ジャズピアノの調律?-そんなものはありません
最近、何人かの人から同じような質問を受けた。「太田さん、ジャズピアノの調律ってあるんですか?」。一瞬、その意味するところが分からなかったのだが、すぐにピーンときた。「いやいや、ジャズピアノの調律というのはないよ。それは、単純に誤解されているだけだよ」と切り返した。
無理もない。クラシックピアノの場合、コンサートでもCD録音でもピアニストが調律の狂ったピアノを弾くというのは100%ありえないことである。ピアノを弾く前にきちんと調律がおこなわれる。
ところが、ジャズの場合は違うのだ。とりわけ、ライブハウスにおけるライブ録音などを聴いているとその特徴が見事に現れる。ビル・エバンス、オスカー・ピーターソン、レッド・ガーランド、テディ・ウィルソン、アール・ハインズといったジャズピアノの名人たちのライブ演奏を聴いて欲しい。ようするに、ちゃんとした調律をしていない、あるいは使い込まれすぎて状態の悪くなったピアノで演奏しているために、摩訶不思議な音が聞こえてくるのだ。
ピアノは88の鍵盤で成り立っている。それぞれの鍵盤に弦が張られており、鍵盤を押さえてハンマーが弦を打つことで音が鳴る。弦の張り方は最低音部は1本だが(最低音のAの音から8つ目の鍵盤のEまで)、低音部になると2本(9番目のFから20番目のEまで)、中音部から高音部は3本となっている。要するに複数の弦が張られている鍵盤において、お互いの弦の張りが一緒でないと、ひとつの鍵盤から複数の音が聞こえてくるということである。しかも、ジャズの場合、クラシック音楽ではほとんど使われない「テンション」というジャズ独特のサウンドが随所に使われるため、よけいに「ジャズピアノの調律」というものが存在すると勘違いされるわけだ。ひとつの鍵盤からヘタをすると3つの音が聞こえる時があるが、こういうのを「ホンキートンクピアノ」という。
昨年、さるパーティーに出かけた。それは大きなカラオケルームを借り切っておこなわれたのだが、片隅にいかにもポンコツそうなアップライトピアノが置いてあった。宴もたけなわになってきて、誰かが「太田さん、ぜひピアノを1曲弾いてください!」と言ったので、すでに酔っ払って出来上がった周りの人たちから、大げさな拍手が沸き起こった。皆は酔っ払っている、私も酔っ払っている、ということで少々変なピアノを弾いても誰もわからない。気が大きくなって、いざピアノの前に座り、メロディーを弾き始めた途端、驚愕した。
鍵盤が波打っており(要するにお互いの鍵盤どうしが平行ではないということだね)、鍵盤を押さえても、沈んだまま戻ってこない箇所があり(!)、しかも、メロディーを弾いているにもかかわらず、「ワーン」という意味不明の音だけが巨大に不快な音で聞こえてくるのだ。「こりゃ、ホンキートンクを超越している」と驚くと同時に、私にとって正真正銘のホンキートンクピアノを弾く初めての貴重な体験だった。
時々、プロのピアニストから「いやあ、先日のライブではひどいピアノにあたってしまって苦労したよ」という話を聞くことがあるが、なるほど、あれじゃあピアノは弾けないわけだ。普通、左手でバッキングをするときは鍵盤にタッチする力を抑えて、響きも抑えてやるのだが、私が弾いたホンキートンクは鍵盤に触れるたびに「ワーン、ワーン」と地響きのように鳴り、右手のメロディーが加わると、さらに「ワーン」が加わって、何を弾いているのかさっぱりわからないのである。
頭痛を催しながらも半ばやけくそになって3コーラスを弾いた後、「やれやれこの不快感から解放される」と思ってピアノの椅子から立ち上がると、一段の拍手喝采を浴びた。
この人たちは、不快ではなかったのだろうか? と心配になりつつ、ものすごく不気味な体験だった。
太田忠の縦横無尽 2009.9.5
「ジャズピアノの調律?- そんなものはありません」
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福田重男ソロライブ&料理とワインの夕べ
8月30日(日)に私が主宰するスタジオ・マルルーにて「福田重男ソロライブ&料理とワインの夕べ」を開催した。
