『中世の人間』J・ル・ゴフ編から[24]


○商人


(1)初期の商人と社会

 A.中世盛期の最初(11世紀初)でのヨーロッパの住民の圧倒的多数が農村で暮らしていた。しかし確かに都市は存在し、商人は(役割を無視することなどできない)社会の構成要素の1つだった。君主・高位聖職者・貴族を筆頭に、その地域では生産できないので、よそから(or遠方から)取り寄せなければならない財・各種商品をしばしば必要とした
 B.そこで商人が陸路or海路で、高価な衣服・布地・家具・その他の珍品を運んだ。それらの品物が支配層の人々の高級品嗜好を満たしたからである。海域・河川・(時には)ローマ時代から存在する荒れた街道が通商の動脈だった

【ヴァイキングと商行為】
 C.中世の前半500年間の商人は、それ以降の商人とは根本的に異なっている。この点で、ヴァイキングの時代の北ヨーロッパでの商業活動は極めて興味深かった
 D.ヴァイキングは「戦闘員&侵略者&大胆な船乗り&植民地建設者」であった。フランス・イングランド・古代ロシア・地中海沿岸地域はヴァイキングの侵略を受けた。しかし一方では、ヴァイキングの遠征活動は通商と密接に関わっていた:
1.「ノルウェー人・スウェーデン人が隣国へ旅する時には、一緒に商品(狩猟・工芸の産物)を運んで、自分たちが必要とする物と交換した」
2.「ヴァイキングの時代の要地からは、武器と一緒に『スカンジナビアの船乗りが使っていた分銅付きの秤』が発掘された」
3.「北欧で発見された金銀の貨幣は、全てが略奪の取得物なのではなく、一部は平和な商取引に用いられたものである」
4.「しかし(アイルランドの伝説で伝えられているように)スカンジナビア人の通商は、相手国の住民を攻撃することで完了する場合も多い」
5.「ヴァイキングは交易では手に入らないものを武力で略奪した=通商と略奪は密接に重なり合っていた」

【危険を乗り越えて】
 E.初期の商人は略奪にふけらなかったとはいえ、戦闘意識は持ち合わせていた。彼らは「キャラバンを組んで遠い国々・外国の町・外国人の中」へ行かねばならず、様々な危険(海賊・盗賊・賊に等しい地方領主)に晒されていたからだ。領主らは商品・収益に課税したり、つべこべ言わさずに没収したりした
 F.商人は、よその土地へ赴いては商品を売り(別の場所では入手できない)貴重な品を買い入れる。だが海上では嵐に出合うし、道路が無いので陸上輸送はきわめて困難だった。貴重な商品の取引から上がる儲けはきわめて大きかったものの、冒すリスクまた大きかった

