この機会にぜひ! 2022/7/11までに配信されたほぼ全作品がコイン40%還元!
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キャンペーン期間:2022/8/11 0:00~2022/8/15 9:59
2022年7月11日までに配信開始された、同人誌・個人出版作品を含む全作品がコイン還元!
(1)土居豊の音楽小説『メロフォンとフレンチ』
《楽器不足の中でステージを実現していく吹奏楽大好き高校生たちの友情と恋の青春》
※発売当時、ラブストーリー1位!
『メロフォンとフレンチ』あらすじ、キャラクター、作品背景などを紹介
https://note.com/doiyutaka/n/n64f59ad3b2f3
※関連記事
イチカシ吹部自殺事件をきっかけに、全国吹奏楽コンクールの異常な過熱と長時間練習の誤りを考える
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12747757096.html
【コロナ第7波、吹奏楽コンクールで棄権(コロナ感染と思われる)続出・甲子園の高校野球もコロナ感染続出で試合日程変更】
https://note.com/doiyutaka/n/nbbf2058fceed
(2)『メロフォンとフレンチ』の前作!音楽小説『ウィ・ガット・サマータイム!』(土居豊 作)
《吹奏楽好きの方、ジャズ好きの方、80年代に学生時代を過ごした方、昭和の青春群像を懐かしみたい方、あるいは、これまでの吹奏楽もの小説に不満足な方、新しい吹奏楽ものを読みたい方、ぜひ!》
(3)土居豊の伝奇小説『禿(かぶろ)〜平家物語異聞1』
《パンデミックの渦中、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、アニメ『平家物語』も放映。混迷の時代を生き抜く手がかりを人々は求めている。
誰もが中学校で一度は習った『平家物語』。世界が滅びに瀕しているような今、人々はもう一度、耳を傾けたくなったのだ》
(4)土居豊の学園ミステリー『彼女たちのフーガ』
《元・高校教師で吹奏楽部顧問だった著者は、この小説の中に実話に近いエピソードを多数盛り込んでいる。本作に描かれる衝撃の事件に近いようなことは、今も起きているかもしれない。
この小説に描かれる吹部のメンバーたちは、爽やかでも清々しくもない。だが、その分、リアルである。10代の連中は、10代であるというだけでやっぱり愛すべき存在だ。》
(5)『供犠 トリオソナタ2』 土居豊 作
《青春のひと時をともに過ごした高校時代から十数年後、同級生は謎の教祖となっていた。彼の危険な行動がかつての仲間たちの人生を狂わせていく》
(6)『トリオソナタ1』 土居豊 作
《幻の昭和64年、20世紀末のウィーンに学ぶ若き音楽家たちの青春!》
ギャツビーはなぜグレートか?
ギャツビーはなぜグレートか?
この夏のシーズン、宝塚歌劇の「グレート・ギャツビー」はコロナによる休演で観ることができなかった。残念だ。
※参考記事
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20220729_1.html
ちなみに、昨年の夏は、宙組【Musical『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-』】を観劇した。
↓
※過去記事
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12685886696.html
そこで、というのもおかしいが、以前から考えていたフィッツジェラルド『偉大なるギャツビー』(最初の映画化邦題は「華麗なるギャツビー」)に関して、ギャツビーはなぜグレートか?という考えを書いておきたい。
20世紀アメリカを代表する作家の一人であるフィッツジェラルドについては、『ギャツビー』という代表作の名を、村上春樹『ノルウェイの森』で知ったのが最初だった。
大学生だった当時、春樹作品を順々に読んでいく中で、春樹に大きな影響を与えたというフィッツジェラルドも、読んでみようと思った。しかしその頃は、もう一つピンと来なかったというのが正直なところだ。
その後、ロバート・レッドフォード主演のハリウッド映画『華麗なるギャツビー』を観て、一応は納得した。春樹が『ノルウェイの森』の中に重要なアイテムとして「ギャツビー」のモチーフを導入している意味も、なんとなくわかった気がした。
けれど、どうにも引っかかっていたのは、なぜあの主人公が「グレート」と呼ばれるのか?という点だった。
みじめなピエロの役どころで殺されてしまうギャツビーの、どこがグレート、偉大だというのだろう?
