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須藤峻のブログ

すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

母と祖母は、朝から小田原へと出かけていった。
坂道を下りていく車を見送ると、ノコギリとハサミを携え、白木蓮の剪定へと向かう。
数匹のスズメバチが絶えず周囲を旋回する中、
意を決して枝に足をかけ、”逆上がり”の要領で体を樹上に引っ張り上げる。
足を枝に絡めて身体を固定すると、自分の腕ほどの枝にノコギリの刃を当て、切り始める。

耳元にハチの羽音が響くたびに首をすくめる。焦るほどに刃は動かず、汗が滴り落ちる。
枝を数本切った時点で地上に降り、樹形を確認し、また樹上へ戻ってを繰り返す。

次第に、わかってくる。
恐ろしいものだと決めていたけれど、彼らは無意味に襲ってくることはない。
どうやら木蓮の葉の上に、何かしらの食べ物があるらしい。
相変わらず派手な山吹色の縞模様を見せながらブンブンと周囲を飛びまわり、
いつの間にか、その姿を消してしまった。

大枝を何本も落とすと、ようやく空が覗いた。風が抜けていく。

我が家の庭は27年の間に、植物たちの力が少しずつ勝りはじめ、
もはや人は敗者となりつつある。
「杖」のようだった楠は直径1メートルに近づき、
鉛筆ほどの太さだった桜も巨木と化した。
カエデ、ヒメシャラ、夏みかん、ニセアカシア、あじさい、さざんか、ハンノキ・・・・
苗木だった木々たちは、もはや「ハサミ」では太刀打ちできない。

自然の力は静かで、穏やかで、強い。
枝は今日も伸び、葉は落ち、草木は芽吹く。
永久に変化し続けるモノとの、永久に終わらない仕事。

それは自然と人為、自由と秩序のバランスをめぐる、ひとつの争いである。
そして、いつの日か僕らは負ける。
人類の文明もそうだ。僕らの創り出した世界は、
この星の歴史の中に生まれた、ほんの一時の秩序に過ぎない。
いつの日か、自然の中へと飲み込まれ、還っていく。

落とした枝を、母屋の裏手に運び終えると同時に
重く立ち込めはじめた雲から、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。

降り出した雨は、雨脚を強め、降り止む気配はない。幕山は靄の向こうに座っている。
母屋に戻ると、不意に眠気に襲われる。
いくつかの夢を見たけれど、目が覚めるともう、忘れてしまっているのだった。

帰宅した二人と話をし、二階の和室でパソコンに向かうと
もう、日が暮れて、外は暗くなってくる。

こんな夕方は、少し物悲しい気持ちになる。
キース=ジャレットのピアノが静かに流れている。
僕は、キーボードを叩きながら、何かが生まれてくるのを待っている。
書いては消し、書いては消しながら。

過去の文章をいくつか読み、追記し、詩を直し、昔の日記に目を通すと、
ふと、ひとつの感覚がやってきた。
僕は、ただ、この日々、何も起こらない日々を愛おしんでみようと思う。
そこには、確かに時間が流れ、暮らしがあり、営みがある。

僕は、ただ、この淡々と流れる、湯河原の日常を生きてみようと思う。
庭仕事をし、掃除をし、時々ピアノを弾き、詩を書き、絵を描き、ヨガをし、眠る。
この秋の日々を、そんな風に生きてみよう。

「何かをしている時は、していない。していない時に、している。」
これは、祖父母に、画友 岩崎國彦 が贈った言葉だそうだ。
子供の頃に聞いたこの言葉は、いつしか、僕のひとつの拠り所となった。

2月に咲く木蓮の花の蕾が、しっかりと梢の先に結ばれ、開花の日を待っていたように、
僕の中で育まれていくもの、この生活の中に育まれていくものを
大切にしたいなと思った。
ようやく机に向かい、コンピューターを開いて、文章を書くことができている。
母屋の二階、南向きの和室に机と椅子を据え、棚に本を並べると、なんだか書斎らしくなる。
引き払った東京のアパートから持ってきたいくつかの小説、プリンター、CDプレイヤー。これから数ヶ月過ごす湯河原での”基地”といったところだ。