【社会と商人】
 G.中世初期の人々の「経済観念」はあくまで自然経済のものであり、重要な仕事は「全ての人を養う耕作者の仕事」であった。また、封建社会(形成されつつあった)を理論的に描き出す立場からしても、社会は「祈る人(聖職者)‐戦う人(騎士)‐耕す人(農民)」によって構成されていた―市民・職人・商人は無視された。伝統に支配された社会では、古い概念的図式が活き活きとした複雑な現実を理解できぬまま、頑固に残っていた(11・12世紀)
 H.古い概念からすれば、耕作者の仕事は社会組織が機能するには必要不可欠と理解されていたが、一方では「都市の活動(特に商業)は、支配的な倫理にとっては曖昧&疑わしい性格のもの」だった。教会の教えを論拠として、農民・貴族たちは商人に疑惑・軽蔑を抱いていた
 ☆一方では商人に頼らないわけにはいかず、社会の態度は完全に矛盾していた
 I.『王の鏡』(教養あるノルウェー人の目から見たノルウェーの社会階層を描いた著作〔13世紀初の30年間のもの〕)に見る、商人に求められた要素:
a.「商人になろうとする者は、海上・異教の国・外国人の間で多くの危険に身を晒す。だから、どこにいても慎重な態度を取れるように心掛けねばならない」
b.「海上では勇気を奮って即座に決断しなければならない」
c.「取引先or全く別の場所へ行くのなら、全ての人から好意を受けられるよう、礼儀正しく親切にしなければならない」
d.「どこへ行こうと、その土地の商慣習を詳しく学び、商人法をよく知ることが大事である」
e.「商売の成功には外国語を習得しなければならず、特にラテン語とフランス語が必要である」
f.「航海する商人は天体の状況を見て、日夜のサイクルのどこにいるのか、どの方位を向いているのかを定めなければならない」
g.「お前の役に立つ何かを学ぶために、1日も疎かにしてはならないし、賢いという評判を得たいのならば規則正しく勉強しなければならない」
h.「商人は協調的で、節度をわきまえねばならない。相手とどうしても戦わねばならなくなっても、復讐を急がずに状況を慎重に充分検討し、正しく行動するように心掛けねばならない」
i.「仲間を選ぶのは特に気をつけなければならない」
j.「儲けの一部は全能なる神へ、聖母マリアへ、またいつも庇護を願っている聖者へ捧げるべきである」
 J.上記の忠告を守れば金持ちになれる。しかし『王の鏡』の作者は、海上交易には重大な危険を伴っていることをわきまえているので、若者に対して「k.交易で財産をかなり増やしたと思ったときの最良のやり方は、商業資本の2/3を残して土地購入に投資すること」「l.この種の財産はお前にとっても子孫にとっても、一番現実である」とアドバイスする
 K.ノルウェーのような農地が少ない国の住民ですら、土地への投資による財産の保全を勧めている。大陸の国々(ドイツからイタリアまで)においても、商業で築いた財産を土地所有に向ける行動が見られた。商業活動は重要だが「様々な危険,商人に対する社会的な危険性」をわきまえていた故の行動である

【低い社会的権威と都市の成長】
 L.金持ちは妬まれて反感を抱かれた。そして商人の責任感・誠実さすらもひどく疑われ、彼らは社会における「嫌われ者」的存在のままであった。「ある値段で商品を買い、それをもっと高い値で売る」という利潤追求の行為に「不当な儲けが誤魔化されている」として、神学者たちは商人と商業活動を糾弾し続けた
 M.しかし都市の成長とともに、教会は「教義・道徳を人々に植え付け、強化しよう」とする努力の重心を、田舎から都市へと移さざるを得なくなった(13世紀)。都市は田舎の住民を引きつけ、人間のかなりの部分が都市へ移動した。やがて都市は異端の温床にもなった!
〈例〉フランチェスコ会・ドミニコ会が活動を都市に集中させ、彼らの説教もまずは都市住民に向けられた
 N.教会の活動が都市に重きを置くようになっても、商人に対する態度は矛盾したものであった。社会全体の活動における商業の重要性は認める一方で“商業には何か恥辱的なものが含まれる”(トマス・アクィナス)というのだ
 O.フランチェスコ会の創設者であるアッシジの聖フランチェスコは、富裕な羅紗商人の家の出であった。彼は「福音的貧困」の概念により、富を捨て家族と絶縁し、志を同じくする者の兄弟会を結成したが、これが急速に修道会へと変わった。教会は「托鉢修道士を保護下に置き、この運動を取り込む」判断を下した
 ☆当時は貴族・エリートの持つ富だけでなく、教会の富が民衆の不満を増大させ、異端を生じさせやすくしていた。こうした状況で教会は、異端的運動に影響されることなく、教会の庇護のもとに裸の者が「裸のキリストの足跡を歩む」ように願った
 P.新しい修道会の説教は「天国は地上の富を捨てた人々に約束され、富の根源にある貪欲は最も重大な罪になる」と見なした。財産家たちは苦しいジレンマにたたされた


