旧岩崎邸庭園は、東京都台東区池之端にあり、地下鉄千代田線の湯島駅から徒歩約3分で行けます。

 2023年10月3日に行きました。

 旧岩崎邸庭園は1896年に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。

 往時は約1万5000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいました。

 現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟です。

 木造2階建・地下室付きの洋館は、近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。

 館内の随所に見事な装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせています。

 別棟として建つ撞球室(ビリヤード場)は当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の木造建築で、洋館から地下道でつながっています。

 洋館と結合された書院造りの和館は当時の名棟梁大河喜十郎の手によるものと言われています。

 1961年に洋館と撞球室が重要文化財に指定され、1969年に和館大広間は洋館東脇にある袖塀とともに、1999年に煉瓦塀を含めた敷地全体と実測図がそれぞれ重要文化財に指定されました。

 都立文化財9庭園の最後に行ったのが、この旧岩崎邸庭園でした。

 正門から馬車道を通り、洋館が見えてきたところで、写真を撮ろうとすると、玄関にいた案内の方が、そっと柱の陰に隠れてくれました。おかげで、無人の写真を撮ることができました。

 洋館の中に入って1階と2階、そして和館の各部屋を見て回ることができました。

 やはり、庶民の家とは次元が異なりますね。さすがに、地下通路は非公開でした。

 撞球室は、中には入れず、扉の外からのみ中を見ることが出来ました。

 大名庭園を一部踏襲する広大な庭は、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残していました。

 

 せっかく湯島に行ったので、すぐ近くの湯島天満宮にも立ち寄っておまいりし、御朱印を頂いてきました。

 和装の結婚式衣装を着たお二人が、写真撮影していました。

 湯島天満宮は東京都文京区湯島にあり、地下鉄千代田線の湯島駅から徒歩約3分で行けます。

 古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れますが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せているそうです。

 通称は湯島天神とよばれています。境内の梅園も有名です。

 境内には表からではなく、夫婦坂の方から入ってしまいましたが、表鳥居は銅製で、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製作も優秀なもので、1970年に東京都指定有形文化財に指定されました。

 天神信仰の中でも、牛は天満宮において祭神の使者とされ臥牛の像が決まって置かれています。

 湯島天満宮境内にも牛像があり、「撫で牛」として撫でている方が多くいらっしゃいました。

 とりあえず、私も「頭が良くなりますように」「鼻が良くなりますように」と願って、牛の頭と鼻を撫でてきました。

 撫でやすいのか、頭の部分が一番、撫でられていました。

 余裕をもって、軽い気持ちでお願い事をする方が良いですね。

 

 余裕をもってしがみつかないで幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年4月27日の生活記録」

 


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私の著書「だから私には友だちがいない」が発売中です。

 

 

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 清澄庭園は、東京都江東区清澄にあり、地下鉄の清澄白河駅から徒歩約3分の、どこを切り取っても絵になる日本庭園です。

 1979年に東京都の名勝に指定されています。

 この地の一部は江戸時代の豪商・紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。

 1878年、岩崎弥太郎氏が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、1880年に「深川親睦園」として 一応の竣工をみました。

 弥太郎氏の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する築山や枯山水を主体とした「回遊式林泉庭園」が完成しました。

 6月には花菖蒲が見頃となります。

 清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。

 岩崎家では、こうした庭園の持つ防災機能を重視し、翌1924年破損の少なかった東側半分の現庭園部分を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して1932年に公開しました。

 また、1977年には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園の清澄公園として追加開園しました。

 ここには芝生広場、パーゴラなどがあります。また、サクラの木が20本ほど植えられ、春のお花見の場となっています。

 大泉水と呼ばれる三つの中島を配した広い池は、庭園の要です。

 昔は隅田川から水を引いていましたが、現在は雨水でまかなっています。

 池の端に石を飛び飛びに置いて、そこを歩けるようにした磯渡りから、広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景観が変化するように配慮されています。

 伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石など、庭園に置かれた多くの庭石のうち代表的なものです。

 このほか敷石や橋、前述の磯渡りの石を含め、園内には無数の石が配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。

 これらの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものです。

 この庭園で最も高く大きな築山が富士山です。

 関東大震災以前はこの築山の山頂近くには樹木を植えず、サツキ・ツツジの灌木類を数列横に配して、富士山にたなびく雲を表現したものだと言われています。

 池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物が涼亭です。これが、この庭園を日本情緒豊かなものにしています。