9月25日、妻は、フランスに旅立った。
僕らは、しばらく離れて過ごすことになる。少なくとも2~3ヶ月になるだろう。
離れて過ごす期間は、また、多くの学びを与えてくれる日々になるだろう。

20歳でこの町を離れてから、12年の月日が流れた。
戻ってきた『我が家』で、僕はまた始めるのだ。僕の生活を。
1日は、あっという間に過ぎていく。
そう、例えば、この南向きの窓から外を眺めているだけでも。
少し開いた窓から、冷んやりとした夜風が吹いてきて、
虫たちの声の向こうから、遠く電車の音が聞こえてくる。

さて、今日から湯河原で過ごす日々の記録を残していきたいと思う。
記録であるがゆえに、それは、自分のためのモノであって、
決して読みやすくもないし、時に、結論もなく、また、矛盾の中にあるだろう。
けれど、何かそれを、公にしたいという欲望も、僕の中に存在しているのも事実なのだ。

僕は、この人生の空白、突然に与えられた時間にまだ少し、戸惑いながら、
ひとつの流れを見つけようとしている。
目の前の出来事を、丁寧に紐解いて、その細やかなシグナルに耳をすませている。

書き残すこと、それは掬い取ること。
キーを叩く指先が、『尻尾』を時に捉えることを、僕は知っている。

時に打ち間違いが、予想外の変換が、こぼれ出てしまう感情が、連想が、
『それ』を捉える。『それ』は、そんな場所に立ち現れるのだ。

さて、そんなわけで、僕は、言葉の中を探し行くのだ。
その向こうに、何を見つけ出すのか、今の僕には、見当もつかない。

***

まずは、先日、叔母と話をしたことを残しておきたい。
このことは、僕の今後に対して大きなインパクトを与えるだろうから。
それが、どんなインパクトかは、まだわからないが。

9月26日。愛について。

愛とは何か?僕にとって、それは、『ケアネス』であった。
それに気がついたのは、この1週間のこと。
妻の実家に5日ほど泊まって、彼女とお義母さんとの関係を眺めたことが、
僕に、大きな気づきという恩恵をくれた。

我が母は、献身という言葉が、似合う人だ。
彼女の前世はヨーロッパ中世の修道女かクリミア戦争に従軍した看護婦・・・だと
僕は、思っているんだけれど、(それを言うと、本人は一笑に付すけどね)
誠実性、献身性そして、その清らかさは、我が母ながら畏敬の念を禁じ得ない。
ただの純粋性ではなく、悲しみや業の痛みをも抱き込んだ、
深い奥行きが彼女の生にはある。

さて、その献身的なケアネスを受けて育った僕にとって、
献身的であることは、当然のことだった。

ゆえに、僕は、パートナーに対して、ものすごく献身的であった。
日常のレベル、目に見える形での献身性。
僕にとって、それが愛の形であった。
そして、だからこそ、相手にもそれを望んだ。もちろん、無意識に。

今回、異なる母娘の姿を冷静に眺め、異なる愛の可能性に気がついたわけだ。
僕は、はじめて、自身の中の「愛の定義」に気がついたのである。
ケアネス=母性=女性性。それは、ひとつの愛の形である。
しかし、同時に、それは、もうひとつの愛の形に、補完されねばならない。
それが、父性=男性性。

「私は、こう在る。従ってごらん。君の世界が拓かれるだろうから」
これが、男性性的な愛の形であると、僕は思った。

ここに、僕の中にあった矛盾が見えてくる。
僕は、「自分を生きる」と宣誓しながら、男性性的な愛を自らに拓いていない。
それを「愛」とは呼んでいなかったのだから。

この事実を理解すると同時に、僕は、自らが見過ごした、
与えられてきた愛について、想いを巡らせた。
そして、ひとつの結論を得るに至った。

僕は、与えてきたのではなく、与えられてきたのであり
教えてきたのではなく、教えられてきたのだということ。

それは、抽象的なレベルで理解し得るものだ。
なぜなら、それはひとつの関係性においての結論ではなく、
僕の生、そのすべての瞬間、すべての体験、すべての関係性における、
ひとつの納得であるから。

