作家・土居豊の批評 その他の文章 -15ページ目

生駒ビルヂング読書会、久々に開催 村上春樹最新長編『街とその不確かな壁』を語り合う

生駒ビルヂング読書会、久々に開催しました。

 

 

 

※「村上春樹最新長編、『街とその不確かな壁』を語り合いましょう」

4月30日14時〜

【会場】生駒ビルヂング 地下サロン

大阪市中央区平野町2丁目2番12号(最寄駅:大阪メトロ堺筋線北浜駅 南へ200m)

生駒ビルヂングHP

【講師】土居豊(作家・文芸ソムリエ)

 

今回、村上春樹の新作長編『街とその不確かな壁』を読んで、語り合いました。

長らく春樹作品を読書会で取り上げてきただけあって、集まったみなさん、初読でも作品の奥深いところまで読み取ろうと、さまざまに意見を交わしていました。

本作に登場する「針のない時計」が、なんと偶然にも、会場の生駒ビルヂングに存在していました!

オーナーのご厚意で、普段滅多に上がれない屋上に案内していただき、作品に出てきたようなイメージの、針のない不思議な時計を見学できました。

この読書会は、不定期に開催なので、次回はいつになるかわからないのですが、再び村上春樹を読むか、また別の作品を読むか、決まったらお知らせします。

 

※生駒ビルヂング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※配信しました!

youtubeライブ

村上春樹「街とその不確かな壁」を語る その3

4月29日

村上春樹「街とその不確かな壁」を語りつつ自分の春樹批評本の話も(ネタバレあり)

https://www.youtube.com/live/3KYFOjDxFg0?feature=share

 

その2

https://www.youtube.com/live/54KAqW3Rk-0?feature=share

 

その1 

https://www.youtube.com/live/Yd-NzWfRec4?feature=share

 

【新刊発売!】

村上春樹最新長編と一緒にどうぞ!

『村上春樹を歩く・その後 〜読書会と文学聖地巡礼の試み〜』

土居豊 著

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村上春樹の故郷・西宮市を中心に「村上春樹読書会」を長年主催してきた筆者は、本書で活動のまとめを試みたい。

前半第1部は「村上春樹読書会」参加者たちの春樹愛や、アンチ春樹の意見など、読者の生の声を紹介する、筆者の新聞連載をまとめた。

後半は、かつて筆者が足を運んだ春樹ワールド聖地巡礼による作品考察を通じて、本を読んだ後から始める読書体験の試みを再構成して収録する。

 

 

文芸批評

『村上春樹の猿〜獣と嫉妬と謎の死の系譜』

浦澄彬 著

 

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村上春樹の初期3部作は叙述トリックだった?

デビュー当時から村上春樹の小説の最大の特徴とされ、読者や批評家たちを夢中にさせたクールな語りこそ、語り手の本性が「獣=猿」であることを隠す叙述トリックとなっていた、という仮説。

それを考えるきっかけは、デビュー作『風の歌を聴け』から『ノルウェイの森』を経て近作まで共通して現れるモチーフ、「猿」・「猿のコンビ」・「獣」である。

『ノルウェイの森』もまた、「リアリズムの皮をかぶったポストモダン」であり、語り手であるワタナベの1人称の語りは、実はアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』のような、叙述トリックか?

考察の全ては、芦屋の公園の「猿の檻」から始まる。

デビュー作『風の歌を聴け』のあの猿たちは、「僕」の二重性、隠された獣性の暗喩なのか?

近作の短編集『一人称単数』所収の「品川猿の告白」の猿から、前作「品川猿」へとつながる女性の謎の死の系譜は、村上春樹の描く暴力性・獣性を描き出す。

そう、この品川猿こそ、『風の歌を聴け』のあの猿たちの同族ではないのか?

Jアラート、地下に避難、などとNHKで繰り返すのは無意味

Jアラート、地下に避難、などとNHKで繰り返すのは無意味だからやめた方がいい。

むしろ、地下鉄入口などにあわてて避難したら、倒れてケガする。もし本気で札幌の地下鉄駅などにあわてて逃げ込もうとして、階段で将棋倒しが起きていたら、アラートを発した日本政府は事故補償するつもりだろうか?