20代当時の自分には、そのあたりがしっくりこなかった。
けれど、今となってみればわかるのだ。
これは突飛なたとえに聞こえるだろうけど、ギャツビーが「グレート」だというのは、『ジョジョの奇妙な冒険』第4部における、東方仗助の口癖である「グレートだぜ」に、似ているのだ。
いや、これでは何を言っているのかわからないかもしれない。このたとえがピンとこない人には、もう一つ、例をあげよう。ギャツビーが「グレート」なのは、シューベルトの交響曲「ザ・グレート」に通じるのだ。
ますます意味不明だ、と言われそうだが、例に挙げたこれら2つの「グレート」は、高貴さ、黄金の心、というようなイメージに通じるのだ。
同じように、フィッツジェラルドの「ギャツビー」も、貧しい出自ながら、高貴な魂、黄金のような魂を持っている。
ハリウッド映画化でド派手に描かれた、ギャツビーの屋敷のパーティーや金づかいが荒いイメージが先行すると、彼の何がグレートだかわからなくなる。ただの田舎出身の成金に思えてしまう。
そういう点で、最初の映画化邦題の「華麗なるギャツビー」は、作品のイメージを大きくねじ曲げてしまった。
ギャツビーの生き様は、決して華麗なのではない。とことん愚直で、生真面目なのだ。あまりに愚直すぎて、最期は悲劇に終わる。生真面目すぎたゆえの悲劇、これは、フィッツジェラルドが生きた20世紀前半の時代の空気にマッチしていたに違いない。
けれど、それだけではない。「ギャツビー」の生き様、作品の醸し出す空気感は、どういうわけか、はるか時代を超えてまさに今、現代の日本にも、こわいぐらいにしっくり当てはまる。
ジェイ・ギャツビーという地方出身の青年の生真面目な生き方、高貴な魂のありようは、私が初めて作品に接した1990年代にはむしろ時代と真逆な感覚だった。その当時の自分がギャツビーという作品を理解できなかったのも、時代感覚とあまりに違いすぎたせいではなかったか、といまになって思う。
現在、21世紀前半の日本では、まさしくギャツビーのような、恵まれない出自であって高貴な、黄金の魂を持つ若者たちが大勢いる。このグレートな若者たちは、まるでフィッツジェラルドの描いたジェイ・ギャツビーそっくりだ。ギャツビー的な青年たちが、生真面目に、愚直に努力を重ね、夢を追い求めたあげくに破滅していく様子を、そこここに見かける。
フィッツジェラルド自身は想像もしなかっただろうけど、ギャツビーのグレートさは、21世紀の日本の若者に、その悲しすぎる悲劇とともに受け継がれてしまっているのだ。
最後にもう一つ、小説『グレート・ギャツビー』で最後の方に出てくる、ギャツビーの年老いた父が語る、子ども時代のジェイの習慣、子どもながらに向上心に溢れ、良い習慣を日夜努力しているその様子は、今の日本の子どもたちと同じだ。今の日本の子どもたちもまた、幼い頃から日夜お勉強に駆り立てられる。本来あるべき子ども時代の幸福な永遠の遊び時間の代わりに、細分化された課題と義務の時間割、スケジュールに縛られて、まるでジェイ・ギャツビー少年のように将来の出世に邁進する。
その先に、まさしくギャツビーのように生真面目ゆえの悲劇が待ち受けていると知らずに。
※参考
土居豊の村上春樹研究本
《本書では、村上春樹作品に引用された世界の名著を紹介しています。世界で愛読される村上春樹の小説を通じて、世界の有名文学のエッセンスをレクチャーする内容です。
村上春樹が折にふれて述べている「物語力」こそ、困難な時代を生き抜く力となるにちがいない、と筆者は考えています。》
村上春樹で味わう世界の名著 (土居豊)
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XMZPW3B/ref=cm_sw_r_tw_dp_FCHC4SCZN5A7CWF1CXH5
《第6章「『ノルウェイの森』より、村上春樹とフィッツジェラルド」》
2022年夏、ハルヒの聖地を久々に訪ねた
2022年夏、ハルヒの聖地を久々に訪ねた
今年、「一身上の都合で」(千反田える的に言ってみた)、しばらく対外活動ができなかった。
※出典:京アニのアニメ『氷菓』
「涼宮ハルヒ」にふさわしい、よく晴れた夏の日。聖地・西北を訪ねた。
この「にしきた公園」の時計塔も、今や完全に風景に溶け込んで、これがハルヒファンの熱意で復活したものとは、知られていないのではないか。
アニメ聖地に選ばれたこの場所、なぜか(大人の事情で)認定証が証券会社のウィンドーの中に設置されている。ハルヒのイラストが、すでに色あせてしまっている。
アニメに登場した場所から移転しているこの喫茶店、珈琲屋ドリームも、原作者の谷川流が常連だった頃とずいぶん変わったのだが、それでもママさんの豪快な接客と、ランチセットのお得感は変わらない。
それでも、この数年来の日本経済の危機が、ハルヒ聖地にもじわじわ悪影響をもたらしている。この老舗喫茶店も、数年来の珈琲豆の値上がりに、苦しめられている。さらに昨今の物価高が追い討ちをかける。
ファンとしては、これからもハルヒ聖地を応援していく。
※記念のTシャツ寄せ書き、珈琲屋ドリームのどこかに飾られています。探してみましょう!