ともすれば、献身的な人間は、自らを与える側へと容易に配置する。
しかし、時にその贈与が、自らを贈与者=与えるもの
という認識へと連れていってしまう。

何も難しい言葉を使って話を進める必要はない。
これは、僕の無意識の自己認定が、変容したという個人的な、
しかし、極めて一般的な現象についての、記録に過ぎないのだから。

つまるところ、僕は、僕の読み取ることが出来なかった愛の形に、
想いを初めてめぐらせたのである。
そして、同時に、この「愛の定義」は、
我が家族の共通認識として存在していることも、理解した。

我が家において、愛とは、ケアネスであり、
ケアネスの度合いという尺度において、愛は測られるものであった。

目に見える形でのケアネスがあれば、愛がある関係性だと判断し、
それがなければ、愛がないと判断する。

もちろん、それだけではないし、もっと深くを読み取っての判断が
なされてはいるだろうけれど、
この見解は、そんなに的を外してはいないだろうと思っている。

そしてこのケアネスというテーマを、ある種、最も強くその生に反映させているのは、
この家族の中で、僕と母なのかもしれない。
だからこそ、二人の人生は、驚くほどの類似を見せる。

階下から母の夕食を知らせる呼び声が聞こえ、食卓に向かうことにする。
このテーマは、今日はここまでということなのだろう。

揚げ出し豆腐と、栗ご飯を食べる。
箸を握る手に少し、力が入らないのは、午後いっぱい
剪定ハサミを握っていたからである。
我が家の庭の木々は、27年の間に巨樹へと変わり、
人の力を大いに上回っている。

その自然の力に、いくばくかの秩序をもたらすために、
僕はハサミを握って枝落としに励むのだ。

剪定は、面白い。木々との対話であり、意図を探る行為だ。
枝が教えてくれる。どの枝を残し、どの枝を切るのか。
それは、コミュニケーションであると同時に、瞑想である。

これから木々と向き合う中で、
僕は、何かを取り戻すことになるかもしれない。
そのことについては、また後日詳しく描くことになるだろう。

今日は、ここら辺で。

何年か前に、僕はとても傷つく経験をして、
どうにか自分なりにその経験を消化しようと、懸命だった。
そんなさなか、いきつけのカフェで、旧い友達に偶然出会った。

僕の話を聞いた彼女は「悲しいね、大丈夫?」って泣いてくれて、
やさしいハグをくれた。
ふわっと包み込む、本当にやさしいハグだった。

あの、たった一度のハグに
自分がどれだけ救われたのか
今になって、わかる。

ただ、「悲しいね」、「つらいね」って、
相手を受け止めること。
それが、どれだけ人を癒すだろう。
それだけで、僕らはきっと、進んでいけるんだ。

そんなことを、思い出したのは、
ある出来事を通じて、我が身を、もう一度深く省みたから。

いつのまにか、自分が、そんな場所から、
離れてしまっていることに気がついた。

いつからだろう。
僕は、そんな風に、
人を受け止められなくなっていたのかも知れない。

いつの間にか、避けていたのかな。
感じることを。

元々、かなりのエンパス(共感覚者)だった僕は、
そのままで生きるのが、とっても辛かった。
相手の悲しみも、痛みも、
全部、同じくらい自分の身体で感じてしまうから。

だから、かなり早い段階で心を閉じたのだと思う。
小学校に上がるころには、すっかり、スイッチ・オフ・モードを身につけていた。
人を傷つけても、全然大丈夫!
おかげで、相当に歪んだ子供時代を送った。
(小学校の通学初日に、カッターナイフを人に向けたらしく、
 絶対コイツとは、関わるまい・・と心に誓ったと、後で聞いた。
 その話をしてくれた彼とは、未だに親交がある)

