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昨日の日報 → 本日は・・土曜日の参拝記事を書きました。
土曜の阪急沿線の参拝記事
第117回 兵庫県宝塚市・市杵島姫神社編
第118回 兵庫県宝塚市・中山寺編
第119回 兵庫県宝塚市・賣布神社編
第120回 京都市西京区・松尾大社編
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※116回までの記事はとりあえずYahoo!の方でご覧ください。
■ 神社・仏閣散策(^^; たかとっさんのせわしない日常
https://blogs.yahoo.co.jp/nagao_x/folder/1601285.html
さて、松尾大社を後にして二の鳥居の前の道を南へテクテク歩いていきます。
参拝日:19/05/04(土) 天候:晴れ
月読神社(つきよみじんじゃ)
祭 神:月読尊(つきよみのみこと)
現在はこの神様、一柱のみ。
社 格:式内社(名神大)
松尾大社境外摂社
所在地:京都府京都市西京区松室山添町15
アクセス:阪急電鉄嵐山線 松尾大社駅
松尾大社から南へ500m。
公式ホームページ:安産 安産祈願 京都 月読神社
http://www.matsunoo.or.jp/tukiyomi/index/
歴史
『日本書紀』によれば、顕宗天皇(第23代)3年に任那への使者の
阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に月神から神託があり、社地を
求められた。
朝廷はこの月神に対して山背国(山城国)葛野郡の「歌荒樔田
(うたあらすだ)」の地を奉り、その祠を壱岐県主祖の押見宿禰が
奉斎したという。
以上の記事が当社の創建を指すと一般に考えられている。
その後『日本文徳天皇実録』によれば、斉衡3年(856年)に
水害の危険を避けるため月読社は「松尾之南山」に遷座されたといい、
以後現在まで当地に鎮座するとされる。
このほか『山城国風土記』逸文によれば、月読尊が保食神のもとを
訪れた際、その地にあった桂の木に憑りついたといい、
「桂」の地名はこれに始まるという説話が記されている。
前述のように顕宗天皇3年の記事は壱岐氏の伝承と考えられており、
本拠地の壱岐島にある月読神社[注 3]からの勧請(分祠)を伝えるものと
される。
山城への勧請には、中央政権と朝鮮半島との関係において対馬・壱岐の
重要視が背景にあるとされる。
壱岐・対馬の氏族が卜部として中央の祭祀に携わるようになった時期を
併せ考えると、月読神社の実際の創建は6世紀中頃から後半と推測されている。
当初の鎮座地「歌荒樔田」の比定地について、社伝(月読大神宮伝記)では
上野説(月読塚が存在した地)・桂里説を挙げるが、他に宇太村説(のちの
平安京造営地)・有栖川流域説などの諸説が知られる。
『文徳天皇実録』の記述により川辺にあったことが確かとされることから、
中でも上野説が有力視されている[6][9]。
史実としては、大宝元年(701年)[原 5]に「葛野郡月読神」ほか諸神の神稲を
中臣氏に給するという記事が初見である。
その後、前述のように斉衡3年(856年)に松尾山麓に遷座し、天安3年
(859年)には正二位の神階に叙された。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、山城国葛野郡に
「葛野坐月読神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに
月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。
神名帳では丹波国桑田郡にも小川月神社(京都府亀岡市)の記載があり、
大堰川流域における月神信仰の広がりが指摘される。
中世には周辺に「禰宜田」と称する田畑のほか若干の社領を有したが、
松尾大社の勢力に押されたと見られている。
これらの社領は織田信長入京後も安堵された。
近世には完全に松尾大社に従属化しており、社領として松尾神社
神供料1,000余石のうちから月読禰宜分100石1斗、月読祝分16石が
配分される立場であった。
明治維新後、明治10年(1877年)3月21日に松尾大社摂社に公式に
定められ、現在に至っている。
以上、wikiより
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/7c/45/j/o0500037514405454090.jpg?caw=800)
写真①、まずは松尾大社の二の鳥居前から南へテクテク歩いて行きます。
方向的には鳥居に向かって左側の方。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/2f/d1/j/o0500037514405454092.jpg?caw=800)
写真②、途中に松尾大社の車祓所と神饌田が。
写真は神饌田。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/8b/9a/j/o0500037014405454095.jpg?caw=800)
写真③、月読神社の鳥居前より。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/23/c9/j/o0500037514405454097.jpg?caw=800)
写真④、尚、境内は京都市指定史跡らしい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/35/76/j/o0500037514405454098.jpg?caw=800)
写真⑤、神門。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/62/3a/j/o0500037514405454101.jpg?caw=800)
写真⑥、舞殿。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/24/4e/j/o0500066714405454102.jpg?caw=800)
写真⑦、本殿前の石灯籠。
月読宮と彫られています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/b0/2a/j/o0500037314405454105.jpg?caw=800)
写真⑧、御本殿。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/68/d7/j/o0500037514405454108.jpg?caw=800)
写真⑨、御本殿の扁額。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/79/b7/j/o0500037514405454111.jpg?caw=800)
写真⑩、願掛け陰陽石。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/e1/b7/j/o0500037514405454113.jpg?caw=800)
写真⑪、御船社。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/19/takatossanz/4f/74/j/o0500073714405454115.jpg?caw=800)
写真⑫、いただいてきた御朱印です。
残念ながら天気も良く暑いくらいだったのに境内では
なぜか寒気が・・。
たぶん合わなかったんだろうと思いますが・・。
ゆえにあまり写真はありません。
以上、土曜日に参拝してきた月読神社の参拝記事でした。