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須藤峻のブログ

すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

つまるところ、争いや諍いって
「あなたは非常識だ!」vs「あなたこそ非常識だ!」に集約される。

電車の中で通話をするなんて、非常識だ!
結婚しているのに、他の人を好きになるなんて、非常識だ!
子供を置いて出て行くなんて、非常識だ!

わたしは正しいけれど、あなたはまちがっている。
自分の常識に無自覚に従う時、僕らは、常にこのポジションを採用することになる。

ふたつの道がある。

自分にとっての「非常識」に出会った時に、
自分の常識にしがみつくか、自分の常識を飛び出すか。

後者を選ぶのなら、それは「自由」へとつながっている。
自らを越え、自らの想像をも超えていく道がそこに開けてくる。

自由とは、自分を貫くことではなく、自分を解体する作業の彼岸にある。
自分の思い通り・・・の世界は、僕らにとって最も窮屈で不自由な世界である。
不自由であることに気がつくことができないくらいに、不自由な世界。

自らの目の前に現れた非常識、
すなわち、許せぬモノ、相容れぬモノ、気持ち悪いモノ・・・
自分を苛立たせ、不安にさせ、傷つけるモノ。

それこそが自分を、連れ出してくれる

ひとつの常識を手放す時、
僕らは、ひとつ、自分と世界を許すことになる。
僕らは、そのたびに、ひとつ、自由になる。

非常識な出来事が、自分を導き
非常識な人が、自分を広げてくれる。

・・・そう、自分をイライラさせ、小言を言いたくなってしまうその人、
それが、あなたの救世主。

そんなわけで、僕は目の前に「非常識な人」が現れたとき、
こんな想像をしてみることがある。

その行動や言葉を、自分の最も尊敬する人の行動や言葉だと捉えてみるのだ。
ちょっといいなーと思っている人ではダメ。
例えば・・・キリスト、ブッダ、老子・・・そう、超えてしまってると思える人。

その人が、「それ」をやったとしたら?
「それ」を言ったのだとしたら?
そう思うと僕は揺らぐ。

それを「ダメ」だと断じた、自分の常識の方がおかしいのではないか?
自分の考え方は、一面的にしか物事を見ていないのではないか?
自分の恐れが投影されているに過ぎないのではないか?

ふふふ

その通りなのですよねー、毎回、気付いていなかった自分に出会う。
きっと、それは、どこまでいっても同じだなー

この世界に、「正しいこと」などないんだね。
本当のことも、真実も、正義もない。

FBに書いたけれど、もう一回、
僕の、皆さんの2016年が、想定外に、非常識に、
不条理に満ちていますように!!
最近、僕が感じている感覚について書いてみる。

不思議な感覚を、感じている。
それは、宇宙(ワンネスでも、神でも、集合的な意識でもいいけど)が
自分という場を通じて、体験をしているという感覚。
自分という現象が、宇宙のひとつの「現れ」であるという感覚だ。

ちょっと前まで、僕の人生、僕の経験、僕の学び・・という感覚が、当たり前だった。
「指先に刺さった棘の痛み」は、僕のモノ以上でも以下でもなかった。

自意識、エゴを超えたモノがあることは体感していたし、
知識として、このあたりの話を知ってはいたけれど、
思考や感覚の主体としてのは自分は、やはり揺ぎなかった。
(棘は、やっぱり、僕の指先で痛んだ)

ここのところ、いつからか、それとは別の感覚が
ずっとあったことがわかってきたのだ。

自分の経験していること、自分のやってきたこと、
それは「自分のモノ」ではない。
僕が味わっているこの瞬間、悲しみも、喜びも、失意も歓喜も、
「宇宙」が味わっているモノであり、
僕という人格は、「経験」をより具体化するために、
仮想的に作られた「場」でしかない。

この、自分が、自分という個を超えたものである体感、
ある「現れ」としての私という実感の到来は、
なかなか不思議なものだった。

風景と自分が、溶け合うような
風景の一部としての、自分を眺めているような。
肌に感じる風の冷たさ、日の光の暑さ、雨上がりの土の匂い、キビタキの声、
それらが、ありありとリアルにそこにあり、同時に、それらそのものとしての自分がそこにある。

