
土居豊の京アニ論を寄稿した『こころの科学とエピステモロジー』2022年号、J-STAGEにも
土居豊の京アニ論を寄稿した『こころの科学とエピステモロジー』2022年4巻1号、J-STAGEにも掲載
上記、
西宮で人文死生学研究会にゲスト参加させていただいてから、早くも4年。コロナ以前のあの夏の日、研究会の皆さんに「涼宮ハルヒ」ゆかりの地をご案内しつつ歩いたのが、ついこの前のように感じます。コロナ危機が終息したら、学会の皆さんともう一度、ハルヒ聖地巡礼の続きをやりたいと願っています。
筆者が寄稿した電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』2022年4巻1号は、前号からJ-STAGEにも掲載され、ありがたいことに筆者の拙論も検索上位に挙がっていたとのことです。
今回の論は、前回の試論から1歩進めて、「京アニ作品の死生観」論その1、としました。副題に、【ミステリーアニメの死生観〜『涼宮ハルヒ』とP.A.WORKSの『Another』、そして『氷菓』と長ったらしいものを付けてあり、このタイトルだけでもう結論のようになってしまいました。
京都アニメーションの作品を愛する多くの皆さんへお届けしたい論考です。ご興味ありましたら、ぜひアクセスしてみてください。
↓
以下
掲載誌
『こころの科学とエピステモロジー』2022年4巻1号
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/epstemindsci/list/-char/ja
発行日: 2022/06/05
公開日: 2022/06/05
発行:心の科学の基礎論研究会
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/kokoro
編集委員長
渡辺恒夫 東邦大学(名誉教授/心理学・現象学)
編集部長(編集委員兼務)
荒川直哉 <NPO>全脳アーキテクチャ・イニシアティブ(人工知能)
編集委員
水本正晴 北陸先端科学技術大学院大学(教授/分析哲学) 論文担当 田中彰吾 東海大学(教授/心理学・現象学) 論文・翻訳担当
村田憲郎 東海大学(教授/哲学・現象学) 論文・翻訳担当
松崎保美 元SF作家 書評・映像メディア時評担当 小久保秀之(編集部兼務) 明治大学(兼任講師/実験人間学)J-Stage担当
特別編集顧問
林辺光慶 フリー編集者(元講談社学芸局長)
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J-STAGE
こころの科学とエピステモロジー4巻 (2022) 1号
映像メディア時評「京アニ作品の死生観」論その1【ミステリーアニメの死生観〜『涼宮ハルヒ』とP.A.WORKSの『Another』、そして『氷菓』】
土居豊(作家)
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PDFでダウンロード
https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/4/1/4_103/_pdf/-char/ja
元ページ
https://doi.org/10.50882/epstemindsci.4.1_103
《著者情報
土居 豊 [日本] 責任著者
研究報告書・技術報告書
オープンアクセス
発行日:2022/06/05
受理日: 2022/05/25
J-STAGE公開日: 2022/06/05》
※前号
電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』3号
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/
土居豊の担当した文章へのリンク
(1)『京アニ事件の深層―京アニ事件総論』
https://drive.google.com/file/d/1KAcE6n04c3W726AhAgcMRSUttvPKfVIl/view
(2)『京アニ事件の深層―「京アニ作品の死生観」試論』
https://drive.google.com/file/d/1bz3WOIykQOJUwpssYShbbdp60Ug-jllz/view
※前々号掲載の土居豊の文章へのリンク
映像メディア時評『人文死生学研究会番外編「涼宮ハルヒ」+付記:京都アニメーションお別れの会参列報告』
執筆者
土居豊(作家)
渡辺恒夫(東邦大学名誉教授/心理学・現象学)
三浦俊彦(東京大学文学部教授。専門は芸術学・分析哲学)
https://drive.google.com/file/d/1nLmDGHfDji2Si6u5kduqCCbbsv8OBXgq/view
※土居豊のYouTube動画
【(京アニ追悼番組)京アニ作品の死生観・試論〜プロローグ】
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12687198180.html
※偶然にも今日、うれしいお知らせが!
