週刊さんでいリターンズ -26ページ目

週刊さんでいリターンズ

起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

あかんでオカン。

いや、わしがあかんのや。

もー、真面目なこと書こうとすると途中から何書いてるかわかんなくなってるし。
バカが一度にいろいろなことをするから大変よ。

それならこまめに書きゃいいのだが、そうすると1日2時間以上の時間をブログに取られることになっちゃうし。それは無理。あの女医さんの言う通りで、職業的な責任感を持って記事書こうとすると、言葉選びや下調べでどうしてもそうなる。真面目だな、わし。他の生活場面ではかなり適当だけど仕事の婆はちょっと違う。新宿2丁目のママは男だぜ。

・・・何をしたいのかよくわからなくなってきたからこの辺で。

本日の結論:たぶんちょっと愚痴りたかったのだと思われ。

それにしても相変わらず某J医大の公開講座はすごかった。
本当の診察の時もあんなに丁寧なのかな。だとしたらすごいな。
本当であれば今日から神戸に行くはずだったのだが(涙)

今日は実験の責任者と被験者の両方。明日は解析と戦略の立て直し。

それにしても、大事な実験の前には、いつも失敗する夢を見るのが笑える。


師匠は、修士1年の子を手伝いに差し向けてくれた。彼がまた非常によくできた子で

「CPXの実験を見たいといったら、さんでいさんの見学をするように言われました」

と言っていたが、他の先輩その他状況を鑑みてわしの脳内グーグル翻訳をしたら、
師匠がその優秀な彼に



「さんでいさんの実験を手伝ってあげて」


とおっしゃったのだと思われる。それをその通りに表出しないでわしを立てる非常に優秀な彼。


そして、寝たきりにはならないものの体調絶不調でまた通院を余儀なくされた。
家でめるにて実験の打ち合わせをしたもので、先週末から今週初めにかけて、自分の年齢半分以下の若いダンスィとのメールでめるぼっくすがいっぱいだ。世間に対して申し訳ない。

外骨格の痛みなんて死にゃしないけど、リンパ病変は死病になる恐れもあるから怖いなあ。
研究が終わるまでは死にたくない。

今日はもう限界っす。しばらく無理だと思う。
真面目なにきで近況更新の可能性あり。

本日の結論:疲れた。
題名の件で、昔恥をかいたw

「身を”こな”にする」と口走っちまって恥をかいたこともあった大学時代。

「それでも日本文学科か」と級友に怒られた。奴らやサークル(一応物書く系だったです)のお蔭でちょっとはまともになったはず。


屈辱は晴らすもので、果たすのは雪辱だ。

汚名は払拭するもので、挽回するのは名誉。(某運動雑誌の大見出しで、間違っていたな・・・)

的は射るもので、得るのは当。(メジャーで4勝目の若い某日本人投手がツイッターで誤用せず使っていたのに感心)

小姑のようで申し訳ない。
しかし箸の持ち方とおんなじで、地位や学歴がお高めの人が間違っているとちょっと幻滅するポイントではなかろうか。


で、題名の件なのだが。

相方がまた何か本を読んで「つまんねー」と怒っていたので、話を聞いてみた。

どうやらキャッチコピーで何か勘違いをしたらしく、あてにしていたことにはほぼ触れられていなかったらしい。そして、「おおじだい」的な物言い(物書き?)にうんざりしたようだ。

わし「どうせわしらの10歳ぐらい上でしょ?」

相方「・・・あ、本当だ。ちょうど10歳だ」

もちろん全てが全ての方がそういう訳ではないことは承知しているが、ブログでもエッセイでも

「大衆に告ぐ」とか、

「男(女)たちよ(へ)」とか、

中身がたいしたことない割に、”おおじだい”的な煽るタイトルや文体が多かないか、という話題になった。(例えばタイトルで言えば村上某氏の「全ての男は消耗品である」とかね)

「今は、誰でもブログやツイッターを簡単にできるし、物書きじゃないけど経営者とか学者とか頭のいい人が面白いことを書くようになったよね。昔は新聞とか本ぐらいしか読むものがなかったもんね。かえってプロの物書きの人達が評価されにくい時代になっているんじゃないかな」

と、作家を擁護してるんだかけなしているんだかわからん相方。

わし「彼らの場合、読んでいたものに大時代的な文章の原因があるんじゃないのか?
特に、わしらの10歳ぐらい上の世代だと、お手本となったのが社説や”天声人語”だったりするじゃん。それで彼らの世代の文章は大仰な文章になるんじゃない?」


