今日もこれといった戦果なく、その上途中で寒さに負けて引きこもったおばさん学生ですこんばんは。
最近改めて気が付いたのだが、わしは同じ病気の人の痛みがわからない。
誤解のないように言うと、精神的な苦痛はともかくとして同病の方のブログを読んで痛みの質や、病態があまり理解できない。自分も同じ病気なので痛みはわかるだろうと思うかもしれんが、その中のどの痛みなのかわからない記述の仕方をされている方が多い。
じゃあ他の病気の痛みなら理解できるのかと問われると、自分がリハに関わったことがある疾患の方のブログは、同病の方よりもわかることが多い。
その理由を他の疾患と対比して分析してみたのだが、病気の説明だけで異常に長くなり、今回書きたいこととは大幅にずれてしまうので止めておく。申し訳ないが病気について語る元気は今はない。(というかヒマがない)
そう、書きたかったのは「距離感」の話。わからない理由は「病気との距離感」ではないかと思ってみた。
わしらの病気を特別扱いするつもりではないのだが、同病のブロガーさんは「病気」または「病気の私」と、書き手の距離感が近すぎて、良く言えば臨場感があり、情緒的にまとめる人もいるが、悪く言えば独りよがりで、大変なことだけはわかるが、わしらのように解決策を考えたい職業としては、何をどうしていいやらわからないことが多い。で、勢い読まなくなる。
仕事でもないのに何をしたいのかわからん愚痴に付き合うのは職業精神衛生上よろしくない。
(単に職業的な習性だけではなく、わしの頭の悪さによるものがあるだろうから、もちろん書く方の所為だけとは思わないが。)
病気に限らず、ブログなどいう素人さんが書くものも、「書き手」と「自分」の距離感のブレから、わしには理解できないものが少なからずある。
読みやすい文章だと思うのは、その距離感がどんな時でも一定で書ける方だ。
当たり前のようだが、案外そうでもない。わしも専門分野の記事ではつい力入って「書き手」と「自分」が近い近視眼的で「読み手」を置いてしまう記事になりやすい。
テーマを絞って書けば誰でも距離感を一定にすることはできそうだ。ところが日常生活はいろいろなことがあるもんだから、徒然を書くと文章の上手い下手がでるよなあ、と思う。
このテーマは上手いがこれは何言ってんだか全然わからんってこともある。それは「自分」と「書き手」の距離感を自分が上手くつかめていない訳だから、正直言って文章が上手い人とは言わない。気の利いた文章云々以前の問題だ。
ところで人気のあるブログ(芸能人は除く)をいくつか見ていて、気づいたことがある。
どうやら最近の世の中では「自分」と「書き手」と「読み手」が等間隔ぐらいが親しみがあり、好まれるのかもしれないなあと思った。「読み手」の中心が本世代からテレビ世代に変わったからかもしれない。
わしの文章を自己分析すると、書き手としての自分は「自分」を一歩離してみて、読み手とも一歩離れるタイプ、ブロガーとしては時代遅れなタイプです(笑)。
春遠からじ。ってかこの豪雪といい、わしの研究といい春近からじな今日この頃皆様におかれましてはいかがお過ごしですか。
とは言え、昨日は同期のお嬢さん(とは言えわしの年齢の半分以下)にお手伝いいただき、模擬実験を行った。
うちのお嬢さんの素晴らしいところは、わしの進捗状況をあくまでさりげなく師匠に伝えてくれるところだ。とは言え、師匠もさりげなく気にかけていてくれるだけかもしれない。気づかないバカはわし一人の可能性大だが、それはこの際いいや。ご厚意に甘えることにして、今回もお二人が気を利かせてくれて、
「先生が『僕も(実験)見たい』って言ってましたよ」
とお嬢さんに教えてもらったのであわてて師匠に電話をする。
更に追加で使うことにした機械の使い方を博士課程の先輩につきっきりで教えてもらう。お二人の時間を2時間以上(お嬢さんに至っては更に1時間余計)に拘束してしまって大恐縮である。そして師匠を呼び出して実験をやって、その環境について他の場所まで行ってみたりあーのこーのと意見交換。
最後に師匠から賜わった言葉がタイトルの通り
「いい研究にしようね。」
であった。
・・・おうよ(炎)
でなきゃ、何のためにわたくし、1年間罵倒され続けたのかわかりま千円。
それにしても、リハ学校での研究もそうだったのだがバカの癖にいつだって学校で操作が一番難しい機械を使用せねばならんのが不思議だ。
ところで、階段を走り回ったらまともに歩けなくなるほど痛くなった。理由は足囲が2つ大きい靴を履いて動いたからだな、、、もう体は環境に合わせる力が少ないのだから環境や身に着けるものには気をつけねばいかん、と反省する今日この頃。病識のないところに効果的な治療なし。
実験も環境を練り直して、効果的な研究にする。
研究室の皆さん、本当にご協力ありがとう。わしも力になれるように頑張る。
とは言え、昨日は同期のお嬢さん(とは言えわしの年齢の半分以下)にお手伝いいただき、模擬実験を行った。
うちのお嬢さんの素晴らしいところは、わしの進捗状況をあくまでさりげなく師匠に伝えてくれるところだ。とは言え、師匠もさりげなく気にかけていてくれるだけかもしれない。気づかないバカはわし一人の可能性大だが、それはこの際いいや。ご厚意に甘えることにして、今回もお二人が気を利かせてくれて、
「先生が『僕も(実験)見たい』って言ってましたよ」
とお嬢さんに教えてもらったのであわてて師匠に電話をする。
更に追加で使うことにした機械の使い方を博士課程の先輩につきっきりで教えてもらう。お二人の時間を2時間以上(お嬢さんに至っては更に1時間余計)に拘束してしまって大恐縮である。そして師匠を呼び出して実験をやって、その環境について他の場所まで行ってみたりあーのこーのと意見交換。
最後に師匠から賜わった言葉がタイトルの通り
「いい研究にしようね。」
