『中世の医学』H.シッパーゲス著(人文書院)から[2]


[3]誕生・成長・死


(1)誕生と子供

【母親と子供】
A.子供をめぐる様々な場面。「中世には子供の時期は存在しない。あるのは小さな大人のみ」とするテーゼは、中世の史料に見出される様々な反対証拠とは相容れられない
〔例〕子供のための食餌療法,小児のための玩具,教育・躾のための文章
B.母性は讃えられる。神秘的な処女マリアはその象徴であり、マリアが赤子のキリストを抱く姿は詩でも語られている(例:13世紀初の詩)
C.産褥に苦しんだ母の姿。ギベール・ド・ノジャンは彼の回想録において、自身の誕生(1064年頃)+教育について語っている。母親は四旬節の間ずっと異常な痛みに悩まれながら産褥にあった。聖土曜日(復活祭の前日)の出産は大変だったので、父・友人・親族は「男児が無事に生まれたならば聖職者にしましょう。女児だったならば適当な修道会に入れましょう」という誓詞(祭壇への寄進の代わりとなる,願いが成就すればその内容を実行する)を書いて聖母マリアの祭壇に捧げた
D.幼児死亡率の高さ。これは「出産間隔がきわめて短い」「子供たちの数が多い」ことに対応している。産婦の死亡率もまた高い(当時としては十分な医療が期待できた王妃ですら産褥熱で死亡している)。喜びの場である産室は(あまりにもしばしば)最も激しい絶望の場所ともなった
E.子供が日常から学ばねばならない世界。中世は「住居」「作業場」「休息の領域」が未だはっきりと分離していない世界である。子供たちは大人の中で成長して実生活から学ばなければならない。生きていくことに有能であることは、社会的責任と結びついている

【出産と育児・成長に関連して】
◆[出産の場面]:湯を満たした浅い風呂桶は必ず用意されている/乳児はあらかじめ温められた布で拭いてもらう/そこから乳児は「手足を伸ばされる」→「オムツを当てられる」→「紐で結わえられる」→「布に包まれる→揺り籠に寝かされる」
◆[難産の場合]:フェンネルとセイヨウカキドオシを湯で煮沸する/これから湯を絞り出した後に適度の温かさで大腿部+背部に置く/その上を覆った布で軽く固定する/すると痛みは和らいで閉鎖されていた産道が穏やかに軽く開かれる(byビンゲンのヒルデガルト)
  ◇[難産の原因]:産婦の体内にある悪性で冷たい体液が妊娠中に(時として)産道を収縮・閉鎖されるから
  ◇[ハーブの作用]:フェンネルの和やかな温かみ+セイヨウカキドオシの穏やかな温かみ/これが水の繊細な特質によって熱まで勢いづけられる/このために大腿部・背部が開かれる
◆[オムツ](赤ん坊をおむつ紐で巻く方法):中世を通じて洗練されていく/1.前腕から始めて下方に指を伸ばすようにする/2.前腕を超えて肘関節から上腕にいたる/3.躯幹は幅広い紐で巻きつける/4.下肢は上肢と同様にする/5.踝と膝の間には毛糸の切片を置いて圧迫点を避けるようにする/6.乳児の腕を胴体に沿って伸ばしてから両脚を揃えて(乳児全体を)ミイラのように巻きつける(byエフェソスのソラノス:古代ローマ帝国のギリシア人医師)
  ◇[包み込みのメリット]:まだ柔らかい関節の脱臼を防ぐ/足が曲がるのを防ぐ
  ◇[論拠]:こうした方が子供は静かに横たわれる+よく眠れる
◆[乳幼児期は要注意]:離乳は1歳と2歳の間/(各時期に応じて)食事・消化に対する詳しい処方・歯の発生の苦痛を和らげるための処置もある/以下はアヴィケンナによる忠告(西欧の医師たちも受け継いでいる)
  ◇[授乳]:栄養の観点から母乳が最適/できるなら2年間は授乳すべき
  ◇[睡眠]:幼児は1日に2・3回は寝かせてやるべき
  ◇[運動]:寝入る前に適当な運動を楽しんで力をつけさせるのが身体によい
  ◇[言葉・歌を聴かせること]:心によいので美しい歌を歌って聴かせるべき
  ◇[視覚]:目覚めた時には光に慣れさせる+星々を見させるべき/昼には様々の色を楽しませるのがよい
◆[子供部屋]:産室と結びついている(どの挿絵にも生き生きと暖かく描かれている)/〔様々な玩具の例〕音を出す人形・木馬・独楽(こま)
◆[成長とスポーツ]:騎馬・水泳・フェンシング・競走・レスリング・ダンスへと(成長するにつれて)子供の「遊び」は移っていく
◆[教育方針]:子供に栄養を与えすぎてはいけない/時には厳しく罰する必要もあるが棒で殴ってはいけない(byベルトルト・フォン・レーゲンスブルク)
◆[児童院での子供への規則](メミンゲン:1500年~):そこでは洗濯の規則から食事の計画・就寝にいたるまでが細心に配慮されている
  ◇[毎日の朝食]:火を通したジャム
  ◇[昼食]:2品の料理(エンドウか燕麦の)+甘いか酸っぱいミルク
  ◇[週3回の支給]:野菜+肉
  ◇[揺りかごの中の幼児には]:ミルクジャム(毎日3回)+ミルクスープ(毎日2回か3回)
  ◇[祝日の支給]:聖マルティンの日(11月11日)と新年1月1日には全ての子供がリンゴ+クルミ+レープクーヘンを与えられる/聖ニコラウスの日(12月6日)には大きな焼きソーセージ(1つ)+リンゴ(2つ)+クルミ(6つ)
  ◇[衛生]:2週間毎の土曜日には浴室に行かねばならない(そこでは幼い子供に何か事が起こらないよう父母どちらかが同伴する)/身体を洗われる+ブラシをかけられる+入浴させられる