それに同意しちゃったらしい相方がツイで呟いてみたら、同世代からの反響が結構あったらしい。

相方が教えてくれた中で、わしが感じ入ったのが、一流企業の管理職と思しき女性のご意見だ。

「その周囲は学生運動華やかなりし頃の人達で、”自分は何でもできる”と思っていざ会社に入ったら、実際は何にもできなかったのではないでしょうか」

・・・おお。

相方は、そして何もできない自分に気が付いて、ブログやツイッターなど発言の機会を得て、昔アジっていた時のように大時代的な物言いになるのでしょうかね、とリプライしたようだ。

・・・ほお。


学生運動はナマで見てないのでその時代背景については何も言えんのだが。

恐らくその女性は、何もできない上司(下手をすると最終的には部下?)から苦労をさせられているんだろうなあ。


そうはいっても、わしらの世代も既に世の中から遅れつつあることを、CMソングから知る今日この頃だ。年くって中身のないアジテートしかできないのであれば、せめて微笑ましさを目指したいw

本日の結論:ツイッターで「的を射ていませんよね」と答えていたダルビッシュ有氏を見直しました。
また友人を一人亡くした。

この歳になるとそういう話も珍しくなくなる。
しかし、報道されてしまうような亡くなり方で某大型掲示板でも話題になっていたりするので複雑。

もちろんそこでも指摘されていた通り分かってはいたと思うのよ、きっちりとした人だから。
ただ、本人も死ぬまでの大事になるとは思わなかったんだと思う。


・・・いい、何を言っても結果は結果だ。
とにかくご冥福を祈ります。楽しかったね、あの頃。ありがとうね。


たぶん、単に40過ぎるとわしらが思っている以上に体力は落ちているんだろうな。病気でもしてないと気がつかないだけで。

リハやってると、50代ぐらいは結構リハの効果がでるから、「まだ若いからね」と思っていたけど、そうじゃなくてそれ以上の体力の落ち方は尋常ではないということなんだろう。というか20代30代じゃ、やんちゃしても簡単には病気にならないが、余力があるだけのことなんだろね。

まあ、それが生き物の宿命なんだろうな。


岡本夏生の「40代になったら死ぬ準備しとけ」に感化されたわけではないが、前々からいらないものは捨てなければなあ、と思っていたので連休の機会に着なくなった服を捨てている。やっと段ボール2箱分ぐらい捨てたが、まだ家の見た目は全然変わっていない。タンスの肥やしとはよく言ったものだ。

目標としては、あと段ボール3箱ぐらい捨てて、引っ越しの時に積んだままの(確か既にこの前の引越しから7年・・・)段ボールは片づけることなのだが、妙に物持ちがよくて微妙に着られるものでなかなか捨てることができなかった。今回は年齢や体型的に無理なものは思い切って切るつもりだ。

老人ホームにでも入ることになったら、今日捨てた段ボール2箱分ぐらいで荷物は足りるもん。

独立型でない限りは、食器類はいらないし、本当に身の回りの物で十分だ。死に装束以外は残された方も困るだろうし。

なんて思うともう新しく欲しいものはほとんどないな。酒と相方との思い出だけで十分だ。

何この無常観w


ところで、もしうちの夫婦で居住型老人ホームに入ることになったら、相方みかんは段ボール2箱では入りきれないぐらい大量のぬいぐるみを持ち込みそうな件について。

本日の結論:相方「ぬいぐるみは荷物に入るんですか?」
・・・とりあえず、連休後半は汚れたぬいぐるみを洗わないとなあ。
見ました?奥さん、アメーバニュースの「ハゲに終止符!」云々。
http://news.ameba.jp/20120327-558/

”ハゲでお悩みのみなさま、ついにハゲる原因がわかりました! 特効薬まであと1歩でっせ!
 
米ペンシルバニア大研究班が脱毛症の男性17人の頭皮の毛根を調べてみたところ、なんとハゲてるところはフサフサ部より「プロスタグランジン(Prostaglandin:PGD2)」と呼ばれるタンパク質が3倍集中していることがわかったのです。”

どこの教授かと、元文献ぐらい書いとけよ>アメーバはじめ各種ニュース。こんなもんpubmedに乗っているとは思えない。

そして、フサフサ部のどこにPG2だよ、表皮か真皮か。はっきり言うけどハゲの執念って結構ハゲしいぞ?株屋の時、ミノキシジルがどのぐらい相場になったと思っておるんだ(笑)いや、マジで。