福田重男さん は日本を代表するジャズピアニストであり、その実力もまさにトップクラス。精力的に活動をおこなわれているのだが、なかなかソロピアノを聴かせてもらう機会がないため、「ぜひ、ソロピアノのライブをお願いします」ということで快諾をいただいたのが5月の終わりだった。「ソロライブが終わった後は、おいしい料理とお酒で楽しむというのはどうでしょうか」「うん、いいねぇ」という感じで「料理とワインの夕べ」というタイトルも併記されることとなった。スタジオ・マルルーとしてはこれはまさに「一大イベント」である。
超一流の福田さんに思う存分パフォーマンスしてもらうため、こちらも完璧を目指さねばならない。「よし、やらねば!」ということで多大なる配慮をしつつ入念なる準備をおこなった。こういう時は、私は通常よりも何倍も気合が入る。
まずライブだが、前日に専属のコンサートチューナーに来てもらい、調律・整調・整音を8時間かけてみっちりおこなった。スタインウェイのコンサートチューナーなので、日頃はサントリーホールや東京文化会館などのコンサートピアノを調律しているスペシャリストである。ハンマーの調整、微妙なタッチを実現するための細かな手入れ、ペダルのミリ単位の調整、音色のレベルアップと「サントリーホールのグランドピアノ以上の念入りな作業をしてくれ!」と私は強要した。そして日もとっぷりと暮れた作業終了後、「うーん、これはすごいことになりましたよ」と我がコンサートチューナーも太鼓判を押してくれるコンディションになった。
また、料理のほうも私の妻が主宰する料理教室のサロン・ド・マルルー に協力してもらい、16品にも上るレシピの組み立てから、材料の買出し、調理とアシスタントの強力なサポートも得て万全の体制で臨んだ。
「日常から逸脱した、夢のような企画を」という意欲的なコンセプトであったため、会費は1万円/人(!)というジャズライブとしては破格な価格設定だった(こんなにお財布にやさしくないジャズライブは普通ありません)。
完全予約制の限定20名で受付を開始したのだが、あっという間に完売。キャンセル待ちが何人も出てしまった(キャンセルする人は1人も出ず)。遠くは京都や浜松から来られる方もいて、その人気ぶりはおわかりいただけると思う。
ソロライブは想像していたよりもはるかにすばらしく、時折聴衆から「ため息」がもれるのを私は聞き逃さなかった。さすが名人芸である。立食パーティーは料理をサーブする時間が若干遅くなってしまったのだが(20名もの料理を2人で担当するのはかなりハードでした)、なかなか好評をいただき、ほっとした。
立食パーティーが始まると、今度は聴衆のほうでピアノを弾きだす人、歌を歌いだす人が出るという普通ありえない光景が展開された。実はプロのミュージシャンやセミプロ級の人たちが何名も参加しており、さながら「ライブハウス第二弾」という状況で二度おいしい会となった。主宰者もいつの間にか自分の立場を忘れて参加者として楽しんでいた。皆さんありがとうございました。
しかし、8月30日がまさか決戦の日になるとは思ってもみなかった。これだけが「想定の範囲外」だった。立食パーティーも終盤に差し掛かると、皆で選挙速報を観戦して盛り上がり、「歴史的な選挙」もコラボするという実に盛りだくさんな1日となった。
またこのような楽しく充実した企画をおこないます。
太田忠の縦横無尽 2009.9.1
「福田重男ソロライブ&料理とワインの夕べ」
日本証券新聞に弊社の「投資講座」が取り上げられました
8月28日付けの日本証券新聞に弊社の「投資講座」が取り上げられた。記事のリンクはこちらを参照。
まだ、立ち上げて1ヵ月であるが、システム上のトラブルや苦情など1件もなく順調に稼動しており、経営者として胸を撫で下ろしているところである。また、おかげさまで会員も着実に増えている。皆様のご理解やご支援なくしてはこのようにはいかないため、改めて厚くお礼を申し上げます。
日本証券新聞に限らず、さまざまなメディアからの取材も増え、さまよえる個人投資家への「投資教育」をロングタームでおこなっていきたいと思っている。今回の記事では、『資産運用とは「気づき」である』という8月12日付けの私のブログ
