来年で没後15年、小川国夫を読む | 作家・土居豊の批評 その他の文章

来年で没後15年、小川国夫を読む

来年で没後15年、小川国夫を読む

 

※筆者所蔵の小川国夫全集

 

 

4月8日、作家・小川国夫が亡くなって14年目。

来年で没後15年になるこの作家は、筆者の師匠だ。

それを抜きにしても、没後10年をすぎて小川国夫はどんどん忘れられていくように思えてならない。それが残念だ。

一つには、没後10年以上になるのに、小川国夫の全集が完成しないままだというのが、研究も復刊もほぼ全くといっていいほど進まない原因だ。

系統的に一人の文学者・小説家を研究しようというからには、定本となるべき全集が必要なのだが、小川国夫の場合、複雑な事情で全集が完成しなかったし、途中まで出た全集も版元の倒産で今では入手困難だ。

 

 

この小川国夫全集の未完について、筆者は小川本人から聞いているので、もうそろそろ事情を少し書いておこうと思う。というのも、小川国夫全集の版元の経営者だった人も、すでに故人となったからだ。

知る人ぞ知る文芸出版社の小沢書店が倒産して久しいが、小川国夫は生前、自分の全集をこの小沢書店から出していた。経営者の故・長谷川郁夫が小川に心酔しており、著作を多数、同社から出したという関係によるものだ。

だが、全盛期の小川国夫は、文芸関係の大手出版社の複数から著作を出しており、作品撰集は複数回、大手から出している。

 

 

 

だから、いよいよ全集を出そうという話は、実のところ、複数の大手から申し出があったのだという。だが、小川本人から筆者が聞いたところでは、小沢書店の経営者の意気込みを見込んで、あえて弱小の小沢から全集を出すことにしたのだという。

この関係性は、ちょうど、かつて夏目漱石が新興の岩波を見込んで自作の版元に選んだ例に、似ているといえば似ている。

だが、残念なことに、岩波と違って小沢書店は倒産してしまい、必然的に、小川国夫全集は版元を失って絶版となった。

本来なら、こういう場合、どこか他の出版社が版権を引き受けて、全集を復刊させるのだろう。

だが、小沢書店の場合、そうはならなかった。その辺りの事情は聞いていないが、筆者自身は、小川国夫本人から、小沢書店倒産後に全集を購入している。古書店にも当時はかなり出ていたようだが、現在はどうなのだろうか。

ともあれ、正規の販売ルートを失ったまま、著者の小川国夫は亡くなり、全集の元の版元経営者の長谷川も先年、亡くなってしまった。

故人についてどうこう言っても詮無いことだが、長谷川は小川国夫没後、未刊行だった原稿の刊行時に解説を数冊分書いており、本当は小川国夫全集を完成させたいという思いもあったのではないかと想像する。

けれど、出版界の様々な事情がそれを阻んだのだろう。

結果的には、絶版のままの小川国夫全集は入手困難なままだ。没後数年間に順次刊行された没後の原稿の数々も、決定稿とはいえず、事実上、小川国夫の晩年の大量の著作は、不安定なままで放置されている。

またそれが多数の上に、小川国夫の全著作中、注目すべき力作が複数、含まれるので、研究者にとっても読者にとっても、実にやっかいなことになっているのだ。

小沢書店版全集の収録は最終の14巻が1995年で終わっており、小川国夫唯一の大手新聞連載小説だった代表作の一つ『悲しみの港』も収録されていない。それ以後に小川は活発に作品を刊行しており、長編小説の代表作の数々は、小沢版全集以後に刊行されているのだ。

 

 

 

こうなると、小川国夫の研究者は、小沢版全集以後の大作の数々を、初版当時の単行本(一部は文庫本にもなっているが)に準拠するしかない。

このように、小川国夫ほどの昭和の大作家が、その全集を未完成のままに放置されている現状は、実にもったいないし、厄介なのだ。

ちなみに、小川国夫の文学史上の扱いは、20世紀後半には相当に大きなものとなっていた。戦後文学史の中でいうと、雑誌「近代文学」の本多秋五の推薦によりデビューしたという位置づけだった。長らく無名の時代が続いたのち、島尾敏雄が朝日新聞で激奨したのをきっかけに有名作家の一人となった。

壮年期は大きな文学賞と無縁のまま、熱烈な愛読者層に支えられた一種カルトな作家として評価は高かった。その晩年、数々の文学賞を受賞したのと、大阪芸術大学に迎えられたことで読者は着実に増えていった。亡くなる直前まで未完作品を抱えており、没後、残された作品群が数冊刊行されている。

これほどの大きな存在の作家が、出版サイドの事情でその全集を未完のままに放置されているのは、戦後文学史の研究にとっても大きな痛手であり、もちろん愛読者にとっても残念な現状だ。

没後10年には、主要文芸誌がどれも没後特集を組まなかったという、実に冷たい仕打ちを受けている。小川国夫を評価しないのは文芸誌編集長たちの勝手だが、愛読者はずっと読み続けており、全集が完成していないままでも作品研究は続けられている。

主要文芸誌の版元も、編集長たちも、没後10年の特集をやらなかった不見識を、いずれ後世の文学研究者から指弾されることになるだろう。

そこで、憚りながら提案したいのだが、没後20年を見据えて、小川国夫全集の完結を目指してほしい。どこの版元でも構わないが、できれば大手版元が小沢書店の絶版の版権を譲渡できるよう動いてほしい。

繰り返すが、本来なら、小川国夫全集は、小沢書店ではなく、大手出版社のいずれかから出るはずだったのだ。倒産した小沢書店経営者も、小川全集が未完のままである有り様を、泉下で嘆いているに違いない。

 

 

ちなみに、筆者は没後10年の文章を毎日新聞に寄稿した。他の媒体の編集の方々もご依頼いただければ、筆者はいつでも小川国夫について書く。小川国夫についての講演や文学講座も、いつでもやらせていただく。

 

※没後10年の記事

小川国夫の命日に寄せて 小川国夫没後10年・エッセイ「小川国夫のいた風景」

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12366773822.html

 

※(報告)「小川国夫没後10年記念」読書会in生駒ビルヂング

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12369875460.html

 

※筆者の小川国夫に関するブログなど

1)

小川国夫の肉声がよみがえる!~小川恵「銀色の月~小川国夫との日々」評

http://ameblo.jp/takashihara/entry-11305621118.html

 

2)

作家・小川国夫の命日(4月8日)によせて

http://ameblo.jp/takashihara/entry-11507605937.html

 

3)

最後の文士・小川国夫の命日

2011/04/08

http://takashi-hara.at.webry.info/theme/d1db4ac37d.html

作家・小川国夫、2008年4月8日没、享年80没

最後の文士、故・小川国夫は、私にとって小説の恩師であり、人生の師匠です。小川さんに「晩年の友人の一人」と呼んでいただいたことは、生涯の誇りです。

 

※参考

大阪・シネヌーヴォでの小川国夫原作映画『デルタ』上映&トークイベント報告。私がトークイベントの司会進行をさせていただきました。

http://takashi-hara.at.webry.info/201012/article_10.html

 

※はびきの市民大学で小川国夫文学を紹介する講座をやりました

http://ameblo.jp/takashihara/entry-12287121169.html

 

 

※2005年、筆者のデビュー小説刊行記念パーティにて、小川国夫と