表皮、じゃんくて表面しか見てないから元文献をつけるぐらいの簡単なこともできないんだ。わしの株屋時代とおんなじだぞ。頭が悪いって本当に罪だが、気が付かないことの方が罪だよなあ、、、

ところで、アラキドン酸から問題のPG2はじめプロスタノイド産生と同じ代謝経路をたどって、PG3にしてくれるものがあるじゃないか。わしの姉記事を読んでいらさる人ならお分かりの通り。
わしだけではなく、旦那の為にも食わせる物を替えよう。


★本日の結論:少しは考えられるようになりました。師匠、ありがとう。でもまだバカだと思います。

♪ネットの言うことを信じるようなバカにはなりたくない。そしてナイフを持って立ってた。
そして、いろんなことが思い通りになったらいいのにな、、、(中年の詩)
ども、飲酒で死んだ学生のニュースが出ている今日この頃、その大学の卒業生・さんちゃんですこんばんは。

Drink, or die.じゃなくて、Drink, and die.か。接続詞が違うと大変なことになるから、英語も勉強しよう(←違 

・・・ご冥福はお祈りしますが、やっぱり自分の限界は知らないと危ないです。親御さんがかわいそうじゃないですか。とりあえず、相変わらず飲んでるけど、生きてますから父さん、母さん、安心してください。

なんだかあっちこっちで真面目なことばかり書いてたら嫌になっちゃったのでいつもの調子で書くよ。


最寄駅の近くにテレビに出たことがあるらしい狭い串カツ屋がある。行ったことないので知らんのだが、居酒屋M&Aだったのだろうか、同じ経営者でおでんの店と焼き肉の店とがあるのだが、どの店でも融通を効かせて同じメニューが食えるようになっているようだ。

そして、これも経営者が変わる前は一部で知られていたラーメン屋が、経営が変わって潰れてしまった、と思ったらいつの間にか串カツ屋になっていた。

元々の店名はどうだかわすれたが、そこは「ここから」になっている。といっても既に4店舗目だ。


わし「この分だとこの一帯(狭い店舗)は串カツ屋に乗っ取られるな」

相方「このタバコ屋(改装中)も?」

わし「もちろん串カツ屋だ。ここもここも全部串カツ屋に乗っ取られる」

相方「・・・」

わし「で、〇〇ストアまで全部串カツ屋になって、、、」

相方「・・・」

わし「ここの店は”ここまで”って名前になる」

相方「・・・」

冗談が受けなかったみたいだ。


本日の結論:そんなもな、ねえよ。
・・・不思議だ。

1つの商品の伝票の宛名を2通りで出すのは出来るのに(通常そっちの方が難しいだろう)、それをファックスかpdfで送るようにお願いするのは何回電話しても無視、というのはどういうことなんだろう。

と書いてる途中に、半端に依頼6枚のうちの2枚だけpdfが来た。風変りな文化だな。

と、仕事の愚痴から入ってみたさんちゃんですこんにちは。
明日は朝から学校だが、とりあえずの精神的負荷から明日で逃れられるはず。


来週からは新しい地獄が待っているけどな、、、、
しかしこの地獄は自分で立ち向かうしかない訳で代理はきかない。そりゃそうだ、自分の研究だし。

同じように、学生時代の実習も自分で何とかするしかなかった。
勤め始めれば、いくら自分担当の患者さんとはいえ、間違えた治療をする訳にはいかないので先輩や他職種との連携は必要だ。しかし学生の実習の目的は「自分で考える能力をつける」事のはず。

わしがSVをした初めの学生は、わしと同レベルの大学出身の社会人経験者で、礼儀や常識はしっかりして人当たりも良く、人の意見や文献をまとめるのは得意であった。ところが自分で考えるということがからきしダメだった。残念ながら、学生時代のわしもそうだったと思う。それが日本の労働層の中間レベルの現実なのだろう。作業を早くする工夫や、「報・連・相」は出来ていたとしても、その裏の社会の複雑仕組みまでは考えてない、それで仕事ができると言われる程度の世界。

わしの学生さんの場合は、考える以前の情報収集面での問題があったので、そっちに絞って指導したのだが、後から聞いたところによると、その後どこでも大変だったそうで、、、そうだろうなあ。わしも大変だったもんな。本当、バカって生きてるだけでも大変。


わしらの仕事の場合は、患者さんとのつきあいでは「わたし!」を捨てないと患者さんと上手くいかないし、心の病の場合はわしのように不幸な事件を起こす場合もある。

が、リハビリを組み立てたり、研究をする上では「わたし!」を持たないと成立しない。何もかも人に聞かないと進められない、または人の意見に左右されて自分がないのではいつまでたっても一人何もできない。患者さんに迷惑だ。