からの文章も引用されているように、資産運用の大切さにぜひとも早い年齢で気づいていただき、複利効果を身につけることによって、お金の問題に困ることなく、余裕のある生活・人生を自らの手で主体的に勝ち取っていただきたいと思っている。そのためには、とにかく最初の段階で正しい資産運用力を身につける必要がある。
個人投資家の大半は、行き当たりばったりの運用しかしておらず、相場のクラッシュのたびに「塩漬け」問題で思考停止に陥るというのが毎度のパターン。そういう投資家からはぜひ卒業していただきたい、と真摯に思う。
太田忠の縦横無尽 2009.8.28
「日本証券新聞に弊社の投資講座が取り上げられました」
目標とは予測ではなく、意志である
大きなことを成し遂げていく人を見ていると、必ずやそこに大いなる「意志の力」を感じる。そういう人々が立てていた目標というのは「これぐらいになるだろう」と予測したものでは決してなく、「こうするのだ」という意志が反映されている。
今年に入ってから新たなことやこれまで継続してきたこと、いずれの面においても少し錆びついた感のあった「チャレンジ精神」をピカピカにすべく少し力を入れて研ぎながら毎日をすごす心がけを絶やさぬようにしている。なんだか自我に目覚め始めた中学2年生頃の感覚が戻ってきて新鮮やらなつかしいやら、いろいろと入り混じった感じである。
「目標」は平常の自分の力では達成できない、負荷のかかるものでなければ意味をなさない。まさに何か高みを達成するために立てるものである。簡単に予測できるような生ぬるいものであってはならないということである。
ところで、こんなことを書いていて、おかしくなってきた。それは、私の専門領域である中小型株の経営者たちの多くが、自社の業績予想をも全く同じスタイルでやってしまうことである。株式市場における業績予想はそもそも「これだけは確実に」「絶対成し遂げる」というコミットメントに近いものが求められている。業績目標とはまさに「予測」できるものではならないのだ。そのへんのところがよく分かっていない経営者たちが少なからず存在し、マーケットでは常に非難の的になるのだが、本来の人間の姿からすると困難に対峙するという真っ当なスタイルをそのまま表明しているだけなので、道義的に悪いとは言えない類の問題である。
ところで、皆さんは単なる「予測」ではない「意志」による「目標」をいくつ持っているだろうか? 目標を立てるのは簡単だが、それを継続しているだろうか?
できるかできないか、何事かを成すか成さないか、はまさにこの1点にかかっている。
太田忠の縦横無尽 2009.8.23
「目標とは予測ではなく、意志である」
奨学金がなぜ「給付型」なのか?
衆議院選挙の幕がいよいよ切って落とされた。
候補者たちの街頭演説はどうやら半分以上が他党の悪口であり、ネガティブキャンペーンばかりしているのは何とかならないものだろうか。聞いていて全くうんざりする。「悪口」の時間を今の1/4くらいにして、大半の時間を「政策」主張にあててほしいものだ。
さて、各党のマニュフェストを読んでみた。賛成できるもの、反対したいもの、いろいろとあるが、「あれ、これは明らかにおかしいのではないか?」と私が感じたのは自民党が掲げている「給付型奨学金」なるものである。
私も大学生のときは日本育英会(現在の日本学生支援機構)の奨学金にお世話になった。毎月3万円ずつ4年間貸与してもらい、社会人になってから無利子で返済するというものだった。これは実にすばらしい制度だと思う。私のような奨学金がなければ困ってしまう学生にとって「月額3万円」を支給してもらうことはどれだけありがたかったかわからない。支給日が来るのが待ち遠しかったものだ。
しかし、これはあくまでも「貸与型」であって、利息なしでお金を借りているわけである。大学を卒業し、社会人になれば返済せねばならない。社会人になりたての頃は、年間返済額約15万円(10年で完済する)も結構きつかったが、それでも数年繰り上げて返済が終わったときは本当にほっとしたものだった。こうした形でお金が世代間でリレーされて延々と「奨学金制度」が続いているわけだ。
