ギャツビーはなぜグレートか?
ギャツビーはなぜグレートか?
この夏のシーズン、宝塚歌劇の「グレート・ギャツビー」はコロナによる休演で観ることができなかった。残念だ。
※参考記事
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20220729_1.html
ちなみに、昨年の夏は、宙組【Musical『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-』】を観劇した。
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※過去記事
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12685886696.html
そこで、というのもおかしいが、以前から考えていたフィッツジェラルド『偉大なるギャツビー』(最初の映画化邦題は「華麗なるギャツビー」)に関して、ギャツビーはなぜグレートか?という考えを書いておきたい。
20世紀アメリカを代表する作家の一人であるフィッツジェラルドについては、『ギャツビー』という代表作の名を、村上春樹『ノルウェイの森』で知ったのが最初だった。
大学生だった当時、春樹作品を順々に読んでいく中で、春樹に大きな影響を与えたというフィッツジェラルドも、読んでみようと思った。しかしその頃は、もう一つピンと来なかったというのが正直なところだ。
その後、ロバート・レッドフォード主演のハリウッド映画『華麗なるギャツビー』を観て、一応は納得した。春樹が『ノルウェイの森』の中に重要なアイテムとして「ギャツビー」のモチーフを導入している意味も、なんとなくわかった気がした。
けれど、どうにも引っかかっていたのは、なぜあの主人公が「グレート」と呼ばれるのか?という点だった。
みじめなピエロの役どころで殺されてしまうギャツビーの、どこがグレート、偉大だというのだろう?
20代当時の自分には、そのあたりがしっくりこなかった。
けれど、今となってみればわかるのだ。
これは突飛なたとえに聞こえるだろうけど、ギャツビーが「グレート」だというのは、『ジョジョの奇妙な冒険』第4部における、東方仗助の口癖である「グレートだぜ」に、似ているのだ。
いや、これでは何を言っているのかわからないかもしれない。このたとえがピンとこない人には、もう一つ、例をあげよう。ギャツビーが「グレート」なのは、シューベルトの交響曲「ザ・グレート」に通じるのだ。
ますます意味不明だ、と言われそうだが、例に挙げたこれら2つの「グレート」は、高貴さ、黄金の心、というようなイメージに通じるのだ。
同じように、フィッツジェラルドの「ギャツビー」も、貧しい出自ながら、高貴な魂、黄金のような魂を持っている。
ハリウッド映画化でド派手に描かれた、ギャツビーの屋敷のパーティーや金づかいが荒いイメージが先行すると、彼の何がグレートだかわからなくなる。ただの田舎出身の成金に思えてしまう。
そういう点で、最初の映画化邦題の「華麗なるギャツビー」は、作品のイメージを大きくねじ曲げてしまった。
ギャツビーの生き様は、決して華麗なのではない。とことん愚直で、生真面目なのだ。あまりに愚直すぎて、最期は悲劇に終わる。生真面目すぎたゆえの悲劇、これは、フィッツジェラルドが生きた20世紀前半の時代の空気にマッチしていたに違いない。
けれど、それだけではない。「ギャツビー」の生き様、作品の醸し出す空気感は、どういうわけか、はるか時代を超えてまさに今、現代の日本にも、こわいぐらいにしっくり当てはまる。
ジェイ・ギャツビーという地方出身の青年の生真面目な生き方、高貴な魂のありようは、私が初めて作品に接した1990年代にはむしろ時代と真逆な感覚だった。その当時の自分がギャツビーという作品を理解できなかったのも、時代感覚とあまりに違いすぎたせいではなかったか、といまになって思う。
現在、21世紀前半の日本では、まさしくギャツビーのような、恵まれない出自であって高貴な、黄金の魂を持つ若者たちが大勢いる。このグレートな若者たちは、まるでフィッツジェラルドの描いたジェイ・ギャツビーそっくりだ。ギャツビー的な青年たちが、生真面目に、愚直に努力を重ね、夢を追い求めたあげくに破滅していく様子を、そこここに見かける。
フィッツジェラルド自身は想像もしなかっただろうけど、ギャツビーのグレートさは、21世紀の日本の若者に、その悲しすぎる悲劇とともに受け継がれてしまっているのだ。
最後にもう一つ、小説『グレート・ギャツビー』で最後の方に出てくる、ギャツビーの年老いた父が語る、子ども時代のジェイの習慣、子どもながらに向上心に溢れ、良い習慣を日夜努力しているその様子は、今の日本の子どもたちと同じだ。今の日本の子どもたちもまた、幼い頃から日夜お勉強に駆り立てられる。本来あるべき子ども時代の幸福な永遠の遊び時間の代わりに、細分化された課題と義務の時間割、スケジュールに縛られて、まるでジェイ・ギャツビー少年のように将来の出世に邁進する。
その先に、まさしくギャツビーのように生真面目ゆえの悲劇が待ち受けていると知らずに。
※参考
土居豊の村上春樹研究本
《本書では、村上春樹作品に引用された世界の名著を紹介しています。世界で愛読される村上春樹の小説を通じて、世界の有名文学のエッセンスをレクチャーする内容です。
村上春樹が折にふれて述べている「物語力」こそ、困難な時代を生き抜く力となるにちがいない、と筆者は考えています。》
村上春樹で味わう世界の名著 (土居豊)
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XMZPW3B/ref=cm_sw_r_tw_dp_FCHC4SCZN5A7CWF1CXH5
《第6章「『ノルウェイの森』より、村上春樹とフィッツジェラルド」》