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ふるさと桜づつみ回廊

 兵庫県は平成3年度から12年度にかけて、瀬戸内海から日本海を結ぶ延長約170kmの河川沿い(武庫川~篠山川~加古川上流~丸山川)を約5万本の桜でつなぐ「ふるさと桜づつみ回廊を整備した。

 それから10年以上経ち、見事な桜並木が各所で見られるようになった。今日は三田市の「郷の音ホール」付近から「三田大橋」の少し新三田寄りまで武庫川の沿いに歩いてみたが満開の桜並木が延々と続く景色は感動的であった。


暇老身辺雑記-三田市桜づつみ回廊

映画「インドシナ」

 1992年制作のフランス映画で主演はカトリーヌ・ドヌーヴ。

 仏領インドシナ(現在のベトナム)のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)近郊でゴム園を経営するフランス人女性は豊かな生活を送っている。しかし、苛烈な植民地支配を脱しようする独立運動が拡大するにつれ、厳しい環境にさらされるようになり、南北ベトナムの独立とともに資産のすべてを失う。その彼女の半生をメロドラマ調に描いている。

 先月訪れたハロン湾やタムコックの幻想的な風景がしばしば映し出され、大いに懐かしさを感じた。

 159分の大作だが終始退屈することなく、興味深く観ることが出来た。

夙川舞桜

暇老身辺雑記-夙川舞桜 暇老身辺雑記-夙川舞桜

 夙川周辺に植栽されている多くのサクラの中から、自然交配により生まれたもので、平成11年に確認された品種である。花弁は8~12枚の半八重~八重咲き、花色は初め淡紅色でのち白色に変化する。若芽は赤茶色で、花と同時に歯が開くヤマザクラ系。夙川の羽衣橋南側に静かに植わっているが見物する人は少ない。

 ソメイヨシノよりも開花時期が早く、昨日(10日)の時点ですでに落花盛んであった。

夙川の花見2012

 今日、苦楽園口から夙川まで川沿いに歩いてみた。桜はほぼ満開で、かなりの人出で賑わっていたが例年のような浮いた気分にはならない。今年から露店の営業が禁止されたため、例年軒を連ねる出店が皆無となった。そのため、遊歩道はマイペースで歩ける位に広くなり、静かにお花見が出来るようにはなった。しかし、例年感じていたお祭り気分はケシトンデしまって、シャッター商店街を歩く時のような寒々とした心持の花見となってしまった。客引きの大声、派手な看板や幟、いか焼きやおでんのにおいなどが花見気分を大いに盛り上げていた事に気付いた次第だ。

東川篤哉著「謎解きはディナーのあとで」小学館刊

 帯に記された「2011年本屋大賞第1位!!」と言う文字に惹かれて、読んでみた。255ページのさほど厚くない中に、6篇もの殺人をテーマとする短編推理小説が入っている。

 軽やかな文章で読み易い。「殺人」と言う凶悪犯罪を、日常どこにでも起こる何でもない事件のように軽々に扱っている。登場人物も軽く、使命感も職業意識も乏しいような女性刑事を、執事と言う珍しい職業に就いている毒舌家が探偵役として助ける。この執事の推理力は実に素晴らしく、女性刑事の現場検証の模様を聞くだけでアッと言う間に犯人を見つけ出す。この見事さがこの小説の魅力となっている。

