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 昨日の日報 → 本日は・・なんか妙に眠たいので早めに寝ます。

 5/11(土)の参拝記事
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 一昨日の散策記事→ 自転車で河内ポタリング。 190511

 5/04(土)の阪急沿線の参拝記事
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 4/27(土)の参拝記事
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         第124回 京都市伏見区・御香宮神社編
         第125回 京都府八幡市・石清水八幡宮編

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 ※116回までの記事はとりあえずYahoo!の方でご覧ください。
   ■ 神社・仏閣散策(^^; たかとっさんのせわしない日常
     https://blogs.yahoo.co.jp/nagao_x/folder/1601285.html



 一昨日の河内ポタリングで参拝したお社です。

 ※河内国(かわちのくに)・・日本の地方行政区分である令制国の一つ。
               畿内に属する。
               今回行ったのは摂津国と大和国の間部分。

  
 参拝日:19/05/11(土) 天候:晴れ


 石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)

 延喜式神名帳に記載されている河内郡の式内小社。
 「石切劔箭命神社二座」。

 主祭神:可美真手命(うましまでのみこと)
     饒速日尊(にぎはやひのみこと)

     饒速日尊は神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に
     乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国
    (奈良県)に移ったとされている神、物部氏、穂積氏、尾張氏、海部氏、
     熊野国造らの祖神。

     可美真手命は饒速日尊が那賀須泥毘古の妹である登美夜須毘売を娶って
     生んだ子で、『先代旧事本紀』では天香山命(尾張氏の祖)が異母兄で
     あり、彦湯支命の父であると伝える、要は親子神。
     また物部氏、穂積氏、采女氏らの祖神。
 

 所在地:大阪府東大阪市東石切町1-1-1(本社)

 アクセス:近鉄けいはんな線「新石切」駅から徒歩7分
      近鉄奈良線「石切」駅から徒歩15分      


 公式ホームページ:石切劔箭神社(石切さん)
           https://www.ishikiri.or.jp/

 歴史

   「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口
   にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。

   創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではないが、
   代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が
   饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、崇神天皇の御世に現本社に
   可美真手命が奉祀されたと伝わる。

   現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に
   河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、延喜式神名帳
   にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。

   宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに
   明治38年には現在の本社本殿に合祀された。

   その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の
   気運が高まり、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、
   昭和47年に往古の姿を取り戻した。

   昭和50年には東京都文京区に分祀され「石切東京分祀」が鎮座している。

   上之宮の、さらに奥には「奥宮」があるが、荒廃している。

                      以上、wikiより



 写真①、とりあえず境内図はこちら。
   

 写真②、今回は西の参道入り口から。


 写真③、随身門(絵馬殿)前の駐輪場に自転車を停めて・・。


 写真④、随身門(絵馬殿)の奥の鳥居と拝殿。
 

 写真⑤、こちらの随身門(絵馬殿)では随身ではなく御祭神が、
     外に目を光らせております。

     向かって左側が弓箭(天の羽羽弓・羽羽矢)を持つ饒速日尊。


 写真⑥、右側は剣(布都御魂剣)を持つ可美真手命。


 写真⑦、三の鳥居から拝殿を望む。
     拝殿と鳥居の間の人々はひたすらお百度を踏む方々。


 写真⑧、お百度を踏む方々への注意書も。


 写真⑨、拝殿前の狛犬(吽形)。
     

 写真⑩、拝殿前の狛犬(阿形)。


 写真⑪、拝殿で参拝。


 写真⑫、こちらは奥にある穂積神霊社。


 写真⑬、一願成霊尊。

      その後、奥にある穂積殿で『宝物館特別公開』を拝観する。


 写真⑭、穂積殿の刀剣乱舞の「石切丸」との撮影コーナー。     


 写真⑮、こちらが複製の太刀・石切丸。
     画像はいただいた資料から。
     現代の名工・奈良県無形文化財保持者の刀工、河内國平が作刀。
     一緒に小狐丸や小烏丸も展示されておりました。

     この太刀は今後、御本殿に奉納され、神様の佩刀となります。


 写真⑯、こちらが今回の展示目録です。
     

 写真⑰、御本殿を裏から。


 写真⑱、御本殿を裏に鎮座されている乾明神社。
     御祭神は應壅乾幸護(おうよういぬいさぢもり)大明神。
     江戸時代中期にこの地で信望の厚かった乾市良兵衛という庄屋を務めた方
     だそうです。


 写真⑲、三の鳥居そばの水神社。
     御祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)と天水分神(あめのみくまりの
     かみ)。


 写真⑳、最後にいただいてきた御朱印です。
     前にいただいた時は御朱印帳に書いていただけたんですが
     昨今の御朱印ブームのせいか今回は紙ベースでした。


      以上で一昨日、参拝してきた石切剣箭の記事でした。