さて、そんなわけで、やたらとヤワなハートと、
バリケードを貼った付き合いという、わかりやすいジュブナイルを経て
大人になった。

そんな自分は、嫌いではなく、
案外、楽しく生きてきたんだけれど、
僕の場合、この心の葛藤が、いつも人間関係に表面化した。

最も親しい人が、苦しむ。

今になってわかるけれど、
これ、僕にとっては、一番怖いことであり、
一番、キツイことなんだよね。

自分の身の上に、何か大変なこと・・・ってのは、
ほとんど起きないんだけれど、
なぜか、いつも、大切な人が、隣で、苦しんでいた。

だから、僕は、その辛さをどうにかしなくては、生きてこれなかった。
どうやったら、幸せになれるのか。
どうやったら、大切な人と、「苦しまない日常」を送れるのか。

なぜ、他の人には簡単にできて、
僕には、できないのだろう。
どうしたら、幸せになれるのだろう。

その探求を、ずっとやってきた。そして、その旅は、途上にある。
まだ、答えにたどり着いていない。

けれど、振り返れば、
それを探して、懸命に、懸命に、歩いてきた日々は、
いつだって輝いていて、いつだって美しかった。

何があろうと、何が起ころうと、
ほら、気がつけた!また、一歩進めた!って、前を向いてきた。
いつも、その胸には、希望があった。

僕は、僕の生き方が、好きだったんだと思う。
そして、確かに、僕は本当にたくさんの事を学び、
それを人に伝えることで生きる場所まで、やってくることができた。

ふと、こんな風に振り返り、
自分が、そんな生き方を、
そろそろ、終えていくのかも知れないなとも思う。

すごく変わるのか、少し変わるのか、わからないけれど、
ひとつ、何かが、終わろうとしている気がするのだ。

ただ、まっすぐに泣いたり、悲しんだり、怒ったり
そんな生き方へ、僕は戻っていくのかも知れないな。

そうしたら、僕も、あんなハグを、
贈れる人に、なれるのかもしれない。


さて、あっという間に7月が終わり、
このままいくと、僕の大好きな夏が、目の前をただ過ぎていってしまいそうで、
これは、いかん!と、今日は計画など立ててみた。
そして、もう一つ、長らく違和感がありつつ、放置しておいた問題をば、解決。

それは、スマートフォン。
さらに言えば、スマホの「通知機能」です。

僕はいつもマナーモードだけど、
メールが来るたび、Lineが来るたび、メッセージが届くたびに、
彼は「ぶぶー」と鳴くわけです。
こちらが、食事してようが、話をしてようが、瞑想してようが、
何をしていようと、おかまいなく「ぶぶー」。

鳴れば、どうしても、気になって、今やっていることを、中断します。
すると他にも何か通知があったりして、しばしスマホタイム。
そう、完全に、スマホ様のご意向の元に、付き従っているわけです。

スマホが主人で、自分は従者。
この関係性って、この上なく、不自然だなーと、改めて気が付きました。

僕らをより自由に、便利にしてくれるはずのモノが
僕らを縛り、生活を寸断しているって、変だよね。

・・・というわけで、
「自分がしたい時に、チェックする」ということに変更。

すなわち、「ぶぶー」を消しました。
これで、自分が見たい時に、見ればいい。返したい時に、返せばいいわけです。

設定変更なんて、1分だよね。
すっごい簡単なことだったけれど、なぜ何年も、放置してたんだろう?

それは、気持ちが良かったからだと思う。
呼ばれること、世界とつながることが。
そして、目の前のことから、ちょっと回避することが。

でも、通知機能を切ってみると、なんだか、清々しい心地。
はやく、やればよかったわい!

もし、緊急の用件に気づけなかったとしても、それはしょーがない。
それで、死のうが、生きようが、親の死に目に会えなかろうが、
それが運命だったってことだね。
もしそういうことが起こるのなら、何をしたって、それは起こったよ。

