前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -35ページ目

モデルナワクチン3回目まとめ

3月15日、14時30分頃にモデルナワクチン(3回目)を接種しました。

直後は接種場所の痛み。

その後、夕方ごろから微熱、だるさが出ました。

意外にも20時間後ぐらいから肩がかなり痛くなりました。肩こりよりもインフルの痛みに似ていました。

30時間後ぐらいが辛さのピークでしょうか。

たまらずロキソニンを飲みました。

結局、36時間ぐらいでほぼ通常の体調に戻りました。

ちなみに、私は3回とも職域でモデルナ、というパターンでした。ご参考まで。

災害と石碑

東日本大震災から11年。ついこの間のように感じられるのですが、考えてみればアラフォーだった私がアラフィフになり、自分の手のシミを見て月日の経過を実感しているところです。
まずは、犠牲となった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

さて、地方自治や行政を研究する立場となり、特に勤務地周辺でいろいろな記念碑などをじっくりと観る機会が増えました。

日本は災害多発国であり、村の鎮守の森や海岸近くの公園、河川の堤防の脇などにさまざまな災害を記念する石碑が建立されています。

東日本大震災でも、津波被害を中心にたくさんの石碑が建立されました。

最近、私が衝撃を受けたのは広島県内に多数点在する水害碑です。

広島の土砂災害というと平成30年7月豪雨による土石流が全国的に有名ですが、有史以来、多数の水害に襲われ、無数の方々が犠牲になってきました。

学術論文をいくつか検索してみると、広島県内には主な水害碑だけで約40*あり、なかには川から遠く離れた集落を山崩れが襲った、という事象も少なくなく、水害や関連する土砂災害の激烈さを痛感させられます。

災害を記憶にとどめるための石碑の歴史は古く、1380(康暦2)年11月26日(『三岐田町**史』による)建立の康暦の碑(康暦の碑)が有名です。正平南海地震によるものとされているそうですが、碑文には地震や津波に関する記述はなく、喪失した部分もあり、まだまだ全容はわかっていないそうです。

いずれにしても、石碑の特徴は600年以上前のものが現存することでもわかる保存性の高さです。
また、石碑はものにもよりますが、視認されると「これはなんだろう」と人々の関心を引き付け、災害に対する関心を高めてくれます。

日本全国には、古くは数百年前の石碑があり、人々に注意を促しているわけです。まさに後の人々を思う先輩方の思いやりであり、あるいは次の犠牲を出さないように、という叫びなのかもしれません。

一方で、メンテナンスが行われないと、内容を読むことが困難になったり、なかには材質の関係で文字が消えてしまうケースもあります。
もちろん、昨今の災害碑は基本的に堅牢な材質で建立されているケースがほとんどのようです。

昨年、私は江田島市切串地区を訪問した際、大歳神社の敷地にある昭和20年水害慰霊碑が目に留まり、そこに記された内容やその後文献からわかった大きな被害に衝撃を受けました。
これは敗戦から1か月後に日本列島を襲った枕崎台風による土砂災害の慰霊碑です。午後8時に大洪水がおき、一瞬にして山崎病院を含む91戸の家屋が流失。死者は145人と記録されています。
当時を振り返る朝日新聞の取材記事によると、原爆で被災した避難者が海を越えて切串地区の病院、学校、寺院等に収容され、その数は地域の人口の1割に上ったそうです。

実はこの切串地区も平成30年7月豪雨においても重傷3、軽傷1、さらに大きな物的被害に見舞われています。
のどかな瀬戸内の島の風景は本当に気持ちよく、無言で語りかけてくる石碑の存在感が不気味ですらありました***。

東日本大震災関連の石碑では、私は仙台市の荒浜の観音像わきにある石板の犠牲者名簿に大きな衝撃を受けました。荒浜を含む七郷地区の犠牲者は189名にのぼり、なかには小さなお子さんの名前も多く、わが子と同じ生年のお子さんもおられました。それだけで胸が締め付けられます。また、そこには交通整理中に津波にのまれて殉職した渡辺巡査部長の名も刻まれていました。
心が痛くてたまらない石碑ではありますが、これを見た人々に身を守ろうという決意と、行動変容が生まれれば、少なくとも石碑が存在する大きな意義があるのでしょうね。

3月11日はぜひ、一人ひとりが震災を振り返り、防災の心がけを思い出し、行動を少しでも改善する、そんな日にできればと願うばかりです。街歩き、観光などで石碑を目にする機会があると思います。災害慰霊碑を見つけたら、裏面までじっくりとご覧になられるといろいろなことがわかり、本当におすすめです。