宝塚の桜が咲き始めた。

 気象庁の予報では台風並みの風が吹くとされていた中、宝塚市内の

桜の様子を見て回った。おおむね咲き始めの状況であったが、夕刊の桜情報では宝塚は未だ「つぼみ」となっていた。

 私の予想では今週末には全開となりそうだ。恐らく夙川や芦屋川もその頃大勢の人で賑わうに違いない。

今年から川沿いの道での出店が禁止される筈なので、例年と違って夙川の花見がどんな状況になるのか楽しみいしている。

ハノイとその郊外-エピローグ

 出発前には、ハノイに7泊もしたら退屈するのではないかと思っていた。しかし実際には密度の濃い日々が続いた。

 首都ハノイに滞在して、ベトナムはまさに発展の途上だと強く感じた。郊外で何か所か見掛けた工業団地もまだまだ空き地が一杯であったし、道路も今後さらに整備せねばロジスティックスの面から進出をためらう企業もあるに違いない。港湾設備、流通用倉庫、鉄道網、工業用水、発・給電設備等、他にも整備すべきものはいろいろあろう。しかし、何年かすれば、ベトナムは世界の生産基地として他国を凌ぐ存在になっているような気がする。その理由は、ベトナム人が優れた頭脳、手先の器用さ、粘り強さを備えているからである。もといた会社にベトナムからの研修生が4人来ていると聞いたが、その評判は上々であった。なにしろ、フランスの植民地支配から独立を闘い取り、世界最強と目された米軍を打ち破った国民である。しかも平均年齢は若くて勤労意欲に富む。しかし、意外な問題点もある。ベトナム航空の機内誌の記事にあったが、大きな工業団地が出来ると労働力の確保が難しくなるらしい。と言うのは農業(水稲は南部で3毛作、北部でも2毛作)で十分生計を立てられるので、離農して工場勤務しようとする人が少ないのだそうだ。

 一昨年訪れたホーチミン市と同様に、ハノイも市街地の道路事情は良くない。交通信号は非常に少なく、横断歩道は方々にあるが、単車の流れが止まる事はない。横断歩道を渡る際にはエイヤッと決断して車道に足を下ろす。すると単車が流れを変えるので、ゆっくりと一定の速度で小幅に歩を進める。急に立ち止まったり、屈んだり、バックしたりすると危ない。各単車が歩行者の動きを予測して走っているから、不規則な動作には対応出来ないのである。歩道もスムースには歩けない。多くの面積が単車の置き場として使われ、理髪師、靴磨き、宝くじ売りなどが歩道で営業している。また、小さな飲食店の前には日本の銭湯のような椅子が置かれて、食事の場所になっている所も多い。それらを縫うようにして歩かねばならないのである。

 難点もあるが、食事は美味しくレストラン、ホテル、タクシーなどの料金は日本に比べてはるかに安いし、街全体が活気に満ちている。社会主義国と言う堅苦しさは全く感じさせない。私にとってベトナムは再訪したい国の一つであり、次回には、ベトナム中部の古都フエやホイアンに行ってみたい気がしている。

ハノイとその周辺-郊外の村訪問(その2)


暇老身辺雑記-昼食のご馳走 昼食のご馳走




 散策からお宅に帰って暫くして、昼食をご馳走になった。先ず、食前酒として焼酎にリンゴを漬けて半年間寝かせたと言う香りの高いリキュールを頂く。次いで豆のスープ、大きな魚の丸揚げ、豆腐料理、野菜の煮物、ポテトフライ、野菜サラダなどが供される。帰宅後ハインさんの姿が見えないと思っていたら、これらはハインさんの手料理との事だった。食事にはハインさんのお祖母さん、お父さん、兄さん及びハインさんが同席された。

 ご飯には、塩味の効いた揚げピーナッツを混ぜて食べた。当地の習慣らしいが、香ばしくて美味しい。魚の名前は分からなかったが、白身でスズキのような味がした。

 食事の後、ミルクの実と言う名の果実をご馳走になった。外皮が緑色で伊予柑のような大きさと形をしていて柑橘類のように見える。これを上下二つに切ってカップのように手に持ち、スプーンで白い果肉を掬って食べる。果肉は熟柿に似て柔らかく、練乳を薄めたような甘い味がする。中心部には柿に似た種が数個入っている。こんな珍しい果実を食べるのは生まれて初めてであった。日本に輸入されていないのは、日持ちに難があるためだろうか。あるいは、見た目よりも皮が薄いので輸送が難しいのかも知れない。

