「ゆたぼん親子」のコンテンツは「教育論」ではなく「ショータイム」として消費すべし!?
最近、ネット記事等でいわゆる「ゆたぼん」を目にしない日はないと言って良いだろう。世間的には、親子で旅し冒険する彼らの資金調達であったり、ご飯をおごってもらうとかもらわないとかいうたわいもない話であったり、さらには日々の親子の言動がコンテンツとして消費されている。
重要なのは、それはリアルな冒険と言うものではなく、どちらかと言うと以前に大ブレイクした猿岩石の世界紀行であるとか、あるいは、亀田3兄弟の表の姿(どちらが裏か表かはわからないが、亀田はボクサーとして一流の中でも上位の実力を持っていたとされており、私もそれを信じている)に近いものだと考えればよいだろう。
要するに、あれはリアルな教育でなければ家庭像でもなく、ある種の予定されたエンターテイメントなのである。もちろんそのエンターテインメントのあり方自体が川口浩や猿岩石の時代と今のネット社会とでは異なるわけだが、本質は同じ、なのである(純烈&ダチョウの「白い雲のように」再ブレイクにびっくり)。
とするとその挙動をいちいち報道している一部の芸能マスコミが伝えるのは、まさに昭和のプロレス団体の「闘争」に代表される、一つのショーなのである。
よって、「ゆたぼん親子」が提供しているコンテンツはまさに、ショータイムとして消費すれば良い性質のものだろう。くれぐれも、教育論をそこに絡ませてはならないということがわかる。ましてや、彼が学校に行かないからといって、それを真に受けてもう学校に行かなくても良い、と考えてしまう子どもがいるとしたら、それをたしなめるのは親の役目である。
昭和の話で言うなら、素人が体育館でマットを敷いてブレーンバスターをやってはならないのと同じである。
もちろん学校に行くと言うこと自体に価値があるかというと、そこは揺らいできている。学校に行くこと自体には、当の文科省も100%の価値を認めているというわけではなく、すでに学力保証と出席は一体という考え方ではない。
重要なのは「楽しんでも、真に受けない」ということなのである。もちろん、楽しむ必要すらないものなのかもしれないが。
ちなみに「ゆたポン」と思ってました!
分担執筆した地域政党本『情報オープン・しがらみフリーの新勢力』届く
今日は学校でCOP27とUNFCCCのお話
学校で「現代社会と政治~政治と環境-政治は環境問題にどのように関わったのか」というコマを担当しています。COP27の開催を踏まえ、本当は「四日市ぜんそく」の日でしたが、入れ替えて「国際政治と環境問題」を先にやりました。
国際的な枠組みの歴史、温暖化に関する技術の進歩の貢献、COPの仕組みや国々の合従連衡の様子など、今日の説明でニュースがよくわかるよ、というのが主眼です。
「共通だが、差異のある責任」の意味合い、アメリカ、オーストラリア、カナダが組んでいる意味合い、EUが先鋭的なことを言う背景、スイスと韓国、モナコが組んだ背景などなど、COPは政治を学ぶためのネタの宝庫。
また、私が編集者として環境問題、環境会計などに取り組んでいた時代と比較すると、格段に精緻な議論ができていて、背景にスパコンや観測技術の進化があるのは私としては滅法おもしろいのですが、学生はそこが一番眠たかったようです。
本当は一通りの公害問題の説明の後にやりたい内容なのですが…。
この記事の図は資源エネルギー庁のサイトから引用しました。
関心がおありの方はぜひ、「あらためて振り返る、「COP26」~「COP」ってそもそもどんな会議?」をお読みになってください。