であった。
・・・おうよ(炎)
でなきゃ、何のためにわたくし、1年間罵倒され続けたのかわかりま千円。
それにしても、リハ学校での研究もそうだったのだがバカの癖にいつだって学校で操作が一番難しい機械を使用せねばならんのが不思議だ。
ところで、階段を走り回ったらまともに歩けなくなるほど痛くなった。理由は足囲が2つ大きい靴を履いて動いたからだな、、、もう体は環境に合わせる力が少ないのだから環境や身に着けるものには気をつけねばいかん、と反省する今日この頃。病識のないところに効果的な治療なし。
実験も環境を練り直して、効果的な研究にする。
研究室の皆さん、本当にご協力ありがとう。わしも力になれるように頑張る。
元気ですかー。わしは可もなく不可もなくどうにか生きております。
さる思慮深い人妻の記事を読んで思い出したことがある。
近所の安居酒屋で相方みかんと飲んでいたら、みかんが突然
「ああいうやつに限って、会社じゃイエスマン。」と言う。
何のことかと思えば、隣のわしらより年のいったサラリーマンの話を聞いていたらしい。その中の一人がどうも会社の方針がいかにダメかを高らかに謳っているようだ。
みかんは若い頃は普通のサラリーマンだったのだが、いろいろあって現在はベンチャー企業で人事総務経営企画等の管理全般をしている。考え方が管理職目線、しかもベンチャーとあって優秀な人材の不足で悩んでおり、中途採用もよく行っているので、社員としての人物評価にはちょっとうるさい。
しかしみかんに言われんでも、いい年齢のおっさんらが美味くも居心地がよくもない、安いことのみが売りの居酒屋にたむろしているという時点で、少なくとも勝ち組ではないことは推察できる。負け犬が遠吠えするぐらいの自由が残されている社会は決して悪くない。
という訳で、隣のおっさんらの悪口を続けないようにみかんに語ったのが、冒頭に触れた思い出話だ。
※※※
15年ぐらい前だったか、ある師匠のところでマッサージのバイトをしていた。
ある夏の夜、仕事の後に治療院の近くの居酒屋で同僚の男の子と2人で飲んでいた。安くはないが美味い店だったので店は大概混んでいた。その日も満員で後ろのグループとは背中がほぼ触れ合う混み具合、というか後ろのおっさんがわしの背中にごんごんぶつかってくる。大きくぶつかった後には、
「すみません」と謝るのだが、謝るそばからまたぶつかってくる。
それだけでもちょっと不快ではあったのだが、もっと不快だったのがそのグループで一番偉いと思われるおっさんである。
でかい声でずっとグループの中の一人をいたぶっているのだ。ねちねち説教しているかと思えば
「喧嘩しようか!!」「なあ、喧嘩しようか」
と大声で絡む無限ループ。声がでかいので嫌でも耳に入ってしまう。
その上司とわしにぶつかってくるおっさん以外は若い男女で、なにがしかの会社の納涼会だと思われるが、要するにつまらなかったのであろう、繰り返しぶつかってくるおっさんが、ついにわしに話しかける。
「何度も(ぶつかって)すみません」
「いえいえ(そう思うならぶつかってくんなよ)」
どういう話の流れか忘れたが、わしら2人の仕事についての話になり「近くの治療院ですのでよろしく」のような営業話になり、知らんおっさんと長々話す義理はないので話を切り上げる。
ところが、おっさんはしばらくするとまたなにがしか話しかけてくる。適当に相手をしていると、3度目ぐらいに、突然わしの腕をつかんできやがった。
あまりにいきなりで、しかも商売道具の大事な腕(夏なので生腕)だったので、ついおっさんを
「なんだっつーんだよ!」
と怒鳴りつけてしまった。
静まり返る隣のグループ、しかし気づかないで説教を続けている上司。
わしに怒鳴られたおっさんは、びびったのであろう、狼狽え気味に説教に興ずる上司を指さし
「いや、あの、この人が上司で・・・」
何だその言い訳は、であるのだが、恐らくその上司が不愉快な場にしなければ、そのおっさんもわしに絡んで来たりはしなかったと思われる。わしもその上司の説教を止めさせたいと思っていたので
「お前が上司か!」
と思いっきり睨みつけた。しばらく説教を続けていた上司もわしのただならぬ気配を感じたのであろう、説教を止め、わしを見てから弱々しく目をそらし
「・・・すみません」
と謝った。
※※※
笑うみかんに、「その話には続きがある」と続けた。
※※※
暫くするとその上司はまた説教を始めやがったが、おっさんはぶつかってこなくなったので同僚と話すことに集中しながら飲んでいた。
ところが、トイレに立つ時隣のグループの若い子とすれ違うたびに、メンバーが
「先ほどはすみませんでした」
とわしに挨拶するのだ。
しかも皆、ものすごーーーくにこやかで丁寧に。
※※※
「よほど下に嫌われていたんだと思うよ、その上司」
「ふむ。」
「部下たちは上司が謝ったのが余程嬉しかったんだろうなあ、しかもオネーチャンに怒鳴られて」
結論としては、管理職が評価するまでもなく、ダメな上司は部下がきちんと知っておる、ということをみかんに伝えたのであるが、わし的な結論は別の所にある。
他人を怒鳴りつけるようなことをすると、因果はめぐって他人から怒鳴りつけられることになる。
今のわしがそれだ。去年1年で今までの一生分ぐらい罵倒された。
本日の結論:おばあちゃんの言うことは正しかった。
さる思慮深い人妻の記事を読んで思い出したことがある。
近所の安居酒屋で相方みかんと飲んでいたら、みかんが突然
「ああいうやつに限って、会社じゃイエスマン。」と言う。
何のことかと思えば、隣のわしらより年のいったサラリーマンの話を聞いていたらしい。その中の一人がどうも会社の方針がいかにダメかを高らかに謳っているようだ。