 震災と戦火の被害からまぬがれ今日に至りましたが、1985年度に全面改築工事を行いました。

 2005年には「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。

 また、「古池や かはづ飛び込む 水の音」。松尾芭蕉の最も有名なこの句を刻んだ石碑が、園内に立てられています。

 

 清澄白河は、2000年の都営地下鉄の開業以来、都内でも屈指のカフェ激戦区とも言われています。

 ブルーボトルコーヒーの日本1号店をはじめ、個性豊かなカフェでお茶や食事を楽しめるということでしたが、普通のカフェでホッと一息、お茶しました。

 

 ホッと一息、小休憩して幸せ

 

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 向島百花園は、東京都墨田区東向島にあり、東武伊勢崎線の東向島駅より徒歩約8分でいけます。

 2023年5月5日に行きました。開園当初は360本のウメが主体で、ハギ、春の七草、秋の七草、セツブンソウ、カタクリなど約230種の植物が植えられています。

 「百花園」の名称は、一説では、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものだそうです。

 江戸の町人文化が花開いた1804~1830年に造られた庭園で、庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢氏だそうです。

 交遊のあった人々の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。

 1938年に当時の東京市に寄付され、1978年に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。

 見どころは、「ハギのトンネル」で、ハギを竹の柵にそわせて植え、トンネル状にした園路で、百花園の名物です。

 9月には全長約30mにわたって花のトンネルになります。

 様々な花の棚も魅力です。フジは、5月上旬頃棚全体に花房が下がり見頃を迎えます。

 また園内には他ではみられないミツバアケビ、クズの棚があります。

 ヒョウタン、ヘチマ、ヘビウリ等は棚で栽培する一年生つる草で、7月頃開花し8月から9月にかけて、結実して棚から下がります。

 その他、自然の沼地の池の一画にはハナショウブ、アヤメ等があり、色とりどりの花を咲かせます。

 また、夏にはハンゲショウなどが楽しめます。庭造りに力を合わせた文人墨客たちの足跡などもたくさんあり、芭蕉の句碑を含め、合計29の句碑、石柱が随所に立っています。

 私が行った時、園内を散策していると、突然見通しの良いところで、池の先に「東京スカイツリー」が現れる絶好の写真スポットに出くわしました。比較的小さな庭園ですが、一見の価値はあったと思います。

 

 せっかく、向島まで行ったので、東武伊勢崎線で浅草駅まで行って、浅草寺に立ち寄ってきました。

 浅草寺は、東京都台東区浅草にあり、銀座線・東武伊勢崎線・つくばエクスプレスの浅草駅から徒歩約5分で行けます。

 年間延べ約3000万人もの人びとが参拝に訪れ、1400年近い歴史をもつ観音霊場です。

 向島百花園は、あまり人がいませんでしたが、こちらは、有名な雷門から仲見世通り、境内とその周辺と、多くの外国人観光客を含め凄い人でしたね。

 おまいりして、御朱印を頂くのにも、20分くらいかかりました。

 浅草寺の隣には、日本で最初に開園した「遊園地の浅草花やしき」がありますが、いつも外から見るだけで、入ったことはありません。

 レトロな雰囲気で、一度は行ってみたいと思っています。

 また、浅草寺の周辺には、有名な食事処もたくさんあります。

 かなり前に浅草寺に来た時に、老舗天ぷら店の「大黒屋」に入ったことはありますが、何処も混んでいるので、ラーメン店に、入ってしまいました。

 老舗の有名店には入れませんでしたが、何処にでもあるラーメン店でも、味は、満足でした。

 

 欲をかかず背伸びをしないで幸せ

 

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 殿ヶ谷戸庭園は、東京都国分寺市にあり、JR国分寺駅から徒歩約2分で行ける段丘の崖にできた谷を利用した回遊式林泉庭園です。

