昨夜の話ですが、毎週通っている隣町の喫茶店での囲碁トーナメントで優勝することができました。
通常年に4回のトーナメントですが、新型コロナ騒動の煽りを受けて今回は半年ぶり。この喫茶店で頻回に碁を打つ仲間のうち上位8人のトーナメントで、決勝戦はY八段(前回の結果から今回は暫定九段)との五子局となりました。


五子局というのは四段の私が写真のように黒石を5個先に置かせてもらうハンデ有りの対局です。
白番のY八段とは練習の対局でいつも四子局(写真の中央にある黒石は置かない)で打たせていただいているので、勝てば優勝のこの五子局では何としても勝ちたいところ。決勝の相手が決まる前からY八段との五子局対策で珍しく囲碁の本で勉強していました。
藤沢秀行囲碁教室④『置碁上達法』(土屋書店1989年9月10日発行)の5子局の項をひたすら読みました。

以下、実戦より。
①3-14 ❷6-17 ③14-3 ❹10-4 ⑤17-14 ❻14-17 ⑦17-6
左下隅への小ゲイマガカリに小ゲイマにシマリ、
右上隅への小ゲイマガカリには(いつもならこちらも小ゲイマにシマルところですが)上辺星へとハサミ、
右下隅への小ゲイマガカリにこちらはいつもどおり小ゲイマにシマリ、
そして右上隅の星にある黒石を両方小ゲイマの低い両ガカリとなったところです。
これまで打ったことがありませんでしたが、いま勉強したての両ガカリ定石となり「相手の強い石のほうへツケよ」で、右辺に○17-14があったことから○17-6の白石にツケました。
❽16-6
両ガカリ定石なんて初めて試した手ですし、Y八段も私がそんな手を使うなんて思ってもみなかったでしょう。
序盤は我ながらウマく打ち進めましたが、囲もうとした白石に脱出されたりして終局までコウの半目を争う僅差のゲーム。なんとか10目程度余って逃げ切ることができました。

囲碁は圧倒的に先手の黒番が有利なゲームです。棋力が互角な場合は当然ハンデ戦の置き碁ではありませんし、陣地が同じ広さで終局した場合は白番の6目半勝ちというルールがあります。
つまり囲碁の1手には「6目半」の価値があると言っても良いのだと思いますが、そのまま考えれば五子局なんて最初から32目半のハンデをもらっての対局となるので圧倒的に黒番が有利。ですがそこは棋力の差があるので打ち進むにつれてだんだんと追い詰められてしまうワケで、置き碁とは言ってもそうそう高段者に勝てるようなものではありません。


今回のトーナメントで私は優勝できましたが、今後こちらが暫定五段となりY八段との対局は写真の三子局となります。
もちろんY八段以外の高段者との対局でもハンデで置かせてもらえる黒石の数が減りますし、私より段位の低い相手には黒石を多く置かせる碁となります。
しばらくここの喫茶店では勝てる気がしません…

まぁとりあえず、当面は1勝でもできれば御の字という日々が続きそうですw

5月21日、木曜日の夕方以降、家に帰ったらダルくてそのまんまベッドへ。ほどなくして熱感がありアイスノンと冷えピタ使用。鼻は詰まってくるわ、たまに咳も出るわ、こりゃ風邪でもひいたかと思いました。
いや待て、このご時世、新型コロナウイルスとかぢゃ洒落にならないぞ?