※過去の記事より
まさかこの後、京アニがあんなことになるとは… →「西宮が涼宮ハルヒの聖地に公式認定された」
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12609676702.html
※この動画は、アニメに描かれた旧店の移転前最後の日の記録です
谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の文学散歩2
北口駅〜SOS団いつもの喫茶店 編
谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の文学散歩〜北高 編
谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の文学散歩3
長門有希の図書館 編
アニメ『涼宮ハルヒ』の聖地・兵庫県立西宮北高校の統廃合の報道について、雑観
アニメ『涼宮ハルヒ』の聖地・兵庫県立西宮北高校の統廃合の報道について、雑観
※参考記事
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202207/0015471893.shtml
(2022/7/15 11:10神戸新聞)
【涼宮ハルヒの「北高校」に再編の波 モデルの西宮北高が統合へ ファンの巡礼地どうなる?】
先に結論を言う。
兵庫県立の高校が統廃合されるというのは、政治選択の結果だ。兵庫県知事が維新の会の一派になってしまった時点で、こういう学校統廃合の流れは確定したといえる。
それについては、以下の筆者ブログ記事を参照していただければよい。
↓
※参考ブログ
【2021年度大阪府公立高校入試の倍率、確定。高倍率と定員割れの格差を作ったのは維新の会の教育政策だ】
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12660782281.html
【2020年春の大阪府立高校の難関大学合格結果を考察した。この10年の維新の会による大阪府教育改革はこれでいいのか?】
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12589793890.html
【(まとめ)2019年の大阪府立高校入試と大学入試の結果で、維新の会教育改革失敗が証明された】
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12450639923.html
だが、それはそれとして、アニメの聖地が失われるというのは、世界中のファンにとって大いなる悲劇だ。
だからといって、兵庫県の県民の税金でできている公立高校の統廃合を、たまたま作品の舞台とされ、原作者の出身学校だからといって、第三者がどうこういえるものではない。
大人しく、あきらめるしかない。
むしろ、これまで、実在する学校をアニメの舞台にしてくれたことに感謝してみてはどうだろう?
というのも、たいていのアニメ作品の舞台とされる学校は、モデルではあっても架空の学校で、背景画もいろんな部分をつなぎ合わせてデフォルメされるのが常だ。
その点、原作者の出身高校であり、原作の描写にもそれらしい描き方がされている西宮北高校の例は、稀有な例外なのだ。
アニメ化の際のロケハンでも、ロケハン映像が示すように、克明に西宮北高校の画像がアニメ背景に取り込まれていく。
あの高校の、あの場所に、本当にハルヒたちはいたのだ、という限りなくリアルな作品描写へつながった、ロケハンと原作のミックスが、これまで、世界的にも人気の高いこのアニメ作品のファンを、聖地巡礼という究極の作品鑑賞へ誘ってきたのだ。
残念ながら、おそらく今年中に、西宮北高校がどうなるか決定される。どんなに卒業生や関係者が署名活動などをしても、その決定はまず覆らない。そのことは、上記のブログで書いたように、大阪府立高校の統廃合の事例を見ても明らかだ。
兵庫県民が維新の会の首長を選んだことで、高校統廃合にGOサインを出してしまったということになる。
今後、どういう結果になろうと、世界中のハルヒファンには、自重をお願いしたい。決して、あの「校舎侵入事件」の二の舞を出さないでほしい。
これまで聖地巡礼の場所があってくれたことに感謝して、これからも作品を愛していこうではないか。
※参考動画
※涼宮ハルヒの聖地巡礼動画
【谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の文学散歩〜北高 編】
(この動画は、アニメに描かれた旧店の移転前最後の日の記録です)
【谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の文学散歩2
北口駅〜SOS団いつもの喫茶店 編】
【谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の文学散歩3
長門有希の図書館 編】
※参考書籍
土居豊の「涼宮ハルヒ」論
『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』(大学教育出版)
https://www.amazon.co.jp/dp/4864291276/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_tS.ACb5NX4Y2X
イチカシ吹部自殺事件をきっかけに、全国吹奏楽コンクールの異常な過熱と長時間練習の誤りを考える
イチカシ吹部自殺事件をきっかけに、全国吹奏楽コンクールの異常な過熱と長時間練習の誤りを考える
※参考記事
千葉県の市立柏高校 飛び降り自殺 背景に長時間部活動(産経2022/3/25)
https://www.sankei.com/article/20220325-ESX3WTI3FVJT5GYBR7P2PD22SQ/
上記の記事、本来なら柏市と同市立柏高校(イチカシ、と略称する)は吹奏楽部を一旦休部にし、問題を徹底究明する義務があったはずだ。
部活動が原因で自殺したかもしれない部員を、その事件究明を放置したまま、よくも平気で音楽がやれたものだと呆れてしまう。
イチカシの吹部だけがそういう闇を隠していたのではないのかもしれないが、教育の場としても、音楽活動の場としても、自殺者を出したままで活動を続けていられた神経を疑う。
完全に同調圧力のせいで、大人も子どもたちも人間の心を失っているに違いない。
一体、そんな人間がやる音楽が優れた音楽になるだろうか?