 1913~1915年に、後の満鉄副総裁となる江口定條の別荘として建てられ、1929年に三菱財閥の岩崎家の別邸となり、本館、茶室の紅葉亭が整備されました。

 2011年に国の文化財として指定されました。

 名称は、この地が「国分寺村殿ヶ谷戸」という地名であったことに由来しているそうです。

 私が行ったのは、2023年4月28日でしたが、駅からすぐ近くなのに驚きました。

 それ程広くはありませんが、数寄屋風の茶室に腰を下ろし、崖下の湧水を利用した次郎弁天池を、ぼんやり眺めていると時間を忘れてしまいそうです。

 一回りしてみましたが、一番奥にある藤棚がちょうど見頃でした。

 また竹林もあり、タケノコがいくつか生えていました。

 崖上には明るい芝生地があり、その横のサービスセンターには、展示室があり、パネル展示を見ることができます。

 

 せっかく国分寺に行ったので、多喜窪通りを西国分寺方面に15分ほど歩いたところにある都立の武蔵国分寺公園にも行ってみました。

 武蔵国分寺公園は、旧国鉄の教育機関である「中央鉄道学園」が1987年に閉鎖された後、跡地が整備されて2002年に開園した公園です。

 蒸気機関車の動輪をモチーフとした記念碑がありました。

 面積は約10万8千平方メートルと大きな公園です。

 多喜窪通りを挟んで、2つの地区に分かれています。

 泉地区は、1周500mの円形広場を中心に、霧の噴水や武蔵の池などがあります。

 西元地区は、こもれび広場を中心に、野鳥の森、真姿の池、お鷹の道などがあります。

 こもれび広場には、幼稚園児や家族連れなどがいました。

 のんびりお散歩するには、良い公園ですね。

 近くに、武蔵国分寺跡資料館や、武蔵国分寺跡、国分寺緑地などもありましたが、そちらには、立ち寄りませんでした。

 

 武蔵国分寺公園の泉北西口からJR西国分寺駅まで、徒歩約7分という事でしたが、道が良く分からなかったので、スマホ・アプリの「グーグル・マップ」を見ながら、駅に向かいました。

 お昼は、何か美味しいものを食べたかったのですが、駅ビルの中のパスタ屋さんで、パスタセットを食べて帰ってきました。

 スマホ・アプリの「ぐるなび」などで、お店を探してもよかったのですが、目についたところで妥協してしまいました。

 今更ながらですが、このように、初めての所に行った時などは、スマホがあると便利ですね。

 待ち合わせであえない時などは、以前の携帯電話でも、連絡は取り合えますが、道に迷った時などは、紙の地図を持ち歩かなくても、スマホ・アプリが道案内してくれます。

 また何か調べたい時なども、スマホがあれば、何時でも何処でも何でも調べることができます。

 通信料などを気にしなければ、動画などを見て時間つぶしも出来ます。

 私自身は、まだまだ、スマホを使いこなしていませんが、その便利さは、十分感じています。

 

 新技術を生活に取り入れることで幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年4月24日の生活記録」

 

 

 小石川後楽園は、東京都文京区にあり、都営地下鉄大江戸線の飯田橋駅から徒歩約3分、JR総武線の飯田橋駅東口、東西線・有楽町線・南北線・丸の内線の後楽園駅から徒歩約8分のところにあります。

 私は、丸の内線の後楽園駅から歩いて行きました。

 1629年に、水戸徳川家の中屋敷に初代頼房が造園し、黄門様の二代光圀の代で完成させた日本庭園だそうです。

 国の特別史跡および特別名勝に指定されています。敷地は7万平方メートルを超え、琵琶湖を表現した池「大泉水」を中心とした回遊式築山泉水庭園で、梅やサクラやハナショウブなど季節の花木が植えられています。

 中国の名所の名前をもつ景観が点在し、中国趣味豊かであるのも特徴です。園の北側では、稲田を含むのどかな田園風景を鑑賞できます。

 中でも樹齢60年を超すシダレサクラが有名です。

 500本を超えるモミジが色ずく紅葉が見事で「紅葉まつり」も開催されています。

 水面に映ると満月のように見える円月橋も絵になります。

 ちなみに、小石川植物園とは別物です。

 私が行ったのは、サクラの季節でも、紅葉の季節でもなかったのですが、池の周りをのんびり時間を忘れて散歩するのは、とても気持ち良かったです。

 黄門様が完成させた公園ですが、黄門様と言えば、ドラマのイメージがありますね。

 小・中学校の頃、父が好きだったので、東野英治郎氏の黄門様を、毎週見ていました。

 一話完結の勧善懲悪物で、見ていてスカッとしたので、時代劇は好きではありませんでしたが、これだけは好きでした。

 その後、黄門様が二代目の西村晃氏、三代目の佐野浅夫氏、四代目の石坂浩二氏、五代目の里見浩太朗氏へと移り変わりましたが、その頃にはすっかり見なくなっていました。

 