この個人的な感覚の話をシェアしたいなと思ったのは、
ここに立つと、見えてくるものが、ある気がしたから。
その世界観を書いてみたい。

僕らは、時に、人生につまづき、傷つき、惑い、迷い、見失い、
自分や相手を否定的に捉えることがある。
こんなことが起こるなんて、自分は未熟で至らないんだ・・
あんなことを起こすなんて、あの人はダメな人間なんだ・・・

そういうことじゃないんだなーと、僕は、改めて感じている。

もし、アンハッピーな出来事、苦しい出来事が目の前にあったとしても、
それは、あなたの至らなさや未熟さが原因ではない。
あなたが経験し、味わっていることは、宇宙が経験し、味わっていることだから。
その完璧な、過不足ない体験が、ただ、あなたという場において起こったということ。

それは、完璧にオリジナルであると同時に、完璧に普遍的な体験なのだ。
その体験は、あなたという場においてしか、起こり得ず、体験され得ず
しかし、すべての存在にとって、必要な体験だった。

未熟さなど、存在しない。至らなさなど、存在しない。
すべては、必然的な形で起こり、必要な形で体験されている。
体験するために、完璧な出来事と、完璧な体験者がそこにあるだけだ。


痛ましい出来事が起きたと、ニュースが告げる。

その時、僕は、殺し、殺された。あなたは、殺し、殺された。
僕は、あなたは、目撃し、目撃された。
僕は、祈り、あなたは憤り、僕はおののき、あなたは決意し、
僕は恥じ、あなたは希望の光を灯した。

それは、宇宙の経験であり、
その現れのひとつである”わたし”の経験であり、
同時に、私たち(宇宙)のために、
それを経験することを選択した存在があったということ。

僕らは、世界のために涙を流し、世界のために涙を拭う。
命とは、生きるとは、それだけで、そこで何が起ころうと、何を起こそうと
それはひとつの奉仕の形なのだ。

僕が今日生きるということは、あなたが今日生きるということは
この宇宙(僕らすべて)が、その完璧さを、その調和を、その無限を
自ら見つけるための愛の形なのだ。

ふ・・・っと、その感覚は訪れて、また、ふと、消えていってしまう。
残されたのは、美しい秋の風景と、僕の湿った身体。
色づいた桜の葉が、風に舞い、僕は遠い場所にいる、友のことを想った。
小さなテントは、10分ほどで組み上がった。
オレンジとブルーのテントは、緑の風景によく映えて
僕は、その出来栄えに大いに満足した。

庭の芝生にテントを張ったのは、20年も前のことだろうか。
誕生日に父が買ってくれたテントは、4人用の大きく重い代物で、
家族総出で、慣れないテント張りをしたのを、覚えている。

小学生だった僕の、たっての希望で、
僕と母、従姉妹と叔母で、”お庭キャンプ”をしたのだ。

あのころ、僕は、将来そんな風に暮らしてみたいと思っていた。
山や海辺で、テントを張り、自然の鼓動の中で生きてみたいと。
そして、それができることに、なんの疑いもなかった。

あれから長い旅をしてきたように思うのだ。
こんなに簡単にできることを、僕はどうして、してこなかったのだろう。
なぜ、僕は、忘れてしまったのだろう。

自由は、いつだって、僕らの手元にあって、
ただそれに気がつかないだけなのだ。
僕らは自由を獲得するのではない。
自分がいかに自由だったのかを”発見”するに過ぎないのだ。

ほどなく日も暮れると、近くの茂みから松虫の声が聞こえてきて、
植物たちは秋の夜の長く静かな眠りに落ちてゆく。

湯河原に戻り、数えれば20日間が過ぎた。
過ぎ行く日々の早さに、僕は驚きを隠せない。

東京に出た幾日かを除いて
僕は、毎日9時半頃から庭に出て、お昼を挟み、日が暮れる5時前まで庭に出ている。
夢中で木を切っていると、1日は、あっという間に過ぎていく。
僕は、異なる時間の流れを生きているように感じる。

