没後15年、小川国夫の再評価を待ち望む | 作家・土居豊の批評 その他の文章

没後15年、小川国夫の再評価を待ち望む

没後15年、小川国夫の再評価を待ち望む

 

 

我が師、小川国夫の没後15年をむかえるが、これに関連する出版界や文学関係の動きは特に見られない。なんて寂しいことだろう。私淑していたという贔屓目ももちろんあるが、小川国夫が昭和の文学に偉大な足跡を残したことを否定する文学関係者は少ないだろう。若い頃の小川作品を散々酷評した故・江藤淳がもし生きていたら、相変わらずの難癖をつけていたかもしれないが。小川の晩年、周辺に多数集まっていた作家や先生たちは、15年経つともう、その頃の自分たちの小川国夫への心酔ぶりを忘れてしまうのだろうか。

今年(2023年)は、昭和の作家のメモリアルや関連の出来事が多い年だ。司馬遼太郎と遠藤周作の生誕100年はずいぶん出版界を賑わせている。大江健三郎が亡くなったことも、改めて昭和の文学を振り返る契機となっている。

それに比べて、亡くなって15年の小川国夫の話題が、出版関係や文学関係でさえほとんど語られないことは、あまりに寂しすぎる。

けれど、小川文学が愛読者から忘れられることはないだろうと信じている。それだけでなく、若い読者も、今ひそかに増えつつあるのではないだろうか、と勝手な想像だが考えている。

例えば、以下のような事例を見て、そう信じたくなるのだ。

 

 

※参考記事

ゆかりの文化人探訪 中部3市でスタンプラリー 静岡県立大生協力

(静岡新聞2022.11.7)

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1146753.html

 

引用《近代文学史に名を残す県中部ゆかりの文化人の関連施設を巡る「するが文化の散歩道スタンプラリー」(静岡市、焼津市、藤枝市主催)が12月11日まで開かれている。県立大国際関係学部の細川光洋教授とゼミ生らが企画に協力。学生が撮影した紹介動画やAR(拡張現実)を活用し、若者を呼び込もうと奮闘している。対象は静岡市の中勘助文学記念館(葵区)と芹沢ケイ介美術館(同市駿河区)、焼津市の焼津小泉八雲記念館、小川国夫が執筆を続けた藤枝市にある郷土博物館・文学館の4館。》

 

 

このような、地元密着の企画を通じて、初めて小川文学に触れる若者が、興味をもって作品を手に取ってくれたら、と願っている。

そういう点では、小川国夫自身の方が、今の旧態然とした文学関係、出版関係よりも先を行っていたともいえるのだ。小川が晩年、勤務した大阪の大阪芸術大学での、若者たちとの交流(というより、これこそ本来の教育であるはずなのだが)、その様子を身近に見聞したことのある私には、そう思えてならない。小川と彼を慕う若者たちの愉快で親密、かつ真剣な日常は、今なお昭和や戦前みたいな権威主義が支配する出版・文学のいわゆる業界人たちよりも、新しい時代の関係性を先取りしていたと思えるのだ。その参考記事として、末尾に筆者の過去記事を再録する。

ところで、手に取りたくても小川国夫の本は書店に売ってないぞ、と揶揄する人もいるかもしれない。だが若い新たな読者よ、ご安心あれ。小川だけではないが、こうやって、電子版で復刻されたものが多数、今は容易に手に入る。

 

 

※小川国夫『マグレブ、誘惑として』

https://amzn.asia/d/j1h6dpj

 

 

だから、前回、昨年の小川国夫命日のブログに書いたように、小沢書店版の小川国夫全集が完結しなかったことを、もう文句はいうまい。

 

※参考ブログ

来年で没後15年、小川国夫を読む

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12736290617.html

 

《これほどの大きな存在の作家が、出版サイドの事情でその全集を未完のままに放置されているのは、戦後文学史の研究にとっても大きな痛手であり、もちろん愛読者にとっても残念な現状だ。

没後10年には、主要文芸誌がどれも没後特集を組まなかったという、実に冷たい仕打ちを受けている。小川国夫を評価しないのは文芸誌編集長たちの勝手だが、愛読者はずっと読み続けており、全集が完成していないままでも作品研究は続けられている。