みかんは若い頃は普通のサラリーマンだったのだが、いろいろあって現在はベンチャー企業で人事総務経営企画等の管理全般をしている。考え方が管理職目線、しかもベンチャーとあって優秀な人材の不足で悩んでおり、中途採用もよく行っているので、社員としての人物評価にはちょっとうるさい。
しかしみかんに言われんでも、いい年齢のおっさんらが美味くも居心地がよくもない、安いことのみが売りの居酒屋にたむろしているという時点で、少なくとも勝ち組ではないことは推察できる。負け犬が遠吠えするぐらいの自由が残されている社会は決して悪くない。
という訳で、隣のおっさんらの悪口を続けないようにみかんに語ったのが、冒頭に触れた思い出話だ。
※※※
15年ぐらい前だったか、ある師匠のところでマッサージのバイトをしていた。
ある夏の夜、仕事の後に治療院の近くの居酒屋で同僚の男の子と2人で飲んでいた。安くはないが美味い店だったので店は大概混んでいた。その日も満員で後ろのグループとは背中がほぼ触れ合う混み具合、というか後ろのおっさんがわしの背中にごんごんぶつかってくる。大きくぶつかった後には、
「すみません」と謝るのだが、謝るそばからまたぶつかってくる。
それだけでもちょっと不快ではあったのだが、もっと不快だったのがそのグループで一番偉いと思われるおっさんである。
でかい声でずっとグループの中の一人をいたぶっているのだ。ねちねち説教しているかと思えば
「喧嘩しようか!!」「なあ、喧嘩しようか」
と大声で絡む無限ループ。声がでかいので嫌でも耳に入ってしまう。
その上司とわしにぶつかってくるおっさん以外は若い男女で、なにがしかの会社の納涼会だと思われるが、要するにつまらなかったのであろう、繰り返しぶつかってくるおっさんが、ついにわしに話しかける。
「何度も(ぶつかって)すみません」
「いえいえ(そう思うならぶつかってくんなよ)」
どういう話の流れか忘れたが、わしら2人の仕事についての話になり「近くの治療院ですのでよろしく」のような営業話になり、知らんおっさんと長々話す義理はないので話を切り上げる。
ところが、おっさんはしばらくするとまたなにがしか話しかけてくる。適当に相手をしていると、3度目ぐらいに、突然わしの腕をつかんできやがった。
あまりにいきなりで、しかも商売道具の大事な腕(夏なので生腕)だったので、ついおっさんを
「なんだっつーんだよ!」
と怒鳴りつけてしまった。
静まり返る隣のグループ、しかし気づかないで説教を続けている上司。
わしに怒鳴られたおっさんは、びびったのであろう、狼狽え気味に説教に興ずる上司を指さし
「いや、あの、この人が上司で・・・」
何だその言い訳は、であるのだが、恐らくその上司が不愉快な場にしなければ、そのおっさんもわしに絡んで来たりはしなかったと思われる。わしもその上司の説教を止めさせたいと思っていたので
「お前が上司か!」
と思いっきり睨みつけた。しばらく説教を続けていた上司もわしのただならぬ気配を感じたのであろう、説教を止め、わしを見てから弱々しく目をそらし
「・・・すみません」
と謝った。
※※※
笑うみかんに、「その話には続きがある」と続けた。
※※※
暫くするとその上司はまた説教を始めやがったが、おっさんはぶつかってこなくなったので同僚と話すことに集中しながら飲んでいた。
ところが、トイレに立つ時隣のグループの若い子とすれ違うたびに、メンバーが
「先ほどはすみませんでした」
とわしに挨拶するのだ。
しかも皆、ものすごーーーくにこやかで丁寧に。
※※※
「よほど下に嫌われていたんだと思うよ、その上司」
「ふむ。」
「部下たちは上司が謝ったのが余程嬉しかったんだろうなあ、しかもオネーチャンに怒鳴られて」
結論としては、管理職が評価するまでもなく、ダメな上司は部下がきちんと知っておる、ということをみかんに伝えたのであるが、わし的な結論は別の所にある。
他人を怒鳴りつけるようなことをすると、因果はめぐって他人から怒鳴りつけられることになる。
今のわしがそれだ。去年1年で今までの一生分ぐらい罵倒された。
本日の結論:おばあちゃんの言うことは正しかった。
初めに言っておきますが、題名とネタは思いっきりパクリです ゲラっ
文章までは真似が無理なので、とりあえず普通に戻りますが、あちこち痛いですねー、
まあ、一番痛いのは痛さにかまけてつい甘えているここ最近のわしの生活。
普段は人んちのブログはほとんどみないんだけど、甘えた自分をぶった斬るために、
久々に行ってみたのが、本にもなっているあのお方。
人気の「自分の頭でうんぬん」ではない。
あれは読んでないけど別にいいや。自分の頭で考えないと罵倒される生活してるから、今は。
それに自分と同じ畑、といっても先方様はわしのようなバックのテンポラリーではなくMBA取りで、
当然フロントでいらしたそうなので「同じ」と言うのは超失礼だが、お金屋や株屋ごときに考えろ、
と言われるのは、メガネダルマ秋●某に「恋の話」を説教されるぐらい聞きたくない。
例によって、話がそれまくった上にお聞き苦しい暴言で申し訳ない。
でも取り消さない(←秋●が好きでないらしい)
話戻して、「あのお方」は、アメブロのデイリーで上位の方にいる、ゲイの方だ。
相談に対する答えは至極まともだと思うのだが、ヲカマやオネエに本音を言わせて自分じゃよう言えんマスコミ界め、と、また暴言風味になるので置いといて(←つまるところ八つ当たり)
たとえば1月21日のゴマさまのお言葉だが、
あたしはこれだけ頑張ってるんだから
毎日ちゃんとご飯食べて!!!
ご飯の時間には帰ってきて
美味しいっていってくれて
あたしのことを褒めて!!!!
あたし!あたし!あたし!!!
っていう見返りを求めたりしていない?
ちょっと言葉を入れ替えてみた。
あたしはこれだけ痛みに耐えてるんだから
毎日頑張ってるってわかって!!!
ご飯の時間には帰ってきて
手伝ってくれて
あたしのことを褒めて!!手伝って!!!