そして、ふと不思議な思いに駆られる。
僕がここに居られるのも、そう長くはない。
木を切る者がいなくなり、1年も経てば、この庭をまた草木が覆い尽くしてしまうだろう。
僕の行為の全ては、その小さな痕跡を残して、消えていくだろう。

それは、実は、僕ら人類の営為すべてに共通すること。
この長い宇宙の歴史、地球の歴史の中で、
僕らの作り出したものは、すべて、小さな痕跡を残して、消えていくだろう。
そしてその痕跡すら、いつか、消えていくだろう。

始まったものは、必ず、終わっていく。
作り出したものは、必ず、壊れていくのだ。

それは、ほんの一時、ひとつの形をまとい、ひとつの名で呼ばれるに過ぎないのだ。
コップも、カモメも、エプロンも、標識も、野バラも、東京タワーも、
僕も、あなたも、そして僕とあなたの間にあるものも。

忘れないでいよう。

名付けることは、固めること。
留めることは、固めること。
固まってしまったものは、たやすく壊れてしまう。

留まることなく流れ、変わり続けるもの、
その不確かさにこそ、本当の強さが宿るのだろう。
国道に出ると風は潮の匂いがした。
側道に入り、原付を停め、ヘルメットを外した途端、
行き交う車の音の向こうから、波音が聞こえてくる。

海岸へつながる地下道を抜けると、目の前に海原が広がった。
西日の中で、青い砂浜に、絶え間なく波が寄せている。
数人のサーファーが波間に浮かんで、高波を待機している。

僕は、思い出している。
あれは、2年前、夏の終わりのこと。
もう日暮れの頃のことだ。

もう一度、泳いでみたいの。
そう口にした祖母を連れて、僕はここに来たのだ。

夏の終わり、日暮れ間近の吉浜海岸は、人影まばら。
犬の散歩のおじさんと、トレーニング中のライフセーバーの姿が見えるだけ。
希望通りの”誰もいない海”は、まるで彼女を待っていたように
静かな時間が流れていた。

水着に着替えたり、準備をしたりして、海に入るんじゃないの。
波打ち際を歩いて、少し泳いで、また上がって、また泳いで。
歩いたり走ったりするのと同じように、自然に海に入るのよ。
昔ドキュメンタリーでそんな光景を見たときに、
ものすごく憧れて、それと同時に、すごく懐かしいような不思議な感覚だった。

なるほど彼女は、薄いコットンの上下を着ていて、
晩夏の夕暮れの砂浜に、それはとても似つかわしく思えた。

いつか、そんな風に海に入ってみたかったの。
気がついたら、こんな年になってしまったけれどね。

いざとなったら、ライフセーバーに助けてもらうわ
そう笑うと彼女は靴と眼鏡を僕に預けて、波打ち際に向かって静かに歩き始めた。
はじめはゆっくりと、しかし、次第に足を速め、そのまま波の中へと入っていく。
僕は、慌てて携帯電話を取り出し、ビデオを回した。

波は思ったより荒く、彼女の姿は波に上下し僕は、少し心配になる。
そんな僕のことなどおかまいなく、波の中の彼女は満面の笑みだ。
こちらに向けて手を振って、波にたゆたうその姿に
僕は、なんだか胸が熱くなった。

時間にして10分くらいだったろうか
彼女は四つん這いになるようにして、重たい身体を水から引き上げ、
ゆっくりと身体を起こした。
僕が、彼女の元へと駆け寄って、タオルをわたすと、
彼女は水をしたたらせながら、ふーっと大きく息を吐いた。