京アニ代表作『響け!ユーフォニアム』続編製作&放映決定!
映画「シン・ウルトラマン」は庵野秀明監督実写作品「巨神兵、東京に現る」の完全版か?(ネタバレあり
映画「シン・ウルトラマン」は、庵野秀明監督実写作品「巨神兵、東京に現る」の完全版か?
(ネタバレあり)
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以下、映画のネタバレがあります
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まず、仮説として、
【「巨神兵 東京に現る」が、「シン・ウルトラマン」のゼットンで具現化した】
と考えておく。
その上で、「シン・ウルトラマン」の世界観としては、
1)ウルトラマンとヒカリの星、は唯一神
2)ザラブとメフィラスは、多神教の神々
3)ウルトラマンと人間の融合、ベータシステムという「神の火」の扱いは、ギリシャ神話のプロメテウス
このような、多元世界としての地球とマルチバース宇宙を想定してみたい。
この映画「シン・ウルトラマン」は、前作「シン・ゴジラ」の継承というよりは、旧ウルトラマンとウルトラQの継承であり、庵野秀明作品の新劇場版エヴァ連作の世界観に近いものがある。
(1)異星人との恋愛関係?
シン・ウルトラマン(以下、シンマンと略す)と、早見隊員(旧作でのフジ隊員に該当)との関係は、異星人同士の恋愛関係、あるいは疑似恋愛、といえる。そのことは、映画パンフレット中のインタビューにも書かれている。
そこで、別次元・別宇宙の存在であるシンマンと、人類の女性がどうやって恋愛感情を表現できるだろう?
本作では、可能な限りの接触を両者が試みている。シンマンの側からは、匂いの把握、による擬似セックスの試みである。一方、浅見隊員側からは、「尻を叩く」接触による、「男性を奮い立たせる」行為が、女性側からのセックスの試みとなっている。
冒頭の仮説により、シンマン=人神、だとすると、早見はマグダラのマリアに擬されていると考えることも可能だ。
ただ、新約聖書のイエスの場合と異なり、別次元・別宇宙の存在であるシンマンを、浅見はどうやって愛するだろうか?
本作では、愛していても、物理的に性器を重ねることが不可能な相手に対し、可能な限り接近を試みる描写がなされている、と考えよう。
シンマンの方からは、浅見の「匂い」を把握することで、匂いと共にそのオーラ(のような何か)に接触し、自身の肉体に取り込む、という擬似セックスが行われた。
その一方、浅見の側からは、「尻を叩く」表面的な接触しか成し得ない。これは、より上位概念であるシンマンには可能な別次元の接触が可能だが、悲しいかな、人類にとっては上位概念に対するアプローチの手段は限られている、という非対称性の表れなのだろう。
(2)マルチバースSFとしての「シン・ウルトラマン 」
マルチバースの中のシンマンは、旧作のように人間の肉体に合体したのではなさそうだ。なぜなら、変身の際に、神永隊員(旧作のハヤタ隊員=ウルトラマン に変身する)を手に包み込んで巨大化している。
これはつまり、シンマンが別宇宙からベータシステムでやって来て、神永隊員の肉体に宿らせたシンマンの意識と、別宇宙のシンマンの肉体を合体させ、マンの完成体になる、というようなことだろう。
だから意識はシンマンの意識で、地球世界での肉体は神永の体を借りており、完全体のシンマンになったあとは、神永の肉体はマルチバース内で保護されている、というようなことだろうと考える。
ゾーフィ(旧作のゾフィーに該当)は、シンマンの命を神永隊員に与えてシンマンの肉体を持ち去った。
ここに登場するゾーフィは、体のラインが二重補助線つきだ。このイメージは、「帰ってきたウルトラマン(以下、帰マンと略す)に類似しているのは、ゾーフィがシンマンの肉体を再生して帰マンを生み出すという伏線になるのだろうか?
