 歳入総額<プラスの数字。役所に入ってきた現金>

Ⅱ 歳出総額<マイナスの数字。役所から出て行った現金>

Ⅲ Ⅰ-Ⅱ 歳入歳出差引<形式収支のこと>

Ⅳ 翌年度に繰り越すべき財源<マイナスの数字。たまたま年度内に終わらなかった事業に関する経費なので、翌年度には金は残らない>

Ⅴ Ⅲ-Ⅳ 実質収支

このように実質収支は算出されます。

で、これを年度の自治体の成績というか、赤字黒字の基準にするというのはどうかということですが、論外です。なぜなら、ここには財務面での収支が含まれないからです。(また、単式簿記では、昨年までの蓄積が単純に残高として残っているので、今年の実績を見るには前年度の実質収支をも差し引く必要があります。)

ハムスター的に解説すると、実質収支を増やそうと思ったら、貯金(いわゆる基金)を取り崩せばいいのです。つまり、十分な貯金がある限り、実質収支はプラスに操作できます

なお、いくら良い運営をしても、実質収支がマイナスになることがあります。

大量に貯金(基金への積み立て)をした結果、たまたま実質収支がマイナスになることは十分にありうる話です。

このような操作可能な数字を会社の成績の基準にすることは、ビジネスの世界では間抜けというか、ありえません

なお、ビジネスの世界で古来、よく使う指標にケイツネ(経常利益)があります。これは、主な事業の収支による成績を示す指標であり、特別利益、特別損失という財務面での収支は入っていません。特別利益を出すには株の含み益を吐き出したり、本社ビルを売ったりするわけですが、こんなものが経営者の成績ではないことはビジネスの世界の住人なら知っているわけです。

では、財務面の影響を取り除いた、つまり、貯金の出し入れに左右されない自治体の収支とは何なのかと言うと、下記の計算が必要です。

Ⅵ 前年度の実質収支

Ⅶ 単年度収支 Ⅴ-Ⅵ<前年度までの蓄積を引く式>


Ⅷ 基金への積み立て+地方債の繰り上げ償還<プラスの数字。貯金した、あるいは借金を返した>

Ⅸ 基金の取り崩し<マイナスの数字。貯金を取り崩した>

Ⅹ 実質単年度収支 Ⅶ+Ⅷ-Ⅸ

この、実質単年度収支が自治体の最終的な数字の帳尻です。

もちろん、これは普通会計 であり、公営企業会計や第三セクターの会計などは別ですし、自治体といえでも粉飾も大いにありうるので、ここだけではまったく安心できません

しかし、この実質単年度収支こそが出発点であることは間違いないと思います。

ということで、実質収支を基準にした報道は愚であるということが納得していただけたでしょうか。

ちなみに、和光市はどっちも黒字でつまらないので、下記に兵庫県篠山市のグラフをお示しします。実質収支の推移と実質単年度収支の推移には関係がなく、実質収支の推移だけに注目するということは世論をミスリードすることだということがグラフから読み取れます


篠山市

出所:篠山市役所(クリックすると大きくなります)


結論ですが、実質収支だけで業績の判定はできません。そういう報道はまやかしの報道です

最低でも実質単年度収支の推移と併せて見ましょう。

ところで、この種の指標ですが、議員でも職員でもしっかりと頭に入っている人は少ないですから、議員(特に新人)各位もご安心ください。私も忘れないために、時々思い出したように書いているのですw。

なお、詳しくは下記の本をご参照ください。

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ダメな自治体の行動パターン2~議会の議事録をウェブサイトに掲載しない

<ミクシィの私的日記からの転載です>

まともな自治体はさまざまな方向から、実に決め細やかに情報提供をしている。ウェブサイトも充実しているケースが多い。
一方でダメな自治体はウェブサイトにあまり情報を載せない。
特に、議会議事録が閲覧できない自治体はいかがなものかと思う。
議会だよりを掲載して事足れりという自治体が市でも結構ある。(町村は人員的に、あるいは予算的に厳しいのかもしれないがよく分からない。情報求む。普通の感覚では掲載すべきだと思うが。)
これではどの議員が働いているか見えないではないか。
また、まともに議論があったかどうか分からないではないか。
議会の内容をいちいち役所や図書館に見に行ける人は多くない。忙しい、税を納める人が議会を監視できるよう、議事録は必ずサイトに掲載すべきだ。
このコストは民主主義のコストだと思う。

なお、こういうことを言うと「デジタルデバイド」の問題を持ち出す輩がいる。しかし、PCのスキルがない人のために、PCのスキルがある人まで情報社会を享受できない方が異常。
これぞ悪平等の思想だ。