 お隣には、東京ドームがあります。

 1988年の開業以来、野球はもちろんのこと、コンサートや展示会など年間を通して多種多様なビッグイベントが開催されています。

 東京ドームの前は、後楽園球場でしたが、1978年のキャンディーズの解散コンサートや、1981年のピンク・レディーの解散コンサートが当球場で行われのが懐かしいですね。

 東京ドームには、野球やコンサートで行ったことはありませんが、映画「パール・ハーバー」(2001年)の試写会で行ったことがあります。

 巨大スクリーンで、音響も悪くはなかったのですが、戦争映画としては設定・考証面で史実を無視した演出が多く、日本軍の描写も日本人としては見ていられずに、一緒に行った妻が途中退席したので、私も途中退席してしまいました。

 後日、レンタルDVDで改めて最後まで見ました。

 東京ドーム横には、東京ドームシティ アトラクションズがあります。

 昔は、「後楽園ゆうえんち」という名称でしたが、2003年に遊園地全体を入場無料化し、名称変更しました。

 6つのエリアに分かれた園内には、大観覧車の「ビッグ・オー」、130kmのスピードが迫力満点のジェットコースター「サンダードルフィン」、高さ13mから水中にダイブする「ワンダードロップ」、未来世紀TOKYOを3Dで走り抜ける「トウキョウパニッククルーズ」などがあります。

 

 自然を感じながらのんびり幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年4月23日の生活記録」

 

 

 六義園は、東京都文京区本駒込にあり、JR山手線・地下鉄南北線の駒込駅から徒歩約5分で行けます。

 徳川第5代将軍・徳川綱吉の時代に大老格として幕政を主導した柳沢吉保が、自身の下屋敷に造営した大名庭園で、回遊式築山泉水庭園が自慢で、ツツジとしだれ桜が特に有名です。

 造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていたそうです。

 明治時代に入り、三菱創設者の岩崎彌太郎氏の所有となった当園は、1938年に東京市に寄付されて一般公開されることになりました。

 1953年に国の特別名勝に指定されました。

 しだれ桜は、庭園の中心部に入るための内庭大門をくぐったところに植えられており、高さ約15m、横は約20mの見事な1本サクラが現れます。

 サクラと紅葉のシーズンにはライトアップも行われています。

 残念ながら満開時に見に行ったことはありませんが、枝ぶりを見ているだけでも、薄紅色の花を咲かせた様子が想像できます。

 つつじ茶屋は、岩崎氏の代に、つつじの古木材を用いて建てられたそうで、幸いにも戦災を免れ、現代にその希少な姿を伝えています。

 11月下旬には、紅葉したモミジに囲まれ、見事な景観となります。

 池の周りをのんびり散策するのも気持ちよいのです。

 行った時には、意識しませんでしたが、園内の88カ所には、日本や中国の名所、故事や和歌の歌枕などの名称がつけられているので、それらを巡って見るのも良いですね。

 

 駒込に行ったら、ちょっと歩きますが、駒込駅を挟んで反対側にある旧古河庭園も、立ち寄りたいところですね。

 園結びチケットという旧古河庭園・六義園共通入園引換券があり、それぞれで入園料を払うよりお得です。

 旧古河庭園は、東京都北区西ヶ原にあり、JR京浜東北線の上中里駅か地下鉄南北線の西ヶ原駅からそれぞれ徒歩約7分です。

 また、JR山手線の駒込駅から徒歩約12分でも行けます。

 武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。

 この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の邸宅でしたが、次男が古河家の養子になったのち、古河家の所有となりました。

 戦後、国へ所有権が移りましたが、地元の要望などを取り入れて、東京都が国から無償で借り受け、一般公開されたそうです。

 2006年に文化財保護法により国の名勝指定を受けました。

 行ったのが秋でしたので、小高い丘に建つ洋館を見上げるように斜面に咲いたバラ園と共に写すときれいな写真が撮れました。

 バラ園を含む西洋庭園も、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。

 日本庭園も、心字池を中心に枯滝・大滝・中島を配しており、秋の紅葉もおすすめです。

 のんびり庭園を巡る時間を積極的に作ることにより、リラックスできますね。

 