正直、もしどこかの国のミサイルが落ちるとして、爆発被害より、都市の地下街のパニック被害の方がおそらくケガ人や死者が多いだろう。(核爆弾以外なら)

もう一つ、緊急警報的なものは、あまり無意味な空振りが続くと、人々はいざ本当に危機の場合も無視してしまう。太平洋戦争時の空襲警報でさえそうだったのを知らないのか?

戦時中の空襲警報も無意味だったのは、肝心の防空壕が焼夷弾爆撃にも1トン爆弾などにも全く無力だったから。

今のアラートも、肝心の避難場所を整備しないまま、警報だけ鳴らすのは、パニック被害を誘発するだけ。

 

※Jアラートはオオカミ少年

https://youtu.be/h4q7U2VSgjo

 

※Jアラート再びから騒ぎ!(2023年4月13日)

https://youtu.be/0Fkyhhc4uug

 

 

新刊発売!『村上春樹を歩く・その後 〜読書会と文学聖地巡礼の試み〜』土居豊 著

 

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《自分の読みを見直す機会としての、村上春樹読書会!》

「村上春樹の故郷・西宮市を中心に「村上春樹読書会」を長年主催してきた筆者は、本書で活動のまとめを試みたい。

前半第1部は「村上春樹読書会」参加者たちの春樹愛や、アンチ春樹の意見など、読者の生の声を紹介する、筆者の新聞連載をまとめた。

後半は、かつて筆者が足を運んだ春樹ワールド聖地巡礼による作品考察を通じて、本を読んだ後から始める読書体験の試みを再構成して収録する。

村上春樹文学を読みながら、21世紀の世界を左右する歴史的出来事の中でも読書体験が大切であること、読書を通じて生き抜く力を得ることを広めたい。」

 

「あとがき」より引用

《本書の後半部の元となった原稿は、浦澄彬『村上春樹を歩く』(彩流社)である。

この評論は、筆者がペンネームで書いたもので、20世紀の終わりに刊行したものの、当時、村上春樹氏の事務所から厳重なクレームを受け、その後は重版されずに現在、絶版状態になっている。

そのクレーム内容については今さらなので書かない。

村上春樹氏は、筆者とは比較を絶したビッグネームであり、このクレームに文字通り版元と編集者は震え上がったとみえる。結局、若書きの評論は重版を禁じられ、それっきりの運命となった。

それでも、本の運命はわからないもので、天下の村上春樹のクレームがついた評論は、今でも文学研究の論文の参考文献に時々挙がっている。

若書き『村上春樹を歩く』は書店店頭から姿を消したが、筆者ののちの運命を大きく変えた本である。

今回、その原稿に大幅に手を加えて、本書の中の一部分として再構成し、改めて作家・土居豊の評論エッセイとして再登板させることにした。》

 

《目次

序 〜自分の読みを見直す機会としての村上春樹の読書会

第1部 村上春樹読書会と、文学聖地巡礼の試み

1章 村上春樹の原点『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』は、震災前を捉えた貴重な記録だ

2章 『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』と羊男ファンたち

3章 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と東京五輪、そしてノルウェイ

4章 中編小説の楽しみ

5章 『ねじまき鳥クロニクル』を読んでノモンハンまで行った人も

6章 『海辺のカフカ』と同じく甲子園に魚が降った?