ところで、
イチカシ吹奏楽部の部員自殺の件、吹奏楽コンクールが遠因であるかもしれないということを考えるにつけ、不思議に思う。なぜ全国吹奏楽コンクールはこんなに過熱してしまったのか?
下記に紹介する拙作にも描いたように、80年代はじめにはまだ、吹奏楽コンクールはそこまでの行事ではなかった。
おそらく、バブル期が境目なのだろうか。80年代後半には、すでに吹奏楽コンクールの過熱はあった。
具体的には、こういう流れだ。大阪府内の中学高校吹奏楽部の場合だが、80年代初めにはまだ参加校が少なかった。だから、大阪府地区大会ではなく、いきなり大阪府大会に最初から参加していた。
ところが、このすぐ後の時期から、地区大会が必要になるぐらい参加校が急増したのだ。
これは、一つには、バブル期に入り、中間層の公立中高生徒にも、手頃な楽器が入手しやすくなったのが一因ではなかろうか?
それというのも、公立中高の吹奏楽部の活動には、楽器や指導者への報酬などの費用が通常の部活動よりも多くかかる。学校の部活動予算は基本的に大差ないのだが、伝統校であれば部活動を支える目的でPTA予算を使う場合があり、またOB・OGの金銭的、人的な支援も手厚いのだ。しかし、中堅以下の学校では、なかなかそうはいかないのが普通だった。
それが80年代後半、バブル期全盛になると、中堅校でも保護者の収入の増加に伴って、吹奏楽部員の楽器や指導者の確保もしやすいようになってきたのではあるまいか。
そこで、新規に中堅校が吹奏楽コンクールに参入していく場合、やはり学校の知名度を上げるための競争原理が前面に出てくることになりやすい。そうして、90年代以降になるとますます吹奏楽コンクールが過熱し、競争に勝つための長時間練習、パワハラ体質と集団心理が加速したのではないか。
ちなみに、吹奏楽コンクールを題材にしたエンタメ作品が、各ジャンルで頻出し始めたのもその後のことだ。
私は自分自身が雑誌の特集で記事を書いたのでよく知っているが、吹奏楽を題材にしたエンタメ作品が急に増えてくるのは、90年代後半からだ。
※参考
https://ameblo.jp/takashihara/entry-11095270550.html
それまで、吹奏楽部は漫画やアニメ、映画などの題材になりにくかった。小説でもなかなか取り上げられなかった。ところが吹奏楽コンクールの過熱と並行してエンタメ作品で吹奏楽ものが増えてくる。視聴者、読者の嗜好が競争原理のエンタメに傾斜したコンクールものを求めるようになってきたタイミングと一致しているのではあるまいか。
こうして吹奏楽コンクールものの頂点として、2010年代半ばに京アニ『響け!ユーフォニアム』が満を持して登場したのだ。
最後に、
以下の拙作小説は、コンクール重視の吹奏楽への反論だ。
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土居豊の音楽小説『メロフォンとフレンチ』
《楽器不足の中でステージを実現していく吹奏楽大好き高校生たちの友情と恋の青春》
『メロフォンとフレンチ』あらすじ、キャラクター、作品背景などを紹介
https://note.com/doiyutaka/n/n64f59ad3b2f3
※noteでは第1章まで無料で読めます
https://note.com/doiyutaka/n/ncc9940cce1a4
『メロフォンとフレンチ』の前作!
音楽小説『ウィ・ガット・サマータイム!』(土居豊 作)
解説動画をご覧ください!
《吹奏楽好きの方、ジャズ好きの方、80年代に学生時代を過ごした方、昭和の青春群像を懐かしみたい方、あるいは、これまでの吹奏楽もの小説に不満足な方、新しい吹奏楽ものを読みたい方、ぜひ!》
最後に、
改めて、亡くなった柏市の高校生のご冥福をお祈りします。