ジャズピアノの調律?-そんなものはありません
最近、何人かの人から同じような質問を受けた。「太田さん、ジャズピアノの調律ってあるんですか?」。一瞬、その意味するところが分からなかったのだが、すぐにピーンときた。「いやいや、ジャズピアノの調律というのはないよ。それは、単純に誤解されているだけだよ」と切り返した。
無理もない。クラシックピアノの場合、コンサートでもCD録音でもピアニストが調律の狂ったピアノを弾くというのは100%ありえないことである。ピアノを弾く前にきちんと調律がおこなわれる。
ところが、ジャズの場合は違うのだ。とりわけ、ライブハウスにおけるライブ録音などを聴いているとその特徴が見事に現れる。ビル・エバンス、オスカー・ピーターソン、レッド・ガーランド、テディ・ウィルソン、アール・ハインズといったジャズピアノの名人たちのライブ演奏を聴いて欲しい。ようするに、ちゃんとした調律をしていない、あるいは使い込まれすぎて状態の悪くなったピアノで演奏しているために、摩訶不思議な音が聞こえてくるのだ。
ピアノは88の鍵盤で成り立っている。それぞれの鍵盤に弦が張られており、鍵盤を押さえてハンマーが弦を打つことで音が鳴る。弦の張り方は最低音部は1本だが(最低音のAの音から8つ目の鍵盤のEまで)、低音部になると2本(9番目のFから20番目のEまで)、中音部から高音部は3本となっている。要するに複数の弦が張られている鍵盤において、お互いの弦の張りが一緒でないと、ひとつの鍵盤から複数の音が聞こえてくるということである。しかも、ジャズの場合、クラシック音楽ではほとんど使われない「テンション」というジャズ独特のサウンドが随所に使われるため、よけいに「ジャズピアノの調律」というものが存在すると勘違いされるわけだ。ひとつの鍵盤からヘタをすると3つの音が聞こえる時があるが、こういうのを「ホンキートンクピアノ」という。
昨年、さるパーティーに出かけた。それは大きなカラオケルームを借り切っておこなわれたのだが、片隅にいかにもポンコツそうなアップライトピアノが置いてあった。宴もたけなわになってきて、誰かが「太田さん、ぜひピアノを1曲弾いてください!」と言ったので、すでに酔っ払って出来上がった周りの人たちから、大げさな拍手が沸き起こった。皆は酔っ払っている、私も酔っ払っている、ということで少々変なピアノを弾いても誰もわからない。気が大きくなって、いざピアノの前に座り、メロディーを弾き始めた途端、驚愕した。
鍵盤が波打っており(要するにお互いの鍵盤どうしが平行ではないということだね)、鍵盤を押さえても、沈んだまま戻ってこない箇所があり(!)、しかも、メロディーを弾いているにもかかわらず、「ワーン」という意味不明の音だけが巨大に不快な音で聞こえてくるのだ。「こりゃ、ホンキートンクを超越している」と驚くと同時に、私にとって正真正銘のホンキートンクピアノを弾く初めての貴重な体験だった。
時々、プロのピアニストから「いやあ、先日のライブではひどいピアノにあたってしまって苦労したよ」という話を聞くことがあるが、なるほど、あれじゃあピアノは弾けないわけだ。普通、左手でバッキングをするときは鍵盤にタッチする力を抑えて、響きも抑えてやるのだが、私が弾いたホンキートンクは鍵盤に触れるたびに「ワーン、ワーン」と地響きのように鳴り、右手のメロディーが加わると、さらに「ワーン」が加わって、何を弾いているのかさっぱりわからないのである。
頭痛を催しながらも半ばやけくそになって3コーラスを弾いた後、「やれやれこの不快感から解放される」と思ってピアノの椅子から立ち上がると、一段の拍手喝采を浴びた。
この人たちは、不快ではなかったのだろうか? と心配になりつつ、ものすごく不気味な体験だった。
太田忠の縦横無尽 2009.9.5
「ジャズピアノの調律?- そんなものはありません」
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