あたし!あたし!あたし!!!
・・・あああ、その言葉自分に返ってきた。ごめんみかん(涙)
手伝ってくれと言わずとも文句も言わず洗濯物を干して、晩御飯を作って酒を飲んで
今はすやすやとうたたねしているみかん。感謝。
顔脂で座布団カバーをぎとぎとにするぐらいは、洗えば済むことだ。(←だから言うなて、悪口)
旦那相手だけでなく、会社でも
あたしはこれだけ痛みに耐えてるんだから
毎日お仕事頑張ってるってわかって!!!
就業時間が来たら早く帰らせて!!
人より体がきついんだから
あたしの仕事を手伝って!!!
あたし!あたし!あたし!!!
・・・そういう方に限って、忙しすぎる病院で精神を病みかけた医者に当たっちゃったりすると
「そんな具合の悪い医者働かせるなよ!」とおっしゃったりされる。
(註:今、結構医者のうつ病は多いんです)
その言葉、あなたの会社も同じこと思ってますから。
「そんな具合悪いなら辞めろよ、一人前に働けない奴に同じ給料出せるかよ」ってね。ゲラ
と、ここだけゴマさま風にしたのは、もちろんわしがストレートにそういえないケツの穴の小さい女だからだ(痛
今週こそは、「おりこう売り」になりたいものだぞ。うむ。
文章までは真似が無理なので、とりあえず普通に戻りますが、あちこち痛いですねー、
まあ、一番痛いのは痛さにかまけてつい甘えているここ最近のわしの生活。
普段は人んちのブログはほとんどみないんだけど、甘えた自分をぶった斬るために、
久々に行ってみたのが、本にもなっているあのお方。
人気の「自分の頭でうんぬん」ではない。
あれは読んでないけど別にいいや。自分の頭で考えないと罵倒される生活してるから、今は。
それに自分と同じ畑、といっても先方様はわしのようなバックのテンポラリーではなくMBA取りで、
当然フロントでいらしたそうなので「同じ」と言うのは超失礼だが、お金屋や株屋ごときに考えろ、
と言われるのは、メガネダルマ秋●某に「恋の話」を説教されるぐらい聞きたくない。
例によって、話がそれまくった上にお聞き苦しい暴言で申し訳ない。
でも取り消さない(←秋●が好きでないらしい)
話戻して、「あのお方」は、アメブロのデイリーで上位の方にいる、ゲイの方だ。
相談に対する答えは至極まともだと思うのだが、ヲカマやオネエに本音を言わせて自分じゃよう言えんマスコミ界め、と、また暴言風味になるので置いといて(←つまるところ八つ当たり)
たとえば1月21日のゴマさまのお言葉だが、
あたしはこれだけ頑張ってるんだから
毎日ちゃんとご飯食べて!!!
ご飯の時間には帰ってきて
美味しいっていってくれて
あたしのことを褒めて!!!!
あたし!あたし!あたし!!!
っていう見返りを求めたりしていない?
ちょっと言葉を入れ替えてみた。
あたしはこれだけ痛みに耐えてるんだから
毎日頑張ってるってわかって!!!
ご飯の時間には帰ってきて
手伝ってくれて
あたしのことを褒めて!!手伝って!!!
あたし!あたし!あたし!!!
・・・あああ、その言葉自分に返ってきた。ごめんみかん(涙)
手伝ってくれと言わずとも文句も言わず洗濯物を干して、晩御飯を作って酒を飲んで
今はすやすやとうたたねしているみかん。感謝。
顔脂で座布団カバーをぎとぎとにするぐらいは、洗えば済むことだ。(←だから言うなて、悪口)
旦那相手だけでなく、会社でも
あたしはこれだけ痛みに耐えてるんだから
毎日お仕事頑張ってるってわかって!!!
就業時間が来たら早く帰らせて!!
人より体がきついんだから
あたしの仕事を手伝って!!!
あたし!あたし!あたし!!!
・・・そういう方に限って、忙しすぎる病院で精神を病みかけた医者に当たっちゃったりすると
「そんな具合の悪い医者働かせるなよ!」とおっしゃったりされる。
(註:今、結構医者のうつ病は多いんです)
その言葉、あなたの会社も同じこと思ってますから。
「そんな具合悪いなら辞めろよ、一人前に働けない奴に同じ給料出せるかよ」ってね。ゲラ
と、ここだけゴマさま風にしたのは、もちろんわしがストレートにそういえないケツの穴の小さい女だからだ(痛
今週こそは、「おりこう売り」になりたいものだぞ。うむ。
ども、しばらくにき書かないとかいいながら、気持ちが落ち着かないので書き留めておきます。
坂井宏朱さん、(女子オートレーサー) 残念なことになってしまいました。
客寄せの為に女の子を採用するから、とか、元々バイクに乗ったことがない上に年齢が(デビュー時27歳)、とか、やっぱり女の子のパワーではあのエンジンは無理、とかまあいろいろ意見はあるようですが、判断能力もある大人が自分で選んだ道なんだから、残念なことだが仕方ないと言えば仕方ない。
人の幸せなんてそれぞれだから、好きな道で死ぬのは本望とも、引退して家庭に入ればよかったのにとも言えないのだが、「努力は必ず報われる」 訳ではない、というのがせつないやなあ。
わしぐらいの歳ならともかく、まだ若いのに。他人事ながら残念でならない。
博打打ちの間でひそかに言われていた「あの乗り方じゃそのうち事故るんじゃねーのか?」という心配が、最悪の形で実現されてしまったこの後味の悪さ。それにしても何でこうまで後味が悪いんだろう。事故死は他の職業でも全くない訳ではないし、増してや、わしらの職業にとっては、残念ながら死は日常。もちろんそれもいつでも「仕方ないね」と割り切れることではないのだが。
で、思い当たるのは、彼女が博打の駒だから、ということだ。
わしら博打打ちは、つい駒に向かって罵倒の言葉を浴びせたりする。
「辞めちまえ」(転職や退職を勧める声援とも言う)とか「ばかやろう」とか、ひどい場合は
「死ね!」というのもある。
しかし、誰も本当に死ぬことなんて望んではいないよ・・・
普通の人間の神経であれば、どんな嫌いな人対象でも本気で人の死を願うほど悪くはなれないと思う。
