湯河原days 10/8 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

10/8
突き当たりを右に、エスカレーターを上がると目の前、突き当たりを右に・・・
仕事の手を休め丁寧に道を教えてくれたパン屋の女の子の言葉を口にしながら
僕は、丸の内の地下道を急いだ。

エスカレーターを上がると外光に一瞬目がくらむ。
風が抜け街路樹を揺らし、女性たちはスカートの裾を押さえた。
陽の光が、彼女たちの軽やかに舞う髪に、キラキラと反射している。

カフェは、目の前のビルの1階で、窓際に彼女の姿が見えた。
僕は息を深く吸い込み、吐き出して、乱れた息を整えると、
ドアノブに手をかける。
ガラス張りの店内は明るく、コーヒーとパンの良い香りが
少しの緊張を、和らげてくれた。

僕は、椅子の間を縫うように窓際に近づき、女性に声をかける。
彼女は、突然のことに、驚いたようだったが、
すぐに僕だと気がつき、笑顔になった。

久しぶりですね、またお会いできて嬉しいです。
こちらこそ、ご連絡いただき嬉しかったです。

僕らは、再会を喜び、互いの近況を語り合った。

今日は、何か、お話したいテーマがありますか?
いえ、特にこれといったテーマがあるわけではないのです。
では、会話の中で何か見つけていきましょう。

カウンセリングにおいては、そんな始まりも珍しくない。
僕は、暮らしのこと、家族のこと、子供の頃のことと、話を広げていく。
話の内容だけでなく、その時の仕草、間の取り方、声色、ひとつひとつ意識を向け、
同時に、自分の中に芽生えてくる感情や感覚にも耳をすます。

今日は、とても良いセッションになるだろう。
僕は、最初からそう予感していた。
なぜなら、自分が今、不安的な状態にいるからだ。

安定している状態で、良いパフォーマンスができるわけではないのだ。
揺らぎ、惑う時ほどに、パフォーマンスは上がる。
変化のただ中にいる時にこそ、相手の変化に寄り添うことができるのかもしれない。

これから数回のセラピーを数えると
僕は、しばらくセラピストをやめるかもしれない。
少なくとも、距離を置くことにはなるだろう。

僕は目の前のこの瞬間をとても愛おしく思った。
セラピーができることを、とても嬉しく思った。

窓から差し込む日差しを浴びて
彼女は、くるくると表情を変えていく。
僕は時に熱心に聞き、時に指示をしながら、この美しい即興劇を進めていく。

 目を閉じて。
 その時の自分、子供の頃の自分は、何を感じていたのでしょう。
 どんな言葉が出てくるでしょう。

僕らは、最善を尽くして生きている。
誰もが出来る限りのことをやっている。
誰も悪くないし、足らなくもない。

それでも、僕らは傷つけあってしまう。
良かれと思ったことが、最善だと信じたことが、相手を傷つけてしまう。
だけど、その痛みに怯えながらも、僕らは触れたいと思う。
わかりあいたいと願う。

それが、生きるということ。

素敵な笑顔の向こうにあった悲しみと
悲しみの向こうにあった、愛。

僕らは、再会を約束して、笑顔で別れる。
風の抜ける並木道を、小さな女の子が駆けていった。