小さなテントは、10分ほどで組み上がった。
オレンジとブルーのテントは、緑の風景によく映えて
僕は、その出来栄えに大いに満足した。
庭の芝生にテントを張ったのは、20年も前のことだろうか。
誕生日に父が買ってくれたテントは、4人用の大きく重い代物で、
家族総出で、慣れないテント張りをしたのを、覚えている。
小学生だった僕の、たっての希望で、
僕と母、従姉妹と叔母で、”お庭キャンプ”をしたのだ。
あのころ、僕は、将来そんな風に暮らしてみたいと思っていた。
山や海辺で、テントを張り、自然の鼓動の中で生きてみたいと。
そして、それができることに、なんの疑いもなかった。
あれから長い旅をしてきたように思うのだ。
こんなに簡単にできることを、僕はどうして、してこなかったのだろう。
なぜ、僕は、忘れてしまったのだろう。
自由は、いつだって、僕らの手元にあって、
ただそれに気がつかないだけなのだ。
僕らは自由を獲得するのではない。
自分がいかに自由だったのかを”発見”するに過ぎないのだ。
ほどなく日も暮れると、近くの茂みから松虫の声が聞こえてきて、
植物たちは秋の夜の長く静かな眠りに落ちてゆく。
湯河原に戻り、数えれば20日間が過ぎた。
過ぎ行く日々の早さに、僕は驚きを隠せない。
東京に出た幾日かを除いて
僕は、毎日9時半頃から庭に出て、お昼を挟み、日が暮れる5時前まで庭に出ている。
夢中で木を切っていると、1日は、あっという間に過ぎていく。
僕は、異なる時間の流れを生きているように感じる。
そして、ふと不思議な思いに駆られる。
僕がここに居られるのも、そう長くはない。
木を切る者がいなくなり、1年も経てば、この庭をまた草木が覆い尽くしてしまうだろう。
僕の行為の全ては、その小さな痕跡を残して、消えていくだろう。
それは、実は、僕ら人類の営為すべてに共通すること。
この長い宇宙の歴史、地球の歴史の中で、
僕らの作り出したものは、すべて、小さな痕跡を残して、消えていくだろう。
そしてその痕跡すら、いつか、消えていくだろう。
始まったものは、必ず、終わっていく。
作り出したものは、必ず、壊れていくのだ。
それは、ほんの一時、ひとつの形をまとい、ひとつの名で呼ばれるに過ぎないのだ。
コップも、カモメも、エプロンも、標識も、野バラも、東京タワーも、
僕も、あなたも、そして僕とあなたの間にあるものも。
忘れないでいよう。
名付けることは、固めること。
留めることは、固めること。
固まってしまったものは、たやすく壊れてしまう。
留まることなく流れ、変わり続けるもの、
その不確かさにこそ、本当の強さが宿るのだろう。