僕らは、顔を見合わせて、笑った。
ひとつの達成と、安堵と、可笑しさと。
この不思議な出来事に、僕らは言葉を見失って、
ただ笑うしかなかったのだ。

見上げれば燃えるような夕焼けに、山の輪郭が際立ち、
茜色の雲が空一面に広がっている。

帰ろうか
うん、帰ろう

美しい夏の思い出。
座椅子に腰掛けている時間が長くなり
身体の痛みはあるけれど、彼女は、まだまだ健在。
このふいに与えられた、共に過ごせる日々を、大切にしよう。
いつだって僕らは、二人だけにわかる世界を眺めてきたのだから。


|祖母へ (2014年)

あなたが
ニューヨークから帰ってくる日を待って
僕は、生まれた

病室の窓辺から
桜の花びらが、舞い降りて
小さな祝福をくれた

あなたはその胸に僕を抱き
母となった娘を
誰よりも誇らしく思った

小さな少年の目に
世界のすべては不思議だった
魅せられたあなたも、幼き少女になって
2人は世界の旅に出た

風と話し
木々と語らい
三日月の物語に耳をすませて

手をつなぎ
どこまでも、どこまでも
川沿いの道を歩いた

あなたは、小さな僕に、教え
小さな僕から、多くを学んだ

時は過ぎ
あなたの背を抜いたころ、
僕らは友達になった

あなたの元を離れても
僕はあなたに会いに戻り
東京の暮らしを語り、
夢中で哲学の話をし
それは、仕事の話へと変わった

あなたはいつだって
少女のようにまっすぐで
傷つきやすく
転げるように笑い
その瞳には
いつの日も忘れられぬ
哀しみをたたえていた

あの春の日に出会ってからずっと
あなたは、あなただった

あとどれくらい
僕らは、共に この世界を生きるのだろう

あの夏の日
僕らは並んで、夕焼けを見ていた
蚊取り線香が炊かれていて
重く熟れた太陽が水平線に落ちようとしていて

僕らは共に闘った戦士だった日のことを
思い出していた
10/8
突き当たりを右に、エスカレーターを上がると目の前、突き当たりを右に・・・
仕事の手を休め丁寧に道を教えてくれたパン屋の女の子の言葉を口にしながら
僕は、丸の内の地下道を急いだ。

エスカレーターを上がると外光に一瞬目がくらむ。
風が抜け街路樹を揺らし、女性たちはスカートの裾を押さえた。
陽の光が、彼女たちの軽やかに舞う髪に、キラキラと反射している。

カフェは、目の前のビルの1階で、窓際に彼女の姿が見えた。
僕は息を深く吸い込み、吐き出して、乱れた息を整えると、
ドアノブに手をかける。
ガラス張りの店内は明るく、コーヒーとパンの良い香りが
少しの緊張を、和らげてくれた。

僕は、椅子の間を縫うように窓際に近づき、女性に声をかける。
彼女は、突然のことに、驚いたようだったが、
すぐに僕だと気がつき、笑顔になった。

久しぶりですね、またお会いできて嬉しいです。
こちらこそ、ご連絡いただき嬉しかったです。

僕らは、再会を喜び、互いの近況を語り合った。

今日は、何か、お話したいテーマがありますか?
いえ、特にこれといったテーマがあるわけではないのです。
では、会話の中で何か見つけていきましょう。

カウンセリングにおいては、そんな始まりも珍しくない。
僕は、暮らしのこと、家族のこと、子供の頃のことと、話を広げていく。
話の内容だけでなく、その時の仕草、間の取り方、声色、ひとつひとつ意識を向け、
同時に、自分の中に芽生えてくる感情や感覚にも耳をすます。

今日は、とても良いセッションになるだろう。
僕は、最初からそう予感していた。
なぜなら、自分が今、不安的な状態にいるからだ。

安定している状態で、良いパフォーマンスができるわけではないのだ。
揺らぎ、惑う時ほどに、パフォーマンスは上がる。
変化のただ中にいる時にこそ、相手の変化に寄り添うことができるのかもしれない。