朝になるとクーリング効果ですっかり回復し、熱は下がり鼻詰まりも咳もおさまっていました。
でもさすが前の晩にそんな症状があったのにバスの運転なんてしてたら怒られるわけで、会社に電話し金曜日は休んで病院受診する方向になりました。


美幌町国民健康保険病院。現在新型コロナ対策で発熱外来は救急入口から入る決まりになっています。
思い起こされるのは昨年の1月17日、風邪かと思って津別病院受診から「血糖値が高いので日赤に行ってもらいます」と救急搬送され、上腸間膜静脈血栓症による小腸閉塞がみつかって1ヵ月半の長期入院があったのでさすがにドキドキしていました。


救急入口の玄関に入ると消毒液があり、まずは職員と電話してくださいとのこと。
職「来院前に電話しました?」
私「いいえしていません」
職「こっちから入るの知っていました?」
私「はい毎日のように玄関前にバス付けてますから」
職「どのような症状が?」
私「昨夜から発熱・鼻閉・咳嗽がありました」
職「鍵を開けるので待っていてください」
このような会話で数分待ち院内に入りました。


通常は会議室として使用されている部屋が発熱外来になっていました。扉の前で待機し最初に保険証を渡し名前と連絡先を記入、もう一度症状を説明しトイレで採尿し、それから部屋に入って診察①と表示されたスペースへ通されたような感じだったはず。
パーテーション、寝具に使うような白い布、ビニールシートで防護効果がしっかりしていそうですね。
体温・血圧・脈拍・血液の酸素濃度などを測定し、さらに採血。技師が移動式装置を運んできてレントゲン撮影して、医師が来るまではしばし待ちます。
(すでに症状がおさまっているからで、おそらく本当の急患状態だったらバタバタするのでしょうけど。)

採血のとき「看護師さん上手いね」とか、私も准看護師ですけど現場離れているのでいまはそんなできるかわかりませんなんて話してたら、男の看護師少ないし夜勤もできるなら准看護師だってウチに来てよって。
まだ研修運転手みたいなモンなので、病院のほうが即戦力として求めてくれるのならそれもアリなのかな…
昨年の入院時に初めて医療サイドではなく患者サイドから病院を見ましたが、確かに自力でトイレに行けない時に女の職員に介助してもらうのはだんだん恥ずかしくなってきたり、シャワー浴の許可が出たらそのうち自分でガシガシこすれないのは物足りなくなってくるんですよね。だから回復したいって思うんでしょうけど。

さて到着した医師から「新型コロナの症状では無いと思います」と伝えられたとき本当に安心しました。
考えたら新型コロナウイルス感染の可能性がある場合は家庭や通勤の環境だけでなく、会社で誰と接触があった、バスの中で誰と接触があった、終業後帰宅する前スーパーに寄ったときはどこどこのコーナーに立ち寄ったとか質問され、その人たちみんな濃厚接触者になるわけでしょ?

「血液検査の結果から細菌によると思われる炎症反応が出ています」と、他は特に問題なし。「1日1回の抗菌剤と発熱時の解熱剤を処方します」「インフルエンザのような感染の可能性も低いですので月曜日に正面玄関から入って内科を再診してください」と。
とりあえず何かはわからないけど細菌性の炎症。1年前の手術直後にはお腹から膿混じりの廃液がダクダク出ていたことを話したら、医師もその可能性はありますねということでした。
(余談ですが1年前、血栓を詰まらせるほど急に血糖値が上がり、それなのに退院時にはほぼ正常値に、数ヶ月後には症状が無いからと勝手に糖尿病薬を飲むこともやめたのに、現在ではいつも血液が正常値である疑問を今回の医師が解き明かしました。「一気に糖分の多い飲料を飲みまくったりしていませんでしたか?」って、そうか、糖尿病じゃなくてその時の生活習慣がダメダメだったのね…)

薬局で処方された薬を受け取ったら、うつす心配もほぼ無いとのことだったので栄養を付けるため喫茶店でカレーライス!
そう言えば問診の際「ダルくなりかけた昨晩からお腹も空かなかったので何も食べてません」と話したら、医師から「食欲が無いとき無理にとは言わないけれどしっかり食べて水分もしっかり摂ってください」と、薬局からまっすぐ帰ってもきっとレトルト物しか食べないし少し良くなるまではプロが作った料理で贅沢することにしました。
いちおう「細菌性の感染をした」と言うことで、うつらないかも知れないけどもしもがあっても困るので再診がある月曜日まではお休みに。ただでさえ自粛自粛で家にこもっていたのに仕事にも出られなくなってしまいました。