7章 中編小説の楽しみ その2    

8章 『1Q84』を7回通読した人もいた    

9章 『騎士団長殺し』と「キャラ読み」「アイテム読み」    

第2部 その後の『村上春樹を歩く by浦澄彬』    

1章 春樹ワールドのフィールドワークの試み    

2章 直子の井戸を探して    

3章 青山のサンクチュアリ    

4章 世田谷の路地と路面電車    

5章 札幌から芦屋へ 〜春樹ワールドの人工都市    

(付録)『ダンス・ダンス・ダンス』の僕のその後    

第3部 村上春樹を読む 〜1980年代から2010年代まで    

1章 80年代の読者たち    

2章 90年代の読者たち    

3章 ネットの中の読者たち    

4章 村上春樹と宮本輝を読み比べてみる    

5章 早稲田大学同窓の村上春樹と三田誠広を読み比べる    

(付録)神戸高校探訪    

(付録)【村上春樹聖地巡礼スポットの紹介】》

 

 

村上春樹文学散歩を引率する筆者(西宮市の香櫨園浜)

 

 

 

※関連本の紹介

 

文芸批評

『村上春樹の猿〜獣と嫉妬と謎の死の系譜』

浦澄彬 著

 

 

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村上春樹の初期3部作は叙述トリックだった?

デビュー当時から村上春樹の小説の最大の特徴とされ、読者や批評家たちを夢中にさせたクールな語りこそ、語り手の本性が「獣=猿」であることを隠す叙述トリックとなっていた、という仮説。

それを考えるきっかけは、デビュー作『風の歌を聴け』から『ノルウェイの森』を経て近作まで共通して現れるモチーフ、「猿」・「猿のコンビ」・「獣」である。

『ノルウェイの森』もまた、「リアリズムの皮をかぶったポストモダン」であり、語り手であるワタナベの1人称の語りは、実はアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』のような、叙述トリックか?

考察の全ては、芦屋の公園の「猿の檻」から始まる。

デビュー作『風の歌を聴け』のあの猿たちは、「僕」の二重性、隠された獣性の暗喩なのか?

近作の短編集『一人称単数』所収の「品川猿の告白」の猿から、前作「品川猿」へとつながる女性の謎の死の系譜は、村上春樹の描く暴力性・獣性を描き出す。

そう、この品川猿こそ、『風の歌を聴け』のあの猿たちの同族ではないのか?

 

「品川猿」の系譜とは、また嫉妬の系譜、謎の死の系譜でもある。

2005年の「品川猿」における松中優子の嫉妬

2013年の『多崎つくる』における「シロ」殺人事件と、「クロ」の嫉妬、「つくる」の嫉妬

2020年の「品川猿の告白」の女性編集者もまた、同じことに?そして、今後の作品に引き継がれる?

村上作品の女性の謎の死(自死)と嫉妬の系譜は、『ノルウェイの森』の直子にさかのぼる。さらに『1973年のピンボール』の同名の直子、さらに『風の歌を聴け』の「指のない」彼女にまでさかのぼる。

 

 

 

 

小川国夫のスピーチ(2007年9月29日藤枝にて、藤枝市郷土博物館・文学館の開館記念パーティー)

小川国夫のスピーチ(2007年9月29日藤枝にて、藤枝市郷土博物館・文学館の開館記念パーティー挨拶)

 

僕は、挨拶やりたいって言ったわけじゃない。やれっていうから、やむをえず。

それで、今日、新文学館で、愛語の話をしました。わが道元禅師は、肝心なことを、二字につづめて見事に言ってるわけですね。僕は、大変感心しているわけです。大変感心して、しょっちゅう考えるんだけど、今や、ちょっと理屈っぽく言うと、わが日本の言語状況は、大きくカーブを切っておりまして、例えば、言語を集める人は、少し前は、カードを使った。それは、僕は聖書の翻訳をやったから、たちまちぶつかったんですが、大きな箱がありまして、そこに単語カードがぎっしり入っていて、すぐれた翻訳者は、「これは私が作った」と誇りにしている。

ところが状況が変わりまして、今はコンピューターの中に全部仕込むと。翻訳者は大変それを嫌いまして、「このようにして、日本の言語学者は、言葉を自分から離していっている。私どもの頃は、この箱の中にあるのが私の言葉だ、という認識で、今やコンピューターソフトの中にある無数の言葉が私の言葉だ、という認識をもっている、これは甘い」という。言葉というものは、自分の肉体の中に持っているからこそ言葉なんで、外に自分の作った、いかに大きな字引ないし字引のようなものがあっても、ひとたび身から離れちゃったものは、その人の言葉ではない、という大変参考になる厳しい認識を語ってくれました。