これから数回のセラピーを数えると
僕は、しばらくセラピストをやめるかもしれない。
少なくとも、距離を置くことにはなるだろう。

僕は目の前のこの瞬間をとても愛おしく思った。
セラピーができることを、とても嬉しく思った。

窓から差し込む日差しを浴びて
彼女は、くるくると表情を変えていく。
僕は時に熱心に聞き、時に指示をしながら、この美しい即興劇を進めていく。

 目を閉じて。
 その時の自分、子供の頃の自分は、何を感じていたのでしょう。
 どんな言葉が出てくるでしょう。

僕らは、最善を尽くして生きている。
誰もが出来る限りのことをやっている。
誰も悪くないし、足らなくもない。

それでも、僕らは傷つけあってしまう。
良かれと思ったことが、最善だと信じたことが、相手を傷つけてしまう。
だけど、その痛みに怯えながらも、僕らは触れたいと思う。
わかりあいたいと願う。

それが、生きるということ。

素敵な笑顔の向こうにあった悲しみと
悲しみの向こうにあった、愛。

僕らは、再会を約束して、笑顔で別れる。
風の抜ける並木道を、小さな女の子が駆けていった。
10/7
季節外れの麦わら帽子をかぶってるから。
そう言って、彼女は電話を切った。
僕は笑いながら、まわりを見渡し、すぐにその姿を視界にとらえた。
彼女も同時に僕を見つけると、嬉しそうに手を振った。

10月7日、時刻は午後4時前。代々木公園は少々肌寒かったけれど、
緑色の光の中を歩いてくる麦わら帽子姿は、この見事な秋晴れの1日に、
とても似合っていると思った。

湯河原はどう?
のんびり過ごしているよ。
セラピーの仕事は?
うん、しばらくやめようかなとも思ってる。
そっか。
そちらは?
わたしも、会社をやめようかなと。
そっか。

僕らは大いに笑い、しゃべり続け、
ひときわ騒がしい二人組みだったと思う。
芝生に並んで座った僕らは、きりなく語り合い
時に黙って、暮れていく夕陽を眺めた。

これから何するの?
踊り子になろうかなと。
踊り子?
うん。それと小説家と旅人と。
なりなよ!すごくいいと思う。

日も暮れた頃、僕らは公園を後にして、
彼女行きつけのオープンカフェへと向かった。
心地よい風を感じながらしばらく外で話をすると、
屋内のソファ席に身を落ち着けた。

お互い、大変だったね。
大変だったって、わかった?
そう尋ねる僕に、彼女は大笑いして、すごいやつれていたものと答えた。
ばれてたかー
うん。
その瞬間、彼女の目に、真剣な光が宿った。

そうか。
いつからだろう。幸せ?と聴かれることが増え、
その答えに、詰まるようになってしまったのは。
取り繕うように、充実しているとか、たくさんの学びがあると
口にするようになったのは。

僕は、大変だったと言った。
その言葉は、初めて口にする異国の言葉のように感じた。
僕は、もう一度、確認するように、その言葉を口にしてみた。
大変だったな。あー大変だったんだ。

その言葉の輪郭が定まり、その質量を感じた瞬間、
僕の体はがくんと力が抜けてしまった。
僕はソファに深く身を沈めて、しばし、言葉を失った。
そうか、僕は、こんなところまで来てしまったのか。

彼女は、隣で、優しく笑った。

僕は、気がついていた。
未熟な自分でありたくない、過つ者でありたくないという、自分の虚栄心に。
僕は、優しい人間でありたかった。人格者でありたかった。
そして、自分が学んできたこと、伝えてきたことが、
正しいのだと、証明したかったのだ。
ゆえに、僕は、許せなかったのだ。自らが「苦しむ」という現象が。

大丈夫。何百回、何千回と口にしてきたこの言葉。
その言葉の後ろで、僕は途方にくれ、解放を夢想していた。

諦めるしかないんだね。
うん。諦めるしかないんだ。

僕は、自分に言い聞かせるように、何度もその言葉を繰り返した。
できないものを、できないといい。
やりたくないものを、やりたくないということ。
ただ、それだけのこと。
あまりに簡単で、あまりにシンプルなこと。

