高校生の運転免許に関する諸々
免許を習得するまでいろいろあったが、いざ習得してからもあれこれあった。
先ずは保険会社。以前から、「長男が免許を習得したら、直ぐに僕のところに一緒に連れてきてくれ。彼にウチ(保険屋)からも話があるから。」と言われていた。この日は夫が付いていった。エージェントから直接息子に、「車を運転するにあたっての心得」の教えがあったそうだ。
・自分の車は他の誰にも貸さない。
・他の友達の車に同乗する際、運転手の気を散らさない。また、この友達が「暴走=乱暴な運転」した際、絶対止まって降ろしてくれと言う事。言う事を聞かない場合、「それならお前の車の中で吐くぞ!」と、のた打ち回り、何が何でも絶対に車から降りる事。
他にもアレコレあったが、忘れてしまった…。とにかく、これらが「高校生の死亡事故の原因」なんだそうだ。親がどれだけ車に保険をかけているか、もし彼が事故を起こした場合、どれだけの保障と罰を背負わなければならないかなどなど、現実的な話が入ったらしい。そうだそうだ、車を運転するって言う事は、責任重大な事なんだ。そこんとこ、ちゃんと長男にも分かってもらいたい。
さて、めでたく免許習得したら、今度は学校側に届けをだす。Parking permitといった、「駐車許可証」を発行してもらうのだ。だだっ広い学校で、いくらでも駐車場があるじゃないかって思うのに、公立校だから学校側もお金が欲しい訳だ。年間$170 も払わされた…。これにも長い契約書にサインさせられた。銀行に行って、サイン登録までさせられた。ドイツも書面での契約が多くて辟易していたが、アメリカのそれは「何かあったら、あんたの責任よ。絶対お金で決着付けてもらいますよ」というのが見え見え…。
次は「Lunch permit」。こんどは何よっ!ってなほど毎日あれこれ紙をもってくる息子。これはJuniorとSenior(11、12年生)だけに許された、「ランチは学校から抜け出して、外に行っていいよ・許可証」。車があるんだから外に出たい!ときたワケだ。確かに構内のカフェテリアは1800人であふれかえっていて、3交代制。たったの20分では何も買えないので、外に出たいのも分かる。私は毎朝30cmの長さのSubway並みのサンドイッチを持たせているので、別に彼にカフェテリアは必要ではないのだが、ここでお昼にサンドイッチを買って、放課後のサッカーの練習前用に供えているのが彼である。しょうがない、これも許可させた。幸いこれはタダ(笑)
パーキングスペースを決めるのはくじ引き。友達数人とStudent officeに出向き、ワイワイしながらくじを引いたらしい。No,600、No.500代を次々引いていく中(※かなり遠い)、次は息子の番になった。恐る恐る引いてみると、200番代!校舎に入るドアの目の前!ウキウキで帰ってきたのは言うまでもない。
昨日からは、朝30分も長く寝ていられる生活が始まった。妹ももちろんお兄ちゃんと一緒に登校するので、彼女が一番ラッキーではなかろうか。そして息子はさっそく昨日のお昼に家に帰ってきた。急いでご飯をチンして、納豆も解凍して食べていた。「お昼に家に帰ってきて納豆が食べられるなんて、なんて幸せだ!!!」と連発していた。
彼が飽きるまで、しばらくこのお昼の「邪魔」に付き合うことになりそうだ。
US Open
なんか、次から次へとテニスの大会が始まって、付いていけないよ。
やっとUSオープンになって、夜のライブ放送を観られる状況になった。今はNadal VS Deheartの一戦。ナダルは6-1,6-2、と難なく試合を進めているが、どことなく相手のDeheartにしてやられるプレーが多い。3セット目は今のところ0-3だ。このDeheart、デカイ体をフルに使って、「負けちゃってもいいや~、でも勝っちゃうかも」って捨て身の試合をしている。二人ともよくボール拾うなぁ…
解説はいつもの様にマッケンロー。隣でしゃべってる太ったオヤジは誰かと思ったら、俳優のアレック・ボールドウィンじゃないか!随分太ってて一見誰だか分からなかったよ。で、この人、テニス分かるの???
