『中世の医学』H.シッパーゲス著(人文書院)から[3]



[3]誕生・成長・死


【性の問題】
A.女性に対する中世特有の偏見。教会は女性を「悪魔の道具」として異端視し続けた。教会法は「性行為をできるだけ楽しみなく行うこと」としている。女性の男性への従属は「自然な事実」として受け止められている。結婚は「子供を産むため」・「処女の世界を守るため」だけにある
B.医学の歴史において(その原典では)女性敵視は見られない。男性と女性は「同じ品位・同じ徳をもつ」とする意見もある(byギリシアの教会教父バシリウス)。医師・素人たちも恋愛・性について公然と語るのはごく普通なことだった(とくに中世初期・盛期において)
〔例〕性の秘密が沈黙に守られることは全くない,愛の場面を秘密裏に隠すことはない,親密な領域の描写も猥褻とはされない,性行動の生理学・病理学は(公然と)詳細に記述されている

【ビンゲンのヒルデガルトの場合】
〈1〉肉体としての人間は依存的である。神に創られたものであり、自律的でも自給自足できるものでもない
〈2〉人間は(男もしくは女として)他者とともに実現される関係の中で考えなければならない
〈3〉被造物としての人間は自分のためだけに働くのではない。働きの場は自然+他者との創造的な交わりの場である。これによって人間は「自然を変化させうる」・「自分の要求を充たす」・「自身を人間として実現する」
(by『病因と治療』:12世紀中葉)

C.上記〈1〉~〈3〉を承けて、人間の性をヒルデガルトは肯定的に考えている。男女は初めに「全く尊敬し合える」状態で創られた。両者は愛の盟約のために創られた。男女の交接は(子作りだけでなく)パートナーの「生」を花開かせることでもある。性欲・能力・行為の三相の性生活は、神の三位一体の生命に決して劣らない
D.後世の神学者の翻訳ではざっくりと削除された記述。性欲はまず性能力に火をつけ、そしてパートナー同士の性行為が互いの熱烈な欲求のうちに進行する。このことは最初の人間の創造のときに生じていたこと(=神の寛容の内に遂行される)
E.男女間の愛は唯一である。男性の女性に向けての愛は、愛の情熱の熱気の中で燃え上がる山の火のようである(なかなか消えない)。女性の男性に向けての愛は、暖かい=太陽から発する熱のようなものであり、この熱が諸々の果実をもたらす
F.両パートナーは基本的に均しい権利を有する。女性は男性のために創られ、男性は女性のために形作られた。両者は1つに合して1つの業を働くのであり、決して分離されるものではない
G.性の楽しみは二人で共に味わうもの。互いの責任ある選択と理性に基づくから、互いに求めあって相手の後を追い、暖めあい、憧れあえぐ。その反面で邪道=「倒錯」に陥る可能性がある。それは病的な現象ではなく人間的な邪の道である
H.性は永遠の至福のシンボルとなる
I.ヒルデガルトによる女性の性の観察。性行為において「女性の畑は男性の鋤によって、汗と血と体液が煮たぎるまでに掘り返され、かくて両性は共にオルガズムに達する」。月経は全血管系に影響を及ぼす(特に頭部と腹部の血管組織を緩める)。受胎の最適期は月経周期の中点にある
J.同じく男性の性の観察。古代の「体液理論」に従って4元素・4気質に分けた、性行動における包括的な類型学説
K.性交の作法。女性はより虚弱・しなやかなので慰めの言葉を必要とする。男性は女性を指示し、彼女の許しを得るように務めるべきである。男性がより強力であるとしても、彼の性能力は「女性を満足に至らしめる一部分」であるに過ぎない

【アルベルトゥス・マグヌスの場合】
L.性行為は「人間の営み」である。単なる感覚的な「自然の行為」ではない。人間は「政治的存在」というよりもむしろ「婚姻的存在」である(=婚姻による家族共同体は国家制度のモデルとなる)。よって自然由来のもの(もちろん「快」も含めて)は全て文化へと高めなければならない

【性病理学の変化】(中世後期)
M.感覚的な快楽=堕罪と刻印される。ヒルデガルトの精神からは大きく離れ、交接における快楽は「より高い」寛容による動機付けが必要とされるようになる。「性欲とは、腐敗し、汚染し、それゆえに破廉恥で醜悪である」(byトマス・アクィナス:ビンゲンのヒルデガルトから僅か100年後)
N.結婚こそはあらゆる親密な経験の中心にある。結婚は「永続的な盟約」「1つの教団における誓約」であり、一種の修道院としてあらゆる「秩序」「戒律」を持つとされた。だからこそ、結婚は(秘蹟的な救済の秩序の中で)「パートナーが義務としての『相互のための業』自ら寄進すべき唯一の秘蹟」ということになる
O.快楽を受け入れる見解も残されている。愛の行為においてのみ人は他者を受け入れるのだから、パートナーとの合一が成立する。この合一を最良に成し遂げるには……[以下は露骨な描写なので略:P51~52]。この未公開の手稿の著者ペトルス・ヒスパヌスは後の教皇ヨハネス21世である(13世紀:マドリードの『ペトルス・ヒスパヌス医学全集』)

【パラケルススの場合】
P.神話から性行為を論じる。パラケルスス(1493‐1541:テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム,医師でありフマニストでもある)は性行為の生理学・病理学・治療に対して独創的な寄与をなした。女性とは(マクロコスモスとミクロコスモスに並ぶ)第三のコスモスを持つ唯一無二の現象であるという。パラケルススは(※大地母神的な見解によって)女性を「耕地」「生命の樹」「母の胎」とみなし、男性はそこに生産的に働きかける存在であるとする
Q.性行為を成し遂げるには。人間学的な結論として、2人の人間の性欲(リビドー)の中で生命の液が燃え上がり相互の種子となる。そして(相互性の法則によって)種子と精子は子宮に吸い寄せられ、そこで生きものが成長する

【結婚と性行為をめぐって】
◆[結婚の成立に関する議論](中世盛期):約束が結婚を成立させる(=「交接ではなく同意が結婚を作る」)のか?/結婚は行為によって法律上有効となるのか?
◆[性行為を区別する議論]:性行為は自然の行為である=「生殖のための行為」/性行為は人間の行為である=「性交の悪を代償とする献身行為」/(後者によってのみ)生まれた乳児は「自然の賜物」とされる/感覚的な愛とは(結婚とは本質的に異なる)附属物でしかない/理性による秩序だけが重要である
◆[快楽を求めることは否定される]:ビンゲンのヒルデガルトは「魂が身体の『業』を成し遂げる」としていた/だが「理性が肉体の快楽は常に理性を汚染する・卑しめる」と定義するようになる/こうして結婚は「罪に対抗するための医業」として位置付けられる