Honesty. 正直であること。
それが、どれだけ人を傷つけるとしても。
それが、どれだけ非常識で、理想とかけ離れていたとしても。

変えられないものなら、避けられないものなら、
傷ついても、抱きとめるしかないと思ってきた。
もちろん、他の選択肢を自らに禁じていただけなのだけど。

振り返るに、そのように生きる以外に、選択肢はなかったのだとも思う。
もちろん、別に大それた不幸に見舞われてきたわけではない。
大変なことばかり振りかかってきたわけではない。
ただ、僕が勝手に、不可能に挑戦してきただけのことだ。

そして、その”必ず行き詰まる挑戦”は、
結果として、まわりの人を傷つけてきたのだ。
傷つけないように生きることが、何より、人を傷つける。

隣にいてくれた人たちが
何度も何度も、伝えようとしてくれたことに、
僕はようやく手が届いた気がした。

教えてるつもりが、ただ、教わっていたのだ。
先頭を走っていたつもりが、周回遅れだったのだ。
僕は戻っていく。当たり前の自分に。
等身大のちっぽけな自分に。

中央線は夜の街を走っていく。
車窓に揺れる夜景を、僕はずっと眺めていた。
10/5
朝から、木を切る。
湯河原にいる日は、毎日、僕は木を切るのだ。
意味があるのか、ないのかわからないが、僕はただただ、木を切り続けている。

木々は次は自分の番かと、戦々恐々としているのか。
それとも、大いなる許しの中で、僕を受け入れているのか。

夢中で切っていると、太陽は南天を指す。
上を見上げると、少しフラフラする。
深夜の3時頃、腹痛に襲われてトイレに駆け込んだ。
1時間ほど苦しんだ後、どうにか布団に戻ってきたわけだが、
なんだか寝付けず、朝を迎えたのだった。

庭仕事を切り上げ、出かける準備をする。
今日は小田原に原付を見に行くのだ。
足が必要だ。
しばらく湯河原で暮らすうちに、僕はそう判断した。

バス停まで10分、バスは20分に一本、駅まで15分。
電車も運が悪ければ30分待つこともある。

というわけで、一番近い中古バイク店である、
小田原のオートセンタースギヤマへと向かうことにしたのだ。

数年前に駅ビルができて、綺麗に様変わりした小田原駅を抜け、
町を歩くと、懐かしさに、胸が熱くなる。
EPO、本屋、予備校、朝までトランプをしたファミレス。
全てのことが、ほんの少し前のことのようにしか、思えないのだ。

みんな、どうしているだろう。
どんな人生を生きているのだろう。

”スギヤマ”までは、20分ほどある。
記憶は確かではなかったけれど、この店で、15年前に原付を買ったのだ。
中古のYAMAHAビーノを一目で気に入って、配達の日は30分前から駐車場で待っていた。
それから、毎日走った。
駅まで飛ばして電車に飛び乗り、高校に通った日々。
あのビーノ、どうしたのだろう。
東京にも持っていったけれど、こわれて捨ててしまったのだろうな。
ありがとう、僕の相棒、今更ながら。

街道沿いに見えてきたスギヤマは、あの日のまま。
並んだ原付を眺めていると、帽子のおじさんが声をかけてくる。

何かお探しですか?

胸のバッジを見ると、店長と刻まれている。

中古の原付を。
オレンジの札が、中古です。黄色が新車。
ありがとう。
どちらから?
湯河原です。
熱海、湯河原、真鶴は、坂が多いから馬力がある車がいい。
そうですか。
原付、初めてというわけではないでしょう?
はい、昔、ビーノに乗っていました。
ビーノは、丈夫で力があって、素晴らしい。最近の新しい車より、よっぽどいいんだ。

そういっておじさんは、僕を一台の前に案内した。
札がついていなくて、見ていなかった一台。
状態のいいビーノだった。

これは、本当におすすめだよ。整備したところなんだ。
それにします。

あっという間に決めた僕に、おじさんは少し呆気にとられたようだった。
またあの日と同じ場所で、巡り会えた今度のビーノは、深い紺色。
帰途に着く僕の足取りは、新しい相棒との出会いに自然と軽くなった。
10/4
腕時計のアラームで目を覚ますと、キッチンからゴソゴソと音がする。
猫が袋から餌を食べているのだ。
”カリカリ”以外食べないという、なんとも経済的な猫である。
ベランダの猫砂を掃除をし、身支度を整えると、
部屋のどこかに姿を隠した猫に別れを告げて、部屋を出た。

