題名の件で、昔恥をかいたw
「身を”こな”にする」と口走っちまって恥をかいたこともあった大学時代。
「それでも日本文学科か」と級友に怒られた。奴らやサークル(一応物書く系だったです)のお蔭でちょっとはまともになったはず。
屈辱は晴らすもので、果たすのは雪辱だ。
汚名は払拭するもので、挽回するのは名誉。(某運動雑誌の大見出しで、間違っていたな・・・)
的は射るもので、得るのは当。(メジャーで4勝目の若い某日本人投手がツイッターで誤用せず使っていたのに感心)
小姑のようで申し訳ない。
しかし箸の持ち方とおんなじで、地位や学歴がお高めの人が間違っているとちょっと幻滅するポイントではなかろうか。
で、題名の件なのだが。
相方がまた何か本を読んで「つまんねー」と怒っていたので、話を聞いてみた。
どうやらキャッチコピーで何か勘違いをしたらしく、あてにしていたことにはほぼ触れられていなかったらしい。そして、「おおじだい」的な物言い(物書き?)にうんざりしたようだ。
わし「どうせわしらの10歳ぐらい上でしょ?」
相方「・・・あ、本当だ。ちょうど10歳だ」
もちろん全てが全ての方がそういう訳ではないことは承知しているが、ブログでもエッセイでも
「大衆に告ぐ」とか、
「男(女)たちよ(へ)」とか、
中身がたいしたことない割に、”おおじだい”的な煽るタイトルや文体が多かないか、という話題になった。(例えばタイトルで言えば村上某氏の「全ての男は消耗品である」とかね)
「今は、誰でもブログやツイッターを簡単にできるし、物書きじゃないけど経営者とか学者とか頭のいい人が面白いことを書くようになったよね。昔は新聞とか本ぐらいしか読むものがなかったもんね。かえってプロの物書きの人達が評価されにくい時代になっているんじゃないかな」
と、作家を擁護してるんだかけなしているんだかわからん相方。
わし「彼らの場合、読んでいたものに大時代的な文章の原因があるんじゃないのか?
特に、わしらの10歳ぐらい上の世代だと、お手本となったのが社説や”天声人語”だったりするじゃん。それで彼らの世代の文章は大仰な文章になるんじゃない?」
それに同意しちゃったらしい相方がツイで呟いてみたら、同世代からの反響が結構あったらしい。
相方が教えてくれた中で、わしが感じ入ったのが、一流企業の管理職と思しき女性のご意見だ。
「その周囲は学生運動華やかなりし頃の人達で、”自分は何でもできる”と思っていざ会社に入ったら、実際は何にもできなかったのではないでしょうか」
・・・おお。
相方は、そして何もできない自分に気が付いて、ブログやツイッターなど発言の機会を得て、昔アジっていた時のように大時代的な物言いになるのでしょうかね、とリプライしたようだ。
・・・ほお。
学生運動はナマで見てないのでその時代背景については何も言えんのだが。
恐らくその女性は、何もできない上司(下手をすると最終的には部下?)から苦労をさせられているんだろうなあ。
そうはいっても、わしらの世代も既に世の中から遅れつつあることを、CMソングから知る今日この頃だ。年くって中身のないアジテートしかできないのであれば、せめて微笑ましさを目指したいw
本日の結論:ツイッターで「的を射ていませんよね」と答えていたダルビッシュ有氏を見直しました。