ちなみに、さすがに和光市はこのレベルの失点はない。当然のことだと思う。

ダメな自治体の行動パターン1~ネタの蓄積のためにシリーズ記事を作ってみようかと<改訂版>

<ミクシィ日記からの転載ですので文体が異なります。また、やや乱暴な言葉遣いにしてあるのは私的日記という位置付けだからです。お許しください>

これから、不定期で「ダメ*な自治体(あるいは首長)の行動パターン」をつぶやいてみようかと思う。 ただし、あくまで個人的見解であり、しかも試論であることをお断りしておく。
で、一回目は情報公開に不熱心な自治体のその1。情報公開条例の請求権者のところに余計な制約をつけている自治体。
税金を出してもらって運営しているくせに税金を出してくださっている人(とその予備軍)に情報を積極的に出さない自治体はカスだ。
和光市も情報公開ではだいぶ改善されたし、運用面では緩やかにやっているが、今も情報公開条例の条文に公開請求権者の制限をつけているので、広い意味ではカスの一種である。運用などいくらでも悪いほうに変えられる。
「何人たりとも」とすべき。
ちなみに、これを言うと「じゃあ市外のオンブズマンが勝手に情報公開請求をするのを許すのか(どこが悪い?)」「余計な請求が多くなるのでは(それを理由に正当な請求をも退けるのか?)」「目的外使用がありそう(同上)」などという反論があるが、これは言い訳であり、反論のための反論、「できない理由」だ。
こんなことを言わせてはならない。できない理由を並べるのは役人の悪い癖。
そもそもこういうリスクは民主主義の必要なコストだし、だからこそチャーチルは「民主主義はカスだけどこれに代わる仕組みがないからやっているんだよん(著しい意訳。超訳の一種)」と語った。
何より、市民等に公開請求権を限定したら、その自治体に引っ越そうという人は必要な情報を集めきれないかもしれないではないか。それだけで、制限をしてはならないことが分かる。
ちなみに、本を書くときにY市役所(北海道)に私が問い合わせたら、市民等以外には何も見せないとのこと。で、市民向けの情報コーナーはあるかと聞いたらそんなものはないと抜かした。 これでは市民は行政の暴走を監視できず、市民に自己責任を問えないではないか。

推して知るべしである。


*ちなみに、ダメ(駄目)とは駄な目のこと。博打における「良くない目」という意味だ。だから、「こんな言葉は政治に係る人間が使うべきではない」などとしたり顔で言う輩がいる。品格に関わるそうだ(笑。「ア☆ホ☆か」と申し上げておく。私はできれば飾らず本音で、普段の言葉遣いで語りたい。だから平然と「ダメ」と書く。

自治体のディスクロージャー基準は地方6団体が提言すべき(会計基準の設定主体論とかそういう話)

<記事公開後に文言を多少修正しています。>

財務諸表の提示、情報公開など、自治体は各種のディスクロージャー(情報公開)を行います。しかし、この判断基準の作成権は基本的に地方ではなく、国や国の一部門である総務省にあります。

また、地方の財務諸表の作成については、総務省の審議会が判断基準を実質的に作成しています。よって、地方が最低限、何を住民に知らせるべきかという基準は国にしか決められないのです(基本的には国の役人と審議会の学者で作っています)。


もちろん、国の基準以上のディスクロージャーや国とは異なった基準でのディスクロージャーを行うことは可能ですが、それにもコストがかかります。そして、そのためのコストを負担することについて役所は逃げ腰です。国の基準によるものは喜んで、あるいはやむなく作るし、そのためのマニュアルが国や都道府県によって準備されているため、やりやすいのです。

しかし、住民が本当に求める情報を開示していくためには、情報開示の基準は住民に近いところから提案されなければならないのです。それは地方六団体の関連団体としてかもしれませんし、あるいは民間の独立団体かもしれません。

もっとも、これを理解している人間は地方自治に関わる人々には皆無です。

六団体の頭目格の知事会からして、ディスクロージャー基準の設定権を地方に渡すように要望するのではなく、内容について政府に要望しています。

会計基準の設定主体はその会計基準を利用する側に近いところで設定すべきだという考え方は、実は民間では形式的には実現しています(会計基準委員会。FASJ。アメリカではFASB。もっとも、その中枢は審議会系の御用学者などで占められています。実質部分の質的な向上は今後の課題です)。これは、欧米が日本に求めて実現した会計ビッグバンの一端であり、財務省は大慌てで対応したのです。それ以前は、企業会計については企業会計審議会という審議会が掌握していました


そんなわけで、今日は「さわり」にとどめますが、会計基準同様、さまざまなディスクロージャー基準は運用側がリーダーシップを持つとともに責任を持つべき、というのは結構、日本の、特に役所の外では基本中の基本なのです。

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中岡望著『アメリカ保守革命』とblog「中岡望の目からウロコのアメリカ」<修正版>

アメリカの中間選挙が民主党の勝利で終わり、飽きっぽい日本のマスコミはすっかりアメリカの政界のことなど忘れてしまいました。また、選挙結果を「ネオコンの退場と共和党時代の終焉」というような単細胞な認識で論評する向きがかなりありました。