旧作のウルトラシリーズと違って、マルチバースの「光の星」(旧作でのひかりのくに、M78星雲)は、原作の宇宙警備隊より、むしろタイムパトロールに近い。恒星間ではなく、多元宇宙の時空間でのトラブル解決を担っているのではないか。
他の外星人も、旧作の星人というより、マルチバースの中で悪企みをする時空盗賊的なイメージだ。
地球人も、マルチバースの中の無数の知的生命の一つということになる。ゾーフィは最後、人類が自分たちのように進化、成長する可能性を認める発言をした。つまりこの物語は、時空的に先行する種族が、地球人類の成長を見守るというパターンなのだ。ハードSFでよくある物語の類型だ。
生物兵器としての禍威獣(怪獣)は単なる武器のような扱いで、物語の本筋は、あくまで生物兵器を使う外星人たちである。そういう意味合いでは、この映画のテーマは旧作ウルトラマンより、旧作ウルトラセブンに近いといえる。
マルチバースの中で独自に進化した外星人たちは、庵野秀明監督の代表作であるアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(エヴァ、と略す)の「シト」のような、多様な生の可能性を思わせる。
その中の一つの可能性が地球人類、ということなのだろう。つまり、「エヴァ」での人類が、多数のシトの中で最後に残った可能性であるのとは逆だ。この映画での人類は、滅ぼされる運命にあるシトの一種のような存在といえる。その人類を愛したシンマンは、我が身をもって人類が進化できる証拠を示し、光の星による抹殺の危機から救った。
このメタファーは、明らかにキリストを表すだろう。シンマンとは、神の子、人神である。
(3)まとめ
本作は、環境破壊と国際政治、コロナとウクライナ戦争までを包括し、人類史の先行きを考えさせるハードSFとして成立している。
例えば、日本政府と外星人メフィラスとの密約は、現実の日本国の陥っている対米追従路線の戯画化に見える。
そのような生真面目なSF作品であると同時に、本作は旧ウルトラシリーズへのオマージュでもあり、また、その他のSFアニメやマンガ、特撮作品へのオマージュが散りばめられている。
例えば、神と人間の融合体としてのシン・ウルトラマンは、一種の『デビルマン』のような存在としても考えることができる。
また、作中で言及される生物兵器としての禍威獣は、平成ガメラシリーズでのコンセプトを踏襲する。
最後に、本作の続きを大胆に予想してみたい。
メフィラスが去った後は、もう生物兵器としての禍威獣は現れないはずだ。そこで、次作では主に星人の地球侵略を描く旧作『ウルトラセブン』の時代に、スムーズに移行するのではないか?
また、本作での禍威獣の存在が、環境破壊の象徴という意味あいももつところから、旧作『帰ってきたウルトラマン』へのルートも可能となろう。
結論として、冒頭の仮説とややずれるのだが、庵野秀明は「ウルトラマン」の形を借りて、宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』における「火の七日間」前史を実写化した、と考えておく。
『風の谷のナウシカ』の庵野版リメイクの端緒なのだ、と言っておこう。
ところで、これは付け足しだが、本作の冒頭、禍威獣から逃げ遅れた少年は、その後、旧作のように少年隊員にならなかった。
この展開の差こそ、庵野版ウルトラシリーズが子ども向きではなく、あくまで大人たちへ向けたSFであるという証明なのではあるまいか。
※過去記事
「シン・ゴジラ」のネタバレ全開批評〜この映画は「東京ゴジラ」だ
http://ameblo.jp/takashihara/entry-12188472363.html
シン・ゴジラによせて政治を語る人たち
http://ameblo.jp/takashihara/entry-12197294712.html
テレビで観た『シン・ゴジラ』〜1年すぎて、「この国はまだまだ」やれるか?