ということを、言葉にはしなくても何となくわかっていたのだろう、実習や仕事中の、集中せねばならない時にはにき書かなくなる。答えは患者さんや実験データの中にしかない。こんなとこで人の意見を耳や目にして「何も知らない癖に」と不愉快になるぐらいなら、初めから書かなきゃいい。


という訳で、「わたし!」になっているのが自分の場合は、「抱えている問題と関係ない人とは連絡を断つ」というのがわしの戦略だ。わしの問題を解決してくれそうな、すごい教授やPTがたまたまわしの糞ブログを見つけて助言をくれるなら、書く価値があるが、そんなことは、道に金塊が落ちているのを見つけるより可能性が少なかろう。無駄な時間を使うなら、1人で悩むかゼミの先輩に相談する。


ところが、担当している患者さんが「わたし!」になっている場合であるが。

去年夏頃のわしのように、大概パニックになっているので、他人の意見は受け入れない。受け入れないのに、他人と関わることは求める。寂しいから。そして意見を聞いて「何もわかってない癖に!」と怒る、という訳だ。

難しいですよね。

大学の基礎のドクター(すごくおもろい)によれば、一番いいのは
「関わり合いにならないこと」
だそうだ。

そりゃそうだ(笑)わしだって関係ない人ならそうするよ、でも患者さんじゃそうはいかないじゃないですか、ドクター。

その話題はもう明日の面談と、来週からの地獄に備えてしばらくお預けにします。

ちょっと別件で書かねばならないところがありますので、ここはしばらく留守します。見て怒ったりしないようにコメント欄は閉じておきます(←だったら書くなよ、と言われたらその通りです・笑)


正直、今現在かなりめげている。
古くからの読者さんは、わしがにきあぷしない時は本当にめげている時ということはご存知だと思われる(笑)

現在めげている理由をつきつめて考えるに、勉強の状況よりも、たぶん持病である。しかも病気そのものの病態よりも病気を憂う精神状態だ。過去の患者さんにオーバーラップするところがある。病気のせいにしちゃいけない、って患者さんが言ってるのになあ。

普段はみくしで毒抜きをするが、それをわざわざここで書くのは、あのOTさんや、あの若い友人が読んでくれるかも、と思うからだ。いつものわしとは違う方向のにきになります、ご容赦を。

当然かなり伏せるが、若干守秘義務抵触方向。(場合によっては後日消します)

***

入職何年目だったか忘れた。どう間違ったのか当院の守備範囲外の心の病で入院された患者さんを担当した。

毎日2~3単位、身体的なリハも行いながら傾聴を中心にリハビリを行っていた。

毎日毎日、精神的な辛さ、現在の状況(家族、病院病棟、リハ担当者である私)に対する不満の訴えを、否定せず時間一杯聞いて、必要に応じて夜間(どこもそうだと思うが、9時ぐらいまで普通に仕事あった)に見に行ったり、こまめに関わるようにしていた。

訴えを聞いた上でいよいよこのままでは辛いだろうから、ご家族の来るこの日に私も同席しますから事情をご家族に一緒に話しましょう、と話し合って決めた前日、その方は病院では起こってはいけないことをした。

幸いお身体には別状がなかった。(正確には多少あったのだが)


その日、わしはたまたま休みを取っていて(補足:たまたまではなく、その日を狙った可能性大)、翌日、出社してすぐに班のリーダーから丁寧な報告を受けた。リーダーや、わしのSV(スーパーバイザー)がいろいろ気を遣ってくださっているのがわかった。

後日、その患者さんの病に詳しいOTさんがリーダーとなり症例検討会を開いてくださった。
患者さんの病状、わしの対応、病棟との連携を細かく分析された上で、わしには大きな問題がなく、患者さんもわしをそれなりに信頼してくれたからこそわしに文句を言っていたのだろうが、主治医をもっと巻き込むと良かった、などの助言を頂いた。

当時の自分の記録を見ると、その場はともかく、徐々にその重さを感じて落ち込んでいたのがわかる。

その場も何も感じていなかったのではない。しかし、それ以上にその患者さんと関わることで毎日十分に傷ついていた。毎日毎日、繰り返し繰り返し、自分の無能さ、無力さを指摘する言葉をかけられるのは、いくら相手が病気の人で、自分は医療専門職でも辛いことには変わりがない。それが本当のことなら尚更、八つ当たりであっても。