しっかり食べろと言われながら土曜日はカツ丼とうどん、日曜日は炒飯と味噌ラーメンを外食1回でまとめて食べるような感じ。あとはパンを買って帰ってもう1食くらいで過ごしました。
症状は徐々に回復傾向。そう言えば1年前の手術の後もあまりに早い回復力で驚かれていました。心電計に点滴や廃液のバックやらたくさんぶらさげながら自力でトイレに行きたいとか、シャワー浴始まったら自力でできるからいいよとか、こりゃもう性格ですね。リハビリ始まったら筋トレできないのかとか馬鹿じゃないかと思われたかも。結局退院翌日から仕事に復帰した常識の通じない馬鹿ですケドw


それで本日、はれて正面玄関から入っての再診。普通に受付をして、採血採尿をして、腹部のCT撮影がありました。さて医師の診断は何なのでしょう?
「炎症反応はかなりおさまっています」「ここを切ったと思われる小腸も、肝臓も胆嚢も膵臓もどこも悪くないようですね」、へ?
「尿中に結石のような成分がありましたが腎臓にも膀胱にも何も写っていません」、そうなんですか?
「とりあえず何の炎症なのかわかりませんが抗菌剤が効いているようなのであと5日飲んで症状悪化しなかったら再診の必要はありませんよ」、はい。

結局は何もわからずじまい。ただ処方された薬はガッツリ効いている様子。発熱外来使ったからなのか、CT撮影したからなのか、結果はわからずじまいだけど2日分の受診料計1万円超えっていうのがビックリポン!
まぁ何にせよ、1年前に死にそうになっていたのがまだ生きているだけで奇跡みたいなモンですし、そのときからの炎症が再発したのだとしても治れば結果良し!

火曜日からは久しぶりに出勤できるし、買物してからまた喫茶店でカレーライス食べて、夕方家に帰ってきたのが5月25日のお話でした。
(長文失礼w)
1
また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
3
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
4
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
5
すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
6
また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
7
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
8
しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

私の家は築50年くらいになる農家の空き家を買ったものですが、いつ植えられたのかもわからない、たぶんサクランボの一種だと思われる木にも白い花が咲いています。

きっと肥料をあげたり他のサクランボの木と交配を試したり、実がついたら虫除けしたりもすれば食べれるように育つのかも知れませんけど、そこまでする気もなく収穫を楽しむとなれば老後の楽しみにでもしたいと思っています。

たぶんというのは果樹園農家でもないのでよくわからないわけですが、もしかして完全に葉っぱが先ですけどこれもサクラだったりして…
新型コロナウイルス騒動で例年以上に人出がまばらな津別ですが、それでもやっと遅い春を迎えたゴールデンウィーク明けの昨日5月11日(月)、仕事の合間に町中心部のやや南にある21世紀の森まで花を探しに行ってきました。


まずはキャンプ場入口あたりにちょこっと見られる青い花、エゾエンゴサクっていうのかな。高山植物なのかもわかりませんが津別では平地でもこのように咲いています。町内には何ヶ所かあるようですが大きな群生になると青い絨毯のようになるみたいですね。


続いては野球場より少し坂道を登った先にミズバショウが咲いています。ちょっと残念なのは人工的な砂防ダムの中でのみ見られることですが、簡単に移植できる植物ではないらしいので元々ただの沢だった頃からここにあったものなのでしょうか。


今年は春の選抜も中止になりましたし、もしかしたら夏の全国高校野球選手権もなくなるかも知れません。いまだプロ野球も開幕するのかわからない状況の中、サクラ満開になるこの野球場の芝は来たるべき活躍の時のために整備されていました。


野球場の南側斜面にあるパークゴルフ場には津別町のシンボル【双子の桜】があります。パッと見た目には1本の大きなサクラに見えますが、近寄ると2本の木が寄り添うように立っているのがわかります。町内でいちばん手がかけられているサクラですね。


