40歳にして自分の血液型を初めて知る
40歳から年に一度、人間ドックを必ず受診するようにしている。会社の規定で40歳からはほとんど自己負担なしに人間ドックを受けられるというありがたい制度のおかげである。今年も、6度目となる受診に出かけてきた。
人間ドックを受けるようになって、いろいろな発見があった。
一番の収穫が自分の血液型がA型Rh(+)であるということがわかったことだ。実は忘れもしない、小学2年生の時に血液型検査というのがあった。体育館に集合させられ、小型の注射器で一人一人の血液を少量抜き取り、検査するというものだったのだが、これが私にとって生涯忘れられないトラウマになろうとはその瞬間まで知る由もなかった。
今の血液検査は、小型の注射針を刺して(もちろんチクッとする)、血液を吸い取る側の容器が真空になっているため、自動的にゆっくりと血が抜かれる仕組みである。ところが、今から40年近くも昔の血液検査では、手動で注射器のピストンを吸い上げていくという原始的な方法しかなく、これを下手くそな人にやってもらうと飛び上がるほど痛い、というものだった。
そもそも私は血を見るのが苦手で、流血騒ぎの映画などはまず見ないのだが、子供の頃はそうしたものにものすごく過敏であり、理科の実験で「フナ」の解剖の時間、途中で気分が悪くなり保健室へ駆け込んだほどであった。
そして、とうとう私の順番がやってきた。私の前に並んで、すでに検査が終わった友達たちは大げさに「痛えー」とか言って脅かそうとしている。そして、私がいざ腕に注射針を刺され、女の看護師の人が血を抜き取ろうとした瞬間、目の前が真っ青になり、5秒くらいして真っ暗になり、気を失ってしまったのである。どうやら、ちゃんと静脈に注射針が入っておらず、そのまま吸い上げられたため、一種のショック状態になったのだ。気がついた時は、体育館の隅で青いスポンジマットの上に寝かされて、汗をびっしょりかいてうなされている自分がいた。
「太田君、もう一度やってみる?」と心配そうに見ていた隣のクラスの先生が言った。冗談じゃない、こんなに恐ろしいことは一生ごめんだ、と私は血液検査を拒否。その後、一度も自分の血液型を知ることがなく、30年以上も経過した。自分の血液型を知らないことが、自分の羞恥心の一部であり続けた。
40歳以前は、会社の健康診断といっても、血液検査がなかったために、昔の恐怖を味わうことなく済んできたが、人間ドックでは血液検査があり、血を抜き取られることをその当日になった初めて知った。「しまった!」と思ったのと同時に昔の恐怖が蘇ってきた。だが、仕方がない、覚悟を決めて受けるしかない。腹をくくった。
「血液検査で倒れたことがあります」と深刻な顔をしながら先手を打って、担当の看護師の人に言うと、「では、横になってください。安静状態でやりますから」という非常にありがたい言葉。これなら気絶しても、すでにそのまま横になっているから、小学2年生の時よりは恵まれているなと自分に言い聞かせながら横になった。そして、注射針を打たれて、血が抜けていく瞬間、もちろん極度に緊張したが、全く何ともなかったのである!
ものすごく拍子抜けしたと同時に、30年以上にわたるトラウマは何だったのか、と思わずにはいられなかった。
そのような体験は、皆さんにはないですか?
太田忠の縦横無尽 2009.8.5
「40歳にして自分の血液型を初めて知る」