 この村にも近くマンションが建つそうだ。ハノイには郊外に次々と工業団地が建設され発展を続けている。そのインフラ整備のため、住居建設や道路整備が急ピッチに進められているのだろう。子供の頃の自宅の周辺にも似た緑一杯の静かな村も、変貌の時期を迎えているようだった。


ハノイとその周辺-郊外の村訪問(その1)


暇老身辺雑記-村を流れる小川 村を流れる小川

暇老身辺雑記-村の入口の門 村の入口の門


 帰国のする日には正午までにホテルをチェックアウトする事になっているが、飛行機の出発時刻は深夜の零時半で、その間の時間潰しを考えねばならなかった。ところが見るべきものは見終ってしまっていて、アイデアが浮かばない。前日に、ハインさんに何か提案がないか問いかけてみた。ハインさんと言うのはハロン湾クルージング、バッチャン陶芸村及びタムコックを案内して貰った若い独身女性のガイドさんである。ハインさんからは、『明日は私の仕事の予定が入っていないので、私の家に招待したいと思いますが如何でしょう。ホテルからタクシーで40分位です。田舎の村を見るのも面白いかも知れません。』との思い掛けない提案。有難くご厚意に甘える事にした。

 当日10時にチェックアウトを済ませ、ハインさんと共にタクシーで出発した。中心街から西に向かって走り、ほぼ40分でハインさんの住む村に着いた。一帯は田園地帯でその中心部に村落がある。その日は週に一度の市場が開催される日だとの事で先ずその場所に案内して貰う。いろんな露店が並んでいる。野菜、果物、菓子、魚介類、竹細工、金物、衣類、鶏、アヒル、雑貨等々日常生活に要りそうなものは網羅されている。ペット用の猫や犬まで売られていた。  その後、ハインさんの家に案内して貰う。先ず、最近まで住んでいた旧宅を拝見した後、最近建築された現在の住まいに案内された。4階建ての鉄筋コンクリートの立派な邸宅である。床はタイル張りで天井が高く、夏向きの家と言う印象であった。お宅に荷物を置いて周辺を案内して貰った。お宅の前の土の道に沿って小川が流れ、その向こうは一面の田んぼと畑。小川では背中に電池を背負った青年が両手に持った電極棒を小川に差し入れて電撃ショックを与えて小魚を捕っている。久し振りに土の道を踏みしめながら暫く歩くと門に宝福寺と記されたお寺に着く。外見は古寺だが中に入ると綺麗な仏像が何体も安置され、果物や花が沢山供えられている。昔は村の大事な相談事は寺の境内で行われたそうだ。壁に「南無阿弥陀仏」の名号が掲げられていたのでハインさんにベトナム語で読んで貰うと、「ナモアミダファッ」と聞こえ、日本語とそれほど変わらないのに驚いた。なお、寺には小さな教室のような場所があり、村の身寄りのない子供を預かって教育しながら育てているとの事だった。社会保障制度が未だ未整備のベトナムでは、寺が保護施設の機能を果たしているのかも知れないと感じた。


ハノイとその周辺-バッチャン陶芸村


暇老身辺雑記-バッチャン村 バッチャン村のメインストリート


 ハノイ中心部から車で約40分の所にあり、そう大きくもない村だがベトナム全土で使用される陶器の大部分を産出し、外国にも輸出している。かつては日本に輸入されたバッチャン焼が安南焼と呼ばれて茶人に愛好されていたそうだ。

 15世紀頃から陶器作りが始まったらしく、大小約100軒の工房が道の両側に並んでいる。また陶器を販売する店も多い。二つの工房を見学したがその一つでは、日本で中華料理店によく置かれている背の高い飾り壺を製作していた。下絵もなしに勢いよく筆を動かして絵付けしている姿に、熟練の技を感じさせるものがあった。もう一つの工房では雌型に適量の陶土を投げ込み、上から雄型を簡単な装置で押し込み湯呑みを成形する作業を行っていた。

 かつては薪窯で焼成していたが、現在は殆どの工房がガス窯を使っているとの事であった。