そういうなかで、恐ろしく的確に状況を分析したブログがありました。

しかも、その製作者は会社の大先輩(笑。

「中岡望の目からウロコのアメリカ」

この際なので皆さんにお勧めしておきます。

ここでは、アメリカの保守化に退潮はなく、むしろ民主党は保守政策の取り込みにより、穏健な中間層の取り込みに成功しただけだ、ということが論理的に分析されています。

日本では、民主党的な選挙テクニックを駆使した小泉チルドレンと呼ばれる新人の大量当選が自民党の圧勝を作りましたが、アメリカでは銃規制反対、中絶反対、クリスチャンコオリション寄りの「共和党候補みたいな民主党候補の新人」が勝敗の帰趨を握りました。(日本と似ていますね。)

つまり、共和党革命は挫折したが、保守化は止まっていない、というのが中岡氏の分析であり、私もまったく同感です。私も日本に本当のコンサバティズム運動を作るにはどうすればよいのか、をいつも考えていますし、日本の本来の意味での保守化は、世界の保守化の一環だというのが私の認識です。保守化の定義は一様ではないですが、世界は保守化の途上にあります。

さて、本題です。

中岡氏はこの『アメリカ保守革命 』(中公新書ラクレ)で、世界を覆うアメリカ化、そして、その流れを汲んだ保守化の流れを源流から解きほぐしています。

そもそも、アメリカの保守運動はリベラリズムへの反対運動から始まりました。

そして、次第に理論化、組織化され、まず伝統的な保守主義運動がウィーバー、カークらによって一定の完成を見ます。ベースは、伝統的価値の尊重、そして、人間は不完全な存在である、という認識、さらにキリスト教・ユダヤ教的価値観の尊重にありました。

その後、ヨーロッパの共産化の魔の手から逃れた亡命リバタリアン(「市場が問題を解決する」。古典派の復興はミーゼス、ハイエク、フリードマンらにより為された)によって、「ケインズ革命(政府が市場をコントロールする。国家や一部エリートの判断は市場の判断より勝る)」への反対運動と古典派の復興が始まります(新古典派)。

当時、ケインズ主義者(今のアメリカでは社会主義者に近い扱い)のニューディール政策が経済学の世界を覆いつくしていた頃です。

さて、この2つの運動は当初、互いに別々のものでした。

そして、この2つをメイヤーというジャーナリスト出身の学者が結び付けます。

1つになったアメリカ保守主義大きな流れはやがて、レーガン革命へと昇華して行きます。

(レーガン革命を徹底的に無視し、白眼視したのが当時の日本のマスコミです。当時はまだケインジアン全盛であり、朝日新聞などは田舎役者という論調でこき下ろしました。)


さて、このような保守主義運動本流の流れを源流から2004年までたどり、本書の前半は終わります。ここまで読むと、民主党と共和党のバトルの歴史が手に取るように分かります。

また、本書の後半はネオコン運動の歴史です。

民主党から離れたインテリたちがどのように保守化し、共和党に入り、やがては共和党の政策決定に大きな影響を及ぼすようになるか、という流れを俯瞰的に眺めていくのですが、とにかく本書を見ていると、ネオコンの出所来歴と本質的な立ち位置がすっきりと理解できます。

安部首相がネオコンとかそういう驚くべき非常識な論評が国内ではある程度有名な評論家によってもなされていますが、そういう評論家の酷さも本書を読めば楽しめるようになると思います。


さらに、本書の特徴は中岡氏が辣腕の経済ジャーナリストだということです。よって、政治の専門家では理解できないレバタリアンやネオコンの経済政策について的確な分析がなされています。

さらに、レーガノミクス(レーガンの経済政策)やブッシュ、クリントン経済政策についての分析も本書が一番分かりやすく、的確にまとまっている気がします。

アメリカの政治について知っておくことは、日本の将来を考える前提知識として絶対に欠かせないと思います。皆さんにお勧めするのは当然ですが、個人的には全ての国会議員とその秘書に読んでほしい一冊だと思っています。


アメリカ保守革命


追記:日本のジャーナリズムの中では、「アメリカの保守は新世界のゼロから作り上げられた地域の保守であり、しかもヨーロッパ保守の亜流だ。日本には伝統も地域社会もあるのだから、ヨーロッパ型の保守を目指すべきである」という意見に人気があります。

名うての碩学も多くはその種の論調ですが、正直、「それを言うならどっちも宗教(一神教)をベースにした世界観だから参考にならないんじゃないの? そして、アメリカの伝統や地域社会もないわけじゃないんだけど。何しろ近現代日本とアメリカではアメリカ史のほうが長いんだから・・・・・」と思います。


ただ、現実問題、世界のある程度政治的に影響力のある勢力はほとんど一神教がらみです(マルクス主義もキリスト教のカウンターパワーとしての宗教と考えるのが合理的)。この種の保守思想について理解し、それを軸に動いている現実の世界を認識してその中を周囲を見つめて泳いでいくことが日本人には求められています。現実は日本人の願望とは離れたところにあります。

もちろん、私たちのアイデンティティは守れる&守るべき部分については守りたいですが。

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