*藤本理志・小山耕平・熊原康博『広島県内における水害碑の碑文資料』(広島大学総合博物館研究報告)
**徳島県にかつて存在した町。現在の美波町。
***石碑の裏面は名簿であるため掲載は控えます。







鈴木一郎・宮瀧交二他『新羅郡の時代』刊行

鈴木一郎・宮瀧交二他『新羅郡の時代』刊行。
「続日本紀」に登場する新羅郡、これが新座であったり新倉であったりという朝霞地区四市の地名にも生きているわけですが、その誕生の背景には朝鮮半島の政治情勢があります。660年、百済は唐と新羅の連合軍によって滅ぼされます。その後、663年、旧百済勢力は大和朝廷の援軍とともに白村江で唐・新羅連合軍と闘い、大敗しました。
この混乱により、半島からは多数の渡来人が日本列島にやってきました。
本書によると、大和朝廷はこの状況を利用して、都に近いところに百済系の人々が住む百済郡を配し、敵対勢力出身者を住まわせた高麗郡、新羅郡は辺地である東国に配し、国家の権威付けに利用した、と言います。
ところが、この新羅郡の拠点がどこにあったのかがはっきりしない。ただ、周辺には確かに、様々な遺構が出るのです。そのひとつの集大成が本書ということになります。
監修者であり、分担執筆者でもある鈴木さんは和光市に奉職以来、一貫して文化財行政に邁進されました。その集大成ともいえる一冊。まだパラパラと目を通した段階ですが、本書のもととなっている2018年のシンポジウムで感じたワクワク感が再来するとともに、その後のさまざまな研究の成果も随所に配置されていたり、鈴木さんの後継者たちの成長も本書からはしっかり伝わってきます。
これから、じっくりと味わって読み込んでいきます。

吉川徹『学歴社会のローカル・トラック』を読む

昨日が埼玉県立高校の発表でしたね。受験生とご家族はというと、倍率が高い高校が結構多いので、悲喜こもごもかとは思いますが、地方と違って出身高校、特に県立高校がどこかとかさほど言われないのが埼玉のいいところ。であれば、置かれた場所で淡々と努力すればいいのだと思います。
そして、高校はたった3年間ですが、結構濃い思い出が残る3年間になります。どん欲に楽しむ心意気で。
ここのところ、社会学の古典的?名著・吉川徹『学歴社会のローカル・トラック』を味読しました。
地域唯一の(後期)中等教育機関である島根県立横田高校の国公立進学クラスA組の卒業生(1992年入学)がどのような人生を辿っていくか10年間追い、社会学的に分析したものです。
私と近い世代の若者たちのライフヒストリーが克明に記されていて、読んでいてタイムスリップのような感覚を覚えるとともに、いわゆるへき地からの大学進学というライフイベントの意味合いや地域における人材育成の意味を考えさせられ、大変参考になりました。
一人ひとりの個人は自ら進路を選び、自らの才覚や描く将来層を目指して生きて行くというのが建前論的には大前提でしょう。しかしながら、実際には地域には地域の人材育成の論理があり、家庭には家庭の事情があり、国家という規模で見ても、人材育成のあり方は重要な課題です。
実際に本書の登場人物たちは、山間部の島根県立高校の課せられた役割を踏まえた学校への人事配置等により地域資源が投入された生徒たちです。島根方式と著者が呼ぶ、中山間部で最適化された学力別指導のノウハウ等により、公共により選抜され、鍛えられた、地域社会におけるいわば未来の幹部候補生たちです。
著者は、その彼らの自己肯定感や倫理観の変化を数字で追いつつ、インタビューにより一人ひとりの内面の変化にも目を配りつつ島根方式の機能や成果を検証して行きます。
そこからは私が生まれ育った近畿圏の高校とも、その周辺でより都会に近い岡山や広島の高校とも違う、島根ならではの人の流れや人生が読み取れるのです。
一方で、本書にある地方公立高校の進路指導の在り方や学習指導の在り方は、今流行りの「自称進学校」的な生徒への指導の在り方の原型のような物が垣間見られるのも印象的でした。
ちょうど先日、YAHOOニュースで自称進学校批判の記事がたくさんのビューを集め、それに共感するような声も多数見られました。ただ、地方の県教委が都会の有名私大にではなく、地元大学に人を送り込むことを志向する背景にある、これまで作ってきた人の流れの実績というものが本書から読み取れたのは大きな収穫です。
さらには、自らは島根の都市部である松江の高校を卒業した著者ならではの彼らへの視線は愛情に満ちていて読んでいてホッとする著作でした。
今後、地方の若者がどのように次世代にバトンをつないでいくのか、どのようにしたらつないでいけるのか、これは私の現在のテーマでもありますが、考えたい方にお勧めできる一冊です。
ちなみに、webでも読めるので、興味がある方はどうぞ。