わしの場合は、いつも東出(千葉54)という選手によく車券で裏切られて、船橋オートにゲストで来た時に「東出の根性なし!」と声援を送ったもんだが、それでも胃がんで死んだ時は、がっくりきたよ・・・
で、こっから話は飛んでしまうからついてこれなかった人はごめんなさいよ。
人としてまともな神経を持っていれば、死を日常に見ている医療従事者であっても、生死を自分が決定するのは、重い。人間としての精神活動が終わっていると思われる時であっても。100%奇跡がないとは言えないし。でも奇跡は奇跡というぐらいなので、ほとんどの場合は起きない。
ましてや、滅多に人の死を見ることのない素人なら尚更生死の決定などできようはずもない。
本日の結論:医療費の増大を何とかしろと簡単にいうけれど(以下略)
・・・ちょっと飛びすぎた。でも、やっぱり後味が悪いよ・・・合掌。
坂井宏朱さん、(女子オートレーサー) 残念なことになってしまいました。
客寄せの為に女の子を採用するから、とか、元々バイクに乗ったことがない上に年齢が(デビュー時27歳)、とか、やっぱり女の子のパワーではあのエンジンは無理、とかまあいろいろ意見はあるようですが、判断能力もある大人が自分で選んだ道なんだから、残念なことだが仕方ないと言えば仕方ない。
人の幸せなんてそれぞれだから、好きな道で死ぬのは本望とも、引退して家庭に入ればよかったのにとも言えないのだが、「努力は必ず報われる」 訳ではない、というのがせつないやなあ。
わしぐらいの歳ならともかく、まだ若いのに。他人事ながら残念でならない。
博打打ちの間でひそかに言われていた「あの乗り方じゃそのうち事故るんじゃねーのか?」という心配が、最悪の形で実現されてしまったこの後味の悪さ。それにしても何でこうまで後味が悪いんだろう。事故死は他の職業でも全くない訳ではないし、増してや、わしらの職業にとっては、残念ながら死は日常。もちろんそれもいつでも「仕方ないね」と割り切れることではないのだが。
で、思い当たるのは、彼女が博打の駒だから、ということだ。
わしら博打打ちは、つい駒に向かって罵倒の言葉を浴びせたりする。
「辞めちまえ」(転職や退職を勧める声援とも言う)とか「ばかやろう」とか、ひどい場合は
「死ね!」というのもある。
しかし、誰も本当に死ぬことなんて望んではいないよ・・・
普通の人間の神経であれば、どんな嫌いな人対象でも本気で人の死を願うほど悪くはなれないと思う。
わしの場合は、いつも東出(千葉54)という選手によく車券で裏切られて、船橋オートにゲストで来た時に「東出の根性なし!」と声援を送ったもんだが、それでも胃がんで死んだ時は、がっくりきたよ・・・
で、こっから話は飛んでしまうからついてこれなかった人はごめんなさいよ。
人としてまともな神経を持っていれば、死を日常に見ている医療従事者であっても、生死を自分が決定するのは、重い。人間としての精神活動が終わっていると思われる時であっても。100%奇跡がないとは言えないし。でも奇跡は奇跡というぐらいなので、ほとんどの場合は起きない。
ましてや、滅多に人の死を見ることのない素人なら尚更生死の決定などできようはずもない。
本日の結論:医療費の増大を何とかしろと簡単にいうけれど(以下略)
・・・ちょっと飛びすぎた。でも、やっぱり後味が悪いよ・・・合掌。
寒いですねー。
今日も審査書類の件で学校、その後勉強会の予定。
言い訳を始めるときりがないが、つまるところ、行き詰っています。
まるで就職1年目をなぞるようだ。
なかなか業界(大きなくくりでは同じだが、全然文化が違う)の掟が理解できず、もう9ヵ月以上経つのにまだ試行錯誤中で、相手の機嫌を損ねたり、予定が立たなかったりまあいろいろ。
そして体調も今までになく良くないので、自分への甘えが出てしまう。
働いてないんだから全然楽なはずなのに。
いかん。
と、頭では理解していながら体と精神がついてこない。
例によりブログはしばらくお休みして、沈むところまで沈んでから浮上を目指します。
頑張れない時もあるさ。
よくあることなので声掛けは無用です。
では、また。
今日も審査書類の件で学校、その後勉強会の予定。
言い訳を始めるときりがないが、つまるところ、行き詰っています。
まるで就職1年目をなぞるようだ。
なかなか業界(大きなくくりでは同じだが、全然文化が違う)の掟が理解できず、もう9ヵ月以上経つのにまだ試行錯誤中で、相手の機嫌を損ねたり、予定が立たなかったりまあいろいろ。
そして体調も今までになく良くないので、自分への甘えが出てしまう。
働いてないんだから全然楽なはずなのに。
いかん。
と、頭では理解していながら体と精神がついてこない。
例によりブログはしばらくお休みして、沈むところまで沈んでから浮上を目指します。
頑張れない時もあるさ。
よくあることなので声掛けは無用です。
では、また。
書類作成ちうなれど現実逃避ちう。脳みそつかいすぎてちりちりする。
図書館は昨日から通常営業の深夜12時まで、ですがご飯を作るという主婦業との両立のため(←最低限過ぎて主婦と名乗るのが恥ずかしい)スクールバスに間に合う夕方まで、あと1時間であらかた作らないと明日の教授との面談に間に合わない。
書類に添付する資料を検索しているのだが、反論に十分な書類がまだ見つからない。
神経生理分野から神経心理分野まで手を広げたら、全然研究とは関係ない、しかもリハに関係ある面白い本を見つけてしまってもう大変。読みたい。すごく読みたい。が、今はダメ(涙)
わしの計算が弱いのもリハビリできるかもしんない。
とか、
現代鬱(たくさん来られるほどのブログではないので検索にかかるあの言葉では書かないっ)の攻撃性もこれに関係あるかも。
とか、
高血圧に長くさらされると心機能だけでなく、認知機能も低下するのか!