「あなたにはわたしの気持ちは絶対わからない」


教科書では、「相手の言うことを否定しない」と教わるが、だからといって肯定すると、「あなたのことを絶対わかりません」ということになってしまう。

この言葉への正しい対応の仕方はどうなのだろう。

当時は、「たぶん、正確にはわかるとはおこがましくて言えませんが、とにかく辛いことだけはよくわかります」のようなニュアンスで答えていたと思う。


とりあえず覚えていることは、どんなに否定されても文句を言われても逃げなかった。それは同僚は認めていたので、誰もわしを責めなかった。しかし、同僚に認められたところで、結果は結果である。

しかし、どこかで何かが間違えていた。だからこの言葉を言われたのかもしれない。

そもそも、その方は「助けて」と言いながら、わし(他人)に解決してもらうことを本当は望んでいなかったのではないか。わしが解決を押し付けていた、というのは考えられる。だからこの言葉を言われたのか。


今でもその言葉に対する正しい返答が何かと言われると答えられない。

とりあえずその事件の後に思ったのは、
「リハビリで患者の心を救えると思うのは、とんだ思い上がりだ」
ということだ。それは今もそう思っている。

当時よりも前に進んだかも、と思うことは、その言葉を発する患者さんは、相手を傷つけるとともに、自分も傷つけているのではないかと気が付いたことかもしれない。

「わたしのことをわかるはずがない」「わたしだけがこんな思いをする」「わたしだけ!」「わたし!」「わたし!!」「わたし!!!」

と他人をシャットアウトすること、その言葉を発している自分は無意識で相手を傷つけているということを心のどこかで気が付いている。傷つく感受性を持つ人は、人を傷つけていることを知っていてそんな自分を更に責める。


「あなたにはわからない」「わたしだけが「わたし!」「わたし!!」のうちは、おそらく、リハビリに限らず、他人がどうこうすることはできず、そして自分も救われない、ということに無意識ではなく頭でも気がついてもらうしかないのではないか。

正解かどうかは知らない。そもそも正解があるのかもわからない。

めげている今、病気を持った自分に自問する。

「わたしだけが!」「わたし!」「わたし!!」に、今まさになってはいないか、と。

「酔いつぶれる」と「死ぬ」は、あなたが思っているよりも近い。


医学部教務課の前に貼ってあるポスターだ。

ところで、数年前、某研究室の飲み会で、急性アルコール中毒で、そのまま救急外来にかつぎ込まれた学生がいたそうだ。

結論:そんなものだ。


Android携帯からの投稿
今日もほとんど戦果がありませんでした、、、

昔、別のところで書いたおバカ日記を発掘したので貼ってみる。
だって、最近の自分のブログってばつまらないんだもの、、、

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明日は休みだ。

担当患者さん数もここ半年、ひょっとして1年ぐらいの中で一番少ない頃だし、ゆるゆると回る。夕方近くからふと思いついてデモ品の「パロちゃん」(参照:http://www.paro.jp/)を精神科病棟から借りてみた。

最初はスイッチの入れ方がわからず人に入れてもらう。

「説明書持ってく?」

といわれるが

「なくすとやだからいらない」

と断って車いすで連れてきた患者さんに抱かせてみる。触ると鳴くパロちゃんに喜ぶ患者さん、それ以上に喜ぶ看護師さんたち。こらこら、42万だから乱暴にしないように。

かわいー、と看護師さんが騒ぐ病棟の中で、さすがM子さん(元別病棟の看護師長)は「貸して!」と言うや、病室を回って重症患者達に見せて回る(見せるだけで触らせない。感染対策も抜け目ない)。普段覚醒が悪い患者さん達も、かわいいものを見て喜ぶ。

「いいねえ、こういうの。また借りて来てよ」

師長の器っつーか偉くなる人って違うよな、と感じさせられたのであった。

そうこうするうちに夕方になり、パロちゃんを返しに行くために小脇に抱える。電池が切れかかっているのでみゅーみゅー騒ぐパロちゃんに「はいはい、ちょっと待っててね」と話しかけながら精神科OT室のドアを勢い良く開けた。


・・・会議中の病院役席ご歴々がみゅーみゅー鳴くあざらしのぬいぐるみを少年アシベのように抱えている中年理学療法士を見つめていた。

わし、一生偉くなれないな。

本日の結論
その1 電化製品はスイッチの入切ぐらいは覚えておこう。
その2 今日の予定を頭に入れておこう。