中山寺の次に参詣した記事です。
参拝日:19/05/04(土) 天候:晴れ
賣布神社(めふじんじゃ)
主祭神:下照姫神(シタテルヒメ)。
配祀神:天稚彦神(アメノワカヒコ)
下照姫神の夫。
所在地:兵庫県宝塚市売布山手町1-1
アクセス:阪急宝塚線売布神社駅から徒歩5分
公式ホームページ:なし
歴史
推古天皇18年(605年)の創建と伝える。
下照姫神は当地の里人が飢えと寒さで困窮しているのを愁い、
稲を植え麻を紡ぎ布を織ることを教え、その後豊かになった
里人が下照姫神を祀ったという伝承が残る。
米谷村の由来もこの伝承にちなみ、米種(まいたね)か
売布谷(めふたに)が転訛したといわれている。
延喜式神名帳では小社に列格している。
中世以降、貴布禰神社や貴布禰明神(貴船大明神)と
称していたが、元文元年(1736年)、寺社奉行大岡忠相より
地誌編纂を命じられた並河誠所の調査によって当社が
式内・売布神社に比定され、以降は売布神社と称するようになった。
明治6年(1873年)、郷社に列格した。
以上、wikiより。
写真①、阪急・売布神社駅。
写真②、巡礼街道から神社に向かう途中の道標。
民家の壁から「ひょっこりはん」的な出方をしていますが
これも清荒神へ道標。
写真③、坂道の途中にあるカトリック女子 御受難修道会。
写真④、賣布神社、鳥居前より。
右端に見切れているのが社号標。
写真⑤、参道をテクテク歩く。
写真⑥、注連柱前より。
写真⑦、拝殿。
写真⑧、拝殿右側にある『売布神社社号標石』。
宝塚市の指定文化財。
並河誠所の調査によって元文元年に(1736)に社号を
正すために建てられたもの。
写真⑨、拝殿前の狛犬(阿形)。
写真⑩、狛犬(吽形)。
写真⑪、こちらが拝殿。
参拝する。
写真⑫、境内の一角には珍しい「神武天皇遥拝所」が。
写真⑬、末社の豊玉神社。
写真⑭、こちらは稲荷社。
写真⑮、厳島神社。
その後、両足の脹脛が攣る事態に。
ベンチでまっさーじしつつ休憩。
写真⑯、空を見上げる。
ここはなにもなくて今回の旅で一番落ち着く場所でした。
写真⑰、最後にいただいてきた御朱印です。
これをもって今回の阪急沿線の宝塚方面は終了。
次回からは嵐山方面です。
以上、土曜日に参拝してきた賣布神社の参拝記事でした。
参拝日:19/05/04(土) 天候:晴れ
賣布神社(めふじんじゃ)
主祭神:下照姫神(シタテルヒメ)。
配祀神:天稚彦神(アメノワカヒコ)
下照姫神の夫。
所在地:兵庫県宝塚市売布山手町1-1
アクセス:阪急宝塚線売布神社駅から徒歩5分
公式ホームページ:なし
歴史
推古天皇18年(605年)の創建と伝える。
下照姫神は当地の里人が飢えと寒さで困窮しているのを愁い、
稲を植え麻を紡ぎ布を織ることを教え、その後豊かになった
里人が下照姫神を祀ったという伝承が残る。
米谷村の由来もこの伝承にちなみ、米種(まいたね)か
売布谷(めふたに)が転訛したといわれている。
延喜式神名帳では小社に列格している。
中世以降、貴布禰神社や貴布禰明神(貴船大明神)と
称していたが、元文元年(1736年)、寺社奉行大岡忠相より
地誌編纂を命じられた並河誠所の調査によって当社が
式内・売布神社に比定され、以降は売布神社と称するようになった。
明治6年(1873年)、郷社に列格した。
以上、wikiより。
写真①、阪急・売布神社駅。
写真②、巡礼街道から神社に向かう途中の道標。
民家の壁から「ひょっこりはん」的な出方をしていますが
これも清荒神へ道標。
写真③、坂道の途中にあるカトリック女子 御受難修道会。
写真④、賣布神社、鳥居前より。
右端に見切れているのが社号標。
写真⑤、参道をテクテク歩く。
写真⑥、注連柱前より。
写真⑦、拝殿。
写真⑧、拝殿右側にある『売布神社社号標石』。
宝塚市の指定文化財。
並河誠所の調査によって元文元年に(1736)に社号を
正すために建てられたもの。
写真⑨、拝殿前の狛犬(阿形)。
写真⑩、狛犬(吽形)。
写真⑪、こちらが拝殿。
参拝する。
写真⑫、境内の一角には珍しい「神武天皇遥拝所」が。
写真⑬、末社の豊玉神社。
写真⑭、こちらは稲荷社。
写真⑮、厳島神社。
その後、両足の脹脛が攣る事態に。
ベンチでまっさーじしつつ休憩。
写真⑯、空を見上げる。
ここはなにもなくて今回の旅で一番落ち着く場所でした。
写真⑰、最後にいただいてきた御朱印です。
これをもって今回の阪急沿線の宝塚方面は終了。
次回からは嵐山方面です。
以上、土曜日に参拝してきた賣布神社の参拝記事でした。