とか、
・・・結局読んでるじゃんか(汗)
ちなみに、高血圧でいびきをかく場合は、SAS(睡眠時無呼吸症)の検査をお勧めしたりします。
理由は、たぶんネットでもそれほど間違ってないから自分で探してください。(時間が惜しくなったらしい)
とりあえず、年末年始の頭痛が治まってよかった。我慢して吐かなかったのが多分良かった。最近は吐くと水素イオンの排出過多で、アルカローシス起こして手足しびれたり痙攣したり気持ち悪くて1日廃人になったりするので困る。
しかし頭が痛くなくても、半分使い物にならないこの状況。
・・・ううう。勉強します(涙)
図書館は昨日から通常営業の深夜12時まで、ですがご飯を作るという主婦業との両立のため(←最低限過ぎて主婦と名乗るのが恥ずかしい)スクールバスに間に合う夕方まで、あと1時間であらかた作らないと明日の教授との面談に間に合わない。
書類に添付する資料を検索しているのだが、反論に十分な書類がまだ見つからない。
神経生理分野から神経心理分野まで手を広げたら、全然研究とは関係ない、しかもリハに関係ある面白い本を見つけてしまってもう大変。読みたい。すごく読みたい。が、今はダメ(涙)
わしの計算が弱いのもリハビリできるかもしんない。
とか、
現代鬱(たくさん来られるほどのブログではないので検索にかかるあの言葉では書かないっ)の攻撃性もこれに関係あるかも。
とか、
高血圧に長くさらされると心機能だけでなく、認知機能も低下するのか!
とか、
・・・結局読んでるじゃんか(汗)
ちなみに、高血圧でいびきをかく場合は、SAS(睡眠時無呼吸症)の検査をお勧めしたりします。
理由は、たぶんネットでもそれほど間違ってないから自分で探してください。(時間が惜しくなったらしい)
とりあえず、年末年始の頭痛が治まってよかった。我慢して吐かなかったのが多分良かった。最近は吐くと水素イオンの排出過多で、アルカローシス起こして手足しびれたり痙攣したり気持ち悪くて1日廃人になったりするので困る。
しかし頭が痛くなくても、半分使い物にならないこの状況。
・・・ううう。勉強します(涙)
おめでとうございます。
あちこち痛いとか言いながらも何となく歳をこせて新しい歳を迎えることもできました。ありがたいことであります。
親父も生きていました。彼が昇天するまでは実家へのお泊りは無理です。
あの様子だと次の年越しは無理かもしれない。
母親は親父が餅をのどに詰まらせないように小さく切ったり注意をしているようだ。
世間では、この時期には必ず出てくる餅で窒息するお年寄りのニュースの度に「死ぬ危険が高いのにどうして餅食わせた」というコメントが必ず付くわけであるが、余所のお年寄りはともかくうちの父ちゃんのように生きがいは最早食うことのみであるならば、好きな物食って窒息死するのは本望だろうからもう構わないと思うのだ。消費庁は既に危険性を通達済とのことだが、「餅は70才以上と、障害者に提供することを禁ずる」なんてことになる未来予想図はいかがなものかと。
しかし、年末にニュースになった「酔って電車と線路に挟まれ」ても死ななかったので、うちの親父は餅ぐらいではそう簡単に死なないかもしんない。
その親父の血を引いたバカ娘のわしであるが、ゼミの忘年会ではあの雰囲気に飲まれて酒を一滴も飲まなかった。小さな頃から友達が少なく、「うんこが集まってもただの肥溜め」と群れるのを嫌うわしであったが、ああいう頭のいい人達が群れるのは世の中の役に立つのかもしれないな。細胞は一つ一つでも、たくさん集まれば高性能な臓器を形成するように。
わしは出自が違うので、例えばあの人たちが腎臓ならば、副腎のようにへばりついていければいいのだが、実は所詮はやっぱり排泄物(尿)だったりするとちょっと嫌。
相方みかんは年末のスポーツ特集でのイチローの言葉、「僕が目指しているのはすごい野球選手なんかじゃなくて、人間として成長すること」というのを聞いてものすごく感服していた。年齢や立場を問わずどんな相手の話であっても良い話はいつでも素直に受け入れることができる君は素晴らしいと思うよ>みかん。
わしはそのお言葉は、多分若い頃は感心しても皮膚では理解できなかったと思う。
去年、叩かれまくってやっとわかってきたことがある。一つのところを突き詰めて頑張って自分の弱さを補ってまた吐きそうになるほど頑張って進んでいくと、あるところから自分がより上に登ることを考えるようになり、他人が気にならなくなってくる。他人に興味を失うという意味ではなく、比べることに意味を感じなくなる。
とは言え、当然わしのレベルなんぞ、一流のスポーツ選手や学者や芸術家のその感覚とはきっと違う。しかし、その”感覚”の存在が信じられるようになった。若い頃はそんな存在を知っていても理解することはなかった。それは多分才能の違いだと思っていたから、わしのかつての日記には才能の欠如を嘆く言葉が多かったのだが、最近どうやらそれだけではないということを今更理解した。それは普通の受験勉強やノルマの達成感ではない、努力の課程で感じる感覚である。
それを理解して何が得かというと、今のところは読んで楽しい本の幅が広がったというぐらいであろうか。まだ「人間としての成長」を目標と出来るほどの業績を上げていないので。
今年の目標は間違いなく「修論を仕上げること」であるので、とりあえずそれ以外のことは全て目をつぶる方向で。ブログも多分あまり書きませんので、読んでくださっている方にはごめんなさい。
でも、ぶつぶつその辺で文句を言ってると思います。
あちこち痛いとか言いながらも何となく歳をこせて新しい歳を迎えることもできました。ありがたいことであります。
親父も生きていました。彼が昇天するまでは実家へのお泊りは無理です。
あの様子だと次の年越しは無理かもしれない。
