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昨日の日報 → 本日は・・寝坊したので。
土曜の阪急沿線の参拝記事
第117回 兵庫県宝塚市・市杵島姫神社編
第118回 兵庫県宝塚市・中山寺編
第119回 兵庫県宝塚市・賣布神社編
第120回 京都市西京区・松尾大社編
第121回 京都市西京区・月読神社編
第122回 京都市西京区・法輪寺編
第123回 京都市伏見区・伏見稲荷大社編
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※116回までの記事はとりあえずYahoo!の方でご覧ください。
■ 神社・仏閣散策(^^; たかとっさんのせわしない日常
https://blogs.yahoo.co.jp/nagao_x/folder/1601285.html
伏見稲荷大社参拝後、従兄弟の目的地である総本家駿河屋で買い物後、
近くの御香宮神社に参拝してきた記事です。
参拝日:19/04/27(土) 天候:曇りのち晴れ
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)
式内社で、旧社格は府社。
通称、御香宮、御幸宮。
伏見地区の産土神である。
主祭神:神功皇后。
配 祀:夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神。
所在地:京都府京都市伏見区御香宮門前町
アクセス:近鉄桃山御陵前駅、京阪伏見桃山駅、JR奈良線桃山駅より徒歩
京都市営バス御香宮前 バス停
公式ホームページ:御香宮神社
http://www.gokounomiya.kyoto.jp/
歴史
御香宮神社は伏見九郷の総鎮守の古い社だが、豊臣秀吉が伏見城を
築いたとき、大亀谷へ移動させて鬼門の守りとした。
現在地へ戻したのは徳川家康で、慶長十(1605)年、三百石を寄進して
社殿を新築した。
重要文化財の本殿はこのときのもので、桃山風の豪華な飾り彫刻が
ついている。
大手筋に面した表門は伏見城の大手門だったと伝えられ、棟の両端に
鯱(しゃち)を載せているのが珍しい。
元和八(1622)年、家康の十一男で水戸徳川家の祖となった頼房の
寄進による。
伏見城の車寄せと伝えられる割拝殿は、寛永二(1625)年、家康の十男で
紀州徳川家の祖となった頼宣が石鳥居ともども寄進したもの。
九男の尾張徳川家の祖、義直を加えて御三家の祖は揃ってこの社を
産土神としている。
秀忠の長女、千姫もまた伏見城に生まれたことから、重さが2.3トンも
ある豪華な神輿をこの社に寄進した。
以上、頂いてきた由緒書より
写真①、大手筋にドカンとそびえ立つ大鳥居。
写真②、表門前から。
写真③、表門の欄間?の彫刻。
見るカンジ、ストーリー性があるようですが。
写真④、・・うん、全然わからん。
写真⑤、参道。
写真⑥、参道の途中にある桃山天満宮さんにも参拝。
写真⑦、手水舎。
写真⑧、拝殿前から。
拝殿では初宮参りの撮影会?が・・。
写真⑨、本殿で参拝。
こちらでも初宮参りの御祈祷が。
写真⑩、御本殿を横から。
写真⑪、社名の由来の御香水。
写真⑫、絵馬殿。
写真⑬、いただいてきた御朱印です。
写真⑭、一緒にいただいた桃山天満宮の御朱印。
この後は、帰宅途中の石清水八幡宮に向かいました。
連休初日に参拝してきた御香宮神社の参拝記事でした。
昨日の日報 → 本日は・・寝坊したので。
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第117回 兵庫県宝塚市・市杵島姫神社編
第118回 兵庫県宝塚市・中山寺編
第119回 兵庫県宝塚市・賣布神社編
第120回 京都市西京区・松尾大社編
第121回 京都市西京区・月読神社編
第122回 京都市西京区・法輪寺編
第123回 京都市伏見区・伏見稲荷大社編
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伏見稲荷大社参拝後、従兄弟の目的地である総本家駿河屋で買い物後、
近くの御香宮神社に参拝してきた記事です。
参拝日:19/04/27(土) 天候:曇りのち晴れ
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)
式内社で、旧社格は府社。
通称、御香宮、御幸宮。
伏見地区の産土神である。
主祭神:神功皇后。
配 祀:夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神。
所在地:京都府京都市伏見区御香宮門前町
アクセス:近鉄桃山御陵前駅、京阪伏見桃山駅、JR奈良線桃山駅より徒歩
京都市営バス御香宮前 バス停
公式ホームページ:御香宮神社
http://www.gokounomiya.kyoto.jp/
歴史
御香宮神社は伏見九郷の総鎮守の古い社だが、豊臣秀吉が伏見城を
築いたとき、大亀谷へ移動させて鬼門の守りとした。
現在地へ戻したのは徳川家康で、慶長十(1605)年、三百石を寄進して
社殿を新築した。
重要文化財の本殿はこのときのもので、桃山風の豪華な飾り彫刻が
ついている。
大手筋に面した表門は伏見城の大手門だったと伝えられ、棟の両端に
鯱(しゃち)を載せているのが珍しい。
元和八(1622)年、家康の十一男で水戸徳川家の祖となった頼房の
寄進による。
伏見城の車寄せと伝えられる割拝殿は、寛永二(1625)年、家康の十男で
紀州徳川家の祖となった頼宣が石鳥居ともども寄進したもの。
九男の尾張徳川家の祖、義直を加えて御三家の祖は揃ってこの社を
産土神としている。
秀忠の長女、千姫もまた伏見城に生まれたことから、重さが2.3トンも
ある豪華な神輿をこの社に寄進した。
以上、頂いてきた由緒書より
写真①、大手筋にドカンとそびえ立つ大鳥居。
写真②、表門前から。
写真③、表門の欄間?の彫刻。
見るカンジ、ストーリー性があるようですが。
写真④、・・うん、全然わからん。
写真⑤、参道。
写真⑥、参道の途中にある桃山天満宮さんにも参拝。
写真⑦、手水舎。
写真⑧、拝殿前から。
拝殿では初宮参りの撮影会?が・・。
写真⑨、本殿で参拝。
こちらでも初宮参りの御祈祷が。
写真⑩、御本殿を横から。
写真⑪、社名の由来の御香水。
写真⑫、絵馬殿。
写真⑬、いただいてきた御朱印です。
写真⑭、一緒にいただいた桃山天満宮の御朱印。
この後は、帰宅途中の石清水八幡宮に向かいました。
連休初日に参拝してきた御香宮神社の参拝記事でした。