最後にその双子の桜から木材工芸館キノスへと下った坂道の脇に植えられたシベリアザクラ。まだまだ多くがつぼみのままでこれから開花を迎えるようですね。外来種だと言われていますがオホーツク南部では多くの家で育てられています。

仕事が終わってから東の空に浮かんでいた月はまんまるで、これでもかってくらいの大きさでした。

いま調べてみるとやはり満月。5月の満月をネイティブ・アメリカンはフラワームーンと呼ぶそうですが、なるほどどっしりパワーを蓄えたかのような迫力ある月でした。撮影をしたのはJR美幌駅より東側、知床方面へと向かい最初に渡る平和橋という小さな橋のたもとから。

知床半島の先には北方領土があります。太平洋戦争末期、アメリカはプロジェクト・フラという軍事作戦でソビエトの千島列島侵攻を促し連合国として日本を制圧しました。形式的に[北方領土の日]などを設け返還を訴えている日本政府も本気で動かないのはアメリカ主導の作戦だったためでしょう。

一方で戦後、千島や樺太を追われた日本人たちの気持ちはどのようなものだったのでしょう。2014年に『ジョバンニの島』というアニメ映画が公開されましたが終戦の混乱で島民を襲ったロシア人、窃盗を犯した日本人などが出てきます。しかし同時に子どもたちは日本人もロシア人も次第に打ち解け合っていった様子が描かれていました。

現在も多くの日本人はロシアによる北方領土支配を非難していますが、一方でいまなお被害者を出し続けるイスラエルによる一方的なパレスチナ自治区への侵略には背後でアメリカが後押ししているだけにマスメディアすら一言も声をあげません。

そんな憎しみを生むような衝突を続けるよりも、私は千島(クリル)や樺太(サハリン)に住むロシア人と北海道に住む日本人が気軽に行き来でき、互いに協力しあって地域で経済活動を盛り上げていくことを望んでいます。

橋のたもとでフラワームーンを眺めながら、そんな[平和な社会]を夢見た18時前のひとときでした。

津別町民から「神社の桜は開花が早い」と親しまれている津別神社のお社を囲むたくさんのサクラが本日5月6日ついに開花していました。

例年ゴールデンウィーク前半頃には開花していたと思われますが、新型コロナウイルス騒動で人出の少ない今年はサクラの木ものんびりしていたようですね。津別神社が1年でいちばん映える季節を迎えます。


津別中心部から国道をやや南下した場所にある河岸公園の丸玉記念館前にあるサクラ。実際には公園入口の木などもう3分から5分咲きかってサクラもありますがこちら河岸公園バス停そばの木はまさに咲き始め。

河岸公園には相当たくさんのサクラが植えられていますが、住宅地にも近いので満開になると散歩される方も多くみかけます。


津別のサクラで町外の人にもいちばん有名なのは総合運動公園にあるこの【双子の桜】ですね。かつて町にヨサコイチームがあったときには双桜凛舞(そうおうりんぶ)とその名称の元にもなりました。

総合運動公園は、河岸公園よりも更に国道を南下した木材工芸館キノスの裏手にあり、全体的に小高いためサクラの開花も町中より遅れ気味です。今週末の9日(土)10日(日)あたりの開花でしょうか。

ちなみになぜ双子の桜かといいますと、丘の上にポツンと1本で立っているように見えるのですが、近くで見ると2本の木が寄り添うように立っていることによります。

国鉄北見相生線が1985年の春に廃止され、旧北見相生駅は現在モンゴル餃子などを提供するちょっとした休憩スペースになっていますが、そこには国鉄時代の鉄道車両がいくらか静態保存されています。

津別町相生には、町が寄付金を集めて昨年(2019年)10月15日までに再塗装された排雪車、車掌車、有蓋車、に無蓋車のほか客車、気動車も1両ずつ置かれています。

かつて夜行列車はブルートレインなんて呼ばれましたが、相生鉄道公園に置かれてある青い客車も現在では夏季限定でツーリング客向けにライダーハウスとして提供されています。

