「シン・ゴジラ」のネタバレ全開批評〜この映画は「東京ゴジラ」だ | 作家・土居豊の批評 その他の文章

「シン・ゴジラ」のネタバレ全開批評〜この映画は「東京ゴジラ」だ

「シン・ゴジラ」のネタバレ全開批評〜この映画は「東京ゴジラ」だ

話題の映画「シン・ゴジラ」を観た。
以下、感想を書くのだが、ネタバレなしに書くのは不可能なので、
どうか、未視聴の方は以降の文章をスルーしてください。


























まずは、映画のよかったところを以下。
(1)
最初、爆笑したのが、ゴジラ出現の前兆となった水蒸気出現で、避難指示に従わずみんなスマホ撮ってる場面。御嶽の教訓がぜんぜん学ばれてない〜
(2)
鳥肌たったのが、1バージョン水棲ゴジラが遡上するだけで、町が無残に破壊されていく場面。東日本大震災の津波映像を否応なく連想する。東京で大震災&大津波が起こったら、というシミュレーションだ。
(3)
対策会議のぐだぐだぶりはお約束だが、ゴジラの正体を、短時間に推定してしまう対策チームの優秀さにはうならされる。
(4)
最高に興奮させられたのが、ゴジラの対空防御。まさにイデオンのミサイル一斉発射。さらに放射能熱線を吐くときのあの耳が痛くなるような音。映像的には、あの光線の剣のような使い方はイデオンソードか、エヴァQ冒頭の初号機。

その他、もちろん、エヴァのヤシマ作戦のパロディにも感心したし、初代ゴジラへのオマージュも胸熱。
このように、シン・ゴジラには、これまで築き上げられてきたアニメと特撮の名作へのオマージュ、アレンジが随所にみられる。アニメファン、特撮ファンには堪えられない作品だ。
予備知識なしに見ても全く問題ないが、この映画をより楽しむには、隠しネタ、元ネタを知っているにこしたことはない。

さて、次に、
以下はこの映画への疑問点だ。
なので、「シン・ゴジラ」を絶賛する方々には、できればスルーしていただければと思う。

(1)この国は、まだまだやれる?
主役の矢口のセリフ「この国は、まだまだやれる」。
この言葉は、映画のテーマを表すような名セリフだと思う。だが、この言葉が発せられるタイミングが、気になった。この言葉は、矢口率いる対策チームががんばっているところに、おばさんがおにぎりとお茶を配ってくれたあと、だ。
不眠不休でがんばるボランティアの存在への言及もある中での、「この国は、まだまだやれる」という発言。
これは、なんだか、素直に受け取っていいのだろうか?
もしかしたら、壮絶な皮肉なのではないだろうか?

(2)架空の日本?
この映画は、東京壊滅の話なのに、なぜか?天皇への言及がない。つまり、この映画の世界では、実は天皇陛下はいない? 架空の日本が舞台?

(3)なぜか東京だけの日本?
この映画の舞台は、ほとんど東京だけに限定されている。もちろん、テーマを絞り込んでいるのでわかりやすいのだが、反面、ゴジラがなぜ東京だけを?東京があの程度破壊されただけで本当に日本は滅びるのだろうか?という疑問が浮かぶ。
ちなみに、首都東京の危機をシミュレーション的に描いた名作に、小松左京『首都消失』がある。だが、あの小説では、日本全体をカバーする視点があった。むしろ、東京なしに日本がいかに国家をやりくりするか?という観点が興味深いのだ。
だが、今回の「シンゴジラ」では、もちろん意図的だろうが、日本=東京、という思考停止が登場人物を覆っている。
正直、地方在住の筆者としては、東京防衛に拘泥する政府関係者たちにイライラした。さっさと首都圏住民の避難を決定して、政府を関西か九州あたりに疎開させ、そこから反撃したらいいのに、と。

(4)東京が襲われた場合のオプションは現実に存在するのか?
この映画の中では、少なくとも東京を放棄するオプションは出てこない。だが、ほんとなら、戦略上、ゴジラ再上陸を予想した首都機能の分散避難が、オプションにあるべきではなかろうか?
また、ゴジラが再上陸してからも、首都を一旦明け渡し、地方に「第二新東京市」を作って、関東平野にゴジラを封じ込める作戦もあり得たのではないだろうか?

