わたしわたし、ではいけないのか | 週刊さんでいリターンズ

週刊さんでいリターンズ

起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

・・・不思議だ。

1つの商品の伝票の宛名を2通りで出すのは出来るのに(通常そっちの方が難しいだろう)、それをファックスかpdfで送るようにお願いするのは何回電話しても無視、というのはどういうことなんだろう。

と書いてる途中に、半端に依頼6枚のうちの2枚だけpdfが来た。風変りな文化だな。

と、仕事の愚痴から入ってみたさんちゃんですこんにちは。
明日は朝から学校だが、とりあえずの精神的負荷から明日で逃れられるはず。


来週からは新しい地獄が待っているけどな、、、、
しかしこの地獄は自分で立ち向かうしかない訳で代理はきかない。そりゃそうだ、自分の研究だし。

同じように、学生時代の実習も自分で何とかするしかなかった。
勤め始めれば、いくら自分担当の患者さんとはいえ、間違えた治療をする訳にはいかないので先輩や他職種との連携は必要だ。しかし学生の実習の目的は「自分で考える能力をつける」事のはず。

わしがSVをした初めの学生は、わしと同レベルの大学出身の社会人経験者で、礼儀や常識はしっかりして人当たりも良く、人の意見や文献をまとめるのは得意であった。ところが自分で考えるということがからきしダメだった。残念ながら、学生時代のわしもそうだったと思う。それが日本の労働層の中間レベルの現実なのだろう。作業を早くする工夫や、「報・連・相」は出来ていたとしても、その裏の社会の複雑仕組みまでは考えてない、それで仕事ができると言われる程度の世界。

わしの学生さんの場合は、考える以前の情報収集面での問題があったので、そっちに絞って指導したのだが、後から聞いたところによると、その後どこでも大変だったそうで、、、そうだろうなあ。わしも大変だったもんな。本当、バカって生きてるだけでも大変。


わしらの仕事の場合は、患者さんとのつきあいでは「わたし!」を捨てないと患者さんと上手くいかないし、心の病の場合はわしのように不幸な事件を起こす場合もある。

が、リハビリを組み立てたり、研究をする上では「わたし!」を持たないと成立しない。何もかも人に聞かないと進められない、または人の意見に左右されて自分がないのではいつまでたっても一人何もできない。患者さんに迷惑だ。

ということを、言葉にはしなくても何となくわかっていたのだろう、実習や仕事中の、集中せねばならない時にはにき書かなくなる。答えは患者さんや実験データの中にしかない。こんなとこで人の意見を耳や目にして「何も知らない癖に」と不愉快になるぐらいなら、初めから書かなきゃいい。


という訳で、「わたし!」になっているのが自分の場合は、「抱えている問題と関係ない人とは連絡を断つ」というのがわしの戦略だ。わしの問題を解決してくれそうな、すごい教授やPTがたまたまわしの糞ブログを見つけて助言をくれるなら、書く価値があるが、そんなことは、道に金塊が落ちているのを見つけるより可能性が少なかろう。無駄な時間を使うなら、1人で悩むかゼミの先輩に相談する。


ところが、担当している患者さんが「わたし!」になっている場合であるが。

去年夏頃のわしのように、大概パニックになっているので、他人の意見は受け入れない。受け入れないのに、他人と関わることは求める。寂しいから。そして意見を聞いて「何もわかってない癖に!」と怒る、という訳だ。

難しいですよね。

大学の基礎のドクター(すごくおもろい)によれば、一番いいのは
「関わり合いにならないこと」
だそうだ。

そりゃそうだ(笑)わしだって関係ない人ならそうするよ、でも患者さんじゃそうはいかないじゃないですか、ドクター。

その話題はもう明日の面談と、来週からの地獄に備えてしばらくお預けにします。

ちょっと別件で書かねばならないところがありますので、ここはしばらく留守します。見て怒ったりしないようにコメント欄は閉じておきます(←だったら書くなよ、と言われたらその通りです・笑)