またここに置かれている気動車はキハ22という形の列車で、廃止当時まで相生線でも運用されていました。子供の頃から列車に乗るのが好きだった私もよくこの古い気動車に乗ったものです。いまでも電気さえ通せれば車内放送が使えるならあのオルゴールを鳴らしてみたい気持ちはあります。

ということで、久しぶりにアメブロ書いてみました。

すみません、かなりブログ放置していました。
昨日5日に入ってきた温泉の話書くのに、前回有馬温泉に行ったときのブログどんなん書いたかと思って調べたのに、書いてなかったみたい…


ということで、はい、ちゃんと記録残しますw
北見市端野町の NORTHERN ARC RESORT というホテルに初めて行きました。夏はゴルフ、冬はスキーが楽しめるリゾートホテルです。


目的は『金の湯』という温泉なんですが、ホテル入って右手、トイレはこちらって表示されている方向に『金の湯』だと?
トイレの中を通って行くのかいw


トイレはこちらって表示されていた壁の向こうは売店コーナーでした。
同時にスキー客の休憩所になっている場所だったんですが『金の湯』は更にその先ですと。


更にいったん屋外に出ます。ここまで来るとスキー客のほうが普通で、風呂の準備しかしていないおっさんがかえって違和感w
とりあえず奥の建屋が入浴施設らしい!


やっと『金の湯』の受付カウンターに到着!
ここまではホテルの中でも端の端、めっちゃ隅っこに追いやられた感はんぱなかったのですが、妙に落ち着くこぎれいな雰囲気になりました。


ここが内湯。ナトリウム-硫酸塩泉。空気に触れると茶色くなる神戸の有馬温泉と同じ泉質らしい。
ってことでこのブログ投稿する前に有馬温泉行ったときのブログ無いか探したんですけどね…


露天風呂もアツアツでした。これで加温加水はしていませんって、源泉どんだけ熱いんだ?
ちなみにスキー場そばのホテルで風呂に入るなんて、社会人1年目の軽井沢を思い出す…

そういえば、有馬温泉に行ったのって、確か看護学校の研修旅行中、自由行動時間にひとりで抜け出して行ったんじゃなかったかと、いまになってなんとなく思い出しました。
実は札幌のヨサコイ本祭に出発前、6月4日に前歯のサシバが取れました。札幌では歯抜けの状態で踊っていたんです。


11日未明に津別の家に帰宅。その日の午後には会社勤めでも通いやすい、夜中まで開けている歯科をネットで探し受診することに。

隣町に住んでいた頃受診した東町歯科は当日空きなし。知り合いの池田歯科は閉まっていたため、むかし知人が勤めていた青山歯科医院へ。


美幌のまちなかを南北に流れる魚無川沿いにあるせせらぎ公園の一角にある青山歯科。林に囲まれレトロに見える建物の玄関はこんな感じ。

小児歯科に力を入れているようで絵本やぬいぐるみが多いのですが黒猫モノが多く、聞くと院長先生自身が猫を飼っておられるそうです。


受付はこんな感じ。待合室含めて全体的にもっと暗い感じですが、それがまたレトロな雰囲気を醸し出す。実際のところ林の中ですけどね。

写真からは切れていますが屋根裏っぽいスペースにもぬいぐるみが溢れ、またこの後方には子ども向けの書籍が充実しています。


歯科医院としては設備が充実していて、丁寧な院長先生、本来は小児歯科専門だという娘の女医、そして助手兼受付にも息子というほど家族経営。

むしろもっと気になるのは待合室の外から降りる地下室で、こちらも別にいる娘がチョコレート工房を経営しているということです。

まるで『チャーリーとチョコレート工場』みたいな気になる工房ですが、知りたい方はネットから Okhotsk Chocolatier を検索してみてください!