(5)この映画の本当の題名は「東京ゴジラ」がいい
なぜか、「シンゴジラ」には、東京守備しかオプションがない。だから、この映画は本当は、「東京ゴジラ」、というべき作品なのだ。
映画のメインテーマは、東京そのもの。この作品をみると、東京という街の成り立ちや、地政学が実によくわかる。
ここに描かれているのは、具体的には、首都直下型関東大震災、津波、富士山噴火へのシミュレーションだ。さらに、他国からの東京攻撃へのシミュレーションも。

(6)この映画は3.11への問いかけ?
この映画をみて、否応なく連想するのは、3.11への問いかけだ。
東日本大震災で、もし東京に放射能が来ていたら?という問いかけ。
日本国はアメリカの属国か?という問い。
日本国は世界の中で愛されている?東日本大震災のときのように?という問い。
日本の政治家、官僚たちは、あんなに善い人か?
日本人の科学者は、あんなに頼りないか?
そして、本当に「日本人はまだやれる」のか?
気になるセリフがあった。
「日本人はクライシスのたびに発展してきた」というセリフは、正しいのか?
他にも、いろいろ気になる部分が多い。
ヒロインを演じる石原さとみは、被爆三世という設定である必要があるのか?
主役の矢口の訓示の場面がなんどもあったが、あれは必要なのか?
などなど。

(7)まとめ
以上のように、いろいろと突っ込みたくなる疑問点が多々あるのだが、もやもやした気持ちを抱きながらも、この映画は、何度か観たくなる傑作だ。
少なくとも、難しいことを考えようとせず、パニック映画として観れば、近年、ハリウッド大作の中でも、これほど完成度の高いクライシス映画は少ない。
姿を徐々に現すモンスター、という描き方はキングコング、ジョーズ、エイリアン以来の定番通りだし、モンスターがどんどん進化(文字通り)していくのも、観客の度肝を抜く。
人間の英知を結集して敵を倒す展開は、勧善懲悪の典型的パターンだし、悩める主人公と、かっこいいヒロイン、という描き方も、現代的なエンターテイメントの王道だ。
音楽も、美術も最高に洗練されていて、見どころ満載な娯楽大作に仕上がっている。
これを素直に楽しみつつ、もし2回目を観ることがあれば、この映画を通じて現代日本の諸問題をすこし考えることも、映画の楽しみ方の王道だと思うのだ。

蛇足をひとつ。
もしあの世界の日本に、天皇がいて皇居があったのなら、皇居の真ん前で冷温停止したゴジラの姿は、福島原発事故の現実の事故処理への強烈な風刺になっている。
皇居の真ん前にそそり立つ冷温停止状態の原子炉そのもの。これは、いまの日本では、残念ながら「怪獣映画」でしか描けないかもしれない。

もうひとつ、蛇足。
筆者自身の好みでは、ゴジラ映画で好きなのは、大森一樹作品の平成シリーズ。昭和ゴジラの重苦しさと軽薄さを上手に受け取って、平成の軽妙なアクション・モンスターSFに仕上げていた。特に、「VSキングギドラ」の歴史改変ものとしての楽しさは、出色。
樋口真嗣監督の作風は、特技監督を務めた平成ガメラシリーズもそうなのだが、どうも生真面目すぎて、もうちょっと遊びがほしい、という感じだ。
だが、ゴジラ映画で一作だけ選べ、といわれたら、「VSビオランテ」だ。ビオランテの素晴らしさには、さすがのシン・ゴジラも敵わない。キングコングが示すように、モンスター映画というのは究極的には、ロマンティシズムの産物なのだ。

蛇足、これでほんとに最後だが、
ハリウッドゴジラが、旧ゴジラの怪獣バトルへの傾倒をリメイクしたのに対して、今回のシン・ゴジラは、逆にハリウッドのモンスターパニック映画の常套を見事に再現していることが、実に興味深い。
番外編で、ハリウッドゴジラとシン・ゴジラのそれぞれのゴジラを入れ替えたパロディをだれか作ってほしいなあ。ムートーがシン・ゴジラに一撃であっけなく倒される、とか。ハリウッドゴジラが東京上陸前にすいすい泳いでいて、海上自衛隊と一戦まじえる、とか。シン・ゴジラに空挺部隊が降下しようとして一瞬で全滅するとか。ハリウッドゴジラがバンカーバスターであっけなく倒される、とか。
そんなのは、まあ、無理ですよね。

※筆者のブログ記事
「ハリウッド版「ゴジラ」にもの申す!」
http://ameblo.jp/takashihara/entry-11905117246.html


「映画『パシフィックリム』はウルトラマンAか?」
http://ameblo.jp/takashihara/entry-11601420956.html