明けまして | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

おめでとうございます。
あちこち痛いとか言いながらも何となく歳をこせて新しい歳を迎えることもできました。ありがたいことであります。

親父も生きていました。彼が昇天するまでは実家へのお泊りは無理です。
あの様子だと次の年越しは無理かもしれない。

母親は親父が餅をのどに詰まらせないように小さく切ったり注意をしているようだ。
世間では、この時期には必ず出てくる餅で窒息するお年寄りのニュースの度に「死ぬ危険が高いのにどうして餅食わせた」というコメントが必ず付くわけであるが、余所のお年寄りはともかくうちの父ちゃんのように生きがいは最早食うことのみであるならば、好きな物食って窒息死するのは本望だろうからもう構わないと思うのだ。消費庁は既に危険性を通達済とのことだが、「餅は70才以上と、障害者に提供することを禁ずる」なんてことになる未来予想図はいかがなものかと。

しかし、年末にニュースになった「酔って電車と線路に挟まれ」ても死ななかったので、うちの親父は餅ぐらいではそう簡単に死なないかもしんない。


その親父の血を引いたバカ娘のわしであるが、ゼミの忘年会ではあの雰囲気に飲まれて酒を一滴も飲まなかった。小さな頃から友達が少なく、「うんこが集まってもただの肥溜め」と群れるのを嫌うわしであったが、ああいう頭のいい人達が群れるのは世の中の役に立つのかもしれないな。細胞は一つ一つでも、たくさん集まれば高性能な臓器を形成するように。

わしは出自が違うので、例えばあの人たちが腎臓ならば、副腎のようにへばりついていければいいのだが、実は所詮はやっぱり排泄物(尿)だったりするとちょっと嫌。


相方みかんは年末のスポーツ特集でのイチローの言葉、「僕が目指しているのはすごい野球選手なんかじゃなくて、人間として成長すること」というのを聞いてものすごく感服していた。年齢や立場を問わずどんな相手の話であっても良い話はいつでも素直に受け入れることができる君は素晴らしいと思うよ>みかん。

わしはそのお言葉は、多分若い頃は感心しても皮膚では理解できなかったと思う。

去年、叩かれまくってやっとわかってきたことがある。一つのところを突き詰めて頑張って自分の弱さを補ってまた吐きそうになるほど頑張って進んでいくと、あるところから自分がより上に登ることを考えるようになり、他人が気にならなくなってくる。他人に興味を失うという意味ではなく、比べることに意味を感じなくなる。

とは言え、当然わしのレベルなんぞ、一流のスポーツ選手や学者や芸術家のその感覚とはきっと違う。しかし、その”感覚”の存在が信じられるようになった。若い頃はそんな存在を知っていても理解することはなかった。それは多分才能の違いだと思っていたから、わしのかつての日記には才能の欠如を嘆く言葉が多かったのだが、最近どうやらそれだけではないということを今更理解した。それは普通の受験勉強やノルマの達成感ではない、努力の課程で感じる感覚である。

それを理解して何が得かというと、今のところは読んで楽しい本の幅が広がったというぐらいであろうか。まだ「人間としての成長」を目標と出来るほどの業績を上げていないので。

今年の目標は間違いなく「修論を仕上げること」であるので、とりあえずそれ以外のことは全て目をつぶる方向で。ブログも多分あまり書きませんので、読んでくださっている方にはごめんなさい。
でも、ぶつぶつその辺で文句を言ってると思います。