奨学金がなぜ「給付型」なのか? | 太田忠の縦横無尽

奨学金がなぜ「給付型」なのか?

衆議院選挙の幕がいよいよ切って落とされた。


候補者たちの街頭演説はどうやら半分以上が他党の悪口であり、ネガティブキャンペーンばかりしているのは何とかならないものだろうか。聞いていて全くうんざりする。「悪口」の時間を今の1/4くらいにして、大半の時間を「政策」主張にあててほしいものだ。


さて、各党のマニュフェストを読んでみた。賛成できるもの、反対したいもの、いろいろとあるが、「あれ、これは明らかにおかしいのではないか?」と私が感じたのは自民党が掲げている「給付型奨学金」なるものである。


私も大学生のときは日本育英会(現在の日本学生支援機構)の奨学金にお世話になった。毎月3万円ずつ4年間貸与してもらい、社会人になってから無利子で返済するというものだった。これは実にすばらしい制度だと思う。私のような奨学金がなければ困ってしまう学生にとって「月額3万円」を支給してもらうことはどれだけありがたかったかわからない。支給日が来るのが待ち遠しかったものだ。


しかし、これはあくまでも「貸与型」であって、利息なしでお金を借りているわけである。大学を卒業し、社会人になれば返済せねばならない。社会人になりたての頃は、年間返済額約15万円(10年で完済する)も結構きつかったが、それでも数年繰り上げて返済が終わったときは本当にほっとしたものだった。こうした形でお金が世代間でリレーされて延々と「奨学金制度」が続いているわけだ。


給付型奨学金というのは「給付型」という名前の通り、「貸与型」ではない、すなわち返済義務のない奨学金ということだ。しかし、そんなおかしな制度があるものだろうか? 「親の収入が低い学生で、成績優秀者を対象とする」という条件がついているらしい。だが、恵まれない学生に援助をする趣旨は理解できるが、成績優秀者が社会人になれば、もはや自立した成人であるので、返済するのが当たり前ではないか? 社会人になった途端に、「恵まれない」という条件は消滅するはずである。そういうきちんと返済能力がある人たちに税金を「給付型」で使うという発想は根本的に間違っている。


何のための「奨学金」なのか、本当にきちんと考えた政策なのだろうか? 子育て、教育関連に各党が注力するマニフェストを出すのはいいのだが、ちょっとこれは本末転倒、という感じだ。


太田忠の縦横無尽 2009.8.19

「奨学金がなぜ給付型なのか?」

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