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12328000657.html
映画「シン・ゴジラ」を久々に見て、あの内閣は安倍内閣よりよほどマシだと思った
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12396547298.html
生駒ビル読書会・村上春樹「ドライブ・マイ・カー」
生駒ビル読書会・村上春樹「ドライブ・マイ・カー」
昨年の夏にやって以来、1年近く延び延びになっていた「生駒ビル読書会」。前回よりもグレードアップしたオンラインセッティングで、リモート参加の方も増えました。
コロナ以降、お目にかかれなかった常連参加者の方々とも再会を喜び合い、いつもの生駒ビル読書会のノリをすぐに取り戻して、和気あいあいと語り合いました。
村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」を課題作品に取り上げたのは、アカデミー賞受賞で話題の映画「ドライブ・マイ・カー」の原作だという話題性も理由です。この短編が収録されている『女のいない男たち』の他の短編にも触れつつ、数多くある村上春樹原作の映画作品の話題も出ました。
コロナ禍の2年間、ご参加の方々にもプライベートで色々あり、大変だったエピソードの交換もできました。
この生駒ビル読書会は、定期開催とはいかないながら、数ヶ月ごとに開催を続けていきたいと思います。とりあえず次回は、7月の予定です。課題本を決めずに、「わたしの一押し春樹作品」という感じでやるつもりです。
次回の告知は、以下のページで行います。
↓
※フェイスブックページ「生駒ビル読書会」
https://www.facebook.com/ikomabld.reading.circle
読書会の前、久しぶりの北浜、カフェで「ドライブ・マイ・カー」再読。
ビルの谷間に埋もれている生駒ビルヂング
会場の地下会議室。ガラスケースに、貴重な歴史的資料が。
※データ
生駒ビル読書会
【日時】2022年5月17日火曜日 19時〜21時
【課題本】村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(『女のいない男たち』所収)
【ZOOM参加】
現地参加・Zoom参加とも18時半から受付。聴くだけ、簡単な感想だけでの参加も歓迎します。まとまった発言を希望される方は事前にお申し出ください。
■生駒ビル・地下サロンへのリアル参加
【参加費】1000円
※現地参加は上限10名まで。予約先着順。
■Zoom meetingオンライン参加
【参加費】 無料
【会場】生駒ビルヂング 地下サロン
大阪市中央区平野町2丁目2番12号(最寄駅:大阪メトロ堺筋線北浜駅 南へ200m)
生駒ビルヂングHP
【講師】土居豊(作家・文芸ソムリエ)
※前回の記録
(報告)生駒ビル読書会、再開! 改めて村上春樹の1Q84を読む
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12688102850.html
※村上春樹読書会をもとに書いた連作評論
連載更新!土居豊のエッセイ「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」
第1部最終回
⒐ 『騎士団長殺し』と「キャラ読み」「アイテム読み」
https://note.com/doiyutaka/n/n0d3e5d457959
《第2部【コロナ前の村上春樹文学散歩では、仲間達と聖地巡礼を楽しみ、打ち上げの飲み会で作品の読みを深めた】は、まず電子版で第1部とまとめて刊行する予定です。画像・図が多数入るため、本稿はいずれ、ご興味のある版元さんが現れたら、単行本の形で上梓することを希望します。本稿にご興味のある版元さん、ぜひお声かけください!》
演奏会評)山下一史指揮、大阪交響楽団定期演奏会「常任指揮者就任記念」
演奏会評
山下一史指揮、大阪交響楽団定期演奏会「常任指揮者就任記念」R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
「山下一史 常任指揮者就任記念 “英雄とは”」
2022年5月13日(金)19時00分開演
ザ・シンフォニーホール
指揮/山下 一史(常任指揮者 2022年4月就任)
ソプラノ/石橋 栄実
◆ワーグナー/ジークフリート牧歌
◆R.シュトラウス /4つの最後の歌
◆R.シュトラウス/ 交響詩「英雄の生涯」
※大阪交響楽団
