清澄庭園は、東京都江東区清澄にあり、地下鉄の清澄白河駅から徒歩約3分の、どこを切り取っても絵になる日本庭園です。

 1979年に東京都の名勝に指定されています。

 この地の一部は江戸時代の豪商・紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。

 1878年、岩崎弥太郎氏が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、1880年に「深川親睦園」として 一応の竣工をみました。

 弥太郎氏の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する築山や枯山水を主体とした「回遊式林泉庭園」が完成しました。

 6月には花菖蒲が見頃となります。

 清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。

 岩崎家では、こうした庭園の持つ防災機能を重視し、翌1924年破損の少なかった東側半分の現庭園部分を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して1932年に公開しました。

 また、1977年には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園の清澄公園として追加開園しました。

 ここには芝生広場、パーゴラなどがあります。また、サクラの木が20本ほど植えられ、春のお花見の場となっています。

 大泉水と呼ばれる三つの中島を配した広い池は、庭園の要です。

 昔は隅田川から水を引いていましたが、現在は雨水でまかなっています。

 池の端に石を飛び飛びに置いて、そこを歩けるようにした磯渡りから、広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景観が変化するように配慮されています。

 伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石など、庭園に置かれた多くの庭石のうち代表的なものです。

 このほか敷石や橋、前述の磯渡りの石を含め、園内には無数の石が配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。

 これらの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものです。

 この庭園で最も高く大きな築山が富士山です。

 関東大震災以前はこの築山の山頂近くには樹木を植えず、サツキ・ツツジの灌木類を数列横に配して、富士山にたなびく雲を表現したものだと言われています。

 池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物が涼亭です。これが、この庭園を日本情緒豊かなものにしています。

 震災と戦火の被害からまぬがれ今日に至りましたが、1985年度に全面改築工事を行いました。

 2005年には「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。

 また、「古池や かはづ飛び込む 水の音」。松尾芭蕉の最も有名なこの句を刻んだ石碑が、園内に立てられています。

 

 清澄白河は、2000年の都営地下鉄の開業以来、都内でも屈指のカフェ激戦区とも言われています。

 ブルーボトルコーヒーの日本1号店をはじめ、個性豊かなカフェでお茶や食事を楽しめるということでしたが、普通のカフェでホッと一息、お茶しました。

 

 ホッと一息、小休憩して幸せ

 

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