給付型奨学金というのは「給付型」という名前の通り、「貸与型」ではない、すなわち返済義務のない奨学金ということだ。しかし、そんなおかしな制度があるものだろうか? 「親の収入が低い学生で、成績優秀者を対象とする」という条件がついているらしい。だが、恵まれない学生に援助をする趣旨は理解できるが、成績優秀者が社会人になれば、もはや自立した成人であるので、返済するのが当たり前ではないか? 社会人になった途端に、「恵まれない」という条件は消滅するはずである。そういうきちんと返済能力がある人たちに税金を「給付型」で使うという発想は根本的に間違っている。
何のための「奨学金」なのか、本当にきちんと考えた政策なのだろうか? 子育て、教育関連に各党が注力するマニフェストを出すのはいいのだが、ちょっとこれは本末転倒、という感じだ。
太田忠の縦横無尽 2009.8.19
「奨学金がなぜ給付型なのか?」
早くも紅葉シーズン
ようやく夏らしい気候になってきた。
東京はお盆に入るまでは、1日中曇りのどよーんとした日が毎日のように続き、台風による寒冷前線の刺激がもたらす豪雨や、夕方あるいは明け方に突然激しくにわか雨が襲ってきたりと、「本当に梅雨は明けたのか」という日が続いていたが、ようやく先週後半あたりから夏らしい夏になった。
昼間の外出は必ず帽子をかぶるようにしている。私は昔から猛烈な真夏の日差しにはめっぽう弱く、直射日光に30分でもあたっていると頭痛に襲われて体調がおかしくなるからである。昔はこういう症状をまさに「日射病」と言っていたが、最近はすっかり聞かなくなった。テレビの天気予報で「熱中症にはお気をつけ下さい」といわれても「一体何に熱中して病気になるんだか」という感じで私のような「日射病世代」にはなかなか馴染めない表現である。やはり言葉通り「陽射し」にやられる「日射病」か、あるいは照り返すアスファルトで炙られた熱風にやられる「熱風症」という表現のほうが適切なように思う。一体、何時から「日射病」→「熱中症」に変わったのか? そういえば、気圧を表す「ヘクトパスカル」も一体何時変わったんだろう。私の世代はもちろん「ミリバール」である。「ヘクトパスカル」は何だか可笑しくていまだに馴染めない。
さて、「早くも紅葉シーズン」とは我が家のことである。浴室のガラス窓越しに見える鉢植えのもみじの木の半分が2週間くらい前に紅葉してしまい、今や枯れて落葉しつつあるのである。こんなのは初めてである。毎年決まって12月1日頃に真っ赤に色づいてきれいな紅葉姿を見せるのだが、今年はまるで別人である。そういえば、中庭の夏椿の葉っぱも通常は濃い緑色をして今頃は元気いっぱいなはずなのだが、今年は少し赤茶けて冴えない色になっている。
気候がおかしくなっているのを植物たちは敏感に感じ取り、それを彼らなりにそのままダイレクトに表現しているのだ。
それにしても、毎年どんどんおかしくなっていく気候は気になるところだ。ゲリラ豪雨被害、土砂崩れ災害の規模が目に見えて大きくなっている。山間部であろうが都心部であろうが、「想像を絶する」水害がやってくれば人間などひとたまりもなく飲み込まれる姿を見せつけられることが多くなった。普段は幅50センチのほとんど水が流れていない用水路が何人もの人たちの命を奪ったのにはぞっとした。これから本格的な夕立と台風シーズン。本当に用心が必要だ。
太田忠の縦横無尽 2009.8.16
「早くも紅葉シーズン」
資産運用とは「気づき」である
個人ベースにおける資産運用がますます重要になっていることを日増しに実感させられる社会情勢である。
個人における資産運用といっても、所詮は金融資産のことを指すので、「そんなのはお金持ちだけがやるものだ」「お金のない自分には関係がない」「とても運用など考える余裕などなく毎日生きていくのに手一杯だ」と思っている人たちがあまりにも多いようなのだが、それはあくまでも資産運用に対して真剣に考えていないだけである。