http://sym.jp/publics/index/641/
山下一史さんが指揮するプロのフルオケ演奏を聴くのは、2011年以来だ。
あの年、大阪での公演で、東日本大震災で被災した仙台フィルへの募金箱を同じザ ・シンフォニーホールのホワイエで持っていた姿を、今も思い出す。
それ以前から、山下さんにはずいぶんお世話になっていたのだが、長らく無沙汰してしまったお詫びを兼ねて、大阪交響楽団の指揮者就任を寿ぐ。
山下一史さんをずっと聴いていたのは、大阪音大オペラハウスの指揮者時代だ。その後、千葉交響楽団に行ってしまった山下さんの指揮を、一度は東大オケの演奏会で、次に新国立劇場のカルメン公演で聴いた。これからは、大阪交響楽団の指揮者としてどんどん聴く機会が増える。嬉しい限りだ。
その大阪交響楽団が大阪シンフォニカーという名称だった頃に、私は何度もコーラスで共演したことがある。懐かしい楽団であり、大阪市内のパドマ幼稚園でのコーラス合わせ練習を思い出す。あの頃は、私も20代だった。
その後多忙になり、大阪交響楽団になってからもほとんど実演を聴く機会がなかった。古馴染みのオケの音が、どう変わっただろうか。
1曲め、ワーグナーの『ジークフリート牧歌』。最初の一音から、弦の響きの温かみがある。常任就任記念への、オケからのあたたかな歓迎の気持ちが音に表れている。
2曲めはR.シュトラウス『4つの最後の歌』。ソプラノの石橋栄実さんは変わらず美声で、シュトラウスの最高傑作であるこの難しい歌曲、貫禄十分な歌いっぷりだった。
後半、R.シュトラウス『英雄の生涯』を、山下さんは暗譜で没入して指揮した。再現部からのクライマックスの壮大さには身が震える思いだった。とうとうと流れるレガートが、まるで山下さんの師匠筋にあたるカラヤンのように聞こえる。
その指揮姿も、下半身がどっしりと動かず、肩を中心に両腕で曲線を描き、強音があくまでなめらかに響く。山下さんが一段とスケールの大きなマエストロとなって、大阪に帰ってきたことを実感した。
R.シュトラウス『英雄の生涯』は、交響詩とはいえ、普通の物語の描写音楽ではなく、現実と仮想がないまぜとなった、いわば大人のためのエンタメ音楽とでもいう趣がある。そこを、コンマスの森下幸路さんのソロが諧謔とおかしみを醸し出して、まるでウィーンのオケのような味わい。
一方で、愛のテーマの箇所は、これでもかばかりにロマンティックに演奏する。
曲の終わりには「人生色々あったがもういいんだ」というような、穏やかな諦念の境地を描き出す。
この演奏会、ヴィオラに座るウラジミール・スミコフスキーさんはウクライナ出身の古参楽員で、ヴィオラ副首席奏者だった。今年2月に退団されたが、今日は客演している。昨今のウクライナ侵攻の悲劇に、さぞ心痛めていることだろう。
ただ、せっかくの就任記念なのに、客の入りは良くはない。大雨と、JR環状線の事故が重なったせいもあるのだろうけど。
この夜の、ものすごく充実した大人の音楽のステージを、もっと大勢聴きに来るようでないと、大阪人は近世以来の粋さを失ってしまう。山下&大阪響、地元愛に頼るだけでなく、大人の音楽ファンは全国から聴きにきてほしい。
ところで、私は今夜のこの演奏曲目を、かつて2007年、山下一史さんの指揮する仙台フィルの演奏で聴いている。
同演奏会はCDにもなっているのだが、思い返してみても、10数年まえの仙台フィルとのR.シュトラウスよりも、今回の大阪響との演奏は、一回りもふた回りも成熟し、味わいを増した演奏だった。まさしく、これからが聴きどきのコンビだと言える。
大阪響との人気は3年とのことだが、大阪の音楽ファンは、山下一史を一生懸命引き止めておかないと、あとで悔やむことになる。
共に応援しようではないか。
※山下一史メッセージ
※土居豊による、山下一史が旧・大阪シンフォニカー時代の大阪交響楽団を指揮した演奏会レポート
2006年06月12日
山下一史指揮大阪シンフォニカー交響楽団&吉田亜矢子(ヴァイオリン)
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12556750303.html
※土居豊による、過去の山下一史演奏評
2005-08-28
「創作鎮魂歌」大阪教育大学附属池田小学校事件~遺児の母の手記による~
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12556750012.html
※山下一史&大阪交響楽団の応援の気持ちを込めて、以下、過去の演奏会評などを改めて連載していく。乞うご期待!
