ふとした時に何度も
思い出す記憶や光景。
それらはきっと私に何かを
教えてくれているのだと、
前回の記事を書いて思いました。
この話もそうなのかもしれません。
*以前書いた記事を加筆修正してお届けします
・・・・・
もう、はるか彼方の昔。
小学校おそらく、2年か3年くらいの私。
自宅にあるピアノの前。
私はそこで何をしていたか。
ポツンとひとり、ちいさな体で
ピアノの「椅子」を持ち上げて
ゆっくりひっくり返して
そろーりと床に倒しているのです。
へえ?って感じですよね。
思いっきり、椅子をバーンって
倒しているわけではないのです。
ゆっくりと…
椅子が傷つかないように、
音がしないように。
誰にも気づかれないように。
…わたしも傷つかないように。
こんにちは。
対話空間「旅するコーチング」へようこそ!
「がんばっている自分を労えない」
「自分に自信がない」
「他人に合わせてしまう」
「職場の人間関係がしんどい」
そんな悩みをコーチとの対話で解決し
自分の人生を大切に生きていきませんか?
ライフコーチの
小国里恵(おぐにりえ)です。
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そのとき、私は何かにとても
腹が立っていたのです。
(いまとなっては何に対してかは思い出せない)
そうです。
椅子をひっくり返す前に、
私はすでに一人で、何かに対して
すごく「怒っていた」。
おそらく、すでに、怒りを何らかの形で、
あらわしていたのだと思います。
泣くなり、叫ぶなり、なんかを叩くなり。
ひとりで…
それで終了した。一旦は。
でも、そんな自分の気持ちを
親に知ってほしかったから、
「ひっくり返っているピアノの椅子」を
まるで舞台のように再現し、
「こんなに怒っていた自分」を
アピールしたかったんだと思います。
なーんか…。
あほみたいな…かわいそうなような
涙ぐましいような…
ギュッと抱きしめてあげたいような…
何してんの?って言いたいような…
そんな光景。
どれだけの時間そうやっていたのか。
そして実は、もう一つ覚えている
光景があるのです。それは
ひっくり返した椅子を
「ひとりで元に戻している」
自分の姿。
でも、それはいつ、元に戻したのかどうか、
覚えていない。
だから、結局
「ひっくり返った椅子」を
親が見たのかどうかはわかりません。
あきらめて、親が見る前に
自分で戻したような気がします。
(気がするだけです)
なんでそんなことを
今でも覚えているのでしょうかね。
そしてなぜ、いまも「ふと」思い出すのか…。
わかってほしかったことが
いまだにあるのか。
「本当は寂しかった」
「本当は悲しかった」
怒りの向こう側にある本当の気持ち。
そうなんやな。
寂しいんやな、ほんとはな。
悲しいんやな、誰にも言わへんけど。
やっぱり、
あほみたいな
かわいそうなような
涙ぐましいような
ギュッと抱きしめてあげたいような
何してんの?って言いたいような
その頃の自分に会えるのであれば
ちいさなアタマを思いっきり
なでなでーってして
髪の毛クチャクチャーってして
もうー、ほんまに知らんわー
もうーって
この感じわかります?
とりあえず抱きしめてあげる。
幼き自分もそれなりに
いろんなことを考えながら
いろんな人のことを思いながら
生きていたのですね。
コーチングでは
そんな過去の自分にも
そっと声をかけてあげたりします。
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