それで、いにしえの本を読みますと、ソクラテスというのは、後にマルクスやレーニンが弁証法の元だといって褒め上げた哲学者ですけれども、本が嫌いだったという説があります。なぜかというと、自分の考えを本にしてしまったら、藤枝にいても、焼津にいても、東京にいても、自分の肉体の中に備わっている言葉じゃなくなってしまう。その本を藤枝に置き忘れたら、もうその言葉を自由に駆使することはできない。それで大変すぐれた定義ができまして、言葉というのは能動的瞬間である、といったのです。能動的瞬間というのは、例えば、ある問答をしかけられたら、即座に答えられる言葉であり、待ってくれよ、本みてから、っていうのは、その人のほんとの言葉じゃない、と思います。

これは、我が母校である藤枝東高校のサッカー部をよく観察すればわかることで、ボールが目の前にポンっと弾んだとき、ボレーシュートにするか、ワントラップで蹴るか、ツートラップで蹴るか、というのは、即座の判断で、それができない人は名選手とはいえない。だから僕の認識からいいますと、言葉というのは、すぐに使えるように、目の前に落ちてきたら、すぐにそれに対応して使えるような状態になっていなければ、自分が言葉を持っているとはいえないわけです。

ですから、能動的瞬間であるという定義がソクラテスから出てきたというのは、大変正しい説だというふうに思います。だから、今日のカードにしろ、コンピューターにしろ、かりそめのもので、それを使って私どもは大変便利な思いをしておりますけれど、本当に自分の言葉というのは、我が身に備わっていなければいけない。

ですから、我々は、ある言葉使いをすると、その人は大変ノーブルだ、貴族だと言われる場合もあるし、あの人は漁師だといわれる場合もあるし、あの人はお百姓だと言われる場合もありますけれど、それは、言葉がその人の身分をそのまま表すわけです。

ここに役者さんがいてですね、漁師でもないのに、ありありと漁師を演じてみせるというのは、漁師の言葉をよくよく研究して知っているからで、今まで私がお話したことでお気づきだと思いますが、小説書く人は、やっぱりそれができなきゃいけない。本のなかに、言葉を体系的に蓄積したとしても、それではもちろん、小説は書けません。肉体の中に言葉を持っていて、臨機応変に原稿用紙に表現できなければ、「私は言葉を持っている」ということは言えません。

それで、今日、藤枝市は、言葉を愛するという土地柄になってきたら、どんなにいいだろう、という意思を、趣旨のことを申し上げたけれど、言葉を愛するということ、そういうことでありまして、ま、ちょっと厳しく申し上げると、「僕は日本語なら知ってる」というを安易にいう人がいますが、必ずしもそうは言えない。我々は日本語を知らないのです。だから、知らない以上は知る努力をするのは当たり前のことにある。またその努力をすべき分野はですね、大変、どなたも、私もしかりですが、これから努力しなきゃいけない分野を抱えているわけです。だから、やってもやっても苦労が尽きない。換言すれば、楽しみは尽きないわけです。そういう覚悟で過ごしたらいかがか、と。自分を人に押し付けるような言い方で、ちょっと恐縮ですが、そういうふうに考えます。

なんかちょっときつい話になりましたが、言葉を覚えてください、ということですね。ただ勉強して読んだというだけでは足りない。肉体化した言葉をお持ちください。ということなわけです。話はかたくなりましたが、一応ぼくの話はこれで終わりですから、かたいところは取っ払ってですね、愉快な夜になさってください。どうも、失礼いたしました。

 

(文責・土居豊)

 

※参考ブログ

没後15年、小川国夫の再評価を待ち望む

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12797439580.html

 

 

 

スピーチする小川国夫(2009年9月)

 

 

 

 

 

小川国夫宅(静岡県藤枝市)

 

 

(小川国夫がいつも待ち合わせに使った喫茶店、JR藤枝駅前)

 

 

 

没後15年、小川国夫の再評価を待ち望む

没後15年、小川国夫の再評価を待ち望む

 