最新動画公開!知床観光船沈没事故追悼。ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』を全ての子どもたちに
最新動画公開!
↓
知床観光船沈没事故追悼。船遊びでトラブルが起きても生き延びるために。
【ランサム・サガ『海へ出るつもりじゃなかった』を、全ての子どもたちに読ませたい】
アーサー・ランサムの不朽の名作『ツバメ号とアマゾン号』シリーズの12冊の子どもの本、その中でも特に、多くの読者が最高傑作に挙げるのが『海へ出るつもりじゃなかった』です。
本作は、ツバメ号のウォーカー4人兄弟姉妹、ジョン、スーザン、ティティ、ロジャが大きなヨットで外海へ漂流してしまう、というリアルな設定の物語です。
お父さんのウォーカー中佐が海外勤務から帰宅するのを出迎えるため、一家でイングランド南部の港町ハリッジへ来ていたウォーカーの4人は、偶然、地元のヨットマンであるブラディング青年と知り合い、そのヨット「ゴブリン」号で数日、川を遊覧することになります。お母さんも、お父さんの出迎えの日に間に合うよう約束させて、子どもたちを船遊びに送り出すのです。
ところが、ブラディングはガソリンの補充に上陸したまま、船に戻ってきません。そのうちに港内は上げ潮のため水位が上がり、錨が外れてゴブリン号は漂流してしまいます。なすすべもなく、霧の中を漂って港外に出てしまったゴブリン号を、長兄ジョンはなんとか港に戻そうとしますが、慣れない大きな船を操るのに手こずり、そのままでは話に聞いていた浅瀬にいずれ座礁したり、他の船と衝突して沈んだりしかねない、と考えます。
そこでジョンは、兄弟たちの命を守るため、ブラディング青年に教わった話のままに、浅瀬を離れて外海で待機するという決断をするのです。
そのあと、嵐が吹き荒れ、夜になり、ますます港に引き返すのが困難になったゴブリン号は、兄弟のいさかいも繰り返しながら、とうとう北海を横断してオランダまで航海してしまいます。
その地では、なんと…。
このような、非常にリアルな冒険物語を、ランサムは自らの航海体験や、ハリッジの町での滞在を生かして、誰もが身近に感じるように生き生きとした物語に書いています。
特に、ランサム ・サガの12冊の中で最も子どもたちの心理が克明に、深掘りされて書かれており、長兄ジョンと、長女スーザンの感情の対立など、心にグイグイ突き刺さる心理描写となっています。
緊急時に最優先すべきことは何か? 親との約束を破っても身の安全を図るために、辛い葛藤に打ち勝つ心の強さを持つこと。兄弟で一致団結して危機に立ち向かう行動力。あらゆる命の危険を、自分たちの持つ知識と技術を総動員して、全力で生き残ること。
今の子どもたちみんなに、この物語を読んでほしいと願っています。
最後に、知床観光船の乗客や乗員たちみなさん、亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、行方不明の方々の発見を心より祈願します。
あの船も、船長や経営者がランサム・サガを読んでいたら、あんな無茶な航海をしなかったかもしれない、そう思えてなりません。
※過去の動画より
第1回〜アーカイブ公開!「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」書籍化企画
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12617363072.html
※前回の動画
「ハルヒとナンシイ」講座 ランサム『ツバメ号とアマゾン号』シリーズ番外編1『ヤマネコ号の冒険』
《作品のキャラクターたちが自分たちを主人公にして語り下ろした「物語中の物語」 20世紀初めの児童文学の中で、二次創作が行われていた!》
※作家・土居豊チャンネル(登録お願いします)
https://www.youtube.com/user/akiraurazumi/featured?view_as=subscriber
※参考
西宮市立鳴尾図書館講座『涼宮ハルヒ』とアーサー・ランサム&仮説「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」書籍化企画の発表
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12442428260.html