資産運用をやるかやらないか、というのは私の経験や私と同世代の人たち(40代半ば)を見ていると、それは「気づき」があったかなかったかの差に過ぎないだけに思えてくる。すなわち、社会人になって20年も経過すると、資産運用の重要さにいち早く気づいて実行し金融資産を殖やしている人と、やりたいのだがついついめんどくさいので後回しにしている人、今後悔している人、毎日の生活に追われれまだ全く気づいていない人の4つのタイプに分かれる。
なぜこんなことを述べたかと言えば、太田忠投資評価研究所でスタートした『投資講座』の基礎編である「投資基礎講座」に20代の人たちが入会してきているからである。これはちょっと意外だった。そして、もうひとつ意外だったのは50代前後の人たちも入会してきていることだ。現時点では20代の人たちと50代前後の人たちの2つのグループにはっきりと分かれている。
私の場合、ちょうど30歳になって初めて外資系企業に転職したときに資産運用の「気づき」を経験した。日系の準大手証券にいた頃、バブルの崩壊で毎年ボーナスが下がり、おまけに28歳で社員寮を追い出され(人がどんどん辞めていたので空室がいくつもあったのだが、会社の規定で28歳で追い出された)、安い賃貸マンションを借りても社宅費用が差し引かれると手取りがわずか10万円となってしまった。「これはまずい」と思いながらも、とにかく「30歳までに300万円を貯めよう!」という計画をあきらめず、なんとかギリギリ達成し、その300万円がタネ銭となってくれたことが私の資産運用の原点だったことは間違いない。転職してもまだ安月給だったが、資産運用をきちんと始めたのである。
まだ少ない収入と少ない金融資産であっても、将来に向けて戦略的に育てていかねば人生は拓けない。まさに「恒産なくして恒心なし」である。
20代の人たちが「投資基礎講座」に入会するのを見て、私は「自分より先を越された!」と思うのと同時に、「今気づくとはなんてすばらしい!」という二つの思いが入り混じる。
年率10%の運用力を身につければ、10年後には複利で2.6倍、20年後には6.7倍、30年後には17.4倍に成長するパワーがある。これは本当に大きなことなのだ。
今入会している20代の人が30年経過すると50代になり、もう一方の入会者の年代になる。50代前後の人たちが「これから取り組む」とすれば、正直すでにものすごくチャンスを逸したように思える。だが、よく考えてみると、まだこの先30年程度の人生があるわけであり、「正しい資産運用」を10年、20年単位でおこなえるだけの時間が残されている、そして、資産運用に取り組まなければ不安に満ちた老後生活しか送れないかもしれないのだ。
それを考えると、50代の人たちが入会してくるのはちゃんとした理由があり、20代の人たちとは真剣さが違う。
太田忠の縦横無尽 2009.8.12
「資産運用とは気づきである」
口と鼻とではこんなにも違う内視鏡検査
人間ドックの話の続きである。
私にとって人間ドックの一番の収穫が「自分の血液型を知った」ことだと書いたが、その反対にイヤなことも出てきた。そう、内視鏡検査を毎年受けなければならなくなったのだ。
私が受ける内視鏡検査は胃である。40歳で初めて人間ドックを受けたときは、もちろん一般的なバリウム検査だった。ところが、問診の時間になって私のバリウムの写真を見ていた先生が突然暗い表情になり、眉間に皺を寄せている。
「うーん、これは再検査が必要だな」。今まで健康診断で何度もバリウムを飲んできたが、こんなことを言われるのは初めてだった。「いや、胃の数ヶ所に影が出てましてね、胃カメラを飲んで精密に調べないといけません」
「え、ひょっとしてガンですか?」。恐る恐るたずねてみた。「何とも言えませんが、胃の中にポリープがあるのは確かです。すぐに検査の予約をとりましょう」
ということで、その日は沈痛な心持で自宅に戻った。私の家系には「ガン」で亡くなった者はほとんどいない。「まさかとは思うが、さすが40歳にもなるとあちこちに支障が出てくるものだな」。とにかく、再検査の日まで心は晴れなかった。
そして、当日の朝。胃カメラ検査なのでもちろん前日の午後9時以降は何も口にしていないのだが、初めての検査を受けることと、その結果が「ひょっとして」という思いでちっとも空腹を感じなかった。