国立駅まで15分の道のりだ。
広い並木道は整備が行き届き、風景は心地よく目を楽しませてくれる。
ここは、美しい街だ。初めて来たのは2年前のことだったか。
当時国立に住んでいた妻に会いに来たのだった。
あの日、空は高く、風は冷たく、僕らはコートの襟を立てて、
色づいたイチョウとさくらの木の下を並んで歩いた。

何を話したのか忘れてしまったけれど、
きっと、二人は始まりの予感に、胸を高鳴らせていただろう。
たった2年前のこと。あれから、本当に、いろいろなことがあった。

国立駅から中央線で再び新宿へ、山手線で高田馬場へと向かう。
アトムの音楽に送り出されて、早稲田通りを歩く。
何百回と歩いた、大好きなこの道を5分も行けば早稲田松竹がある。

ベルイマンの「第七の封印」が今日の目的だ。
劇場に入ると既に列ができている。分厚い扉の向こうから音楽が聞こえてくる。
静寂の後に、扉が開き、僕は滑り込むと、真ん中の席を確保した。

予告もなく、本編が始まる。
白黒の美しい映像に、詩的な台詞回しが冴える。
”死神とのチェス”というシンボリックな表現の中に、
生と死、神と人、善と悪、様々なテーマが行き交う110分に
僕は、打ちのめされた。
内容については、別の機会に言葉にしてみたいと思うけれど、
その衝撃の大きさに、二本立てのもう一本は諦めて、席を立った。

三たび新宿を経由して、東海道線で湯河原へ。
その間の記憶は、あまりなく、僕は夕食にありつく頃にようやく
白黒の世界から戻ってくることができたのだった。

10/3
湯河原駅は、いくつかの登山客グループで賑わっている。
今日も空は澄みきって、午後の日差しに、木々の緑色が映える。

電車は、しばらく来ない。
東京暮らしに慣れてしまったけれど、
ここでは、時刻表を確認するのが必須なのだと思い出した。
東海道線に揺られて、東京駅まで2時間ほど。
心地よい揺れの中で、茅ヶ崎駅の”希望の轍”を最後の記憶に、
僕は眠りに落ちた。

東京駅は今日もせわしく、人波を正確に振り分けている。
新宿へ。頼まれた絵具を買いに、世界堂へと向かう。
うちの家族はみんな、絵具は”マツダスーパー”と決めている。

祖父母が貧しかった頃、”マツダ絵具”は二人の若き画家のために、
絵具を安く売ってくれたそうだ。
その援助のおかげで、彼らは画家を続けることができたのだ。

会計を済ませ、世界堂を出ると、街はもう夕暮れの中。
駅に向かってぶらぶら歩き出す。
僕は、ここから見える新宿の街並みが好きだ。
伊勢丹があって、丸井があって、紀伊国屋があって。

新宿。
それは僕にとって、東京を象徴する場所だった。
祖父が湯河原から毎週通っていた場所。
家族の会話の中心にある場所。
5歳まで過ごした荻窪につながる場所。
いつか、僕が戻る場所。
高校時代まで、漠然とそう思ってきた。

この風景が好きなのは、そんな思いのかけらが
僕の心のどこかに残っているからなのかもしれない。

中央線に乗り込み、国立の妻の実家へと向かう。
妻と母は、現在ヨーロッパを旅行中。
留守番中の猫の世話。これが、僕に与えられた仕事である。

フクロウの飾りがついた鍵をポケットから出し、オートロックをあける。
部屋に入り、明かりを灯すと、テーブルの下から、怪訝そうにこちらを見つめる二つの瞳がある。

僕は、招かれざる客であることを自覚しながら
それでも二言三言声をかける。
しばらく、僕を眺めると、彼女はのっそりと腰をあげ、
できるだけ僕から離れたを道を選択しながら、
階下へと姿を消してしまった。