(2)高利貸しと倫理

 A.利子付きで金を貸す金持ちは、特に人々の憤激を招いた…が、商人はこの利殖方法に頼ることが多かった。金に困る人が数多く存在している(君主・貴族から小商人・職人・農民にいたるまで)中で、無視できない危険を冒して遠くまで交易に乗り出すよりは、金貸しの商売の方が望ましかった
 B.教会の知識人は高利貸し業を非難し続け、やがて公式に「キリスト教徒に対する高利貸し」を禁止した(1179年:この禁止事項では、中世西洋の経済生活においてユダヤ人が果たした役割がかなり詳しく説明されている、という)。にもかかわらず、多くのキリスト教徒も高利貸し業を止めなかった

【高利貸しへの罵倒】
 C.説教師たちはキリスト教の倫理原則にしたがって、容赦なく倫理からの逸脱者を非難した(君主・騎士・市民・農民・さらには聖職者自身も!)。その中で決まってひどく罵られるのは高利貸しだった
〈例〉『エクセンプラ』
 これは説教にも利用された、短い教化のための逸話集(元ネタは民話・古い時代の文学)。その中では高利貸しは「道徳上の怪物,神と自然と人間の敵」とされた
 ☆外洋へ乗り出した船の上では、猿が高利貸しから財布を奪ってマストの上へ登り、高利貸しが商売で蓄えた全ての金を海へ捨てた(※『エクセンプラ』の中の逸話の1つだろうか?)
 D.高利貸しはダンテの『地獄篇』でも拷問を受けているように、常に地獄と結びつけられた。また高利貸しは「魔王の一番忠実な召使いになる」とも言われた。高利貸しの魂が救われるには、生前の不当な儲けによって築いた財産の全てを配布しなければならない、とされた
〈例〉地獄へ連れて行かれる高利貸し:「高利貸しの魂は死ぬ瞬間に審判を受ける」→「恐ろしい形相の悪魔たちによって直ちに地獄へ連れて行かれる」→「焼けた貨幣を口一杯に押し込まれる」
 E.通常の許し難い罪人(姦通者・放蕩者・殺人者・偽証者・冒涜者たち)は罪に飽きることもあろうが、高利貸しの罪は常に続いている(寝ている間・食べている間・休息している間にも利子は増え続けている、という理屈)。それは「(全ての人間の共有する財産である)時間を盗んでいる」のだから、天国に行くことはできないのだ(=永遠の時間と休息が許されない)、とされた
 F.高利貸しの魂にのしかかる呪いはあまりにも重いとされ、それゆえに「彼の葬式の日には、隣人たちにも遺体を持ち上げることができない」という
 G.聖職者はあくどい彼らを神聖な場所に埋葬するのを拒否した。高利貸しの遺体はロバの背に載せられて町を出て行き、晒し台(軽い犯罪者の懲らしめ用)の下の汚物の山に捨てられた、という

【聖職者が攻撃した理由】
 H.説教において高利貸しばかりが攻撃対象となったのは、単なる教義上の問題だけではない。むしろ説教の聴衆たちが高利貸しに対して抱いていた憎悪(=世論)が先に存在し、それをある意味で正当化するために神学者の論拠が引用された、と推測されうる
 I.説教では高利貸しに関する多くのエピソードが引用されたが、その全てが『エクセンプラ』から来ているとは考えづらい。むしろ世論を背景にして作られた部分はいくらか存在している、という(高利貸しへの市民の反感が現れている話がある)
 J.西洋における高利貸し大虐殺・殺戮は、ユダヤ人大虐殺と同じほど頻繁し拡大した(13世紀第4四半期~14世紀)。ユダヤ人大虐殺は「高利貸しに対する憎悪+宗教的動機」に依った点に特徴がある
〈例〉“もしユダヤ人が貧しく、また領主がユダヤ人から借金していなかったら、ユダヤ人は焼かれることもないだろう”(『シュトラスブルク年代記』:14世紀末~15世紀初)

