ママちです。
今日は介護のお話はお休みです。
初めて訪問していただいた方へ
以前のブログ(2016年5月~9月)で
娘や母との葛藤中のありのままの気持ちを書いております。
「親子の葛藤」で悩んでいる方のヒントになるのでは、と
最後に紹介していますので宜しければお立ち寄り下さい。
これからは
自分の好きなこと、楽しいことを
やっていこう。
でも自分の好きなこと、楽しいこと。って
なんだろう?
どうやって見つけるんだろう?
今日はそんなお話です。
好きな事を仕事にしている方
趣味から起業された方
好きな音楽や芸でボランティアをされている方
う~ん、いいなあ。羨ましい。
私もこれからの人生で
好きなこと、楽しいことを
やっていきたいな。
でも、私の好きな事ってなんだろう?
映画鑑賞と読書とTVのスポーツ観戦
たまにする手芸やお菓子作りも好き。
細かい手作業も好きだなあ。
でも、これは
楽しんでは飽きての繰り返し。
う~ん、私の場合はこれは
なんか少し違う気がする。
じゃあ、まだやっていない新しい事に
好きな事や楽しい事があるのかな?
いろいろ挑戦してみようか。
う~ん、なんだか
好きを見つけるって、ちょっと大変。
そんな私をみて娘が
「ママちの求めている好きな事は
ママちの中にあると思うよ。
『なんだ、これだった。』
と思う、きっと当たり前のことだよ。」
「私の中にある当たり前のこと?
なんだろう??分かんない。」
「ママち。
きっといつか分かるよ。」
「 ・ ・ ・ ・ ・ 」
でも、
分からないまま時だけ過ぎていきました。
正月に帰省した娘が
「ママち、知ってる?
自己犠牲って素晴らしいんよ。」
「え~、何、何?
どういう事?
我慢はよくないって今は言われてるじゃない。
なんで自己犠牲はすばらしいの?」
「我慢する自己犠牲じゃないんだな~。」
娘と私の自己犠牲は少し違うようです。
私のは人の踏み台になり我慢を強いられる
イヤイヤの暗い自己犠牲。
娘のは自分から積極的に喜んで
自分を捧げる自己犠牲。
うん、違うな~。
「ママち。
奉仕には自己犠牲はつきもので
奉仕はすばらしいことで
大切なことなんよ。」
「え~!!
自己犠牲も奉仕もすばらしいの?
堂々と奉仕が好きって言ってもいいの?
偽善者じゃないの?」
「あはは、ママち~。
好きなら『好きって』って言っていいんよ。」
私は若い頃からお節介焼きで
いい人になるのが大好きで
いい人と思われるのが大好きで
でも、だんだんとそんな自分が嫌になり
自分の偽善な所が嫌いになり
いつも頭の中に
「おいおい、
またいい人になりたがっているよ。
偽善者だな~。」
と言う声が聞こえていました。
そして、気持ちと行動が鈍っていきました。
「なあんだ。
お節介が好き
奉仕が好きって言っていいんだ。」
「ママち。良かったね。
好きなものが見つかって。
これからは、ママちが出来る奉仕は何か?
それを見つければいいよ。」
あっ、そうなんだ。
奉仕でもいいんだ。
これからの人生でやる好きな事、楽しい事に
『奉仕』を入れていいんだ。
私は、勘違いをしていました。
好きな事とは、
世間一般で言われる楽しみだと思っていました。
私の気持ちが好きで楽しければ
奉仕でも何でもいいんですね。
私が好きなんだから
奉仕は
偽善でも何者でもなく
私の好きな事、楽しい事なんですね。
好きな事を見つけなきゃ、と思っている時は
とても苦しく焦っていました。
でも、奉仕が好きだから
私の出来る奉仕を見つけようと考える時は
とても楽しいです。
気が付くと
とてもシンプルで
娘が言ったとおり
外を探さなくても
私の中にありました。
「ママち。
『私は奉仕が好きです。』と
ちゃんと自分にカミングアウトして
これから、好きな事をしていけばいいよ。」
はい、カミングアウトします。
「私は奉仕が好きです。
私の出来る奉仕を見つけてやっていきます。」
なんだか、これからが楽しみです。
私は、今の私に出来る
小さな奉仕から始めることにしました。
重たい荷物を持っている人や
困っている人に声をかけたり、
気持ちの良い挨拶を心がけたり、
ゴミを見つけたら拾ったり。
この前までは心の声や人の目が気になり
出来ませんでした。
でも、そんなの関係ないと知り
ささやかな事でも
何か役に立つ事はないかと考えるのは
とても楽しいです。
これからは
もっと色々出来そうです。
自分の好きを探しているあなた。
もしかしたら、それは
あなたの身近にあるかも
もう、あなたの中にあるのかもしれませんよ。
あなたの好きに出会えますように。
今日も読んでいただいてありがとうございます。
あなたの心が平和でありますように。
あなたの心が幸せでありますように。