『中世の医学』H.シッパーゲス著
(人文書院)から[6]


[5]医学的治療


(1)治療職種の多様さについて

A.膨大な民間の治療師たち。「医師」として上級の学校で教育を受けた人たちは、中世の医療行為者の代表的存在では決してない。中世の医学は閉じた「医学体系」ではなく、医療行為は主として(大学とは無縁の)医療専門家たちに委ねられていた
B.文化的観点から。医療行為を担った「薬剤師」・「看護人」・「産婆」たちは後になると(しばしば)「旅職人」に数えられた
C.「医師」と「自然学者」との区別。等価とされていた(~12世紀)が、新しい科学(アラビアの学問により合理化されていた)の登場は「自然学者」の方がより高く見られるように作用した(12世紀中から)

【職業】
D.「床屋」(散髪屋,髭剃り屋)。「小外科」の一部は彼らの仕事。散髪と瀉血の職務が結びついている。治療したのは「骨折」「脱臼」「開放外傷」「新鮮外傷」「歯痛」「一般内外的な疾患」
   ◇[傷害の鑑定]:後に加わった職務
   ◇[らい病の診断](レプラ目利き):同上
   ◇[ペスト患者の治療](ペスト床屋):同上
   ◇[女郎屋の監視]:同上
   ◇[医学部の解剖の学僕](代理解剖士):後にしばしば行われた職務
E.「風呂屋」。独自の組合として「床屋」からはっきりと区別されている。浴室での本職の他に「吸い玉吸血」「瀉血」を行う(これによりますます「小外科」の仕事を引き受けていく)。「骨折」「脱臼の整復」も時には認められている
F.「そこひ取り」:旅職人に数えられる/その一部は年市に姿を現して道化師に成り下がっている
G.「歯抜き師」:同上
H.「結石取り」:同上

【女性の医療者】
I.「産婆」。中世の日常生活で果たした役割はとてつもなく大きい。基本的な助産業務をも託されている乳母である(例:パリの名のある医師たちが経験ある産婆に対診を求めている:1400年頃)
   ◇[産褥で死亡した母親の帝王切開]:産婆に課せられた義務。これは子供の命を救うためだけでなく、応急洗礼を行うためだけに行われることもある
   ◇[小外科的侵襲]:これも産婆が行う(例:外陰部の膿瘍の切開,ポリープの切除)
   ◇[助産術の基本規則]:どんな胎位も(胎児が頭から骨盤に入るような)「自然な」胎位に変えなければならない/分娩時には母親の大腿を上に持ち上げる/胎児の娩出は手で行う
   ◇[分娩時には]:子宮口はねじ込み式の機械で開大されることもある/娩出に鈎+鉗子を用いることもある
J.「女医」。医術の心得のある女性の総称(15世紀末)なので、女性の医師・産婆・もぐりの女医・もぐりの産婆の何れなのかは不明
K.物語での女性による医術と看護。『トリスタン』(byゴットフリート・フォン・シュトラスブルク:1210年頃)には、薬物学と毒物学の知識を持つアイルランド女王イゾルデの伝説的な能力が語られている。『パルツィファル』(byヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ)では、女王アルニーフェは草の根(マンドラゴラか?)を用いて深傷を負った英雄を眠らせる術を心得ている
L.実在の女性による施療。テューリンゲン方伯エリーザベトは、ワルトブルク城下に病児+貧児を収容する家を建てた(1226年)。彼女自ら「患者の顔についた唾液・吐物・口や鼻の汚れを自分のスカーフで拭い取った」「らい病者の手足を洗い……ぞっとするような潰瘍に覆われた気持ちの悪い所に接吻すらした」
M.エリーザベトの病院と看護。方伯の死とマールブルクへの移住(1228年)の後に彼女は「看護婦として奉仕するために」病院を設立した。彼女は忍耐強い献身をもって(吐き気を催させる程の)病者たちの個人的な世話をした(風呂に入れて寝かしつける,汚れた衣服の洗濯をする,排泄物の処理をする)。外傷の治療に「鎮痛膏」も用いた(その製法は不明)
N.『トロトゥーラの婦人疾患論』。トロトゥーラという名前をサレルノの女医・中世初期のもぐりの産婆の1人と理解してはならない。これは古代からの口伝伝承の集積である

【修道院にて】
O.「瀉血医」。修道院にて瀉血を行う+瀉血後の休息の見張りまでを担う。「静脈切開医」「静脈切り」「血出し屋」とも呼ばれる。女子修道院では「瀉血女医」と名乗っている。市中で瀉血する「風呂屋」「床屋」「下級外科医」とは全く異なる、修道院のファミリアに属する「奉公人」(ファムルス)である
P.「修道院医」。初期には(一般に)内科医・外科医・薬剤師として勤務したので、医師と薬剤師は同義語だった。やがて専門化によって医学に関係する介助職が登場する(12世紀末~)
Q.「結石師」。瀉血の介助作業を行う
R.「料理人」。同上
S.「靴屋」。同上
T.「剃刀屋」。同上だけでなく広範な治療業務を託されている
U.「本草学者」:修道院の庭で働く。薬剤師として製薬加工を業とする

【ユダヤ人医師】
V.特殊な地位を占める(中世盛期・後期)。至る所で宮廷侍医を勤めている。彼らは上流の市民階級にも属している
W.スペインにて。ここでは特に多大な寛大さをもって遇されていたのだが、やがて不寛容へと流れていく(14世紀中葉~)
X.ドイツにて。ランツフートには『ユダヤ人のヤコブ親方』と呼ばれたヤコブスという医師が働いていた(1365年に開業,1368年にシュテファン老公の侍医となる)