 

我が師、小川国夫の没後15年をむかえるが、これに関連する出版界や文学関係の動きは特に見られない。なんて寂しいことだろう。私淑していたという贔屓目ももちろんあるが、小川国夫が昭和の文学に偉大な足跡を残したことを否定する文学関係者は少ないだろう。若い頃の小川作品を散々酷評した故・江藤淳がもし生きていたら、相変わらずの難癖をつけていたかもしれないが。小川の晩年、周辺に多数集まっていた作家や先生たちは、15年経つともう、その頃の自分たちの小川国夫への心酔ぶりを忘れてしまうのだろうか。

今年(2023年)は、昭和の作家のメモリアルや関連の出来事が多い年だ。司馬遼太郎と遠藤周作の生誕100年はずいぶん出版界を賑わせている。大江健三郎が亡くなったことも、改めて昭和の文学を振り返る契機となっている。

それに比べて、亡くなって15年の小川国夫の話題が、出版関係や文学関係でさえほとんど語られないことは、あまりに寂しすぎる。

けれど、小川文学が愛読者から忘れられることはないだろうと信じている。それだけでなく、若い読者も、今ひそかに増えつつあるのではないだろうか、と勝手な想像だが考えている。

例えば、以下のような事例を見て、そう信じたくなるのだ。

 

 

※参考記事

ゆかりの文化人探訪 中部3市でスタンプラリー 静岡県立大生協力

(静岡新聞2022.11.7)

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1146753.html

 

引用《近代文学史に名を残す県中部ゆかりの文化人の関連施設を巡る「するが文化の散歩道スタンプラリー」(静岡市、焼津市、藤枝市主催)が12月11日まで開かれている。県立大国際関係学部の細川光洋教授とゼミ生らが企画に協力。学生が撮影した紹介動画やAR(拡張現実)を活用し、若者を呼び込もうと奮闘している。対象は静岡市の中勘助文学記念館(葵区)と芹沢ケイ介美術館(同市駿河区)、焼津市の焼津小泉八雲記念館、小川国夫が執筆を続けた藤枝市にある郷土博物館・文学館の4館。》

 

 

このような、地元密着の企画を通じて、初めて小川文学に触れる若者が、興味をもって作品を手に取ってくれたら、と願っている。

そういう点では、小川国夫自身の方が、今の旧態然とした文学関係、出版関係よりも先を行っていたともいえるのだ。小川が晩年、勤務した大阪の大阪芸術大学での、若者たちとの交流(というより、これこそ本来の教育であるはずなのだが)、その様子を身近に見聞したことのある私には、そう思えてならない。小川と彼を慕う若者たちの愉快で親密、かつ真剣な日常は、今なお昭和や戦前みたいな権威主義が支配する出版・文学のいわゆる業界人たちよりも、新しい時代の関係性を先取りしていたと思えるのだ。その参考記事として、末尾に筆者の過去記事を再録する。

ところで、手に取りたくても小川国夫の本は書店に売ってないぞ、と揶揄する人もいるかもしれない。だが若い新たな読者よ、ご安心あれ。小川だけではないが、こうやって、電子版で復刻されたものが多数、今は容易に手に入る。

 

 

※小川国夫『マグレブ、誘惑として』

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だから、前回、昨年の小川国夫命日のブログに書いたように、小沢書店版の小川国夫全集が完結しなかったことを、もう文句はいうまい。

 

※参考ブログ

来年で没後15年、小川国夫を読む

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12736290617.html

 

《これほどの大きな存在の作家が、出版サイドの事情でその全集を未完のままに放置されているのは、戦後文学史の研究にとっても大きな痛手であり、もちろん愛読者にとっても残念な現状だ。

没後10年には、主要文芸誌がどれも没後特集を組まなかったという、実に冷たい仕打ちを受けている。小川国夫を評価しないのは文芸誌編集長たちの勝手だが、愛読者はずっと読み続けており、全集が完成していないままでも作品研究は続けられている。

