成人の日ですね | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

成人の日ですね

新成人の皆さん、成人おめでとうございます。

オミクロンに急襲されて各地でいろいろとご労苦があるようですが、感染対策を上手にやりながら、後味の良い成人の日にできるといいですね。私が学生の時は帰省するお金もなくて、今は亡き同級の親友と下宿で飲みつつ語らった、忘れえぬ思い出があります。環境問題に関心を持ち、その界隈で活動するも20代で早逝したM君、成人式の季節が来ると奴が生きていたらなあ、と思い出します。

 

環境問題と財政問題は割と似ていて、どちらも今ある経営資源を全部自分のもの、と今の世代が思って放蕩すると後世にツケが回ります。

なぜそうなるのかというと、人類が何らかの価値を生む活動の大部分は自然からの収奪なしには行い得ないものなのだからであるわけで、それが度を超すと、過酷な環境負荷になったり、財政負荷になったりするから、というわけです。

一方で、地球の歴史そのものは不可逆的な、一方通行の歴史であり、人類の活動の有無を問わず、4十数億年経過すると惑星としての地球そのものが終焉を迎えます。私は子供の頃、これがとても怖かった(笑)。

また、そこまでいかなくても、近所の恒星系で大規模な超新星爆発でも一発あれば、地球環境なんてものは吹き飛んでしまいます。いや、隕石ひとつでどんなことになるか、いろいろな映画で思考実験をしていますよね。

じゃあ何のために次世代のことを考えるのかというと、それは、私たちが前の世代と次の世代をつなぐリレーの選手に過ぎないからであって、大過なくバトンをつなぐことこそが生き物としての我々が存在する意義なのではないかと思うわけです。

そして、大過なく次世代にバトンを渡すこと、という意味でだけ言うなら、我々より石器時代の人の方がよほどうまくやったのではないかと思います。我々が石器時代のご先祖よりイケているかどうかというと、地球環境との関係性で言うなら、今のところはへたくそです。それでも、道具をいろいろと使い、膨大な知識を集め、莫大なエネルギーを使って文明を維持している我々の存在が許されるとしたら、それはより大規模なカタストロフィーから環境を守りうる文明の力を持つことなのではないか、それこそが文明の大目標なのではないか、そんなことを思うわけです。だからこそ、ちまちまと環境破壊をしている場合ではないのです。

いや、実はよくこんなことを30年ぐらい前にM君と語り合ったんですよね。

「あれ、最近、松本クン、妙な電波を受けてない?」とか言われそうでこんなことを書くのは心配ですけど(再度笑)、たまにはいいじゃないですか。

二十歳のころはこんなことを考えていたよ、というお話でした。

 

↓ウイキペディアより、超新星爆発でできた「かに星雲」