取り残された僕は、ソファに身体を投げ出して、大きく息を吐き出す。
蛍光灯に照らしだされた部屋は、うっすらと明るく、
主人の不在が、その静寂に現れている。

今日は、ラグビーがあるのを思い出す。
誰かと一緒に見れたらいいのにな、と思った。
夜半を過ぎた辺りから雨足は激しくなり、猛烈な風が吹き出した。
轟々と唸る風と叩きつけるような雨音の中で、僕は夢と現を行き来して、
東の空が明るんできた頃、ようやく浅い眠りに落ちた。

日差しの眩しさに目を開けると、階下に母の気配はない。
彼女のことだ。早くから庭に出ているのだろう。
着替えて庭に出ると、南側の楓の木が折れ、
鉢植えの植物たちが、方々に転がっている。

知らぬ間に増えていった植物は、引越しに際し、その半数を譲ったものの
20鉢以上が残り、2トントラックに積んで、遠路はるばる運んできたのだ。

雨に濡れてずっしりと重くなった鉢を起こし、
折れた枝々を運び、竹箒で、さくらの葉、楠と楓の小枝を掃き寄せる。
緑色の木漏れ日が水たまりにキラキラと反射し、
キンモクセイの甘い香りに誘われたハナバチが
丸い体をブンブンと揺らしている。
今日は暑くなるのだと、母が言った。

母の小さな背中を眺める。
この小さな日常を、彼女たちが暮らしていると思うと不思議な気がした。
27年間、この道を誰かが掃いてきた。毎日毎日、欠かさずに。
祖父が、祖母が、母が、叔母が。

大学のために東京に出てから、僕は12年で7回の引っ越しをした。
だから、その場所や土地に馴染む前に、次の街での暮らしがはじまった。
僕はいつも旅の途中にいて、新天地を探していた。

部屋に戻ると、コンピューターを開き、メールをチェックする。
セッションの問い合わせに返信をし、ニュースを流し読みし、
その内の幾つかは詳細を読むと、ブラウザを閉じた。

何か、書いてみようと試みるが、さまよう指先はキーをなぞるばかりだ。
日に焼けた壁紙と無数のシミを眺めながら、僕は気がつく。
ここ何日か、言葉がうまく出てこないのだ。

いや、言葉はむしろとても協力的で、滑らかに汲み出されてくる。
しかし、何を書きたいのか、わからないのだ。

こんなことは、初めてのことかもしれない。

僕には、いつも、書きたいことがたくさんあった。
愛について、気づきについて、生きることについて。
絵画について、映画について、言葉について。

僕は、不思議に思う。
いったい何をそんなに伝えたかったのか。
何をそんなに、論じたかったのか。

そんな僕に唯一、描くことができるのは、
何も起こらない、この日常だけなのだ。
朝起きて、庭を掃き、何か小さな出来事に出くわすといったような。

白熱灯に照らされた小さな和室に、秋の夜が忍び込んできて
僕は、着古したパーカーに袖を通した。

東京での日々が、もう遠い日の出来事のように感じられ
同時に、この瞬間が、夢の中の出来事で、目を覚ませば、
変わらぬ東京での日常が始まるようにも思えてくる。

引っ越しのトラックを追いかけて、電車に飛び乗った12年前の春、
西武柳沢駅の小さなアパートで、僕は、何を眺めていたのだろう。
その後、彼を待つたくさんの出会い、そして別れ。
少年は、その何もかもを知らずに、きっと始まりの光景に、
ただ胸を高鳴らせていただろう。

僕は見つけたいのかもしれない。
あの日から今日に続く、一続きの物語を。
いつの間にか、見失ってしまった、僕の物語を。
この新しい暮らしの中で、僕はそれを見つけるのだろうか。
それとも、そんなことすら、忘れてしまうのだろうか。

網戸越しの夜風は、かすかにキンモクセイの香りがした。