母親は親父が餅をのどに詰まらせないように小さく切ったり注意をしているようだ。
世間では、この時期には必ず出てくる餅で窒息するお年寄りのニュースの度に「死ぬ危険が高いのにどうして餅食わせた」というコメントが必ず付くわけであるが、余所のお年寄りはともかくうちの父ちゃんのように生きがいは最早食うことのみであるならば、好きな物食って窒息死するのは本望だろうからもう構わないと思うのだ。消費庁は既に危険性を通達済とのことだが、「餅は70才以上と、障害者に提供することを禁ずる」なんてことになる未来予想図はいかがなものかと。
しかし、年末にニュースになった「酔って電車と線路に挟まれ」ても死ななかったので、うちの親父は餅ぐらいではそう簡単に死なないかもしんない。
その親父の血を引いたバカ娘のわしであるが、ゼミの忘年会ではあの雰囲気に飲まれて酒を一滴も飲まなかった。小さな頃から友達が少なく、「うんこが集まってもただの肥溜め」と群れるのを嫌うわしであったが、ああいう頭のいい人達が群れるのは世の中の役に立つのかもしれないな。細胞は一つ一つでも、たくさん集まれば高性能な臓器を形成するように。
わしは出自が違うので、例えばあの人たちが腎臓ならば、副腎のようにへばりついていければいいのだが、実は所詮はやっぱり排泄物(尿)だったりするとちょっと嫌。
相方みかんは年末のスポーツ特集でのイチローの言葉、「僕が目指しているのはすごい野球選手なんかじゃなくて、人間として成長すること」というのを聞いてものすごく感服していた。年齢や立場を問わずどんな相手の話であっても良い話はいつでも素直に受け入れることができる君は素晴らしいと思うよ>みかん。
わしはそのお言葉は、多分若い頃は感心しても皮膚では理解できなかったと思う。
去年、叩かれまくってやっとわかってきたことがある。一つのところを突き詰めて頑張って自分の弱さを補ってまた吐きそうになるほど頑張って進んでいくと、あるところから自分がより上に登ることを考えるようになり、他人が気にならなくなってくる。他人に興味を失うという意味ではなく、比べることに意味を感じなくなる。
とは言え、当然わしのレベルなんぞ、一流のスポーツ選手や学者や芸術家のその感覚とはきっと違う。しかし、その”感覚”の存在が信じられるようになった。若い頃はそんな存在を知っていても理解することはなかった。それは多分才能の違いだと思っていたから、わしのかつての日記には才能の欠如を嘆く言葉が多かったのだが、最近どうやらそれだけではないということを今更理解した。それは普通の受験勉強やノルマの達成感ではない、努力の課程で感じる感覚である。
それを理解して何が得かというと、今のところは読んで楽しい本の幅が広がったというぐらいであろうか。まだ「人間としての成長」を目標と出来るほどの業績を上げていないので。
今年の目標は間違いなく「修論を仕上げること」であるので、とりあえずそれ以外のことは全て目をつぶる方向で。ブログも多分あまり書きませんので、読んでくださっている方にはごめんなさい。
でも、ぶつぶつその辺で文句を言ってると思います。
こばわ。いつもの蕎麦屋で順番待ちのさんちゃんです。
昨日は、いろいろやりたいこと(掃除)がありましたが、頭痛でほぼダウンしておりました。今日もまだ痛かったけど、辛うじて出窓と換気扇とガス台は綺麗に出来て良かった。
確か去年の30日も倒れてたっけ。まあ、来年はこの当たりで論文の目処が立っていれば死なない程度に倒れてもいいや。
昨日、倒れる前に承ったレクチャーが、「出会い系というビジネスモデルについて」だった。詳細は省くのだが、ようするに初めに金が必要で、回りはじめれば全国1兆円産業のようだ。
なるほど、搾取する側の人はいろいろなことを考えるのだなあ。一緒に仕事すると、もう稼がなくても生きていけるもんだから些細なことで仕事を止めて大変らしい。
わしらには金持ちの考えることはわからん、だから庶民なのだな。
大晦日にお気に入りの蕎麦屋で酒飲みながら蕎麦食えるだけの金と健康があれば、わしはおけーよ。
とりあえず冥土の旅もまた楽し
皆様、良いお年を。
Android携帯からの投稿
昨日は、いろいろやりたいこと(掃除)がありましたが、頭痛でほぼダウンしておりました。今日もまだ痛かったけど、辛うじて出窓と換気扇とガス台は綺麗に出来て良かった。
確か去年の30日も倒れてたっけ。まあ、来年はこの当たりで論文の目処が立っていれば死なない程度に倒れてもいいや。
昨日、倒れる前に承ったレクチャーが、「出会い系というビジネスモデルについて」だった。詳細は省くのだが、ようするに初めに金が必要で、回りはじめれば全国1兆円産業のようだ。
なるほど、搾取する側の人はいろいろなことを考えるのだなあ。一緒に仕事すると、もう稼がなくても生きていけるもんだから些細なことで仕事を止めて大変らしい。
わしらには金持ちの考えることはわからん、だから庶民なのだな。
大晦日にお気に入りの蕎麦屋で酒飲みながら蕎麦食えるだけの金と健康があれば、わしはおけーよ。
とりあえず冥土の旅もまた楽し
皆様、良いお年を。
Android携帯からの投稿
久々に、吐くまで飲んだ●-2点。
大人の点取り占い風に絶賛反省ちうのさんちゃんですこんにちは。・・・まだかったるい。
何だかここ何回かエラそうなことぬかしとりましたが(や、いつもか)結局は酒飲みです。しかも大酒飲みです。しかも病気もちです。バカというより最早ダメだね(頭ふりふり)
昨日は忘年会第一弾、リハ学校に入る前に半年ほどいた医療系予備校での小論文の先生を囲む会であった。そもそもさるさるで日記をつけ始めるきっかけになったのが、この先生に習ったことを実践してみようと思ったからである。つまりわしがこうしてブログを書いているのは彼のお蔭である。
さるさるの良かったところは字数が表記されており、1000字までしかアップできなかったことだ。