 リラックスする時間を作ることで幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年4月22日の生活記録」

 

 

 浜離宮恩賜庭園は東京都中央区にあり、地下鉄大江戸線汐留駅または築地市場駅から徒歩約7分か、JR新橋からも徒歩約12分で行けます。

 2023年4月25日に行った時は、新橋駅からビルの合間を歩いて行きました。

 江戸時代には、江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。

 歴代将軍によって幾度かの造園と改築工事が行われたそうです。

 明治維新ののちは皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変えました。

 1945年に東京都に下賜され、整備ののち翌年から「浜離宮恩賜公園」として公開されました。

 海水を引き入れ、潮の満ち引きを利用して池の趣きを変える様式の庭園で、池の中島には「中島の御茶屋」があり、お茶とお菓子をいただけます。

 ほかにも、「松の御茶屋」「燕の御茶屋」「鷹の御茶屋」なども復元され観ることができます。

 春には桜やボタンなど、秋にはコスモスや紅葉などが見頃を迎えます。

 行った時には、ボタン園も盛りは終わっており、数輪だけ咲いていました。

 大手門口の近くには、三百年松があり、太い枝が低く張り出し迫力がありました。

 

 浜離宮恩賜庭園の近くには、徒歩約15分のところに旧芝離宮恩賜庭園があります。

 2つの庭園に1回ずつ入園できるセット券があったので、これで入園しました。

 旧芝離宮恩賜庭園は、東京都港区にある江戸初期の大名庭園の一つで、江戸幕府の老中・大久保忠朝の屋敷に作られた回遊式庭園が始まりとなっていますが、その後、数氏を経て、1924年に、昭和天皇のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し一般公開されたそうです。

 JR浜松町駅から徒歩約1分の所にあります。

 規模は、浜離宮恩賜庭園の5分の1程度ですが、庭園の中央には「大泉水」と呼ばれる大きな池があり、池の中央には中島と浮島があります。

 池の周りをぐるっと歩くのが気持ち良いのですが、途中に大山と呼ばれる山があり、頂上から公園全体の眺めもきれいでした。

 出入口近くには藤棚もあり、行った時には、ちょうど咲いておりきれいでした。

 

 2つの庭園に行った後は、浜松町駅の反対側の大門駅近くの中華店でランチを食べました。

 平日でしたので、周辺のビジネスマンで混雑していましたが、安くて美味しかったです。

 お店を探している時に、浜松町駅隣の世界貿易センタービルディングが、無くなっていることに気が付きました。

 そうです、半世紀以上にわたり浜松町のシンボルとして親しまれてきたビルが解体されていたのです。

 爆破で一気に解体ではなく、徐々に解体され、だんだん低くなっていく様子をネットで見ました。

 仕事関係などで、何度か入ったことのあるビルでしたので、少し寂しかったです。

 亡くなった人や、壊されていく物に対して、感謝の気持ちを持ちたいですね。

 

 ヒトやモノに感謝して幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年4月21日の生活記録」

 

 

 あしかがフラワーパークは、栃木県足利市迫間町にあり、私はバスツアーで行きましたが、JR両毛線の富田駅から徒歩約10分のところにある有名な観光地です。

 世界一の美しさとも呼ばれている「大藤」が象徴的な存在ですが、四季それぞれの季節感を植物で感じてもらうことを目的に、花木を植えています。

 

 8つの花のステージを設けており、1月上旬~2月下旬の早春には、冬咲きボタン・ろう梅・寒紅梅、3月上旬~4月中旬の春の花祭りには、チューリップ・雪柳・桜、4月中旬~5月中旬のふじのはな物語には、藤・ツツジ・シャクナゲ、5月中旬~6月上旬のレインボーガーデンには、バラ・シャクナゲ・クレマチス、6月上旬~7月上旬のブルー&ホワイトガーデンには、花菖蒲・アジサイ、7月上旬~9月下旬の水辺に浮かぶ花の妖精たちには、スイレン、10月上旬~11月中旬のパープルガーデンには、アメジストセージ・秋バラ、10月中旬~2月中旬の光の花の庭には、イルミネーションなどが楽しめます。

