22.05.03 津和野城[山陰の小京都を睥睨する城]その6 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

津和野城 レポ第6弾となります。

 

 

その5のレポ

 

 
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見所となる遺構 (土塁など)はブルー

名前のある場所 (本丸など)はパープル
現存建築物 (移築建築物含む)はピンク

再現建築物 (模擬建築物含む)はオレンジ
跡地 (櫓跡など)はグリーン

その他 (銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 本城縄張図

 

 

 中心部縄張図

 

 

 全体縄張図

 

 

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この画はどこなんだろう?

あの 三重櫓 台のどこかだろうか?

何となく、三の丸の北端にある、その5で撮りまくっていた、最上段の

櫓台の様な気がしますが…自信なしアセアセ

そんな疑問はさておき、野面積の石垣 に目がいってしまいます。

 

 疑問を解決させたのは下の画です。

 

 

 

場所は移動して、真下を見てみると、石垣の間が開口しています。

ここが 東門 跡になります。

その東門跡の左(西)に、最下段の 三重櫓 台へと登れる 雁木 

が見えます。

そしてさらに西には、二段目の 櫓台 もありますね。 

多分(あまり自信ないけど)、また間近で見た画が後々、登場すると

思いますが、ここは 連続枡形 になっています。

で、その連続枡形を登り切った場所が、上の画の部分になるのです

(やっと上の画のコメントが繋がった)。

 

 大手側の守りは固い。

 

 

 

角度を変えて、この連続枡形を見てみると、こちらの方が枡形スペースが

ハッキリ判りますし、それが高所から睨めている形になっています。

尚、遠くからだと判り難かったですが、一段目の三重櫓台は、金網に

覆われています。

かなり孕んだり、歪んだりしていますね。

 

 ただ、一段目の櫓からの脱出路は枡形スペースとは…。

 

 

 

場所は一気(という程でもないかも)に移動。

今度は、西門 跡に立ちました。

ここは標柱にもありますが、櫓門だった様ですね。

 

 緑がモリモリし過ぎているのが難点。

 

 

 

城外側から見ると、緑で暗くなってしまっていて、雰囲気があります。

足元には、瓦が散乱しています。

ただ、三の丸側(左)の 石垣 は崩れて積み直しがされているのか

落し積の様な積み方になってしまってます。

 

 瓦葺きの櫓門だった事が、瓦の散乱で判ります。

 

 

 

西門跡の南側の石垣の隅部は、これまた 算木積となっています。

 

 でも、モミジの主張が強すぎて、上部がよぉ~判らんガーン

 

 

 

北側の石垣は、三の丸の南面の石垣 へと続いています。

ただ、伐採されてはいますが、木が張り付いている非常に危うさを感じる

野面積の石垣 です。

 

 ここも、石垣より緑の主張が強すぎるガーン

 

 

 

またまた、西門跡を正面から(城外側ですが)狙います。

上から生い茂るモミジ意外にも、下草も生えているから、余計に緑が主役に

なってしまっていますが、この中のメインは、西門跡の石垣 です。

 

 モミジが入ってしまい、アングルにはかなり苦戦しました。

 

 

 

先程はスルーした足元の の残骸です。

非常に多くの瓦が散乱しています。

こんだけ多いのは初めて見た様な気がします。

しかし、他で見られないのがもう一つ。

赤い瓦が混ざっているのです。

もしかして、これは石州瓦なのかな?

ちなみに石州瓦は、後日訪れる、浜田城の天守に葺かれてた事が

始まりとされており、寒さに強い瓦です。

ただ当時の製法は、現在とは少々違うようです。

 

 散乱し過ぎですわ。

 

 

 

西門を潜ると、正面は 天守台 があります。

その5でも語りましたが、城の最高所にない天守台。

威容を誇っていた期間は短かったようですが、三重の天守がここに乗っていた

そうです。

ちなみに、天守台の石垣も基本 野面積 の様ですが、目の前に見える部分は

落し積の様な恰好をしています。

江戸期だけでも260年ですから、その間にも修復をしなければならない

状態になる事はあったでしょう。

逆に、築城当時から残っているのは、本当にスゴイ事だという事を

最近になって(やっと)実感しています。

 

 天守は落雷で焼失したとか。

 

 

 

隅部です。

またもや 算木積 を狙っていました。

この城では、もはや恒例行事と化しているので、詳しくは割愛です。

 

 詳しくなくても割愛です。

 

 

 

天守台から南へ廻りこんで行くと、腰曲輪 がありますが、勿論この曲輪も

石垣 で支えられています。

そしてここの石垣も 野面積

途中で 横矢 を掛けていますね。

 

 緑の主張がやや強いですが、石垣が主役ですよ。

 

 

 

この腰曲輪から、見上げる場所にあるのが、人質郭と三十間台です。

その中でも 人質郭の野面積の高石垣 は本当に迫力があります。

ちなみに、ここからこの画を撮るのには、もろ逆光だった事は鮮明に

覚えています。

 

 人質郭をこの角度から狙った画ってあまり見た事がありません。

 

 

 

腰曲輪を逆方向から狙います。

先程、掛かっていた横矢はこちらからだと、主張が弱いですな。

そして人質郭側の土の部分の最下部には、土留めの石垣 がついています。

で、その石垣の前には栗石の様な小さな石が散乱していました。

 

 順光なので、色がハッキリ出ています。

 

 

 

では、皆さんお待ちかね(ではないハズ)。

津和野城と言えばココと言えるような場所にやってきました。

先程は斜めからでしたが、人質郭の真正面です。

そして奥には三十間台。

 

 津和野城の案内でよく見る構図です。

 

 

 

ここで、光を相手に苦戦しながら、数枚、ほぼ同じアングルで

人質郭と三十間台を狙っていたので、宜しければ見て下さい。

 

 

 

 

 

 場所を微調整しながら撮ってみました。

 

 

 

今度は、西側に少しばかり移動して。

こう見ると、石垣が奥まで続いているので、三十間台は広そうに見えます。

 

 こちらからでも人質郭の高石垣の主張が強いですね。

 

 

 

この辺りから眼下に広がる城下を。

こちらは津和野の街外れとなっていて、田園が広がっています。

ただ狭い盆地の為、直ぐに傾斜地になっているので、棚田が広がっています。

また、赤い石州瓦が葺かれた民家も見えます。

 

 長閑ですなぁ~。

 

 

 

その6の最後は、主張が強かった人質郭の石垣の画で締め括ります。

と言っても、2枚あるんですが。

まずは、算木積 となっている隅部を。

ここの石は上部行くほど、小さい石を使用していますね。

算木積の石って、まぁまぁデカイ石を使っている多い印象があるので

ある意味特異な、算木積と言えるのではないでしょうか。

 

 下部の石もそこまでの大きさではありません。

 

 

 

最後は、人質郭の南面を全面撮りたかったですが、近すぎて、こんな画に。

ただ、その高さは実感できますね。

 

 ここの石垣も修復されている感じを受けますが、どうなんでしょう。

 

 

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その6はここまでにします。

次回、その7へと続きます。