字数制限があると、無駄な文章を削るので文章としての完成度がアップする。
ブログになってから制限がないもんだからつい、余計なことを書いてしまうので反省している。わしが読み返したくないんだから読んでくれる人も読みたいはずがない。わしも人様の長いブログはあまり読みません。縦に長いだけで読みたい感半減。
(↑書いてるそばからもうこのパラグラフが余計だっちゅの・笑)
この予備校の先生は、本当かよという眉唾くさいエピソードを多数持つが、話も文章も上手いし人間観察も鋭い。取れる資格は同じなんだから、私立の適当な学校に入れればいいやと思っていたわしに、「その歳じゃ私立は無理!」と厳しい受験の道を歩ませた恩師である。それはいい読みであった。高年齢でも入れる私立はあるのだが、学校のレべルが低かったり歴史が浅かったりするため、ただでさえ苦労した就職はもっときつくなってたと思う。(就職できなかったかもしれない)
去年、院の受験に小論文は必要なので急にちょっと不安になって電話したことから、久々に仲間と集まって忘年会をすることになり、今年がその2回目である。
まあ、いろいろな話は出たが、またまた予備校時代に書いた小論文の話題になり、
「さんでいさんは文章は上手いんだけどもう論旨が滅茶苦茶なんだもの。1回目は滅茶苦茶に添削してやった」
「人生の論旨が滅茶苦茶ですから。バカだもん。」
「でも、口ではバカだバカだと言うけど、本当にバカだとは思っていないだろ。だから何度でも無茶なことをする」
・・・そんなことはない。バカだということは知っている。
ただね、世の中の人の多くはわしと同レベルかそれよりのバカだと思っているだけだ。
不遜な発言で申し訳ない。が、わし考えるに、世の中は90%以上のバカと一握りの頭のいい人で構成されており、バカは頭のいい人にお金を貢ぐようにできている。バカが多くないと搾取する頭のいい人が困るから、バカにバカって言わないだけだあよ。
わしはバカ組。そしてわしに説教している先生も、相当面白い人生を歩んでどう転んでも損せず働いて生きてはいるが、どっちかというとわしの組だよ(笑)でなきゃ、こんなところでしょもないおばさんんと飲んだくれてはいない。
ところで、去年は来なかった仲間から昨日のお礼メールが届いたのだが、
「久々に原点に返った気がしました。」
ああ、わしも久々に学生時代の酒部のようなバカ飲みをしてこの始末だ。原点がこれか。がっくり。
本日の結論:明日も昼飲みです。T枝さん、安心してくれたまえ。相変わらずダメです。
大人の点取り占い風に絶賛反省ちうのさんちゃんですこんにちは。・・・まだかったるい。
何だかここ何回かエラそうなことぬかしとりましたが(や、いつもか)結局は酒飲みです。しかも大酒飲みです。しかも病気もちです。バカというより最早ダメだね(頭ふりふり)
昨日は忘年会第一弾、リハ学校に入る前に半年ほどいた医療系予備校での小論文の先生を囲む会であった。そもそもさるさるで日記をつけ始めるきっかけになったのが、この先生に習ったことを実践してみようと思ったからである。つまりわしがこうしてブログを書いているのは彼のお蔭である。
さるさるの良かったところは字数が表記されており、1000字までしかアップできなかったことだ。
字数制限があると、無駄な文章を削るので文章としての完成度がアップする。
ブログになってから制限がないもんだからつい、余計なことを書いてしまうので反省している。わしが読み返したくないんだから読んでくれる人も読みたいはずがない。わしも人様の長いブログはあまり読みません。縦に長いだけで読みたい感半減。
(↑書いてるそばからもうこのパラグラフが余計だっちゅの・笑)
この予備校の先生は、本当かよという眉唾くさいエピソードを多数持つが、話も文章も上手いし人間観察も鋭い。取れる資格は同じなんだから、私立の適当な学校に入れればいいやと思っていたわしに、「その歳じゃ私立は無理!」と厳しい受験の道を歩ませた恩師である。それはいい読みであった。高年齢でも入れる私立はあるのだが、学校のレべルが低かったり歴史が浅かったりするため、ただでさえ苦労した就職はもっときつくなってたと思う。(就職できなかったかもしれない)
去年、院の受験に小論文は必要なので急にちょっと不安になって電話したことから、久々に仲間と集まって忘年会をすることになり、今年がその2回目である。
まあ、いろいろな話は出たが、またまた予備校時代に書いた小論文の話題になり、
「さんでいさんは文章は上手いんだけどもう論旨が滅茶苦茶なんだもの。1回目は滅茶苦茶に添削してやった」
「人生の論旨が滅茶苦茶ですから。バカだもん。」
「でも、口ではバカだバカだと言うけど、本当にバカだとは思っていないだろ。だから何度でも無茶なことをする」
・・・そんなことはない。バカだということは知っている。
ただね、世の中の人の多くはわしと同レベルかそれよりのバカだと思っているだけだ。
不遜な発言で申し訳ない。が、わし考えるに、世の中は90%以上のバカと一握りの頭のいい人で構成されており、バカは頭のいい人にお金を貢ぐようにできている。バカが多くないと搾取する頭のいい人が困るから、バカにバカって言わないだけだあよ。
わしはバカ組。そしてわしに説教している先生も、相当面白い人生を歩んでどう転んでも損せず働いて生きてはいるが、どっちかというとわしの組だよ(笑)でなきゃ、こんなところでしょもないおばさんんと飲んだくれてはいない。
ところで、去年は来なかった仲間から昨日のお礼メールが届いたのだが、
「久々に原点に返った気がしました。」
ああ、わしも久々に学生時代の酒部のようなバカ飲みをしてこの始末だ。原点がこれか。がっくり。
本日の結論:明日も昼飲みです。T枝さん、安心してくれたまえ。相変わらずダメです。