 

 私が行ったのは、2018年5月1日でしたので、ちょうど、「大藤」を見ることができました。

 大藤4本と80mにおよぶ白藤のトンネルは栃木県天然記念物に指定されています。

 実はこの「大藤」、移植されたものだそうです。日本の女性樹木医第一号である塚本こなみ氏によって移植され、当時樹齢130年の大藤の移植は前例がなく全国から注目を集め、日本で初めての成功例となったそうです。

 藤棚は色々な公園や庭園にありますが、これほど大きな藤棚は、やはり一見の価値ありでみごとでした。

 

 都内の藤の名所としては、亀戸天神社があります。

 残念ながら、藤まつりの時期には行ったことがありませんが、近くの花王に仕事で行った際に、亀戸香取神社と亀戸天神社にも、おまいりし、御朱印を頂いてきたのでした。

 亀戸天神社は、東京都江東区亀戸にあり、JR総武線の亀戸駅・半蔵門線の錦糸町駅北口より徒歩約15分のところにあります。

 菅原道真公をお祀りする神社で、古くはご本社にあたる九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されていましたが、1873年より亀戸神社となり、1936年に現在の亀戸天神社となったそうです。

 約350年前の創建当時から植えられたと伝えられる藤の花ですが、安藤広重の浮世絵にも登場する都内随一の藤の名所で、梅や菊の名所としても有名です。

 心字池に架かる太鼓橋などの三つの橋は、それぞれ過去・現在・未来を表しているそうで、御神前に進む前に橋を渡ることで心身が清められるということです。

 本殿に向かって左側に牛の像があり、親しく触れることにより病を治し、知恵を授かるといわれています。

 私は、丑年の牡牛座生まれなので、牛にはなんとなく親しみを感じます。

 寺社仏閣に行くといつもきれいなので、ホッとします。

 神様をけがれから守り、参拝者に清らかな気持ちで参拝してほしいという思いが込められているのでしょうね。

 

 きれいに掃除されていて幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年4月20日の生活記録」

 

 

 群馬県立つつじが岡公園は館林市花山町にあり、東武伊勢崎線舘林駅よりバスでつつじが岡公園入口から徒歩約5分ですが、バスツアーで行きました。

 50余品種約1万本のツツジ植えられています。圧巻は樹齢800年を超えるヤマツツジの古木群です。

 2018年5月1日に行きましたので、ヤマツツジだけでなくキリシマツツジの古木群も見事でした。

 現在のつつじが岡公園あたりは、古代より野生のヤマツツジが群生する地で、室町時代の書物には既に「つつじが崎」の名で記載されているそうです。

 1994年には、館林市出身の女性宇宙飛行士向井千秋氏がスペースシャトル「コロンビア」に乗った際、当園から採取したツツジの種子を持って行きました。

 その種子から育てた「宇宙つつじ」はその後も順調に成長し、園内で毎年花を咲かせています。

 その他園内には花山日本庭園や大芝生広場、もみじの池、もみじの丘、梅林、水生植物池、つつじが岡ふれあいセンターなどがあります。

 つつじが岡ふれあいセンターには、つつじ映像学習館の世界初のつつじの4Dシアターがあり、風や振動、ミストなどの効果を感じながら満開のつつじの立体映像を見ることができます。

 城沼が隣接しており、約80万株もの花ハスが自生しており、夏の「花ハスまつり」には遊覧船も登場するそうです。

 

 つつじのお花見場所として、一番印象に残っているのは、このつつじが岡公園ですが、都内の根津神社のつつじ園にも行ったことがありますが、ここも見事でした。

 根津神社は、東京都文京区根津にあり、地下鉄千代田線の根津駅より徒歩約5分で行けます。

 ヤマトタケル尊が1900年近く前に創建したとされる古い神社で、東京十社の一社に数えられています。

 都内屈指のツツジの名所で、約2000坪のツツジ苑には、約50種類の約3000株のツツジがあるそうです。

 つつじと言えば、私の住む神奈川県川崎市の「市民の花」でもあります。

 そのため、4~5月には家の周りの道路脇など赤やピンクや白などのツツジで染まります。

 こうした日常的なツツジも良いのですが、つつじが岡公園や根津神社のつつじ園などのように、一カ所にいろいろな色のつつじが群生している姿も、迫力があってとてもきれいです。