ライブのこの試合を観ながら、裏番組のTennis Channelにちょっとチャンネルを変えてみる。すると、1989年のデビスカップ、セミファイナルのボリス・ベッカーVS アンドレ・アガシをやっている。ベッカーは直ぐ分かったけど、アガシは一瞬、リチャード・マークス(知らないだろうなぁ…)かと思ったほどの髪型。彼はいつ剃っちゃったんだっけか?
この試合、ドイツで行われていたらしく、広告や字幕もドイツ語でヒジョウに懐かしい。ベッカーは上手かったんだなぁ、特にバックハンドと、感心させられた。怒って「Scheisse!-クソ」とか叫んでいるところが、また懐かしい…。
と、チャンネルをUS Openに戻す。ナダル、やっぱり強い。もう3-3に追いついてる。このままきっと勝っちゃうだろうから、もう寝る事にする。
raise the children
月曜から子供達の学校が始まった。
次男は一年間通ったKindergartenと同じ学校に通うが、こちらも晴れて一年生にあがった。あっさりしていたドイツの入学式を経験したので、アメリカのそれにはまったく期待していなかったが、案の定、一日目だがいたってふつー。まだ夏休み中の先週、Meet the teacher dayという、「初日に先生に会えないから、先に面通ししときましょ・Day」でクラスの皆とも会っていたので、1年生初日は本当にフツーに始まったのだった。
先生は去年と同じMs. F!。なんと一番の仲良しのエマも一緒だ。他に仲の良かった次男の良き英語理解者の男の子、ルークは残念ながら隣のクラスになってしまったが、彼もまた、仲の良かった女の子と一緒だった。これはたぶん学校側の配慮と思われる。誰もが仲良し一人とは一緒になれたようだった。次男の場合は誰とでもOKなので、2日目で既に他の友達を開拓したようだ。
このMeet-Dayの日、担任の先生との会話は適当にして他の新しいお母さん達に時間を譲り、私は次男のESL/英語補習クラスの先生、Ms. R の所に行った。この先生はオバちゃん先生で、他のアメ人先生の多くに見られる、うわべだけのやさしさの面々とは違って、プロの教師を感じさせる人だ。彼女は多数の外国人の子を受け持っているだけあって、観察力が鋭い。甘いだけじゃなくて、こういうプロの教師は話していて気持ちが良い。
結果、マークはもうESLのクラスには行かない事になった。彼の話そうとする意識・競争心・興味、ついでに集中力が人一倍高いので、今後の彼の英語の先生は、クラスの皆になってもらいましょう、という事だった。
今考えると、長男・長女がそれぞれ5歳・3歳で日本からドイツへ越してきた時は、私もまだまだ青かったので、必死の育児をしていた。いつも私と夫は不安と自身とを交互に味わい、子供達と一緒に悩んで学んできた。その都度全力投球で私達夫婦なりにやってきた。
小さい時はひっぱり、時には背中を押す。成長するにあたり、パラレルに歩き、時には彼らの後ろに回って、ひっくり返らないか、恐る恐る見守るって事の繰り返し。子育ては答えが一つではない。しかし、夫と二人でこの子達の一番の支えとなるよう、これからも一歩下がって見守る努力をしようと思った。
長男、晴れて運転免許習得する
2週間前に18歳になった長男。海へ旅行に行った週末明けの月曜日、父親と一緒にDMV(教習所)に出向き、一発で試験に合格して帰ってきた。もちろんその日からエンジンの休まる時はない…。
州によって若干決まりは変わるものの、15歳から親と一緒に1年間運転を練習し、それを過ぎれば、夜九時過ぎの運転と、学校への乗り入れを除けば親なしでも運転できるようになる。