(2)成熟段階と性

【人生段階論】
〈1〉幼年期(誕生~7歳)。「もの言わない」=正しく話せない・語を正確に構成できない(インファンス)から子供と呼ばれている年代
〈2〉少年期(~14歳)
〈3〉青年期(~21歳)。セビーリャのイシドルスは28歳までとする。生殖能力を有するまでに成長していることから青年期(思春期)と呼ばれる。
〈4〉壮年期(~50歳)。セビーリャのイシドルスは45歳までとする。自己と他者を助ける力を持つのが特徴
〈5〉熟年期。セビーリャのイシドルスの設定する「重厚の年代」。老いているのではなく「壮年期を超えている」とされる
〈6〉老年期(~70歳,もしくは死まで)。人々は再び小さくなる・理性的でなくなる・話しは下らなくなる。やがて彼は生まれた塵と灰に帰る
(by『物の固有性についての書』バルトロメウス・アングリウス著)


(3)臨終と死

【中世における死の観察】
A.人間は生まれると共に死ぬ運命に定められている。このことを中世の医師たちは常に知っていた(死神との対決を描いた『ボヘミアの農夫』のように)
B.死とは生命からの立ち去りである。ビンゲンのヒルデガルトはこれを単なる「死の結末」とは混同しなかった。死亡(エクシトゥス)は果実の産出・放出・追放・消退を意味する。「エクシトゥス」は生命の目的を意味し、死することもまた一種の放出過程であり、さほど劇的なものではない
C.死は口から入る(人間は口を開けて死ぬ)。「生命ある呼吸の流れが止まり、近づきつつある死への道が開いた。死は開かれた口の門から侵入しようと試みた」(死の場面の描写から)
D.復活の教義。「死者が肉体+魂を備えて復活するであろう」ことは(初期キリスト教の数世紀間は)自明の信仰だった。第4回ラテラノ公会議(1215年)でも、ヒルデガルトでもこのことは変わらない
E.死とは破壊と消滅である。人間は自然の秩序から脱落し、時間に身をさらし、それゆえに死に対して投げ出されている。生成・衰亡の「時の斜面」において万物は自ら消耗していく。病気とは「欠陥の状態」であり、死は「欠如」を意味する(byペトルス・ヒスパヌス:13世紀)

【死が1つの像となる】
F.「中世の秋」において。「大鎌を持つ死神・骸骨」「生命の糸を断ち切る運命の女神」「人生の舞台に登場する招かざる客」「死の騎士」「死の草刈り人」「狩人」「死の舞踏における楽士とダンサー」「黙示録の騎士」「大鎌と砂時計を持った骸骨」「コウモリの翼を持つ復讐の女神メガエラ」「墓地の幽霊」などといった形で死は形を与えられる
G.「彼岸」は何の慰めも提供できない恐怖の場所へと次第に変化していく。それまでは栄光の場所であり、生命に満ちあふれた「黄金の時代」とされていた

【パラケルススの場合】
H.死とは自然の消滅である。死は「人間の収穫物の刈り手」であり、人間のすぐ近くに(共存者として)うずくまっている。死は「生=人間の高価な宝」を絶え間なく盗み取っていき、やがてすっかり取り上げる。時間と「成熟」「破壊」「腐敗」が結びついている
I.天上での復活。人は天上の浄化された新しい身体でもう一度生まれ変わる。だから死は(生々しい事実ではなく)全ての力の逆転であり、人間は内なる心から死を受け入れるべき・褒め勧められるべき生命を希望すべきである

【中世末に現れた死の観念】
J.死の行進(ヴァド・モーリ)。「我々は死へと進む。塵なる我は塵と灰に帰す」。死とは(人間を)あらゆる職業・あらゆる年齢・あらゆる瞬間に引きずり出すものだと理解される
K.死の舞踏(ダンス・マカーブル)。クリンゲンタールの回廊に最古の描写が見られる(小バーゼルの女子修道院:1312年の文書に記録あり)。ドミニコ派修道院の墓地に描かれたもの(大バーゼルの死の舞踏)にははっきりと具象化されている(これは1439年のペスト流行を追想するためのもの)
L.死すべき術(アルス・モリエンディ)。「術」(アルス)とは規則にまで整えられた知のこと。したがってこれは「死の学」を意味する=「救いのうちに死する術」。宗教改革運動(特に托鉢修道会)による推進+中世末の社会的・自然的脅威により実現される
M.死すべき術の広まり。次第に「正しく生きる術」「健康の管理」を抑圧するようになる。「あらゆる諸術の中の術……それは正しく死ぬすべを知ることである」(byある手稿本にて:1410年頃)。ついには独立した文学ジャンルにまで至る
N.人生の終末における霊的看護の強調。「病める人間にとり、その最後の危機において霊的+救いのうちに援助されるほど、より大いなる慈愛の業はない」(byトマス・ポイントナー)。司祭のためにと考えて書かれた『救いのうちに死すべき術』は、やがてあらゆる国語に翻訳されて(他の多くの慰めの書物とともに)急速に広がった
O.臨終の介助の重要性と死の時の意味の強調。患者に罪の有無を問い、その罪を理由として神が疾病を送りつけた可能性があるので、患者が秘密の(もしくは公然の)罪を持っていないかどうかを調べる。加えて「自分はまだ死ぬはずがない」と思っている患者には、あやふやに慰めて変な希望を持たせるようなことをしないこと(by『天路』:シュテファン・フォン・ランツクローナ著)
P.疾病を通じて神は回心への示唆を与え、悔恨と悔い改めによって(まず)魂を・(次いで)肉体を健やかにする