目標とは予測ではなく、意志である
大きなことを成し遂げていく人を見ていると、必ずやそこに大いなる「意志の力」を感じる。そういう人々が立てていた目標というのは「これぐらいになるだろう」と予測したものでは決してなく、「こうするのだ」という意志が反映されている。
今年に入ってから新たなことやこれまで継続してきたこと、いずれの面においても少し錆びついた感のあった「チャレンジ精神」をピカピカにすべく少し力を入れて研ぎながら毎日をすごす心がけを絶やさぬようにしている。なんだか自我に目覚め始めた中学2年生頃の感覚が戻ってきて新鮮やらなつかしいやら、いろいろと入り混じった感じである。
「目標」は平常の自分の力では達成できない、負荷のかかるものでなければ意味をなさない。まさに何か高みを達成するために立てるものである。簡単に予測できるような生ぬるいものであってはならないということである。
ところで、こんなことを書いていて、おかしくなってきた。それは、私の専門領域である中小型株の経営者たちの多くが、自社の業績予想をも全く同じスタイルでやってしまうことである。株式市場における業績予想はそもそも「これだけは確実に」「絶対成し遂げる」というコミットメントに近いものが求められている。業績目標とはまさに「予測」できるものではならないのだ。そのへんのところがよく分かっていない経営者たちが少なからず存在し、マーケットでは常に非難の的になるのだが、本来の人間の姿からすると困難に対峙するという真っ当なスタイルをそのまま表明しているだけなので、道義的に悪いとは言えない類の問題である。
ところで、皆さんは単なる「予測」ではない「意志」による「目標」をいくつ持っているだろうか? 目標を立てるのは簡単だが、それを継続しているだろうか?
できるかできないか、何事かを成すか成さないか、はまさにこの1点にかかっている。
太田忠の縦横無尽 2009.8.23
「目標とは予測ではなく、意志である」