 つつじの季節ではない時にも、根津神社には行ったことがありますが、千本鳥居や江戸時代五代将軍徳川綱吉が創建した権現造りの御社殿など多くの建造物もあり、神社としての魅力もありました。

 もちろん、おまいりのあとには、御朱印を頂いてきました。

 

 根津神社に行ったなら、文京区から台東区一帯の谷中・根津・千駄木周辺地区を散策をしたいところです。

 昔ながらの商店街の谷中銀座につながる階段の「夕やけだんだん」など有名でよくテレビに出てきますよね。

 谷中銀座商店街の近辺は「猫好きの聖地」とも呼ばれ、猫グッズを売る店や猫カフェなどが点在しています。

 猫好きな私としては、本物の猫に会えないか、わざと人通りの少ない路地を歩いたりしてみましたが、なかなか会えないですね。

 会えたとしても逃げてしまいます。でもめげずに、笑顔でお散歩していました。

 

 意識的に笑顔になることで幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年4月19日の生活記録」
 

 

 

 羊山公園は、埼玉県秩父市大宮にあり、秩父鉄道の御花畑駅より徒歩約20~30分のところにあります。

 行ったのはバスツアーでしたので、羊山公園内駐車場から、芝桜の丘まで、歩いて行きました。

 芝桜の植栽面積は、関東でも有数の規模を誇り、年により変動しますが10品種40万株以上の色とりどりの芝桜が植栽されています。

 羊山公園自体は、秩父の市街地を一望する高台に広がる緑地公園で、芝桜の丘以外にも羊と触れ合えるふれあい牧場や、秩父のシンボルである『武甲山』の資料館、アスレチック広場など、様々な施設があり、年代を問わず一日中楽しむことができます。

 残念ながら、バスツアーで、見学時間が限られていたため、芝桜の丘以外はまわりませんでしたが、2008年5月5日でしたので、芝桜は、ほぼ満開の様子を見ることが出来ました。

 観光客もすごい人数でした。関東の芝桜の名所としては、早くから紹介されていましたからね。

 

 芝桜の名所と言えば、富士山麓本栖湖畔に広がる富士本栖湖リゾートも有名ですね。

 こちらも、2009年4月30日の連休中にバスツアーで行きました。

 富士本栖湖リゾートは、富士急行線の河口湖駅より会場直通バスで行けます。

 雄大な富士山を背景に約80万株の芝桜が広がり、例年例年4月中旬から5月末ごろまで「富士芝桜まつり」が開催されています。

 残雪が美しい雄大な富士山と一面をピンク色に染める芝桜の競演が楽しめるほか、園内には芝桜を植栽された「ミニ富士山」も楽しめます。

 会場内ではご当地グルメが楽しめるイベントなども多数開催されています。行った時には、富士宮焼きそばを食べました。

 

 群馬県太田市にある八王子山公園の見晴らしの丘でも、「おおた芝桜まつり」で約30万株の芝桜が見れるバスツアーで行きましたが、ほとんど咲いていませんでした。

 以前にも、長野県伊那市高遠町の高遠城址公園の桜を見にバスツアーで行った時も、「天下第一のコヒガンザクラ」として知られる桜の名所ですが、一輪たりとも咲いていないという事がありました。

 早めにバスが到着したので、比較的待たずに駐車場に入れたので、そこまでは良かったのですが、とても残念な思いをしたことがあります。

 バスで、次の目的地に行く途中で、高遠城址公園の駐車場に入場待ちの観光バスが、何十台と続いているのを見ながら「せっかく行っても、全然咲いてないよ~」っと叫びたくなりました。

 こうしたタイミングの問題、個人で行く場合は、様子を見ながら行けるので良いのですが、バスツアーでお花見の場合、当たりはずれがあり難しいですよね。

 ミステリーツアーのお花見のように、事前に行先を教えないようなバスツアーの場合は、見頃の場所に急遽変更することも可能ですが、日程決めはご苦労されていると思います。

 紅葉のミステリーツアーにも行ったことがありますが、一応、紅葉は見ることが出来ました。

 こうしたお花見バスツアーのハズレのように、ついていないことは、生きていくうえで多々あります。

 その度に不機嫌になっても損ですよね。

 

 残念な現状も受け入れることで幸せ

 

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