息子は冬にPermit(※親と一緒に運転できる許可証)を習得したので、それからはしょっちゅう親と一緒に運転していた。以前は原チャリを運転していたので、公共道路を運転するコワさはまったくなかったのはよかった。
さて、18歳になった彼。親と一緒の練習は1年間していないが、18歳になったという事だけで、親との教習からは無罪放免。とたんに一人で運転していいことになった。折りしも彼の友達が3週間遊びに来ている。
彼は普段オートマを運転していたが、友達が来るにあたって、もちろん彼のスポーツカー/マニュアル車も練習し始めていた。がしかし、我が家の近所は坂がめちゃくちゃ多いので、マニュアル車泣かせである。彼は免許取りたて、しかも慣れない車に乗って、焦って事故でも起こされたら、この子達の親に申し訳が立たない。ってことで、私はイジワルをした。
彼らが到着した次の日、息子に先ずマニュアル車を運転させた。私が隣、後ろに友達二人を乗せてBlockbuster(ビデオ屋)に行く道中、息子はオートマなら縦横無尽だが、マニュアルなのでエンストしまくり。友達を乗せているので、余計緊張してまたエンスト…。いい加減息子が切れそうになるところでやっと家に着いた。
この日を境に、私が口をすっぱくして注意するより、もう友達の前で恥はかきたくないので、彼らがいる間のマニュアル運転は諦めた。友達滞在期間中は慣れたオートまでおとなしく運転し、サウス・カロライナのビーチへも、Lake Gastonへも、ちゃんと私達の後ろにぴったりくっ付いて来た。
まだ中身は子供なのに、18歳になったというだけで自由になった気分になってしまうので、この年頃は一番扱いが大変だと友達が話していたのを思い出した。18歳の子供に言い聞かせはまったく通用しない。しかも体で覚えさせ、理解させるのが大変だからだ。
そして今日、いよいよ新学期が始まった。息子は放課後そのまま学校に残り、サッカーの試合へと出向いたので、帰宅したのは夜9時前。クタクタのハズなのに、ご飯を食べたらさっそく彼のマニュアル車で近所へ練習に出かけて行った。…ホントにこの子は、サッカーと車の事になると腰が軽いヤツだ。30分ほどグルグルして帰ってきて、「やっぱ夜は交通量が少ないし、後ろからせっつかれないからいい。しばらく夜練習するよ!」と来た。
まだまだ私の子育て(心配)は続くのだった…。
また一人…
今日、友達がドイツに帰っていった。
これまた別の便で、彼女の息子や他の子供達も帰っていった。夫は子供達をシャーロット空港へ見送り、今度は娘の違う友達を拾い(来客ばっかり…)先ほど帰ってきた。娘は姉妹のような友達を見送り、涙もそこそこ違う親友を家に迎え入れたので、悲しさ半分、うれしさ半分といったところだろう。
私と次男は友達夫婦を近くの空港に送り届た。別れが嫌なので、タクシーの運転手の様に、彼らを空港前で降ろしてパーッと帰ってきた。泣きじゃくる次男につられ、クラウディア→彼女の旦那→私、と次々泣きまくった…。これでまたしばらくお別れだ。
昨日から何度もクラウディアに抱きついたり、あれこれ難題を突きつけてわがまま言って困らせていた。彼女は、私が次男を妊娠したときからこの子の誕生を心待ちにしていたおばちゃんの様な存在。去年の別れの際も大変だったが、今回も大変だった。私はと言えば、去年の別れの時は吐くほどの悲しさを味わったけど、今回は少し和らいだかも。また会えるんだ、どんなに離れていても、絶対に友情は変わらないっていう自身をお互い確認したからだろう。
と同時に、いろいろ問題を抱えている彼女を、私が何が何でも守ってあげようと心に決めた。