昔の胃カメラは相当大変だったらしいという話は知っていた。サイズが大きいため、まず飲み込むのに一苦労し、カメラのケーブルが太いためその圧迫感と嘔吐感とで苦しめられ、「もう二度と受けたくない」というのが大多数の人たちの偽らざる感想だったのだ。だが、改良の末、随分と良くなったとも聞いていた。
初めて間近で胃カメラの装置を見たとき、「え、これを本当に口の中に入れるのか?」とちょっと一瞬戸惑った。ちっとも小さくないではないか。だが、もはや時を止めることはできない。検査が始まった。
「はい、ちょっと圧迫感がきますよ」「はい、どんどん入っていきますよ」「しっかり口を開けたままにしてください」「はい、もっとどんどんはいります」と先生がいちいち説明しながらやるものだから、飲み込んだとてつもなく長い物をだんだん吐き出したくなり、嘔吐感を止めることができなくなった。「苦、苦しい」と話そうとするがしゃべれないのである。そして、周りで見守る女性の看護師が三人とも私の体をおさえようとするのだ。これでは暴れることもできない。「もう限界だ」と思った瞬間、胃の中に入れられていた空気が抜かれ(胃に空気を送られると膨張感が高まり、不快極まりない)、急に苦しみから解放され、ようやく平常心にもどった。ただし、最後にカメラが喉を通ろうとした時にまた「オエっ」と嘔吐感に襲われた。
とにかく、苦しい検査だったが、その場で直ちに診断が下され、胃カメラで撮影した写真を手渡された。「これは胃底線ポリープといって良性のポリープで、ガン化することはありません。胃の中も非常にきれいで、ピロリ菌はないですね。でも、毎年検査を受けてください」という言葉だった。ほっとしたよりも、疲れのほうが勝っていたため、あまりうれしそうな表情を作ることはできなかった。
それから毎年内視鏡検査を受けている。ただし、翌年からは口からではなく、鼻から入れる胃カメラでやっているのだが、これがとてつもなく楽チンである。こんなにも違うものなのか、というくらいの違いである。今年の検査も無事終了し、胃カメラで激写した記念写真をもらった。
もし、胃の内視鏡検査を受けられることがあった場合、私は鼻から入れる胃カメラを断然おすすめする。カメラのケーブルが細いことと、口から入れていないため嘔吐感に悩まされることがほとんどない。ただし、蓄膿症や鼻づまり体質の人には不向きなので、そういう人は口から入れてもらうしかない。
太田忠の縦横無尽 2009.8.8
「口と鼻とではこんなにも違う内視鏡検査」
40歳にして自分の血液型を初めて知る
40歳から年に一度、人間ドックを必ず受診するようにしている。会社の規定で40歳からはほとんど自己負担なしに人間ドックを受けられるというありがたい制度のおかげである。今年も、6度目となる受診に出かけてきた。
人間ドックを受けるようになって、いろいろな発見があった。
一番の収穫が自分の血液型がA型Rh(+)であるということがわかったことだ。実は忘れもしない、小学2年生の時に血液型検査というのがあった。体育館に集合させられ、小型の注射器で一人一人の血液を少量抜き取り、検査するというものだったのだが、これが私にとって生涯忘れられないトラウマになろうとはその瞬間まで知る由もなかった。
今の血液検査は、小型の注射針を刺して(もちろんチクッとする)、血液を吸い取る側の容器が真空になっているため、自動的にゆっくりと血が抜かれる仕組みである。ところが、今から40年近くも昔の血液検査では、手動で注射器のピストンを吸い上げていくという原始的な方法しかなく、これを下手くそな人にやってもらうと飛び上がるほど痛い、というものだった。
そもそも私は血を見るのが苦手で、流血騒ぎの映画などはまず見ないのだが、子供の頃はそうしたものにものすごく過敏であり、理科の実験で「フナ」の解剖の時間、途中で気分が悪くなり保健室へ駆け込んだほどであった。