主要文芸誌の版元も、編集長たちも、没後10年の特集をやらなかった不見識を、いずれ後世の文学研究者から指弾されることになるだろう。

そこで、憚りながら提案したいのだが、没後20年を見据えて、小川国夫全集の完結を目指してほしい。どこの版元でも構わないが、できれば大手版元が小沢書店の絶版の版権を譲渡できるよう動いてほしい。

繰り返すが、本来なら、小川国夫全集は、小沢書店ではなく、大手出版社のいずれかから出るはずだったのだ。倒産した小沢書店経営者も、小川全集が未完のままである有り様を、泉下で嘆いているに違いない。》

 

 

とはいえ、本格的に小川文学を読み、研究するためには、やはり体系的な全集の存在は不可欠だ。河出版の選集も小沢版の未完の全集も、その意味で不十分であり、しかもどちらも入手しにくい。

引き続き、大手出版社にはぜひ、小川国夫全集の完成を志してほしい。

例えば、小沢版の全集の残りを補完する形で、後期作品集というような形で晩年の、豊かな作品の数々を全集版としてまとめることはできないのだろうか?

小川本人も語っていたが、小沢版の全集に未収録の作品は、全作品の1/3もある(はず)。

特に、小川文学の中で大きな部分を占めているはずの長編は、なんと全集未収録のものが(未完の『弱い神』を含めて)4作もある。

これでは、小沢版の小川国夫全集をもって研究の底本とするには無理があるといえるだろう。文学研究者の方々、日本文学の大学関係者、出版人たち、どうですか? なんとしても全集完結を目指す必要があるというのが、わかっていただけるだろうか?

 

 

※没後10年の記事

小川国夫の命日に寄せて 小川国夫没後10年・エッセイ「小川国夫のいた風景」

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12366773822.html

 

※筆者の小川国夫に関するブログ

作家・小川国夫の命日(4月8日)によせて

http://ameblo.jp/takashihara/entry-11507605937.html

 

 

 

 

(参考資料1)

小川国夫のスピーチ(2007年9月29日藤枝にて、藤枝市郷土博物館・文学館の開館記念パーティー挨拶)

 

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12797440381.html

 

 

 

(参考資料2)

土居豊の過去記事再録

《小川国夫と学生たち(2001年11月)

大阪芸術大学には作家・小川国夫がいる。そういうことが言えるようになってずいぶんになる。私が在学中には、まだ小川国夫はたまに講演に来るだけだった。今の芸大の学生がうらやましい。

教室での小川国夫は、くつろいだ中にも厳しい視線を学生に向けている。ラフに手編みの黒いセーターを着て、牛乳のパックを手放さない。学生たちは緊張感のある顔つきで、クラスの一人が書いた短編小説を読んでいる。やがて、小川国夫は学生に一人一人意見を求める。

たとえば、一人がその小説の欠点を指摘したら、小川国夫はその指摘に、作者に代わって反論する。

そうして、次の者にまた意見を求める。小川国夫のやり方は、決して学生の作品を否定しない。その作品のよいところを必ず見つけようと、学生と一緒にひたすら読み込む。そういう姿勢を学ぶことで、学生たちは、自分とは異なる創作のあり方を体験することになる。

講義のあと、数人の学生が小川国夫をもよりの飲み屋に引っ張っていく。若い連中に囲まれて、作家は上機嫌である。仕事の話はよそうと言って、たわいもない学生たちのおしゃべりにつきあっている。

学生たちは、大学に入って初めて小川国夫の作品を読んだ者がほとんどである。その中には、すっかり小川国夫の世界にはまって、今はなかなか手に入らない昔の作品を探して古本屋めぐりをする者が何人かいる。そうして入手した本を持ってきて、小川国夫にサインをねだっている。小川国夫は自著にサインするとき、必ず筆で、聖書の言葉を添えたり、その作品からの引用を添えたりする。それらのサインの一つ一つが、学生の心の宝である。

かつて、若い頃、小川国夫はバイクで地中海世界を駆け巡った。その情熱は、今も枯れてはいない。若い連中と飲む酒が、いつまでも現役で書きつづける力となっているに違いない。》