【商人階級の精神への攻撃】
 K.階級社会において価値があるのは「貴族出身であること,騎士的勇気があること」であり、都市住民は(たとえ富裕な商人であっても)貴族からは軽蔑されるだけだった。騎士・貴婦人からすれば「商人≒ならず者,卑しい者」だった
 L.しかし富裕市民・商人・高利貸しは、富の力で社会的向上をはかろうとした
〈例〉あるフランス人説教師(13世紀)の話から:
 疥癬にかかった小僧が都市で暮らすようになり、物乞いから始める。彼は高利貸しを仕事にして、次第に金持ちになるにつれて社会的地位が変わり、呼び方も変化する。“疥癬のマルティヌス”→“マルティヌスの旦那”→“マルティヌス親方”→“マルティヌス先生(or殿or閣下)”。最後には町で一番の金持ちとなっている
 M.だが(マルティヌスのように)どんなに成り上がったとしても『エクセンプラ』の中では、最後は地獄行きだった。高利貸しの魂を救うのは不可能であったが、唯一の手段は「借り手に与えた損害を償うために最後の一文まで投げ出す」ことだった
 N.その後も教会の知識人は、高利貸し業に対する態度を変えなかった。フィレンツェ大司教アントニヌスはある程度の譲歩を示していた(イタリア諸都市では金融業の発展が頂点に達していた:14・15世紀)ものの、一方ではシエナのベルナルディーノは説教において「全世界から非難される高利貸し」の印象的なイメージを素描していた
 O.上記I.のように、説教における高利貸し糾弾は(世間からの批判を意識する以上は)止めることはできなかった。この弾劾活動には「社会心理的な影響力」があった。というのも高利貸したちは「営利目的の経済活動」と「活動に与えられたきわめて低い道徳的価値」とのギャップゆえに、彼らの宗教心が強い限りは、霊的救済を求める心をいたく悩ませたのだった
 P.商人の「蓄財の倫理」は、キリスト教の教義とぶつかっただけではなく、貴族の精神が求めるものとも明らかに対立していた。というのも、貴族たちは「自分たちの財産を見せつけ、蕩尽すること」に値打ちがあるという精神性であった。収入を考慮せずに出費するのは「貴族的であり、鷹揚さを示すこと」だった。しかし商人は打算家・節約家にしかなれない
〈例〉『蓄財家と浪費家との間の興味ある論争』という題の詩(14世紀半ば):
1.「“蓄財家”=商人・法律家を“浪費家”=騎士・貴族をそれぞれ表す」
2.「“蓄財家”は蓄えた財産を眺めて喜び、節約家を礼賛し、自ら質素な暮らしをし、商売の仕方を心得ている」
3.「“浪費家”の狂気沙汰は、衣服・飲食物に現れ、家庭でも無理解と憤激を向けられる。“浪費家”の家で開かれる饗宴で出される料理の一覧は、それだけで料理本になるほど」
4.「1ペニーも持っていないくせに、一度に珍しい毛皮・高価な服・その他の贅沢品を買う人々は“けちな人”の疑惑と反感を買うだけ」
5.「“けちな人”は“暇人”に向かって『耕作に無関心で、戦争ごっこや狩猟の費用を支払うために仕事の道具を売ってしまう』と非難する」
6.「宴会・飲酒は、遺贈すべき財産を蕩尽する。“蓄財家”が“浪費家”に向かって『出費を控え、破産を回避し、家族を仕事に向かわせるよう』いくら忠告しても無駄である。“浪費家”が財産を蕩尽するのは“傲慢”のせいである」
7.「“浪費家”は『宝をいくら集めても、誰にも役立たない』と言って“蓄財家”を非難する」
8.「“浪費家”はキリストの名において“蓄財家”に向かって『金庫を一杯にするのを止めて、貧しい人々に金を分けてやれ』と勧める」
9.「“浪費家”は富の虚しさを強調し、富が招く悪を思い出させる。人は金持ちになればますます臆病になるから、短命でも幸せな人生の方が好ましいではないか」