そして、とうとう私の順番がやってきた。私の前に並んで、すでに検査が終わった友達たちは大げさに「痛えー」とか言って脅かそうとしている。そして、私がいざ腕に注射針を刺され、女の看護師の人が血を抜き取ろうとした瞬間、目の前が真っ青になり、5秒くらいして真っ暗になり、気を失ってしまったのである。どうやら、ちゃんと静脈に注射針が入っておらず、そのまま吸い上げられたため、一種のショック状態になったのだ。気がついた時は、体育館の隅で青いスポンジマットの上に寝かされて、汗をびっしょりかいてうなされている自分がいた。
「太田君、もう一度やってみる?」と心配そうに見ていた隣のクラスの先生が言った。冗談じゃない、こんなに恐ろしいことは一生ごめんだ、と私は血液検査を拒否。その後、一度も自分の血液型を知ることがなく、30年以上も経過した。自分の血液型を知らないことが、自分の羞恥心の一部であり続けた。
40歳以前は、会社の健康診断といっても、血液検査がなかったために、昔の恐怖を味わうことなく済んできたが、人間ドックでは血液検査があり、血を抜き取られることをその当日になった初めて知った。「しまった!」と思ったのと同時に昔の恐怖が蘇ってきた。だが、仕方がない、覚悟を決めて受けるしかない。腹をくくった。
「血液検査で倒れたことがあります」と深刻な顔をしながら先手を打って、担当の看護師の人に言うと、「では、横になってください。安静状態でやりますから」という非常にありがたい言葉。これなら気絶しても、すでにそのまま横になっているから、小学2年生の時よりは恵まれているなと自分に言い聞かせながら横になった。そして、注射針を打たれて、血が抜けていく瞬間、もちろん極度に緊張したが、全く何ともなかったのである!
ものすごく拍子抜けしたと同時に、30年以上にわたるトラウマは何だったのか、と思わずにはいられなかった。
そのような体験は、皆さんにはないですか?
太田忠の縦横無尽 2009.8.5
「40歳にして自分の血液型を初めて知る」
投資実践コース 「モデルポートフォリオ」の7月のパフォーマンス
とうとう7月も終わってしまい、今年も残すところわずか5ヶ月となってしまった。時の経つのは早いものだ。
さて、先月のブログでもお知らせしたように、太田忠投資評価研究所では7月22日に個人投資家向け『投資講座』をスタートした。おかげさまで無事に立ち上がっており、皆様からのお申し込みをいただくと同時に、各方面からの問い合わせが増えてきている。
『投資講座』には2つのタイプがあり、「投資基礎講座」および「投資実践コース」の2つの講座をインターネット上にて開催しているが、投資に関する実践的なノウハウを身につけたい方のために開催している「投資実践コース」では、企業分析や投資実践講義に加えて、モデルポートフォリオ情報を提供している。
モデルポートフォリオは個人投資家の方が資産運用をおこなうにあたって、参考にしていただくことのできる「リスク管理」を徹底した絶対収益型の実践的ポートフォリオであり、会員の方々には株式・先物・現金等の比率や、株式投資の具体的銘柄ならびに売買戦略などの情報の提供をおこなっている。
投資講座の開設に先立ち2009年3月19日よりモデルポートフォリオの運用をスタートしたのだが、毎月のパフォーマンスを弊社のHP上の「What's New」
でもご紹介することにした。7月単月のパフォーマンスは+2.8%、累計のパフォーマンスは+15.1%となった。7月のキャッシュ比率はほぼ一貫して50%前後で推移したが、小型株市場の上昇力が途切れてきたため、組入れていた小型株は利益確定逆指値に次々とヒットし、それに入れ替わる形で1Qの顕著な業績回復が確認され、かつ出遅れている大型株のウエートが上昇した。最近はハイテク分野の頑張りが目立つ。
ちなみに3月から7月までの各月末におけるパフォーマンスは以下の通りである。
スタートから4ヶ月半が経過したが、インターネット証券のさまざまな売買ツールを活用すれば柔軟な「リスク管理」をおこないつつ、株式投資による資産運用が非常に容易にできることを再認識している。投資信託を運用しているフルインベストメントスタイルのファンド・マネジャーが真似できない「優位な立場」に個人投資家は立っていることをどれほどの人々が本当の意味で理解しているのだろうか?
太田忠の縦横無尽 2009.8.1
「投資実践コース モデルポートフォリオの7月のパフォーマンス」