主要文芸誌の版元も、編集長たちも、没後10年の特集をやらなかった不見識を、いずれ後世の文学研究者から指弾されることになるだろう。

そこで、憚りながら提案したいのだが、没後20年を見据えて、小川国夫全集の完結を目指してほしい。どこの版元でも構わないが、できれば大手版元が小沢書店の絶版の版権を譲渡できるよう動いてほしい。

繰り返すが、本来なら、小川国夫全集は、小沢書店ではなく、大手出版社のいずれかから出るはずだったのだ。倒産した小沢書店経営者も、小川全集が未完のままである有り様を、泉下で嘆いているに違いない。》

 

 

とはいえ、本格的に小川文学を読み、研究するためには、やはり体系的な全集の存在は不可欠だ。河出版の選集も小沢版の未完の全集も、その意味で不十分であり、しかもどちらも入手しにくい。

引き続き、大手出版社にはぜひ、小川国夫全集の完成を志してほしい。

例えば、小沢版の全集の残りを補完する形で、後期作品集というような形で晩年の、豊かな作品の数々を全集版としてまとめることはできないのだろうか?

小川本人も語っていたが、小沢版の全集に未収録の作品は、全作品の1/3もある(はず)。

特に、小川文学の中で大きな部分を占めているはずの長編は、なんと全集未収録のものが(未完の『弱い神』を含めて)4作もある。

これでは、小沢版の小川国夫全集をもって研究の底本とするには無理があるといえるだろう。文学研究者の方々、日本文学の大学関係者、出版人たち、どうですか? なんとしても全集完結を目指す必要があるというのが、わかっていただけるだろうか?

 

 

※没後10年の記事

小川国夫の命日に寄せて 小川国夫没後10年・エッセイ「小川国夫のいた風景」

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12366773822.html

 

※筆者の小川国夫に関するブログ

作家・小川国夫の命日(4月8日)によせて

http://ameblo.jp/takashihara/entry-11507605937.html

 

 

 

 

(参考資料1)

小川国夫のスピーチ(2007年9月29日藤枝にて、藤枝市郷土博物館・文学館の開館記念パーティー挨拶)

 

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12797440381.html

 

 

 

(参考資料2)

土居豊の過去記事再録

《小川国夫と学生たち(2001年11月)

大阪芸術大学には作家・小川国夫がいる。そういうことが言えるようになってずいぶんになる。私が在学中には、まだ小川国夫はたまに講演に来るだけだった。今の芸大の学生がうらやましい。

教室での小川国夫は、くつろいだ中にも厳しい視線を学生に向けている。ラフに手編みの黒いセーターを着て、牛乳のパックを手放さない。学生たちは緊張感のある顔つきで、クラスの一人が書いた短編小説を読んでいる。やがて、小川国夫は学生に一人一人意見を求める。

たとえば、一人がその小説の欠点を指摘したら、小川国夫はその指摘に、作者に代わって反論する。

そうして、次の者にまた意見を求める。小川国夫のやり方は、決して学生の作品を否定しない。その作品のよいところを必ず見つけようと、学生と一緒にひたすら読み込む。そういう姿勢を学ぶことで、学生たちは、自分とは異なる創作のあり方を体験することになる。

講義のあと、数人の学生が小川国夫をもよりの飲み屋に引っ張っていく。若い連中に囲まれて、作家は上機嫌である。仕事の話はよそうと言って、たわいもない学生たちのおしゃべりにつきあっている。

学生たちは、大学に入って初めて小川国夫の作品を読んだ者がほとんどである。その中には、すっかり小川国夫の世界にはまって、今はなかなか手に入らない昔の作品を探して古本屋めぐりをする者が何人かいる。そうして入手した本を持ってきて、小川国夫にサインをねだっている。小川国夫は自著にサインするとき、必ず筆で、聖書の言葉を添えたり、その作品からの引用を添えたりする。それらのサインの一つ一つが、学生の心の宝である。

かつて、若い頃、小川国夫はバイクで地中海世界を駆け巡った。その情熱は、今も枯れてはいない。若い連中と飲む酒が、いつまでも現役で書きつづける力となっているに違いない。》