*横田高校は「しまね留学」の対象校です。寮がありますので、全国から出願可能です。

遠隔教育の取り扱いを変えないと地方の教育環境は維持、改善できない→地方の若い人は減る一方

地方都市に生活の拠点を構えてから、地方がらみのニュースに反応するのだけれど、ここ数日は地方の「県立高校の倍率確定」的なニュースに反応してしまう。
たとえば昨日のニュースだと、岩手県立高校は全体で0.9倍を切っている。

首都圏などを除く全国でこういうことが徐々に進展している。

この時期のネットニュースをよく見るとそれが手に取るようにわかる。
ちなみに、職場の近所の中堅進学校(埼玉だとイメージ的には和国とか浦和西ぐらいの高校)が去年から定員割れで、今年は0.8倍ぐらいになるらしいのだけれど、おそらく来年は定員が40人削られるかな、と予想。
何年かごとに40人ずつ削られていくと、あっという間に一学年200人ぐらいになってしまうのだけれど、そうなると、選択科目の維持が困難になってくる。
もっと減ると、どこかが統廃合になる。
私は田舎暮らしの本なども編集者として作ってきたのだけれど、地方移住者が一番困るのが子どもの教育であり、特に大学進学とか、大学進学のための進学校としての高校がある、というのが意外に難しい条件として移住者に立ちはだかる。
地方に人が暮らし続けるためのインフラとして、教育機関は必要不可欠だが、今のままでは地方から子育て世代がこぞって逃げ出すだろう。
さりとて、子どもが減るのに今までのままの教育機関を維持することはコスト的に難しい。
ということで、遠隔教育による単位の取り扱いをそろそろ劇的に変える必要があるよ、と感じている。
高校の選択科目を遠隔で受講することを普通にすれば、べつに1学年80人でも高校は維持できる。
また、へき地に居ながらにして大学の講義を大部分遠隔で受講し、あとはスクーリングで何とかする、みたいな状態なら、地方で子育ては完結する。もちろんへき地でもオッケーである。
もっと言うと、地方の現場に根差した講義を都会の学生が遠隔で受講するなら、地方創生の現場で頑張りたい都会の学生も増えるかもしれない。
ちなみに、地域みらい留学という高校生が地方の高校に進学するスキームがあるが、ここに以前は考えられなかったような地方の中核校が参加するケースが出てきている。
香川県はすべての県立高校に県外生の枠を作った。
実は、国土の広いアメリカでは、大学2年生までは地元のコミュニティカレッジ(2年制)で学び、そこで故郷を離れて一流大学に進学していく人々が多数いる。
さらに言うと、高校時代からコミュニティカレッジで学び、正式にそこに進学する頃には単位の半分以上を取ってしまっているスーパー高校生的な高校生が思いのほか多い。そうなると、21歳で大学を卒業して修士課程に行く、なんてことになる。
日本と違い、修士課程を出ているのは大企業などの就職では当たり前なので、こうなると一発逆転である。
アメリカ型がいいかどうかは別にして、遠隔教育の扱いとか、大学教育を高校生が受けて正式にそれが単位として認められるような制度改正が行われて行けば、教育が原因で地方に住めない、という家庭は確実に減っていくことになる。
地方で生活してみると痛感することだけれど、地方が選挙区の国会議員(岸田総理、安倍元総理、麻生元総理など)は東京生まれ東京育ち、東京在住だったりするので、地方民の教育のことなど眼中にないのである。

ぜひ、地方でガチで一家そろって生活していただきたいもの。できないなら、もっと生の声を集めていただきたい。

写真は現実に0.8倍となった某高校。和光市内にあれば入試の倍率は1.5倍ぐらいは行くかもしれない。高校の立地としては、政令市の中心から新交通システムで12駅、そこから急坂を20分弱登ったところ。
最近の傾向として、郊外かつ駅から遠い学校の人気は下がってきています。

また、地域柄としては、いわゆる都市の中心部の文化圏とイオンモール文化圏の境界線上かどちらかというとイオンモール文化圏寄りにあり、これが人気低下の要因になっている、と個人的には感じています。昨今の地方の高校生は都心を目指す傾向があるようです。