今の時代、必要なのは、やっぱり「減らすこと」なんだね。

今日のニュースの中で、自分の人生を変えるニュースは、
10年後覚えておきたいニュースは、いくつあったろう?
本当に必要なモノは、身の廻りに、いくつあるだろう。

生き方をシンプルにしていくほどに、僕らは自由になっていく。
自分のキャパシティは、本当に大切なモノに使おう。
そこにきっと幸せが宿るはずだから。

6月15日。
僕は、早起きをし、軽くストレッチをして、水を飲むと、
コンピューターに向かい合った。
今日から、30日プログラムがはじまるのだ。

このプログラムには、自信があった。ワクワクしていた。
けれど、小さな不安もあった。

みんな、応えてくれるだろうか・・・
メールだけで、本当に、伝わるだろうか・・・
みんな忙しい中、無理してしまいやしないか・・・

このプログラムは、僕が毎朝メールで、その日にやってもらうミッションを送って、
メンバーに実行してもらうというもの。
ミッションは、心理テクニックをベースとした体験型のワーク。
体験をみんなでシェアしながら、気づきを分かち合って進めていくというモノだ。
僕は、十代の頃から、ひたすら、自分で自分を見つめるという作業をやってきた。
現実を変えるために。自分がより自在に、より幸せになるために。
そして、自分の大切な人たちに、自由に、幸せになってもらいたくて。

その後、セラピストになってから、いろいろな心理ワークやセラピーを受けてみたけれど、
やっぱり、僕は思うのだ。結局のところ自分で、自分を見つめることを、
継続的にやっていくこと以外にないのだと。

自分を、見つめる。感じる。
これを、ちゃんとやっていけば、必ず僕らは、
自分の手で、自分をより良い場所へと導いていける。

でも、ちょっとコツがある。
やっぱり、知っているといないで、大きく違ってくるポイント、
そして、必要なアプローチの仕方、場所・・・がある。

そんなわけで、僕は
・何を意識し、何を知り、何を学べば、自分を導いていけるのか
を、もう一度、徹底的に洗い直した。

それで出来上がったのが、このプログラムだ。
作りながら、もう本当にワクワクしていた。
だって、必ずこのプログラムが、みんなの人生にプラスになるってわかっていたから。

そして同時に、セルフワークをひたすらやってきて、
かつセラピストとして活動している僕だからこそ、
伝えられるモノがあると思った。

心配があったとしたら、
「その人に必要な学び」が、人によっては、意識できない範囲での変化がほとんど・・・
ということや、期待とは違う変化だったりすること。
その時に、メールでどれだけフォローできるかなーと思っていた。

それと、みんな仕事や、それぞれの生活があったから、
忙しくて全部をじっくりは出来ない人もいるだろうけれど、
それでも、その中で、メールを読み、少し意識して日々の生活をするだけで、
きっと変化は生まれると思っていた。

始めてみて、すぐわかったこと。
あ~ このプログラムは、僕が自分のためにやってるなー!!!ってこと。
だって、みんなの体験が本当に素晴らしかったから。
思わず、初日にシェアしてくれた返信を読んで、泣いてしまった。

「何かが、はじまったんだ!」って思った。
そこから、30日駆け抜けて、いろいろなことがあったけれど、
本当に、本当に、やってよかったな!!!って思った。
テストに参加してくれたみんな、本当にありがとう。

皆さんは、本当に、素晴らしかった。

そして、やっぱりこれは、広げていこう!
ぜひ、この体験を、たくさんの人にしてもらおう!と思った。

実は、もしかしたら、1回きり・・・でおしまいかな・・とも思っていた。
ある種、これまでの僕の総決算かな・・とも思ったから。

でも、やっぱり、これを仕舞い込みたくないな!と思った。
あの美しい旅を、皆さんと続けていきたい、
さらにバージョンアップをしていきたいと思った。
だから、まずはHPだ!とページを作り、正式にメニューに入れることにした。

そんなわけで、第1回目を、9月1日にスタートします。

皆さん、冒険旅行に出ませんか?
1ヶ月間、ワクワクしてみませんか?
きっと、見たことのない、自分に出会います。
自分の中の、触れたことのない場所に、触れていきます。

すでに、学び始めている人も、これまで全然興味なかった人も、
目的がある人も、なんとなく・・面白そうかも?という人も。

絶対面白いよ!
詳しくは、こちらでーす!

愛とは何か。
そんな問いを受けて、考えている。

そんな思考の記録。

「いつも自分が愛に囲まれていた。愛されていたんだ!」
その気づきは、必ず、どこかで訪れるモノ。

許せなかった自分がいただけ。
認められなかった自分がいただけ。
本当は、そこに愛があった。

それは、感情の大きな発露を伴う、劇的な経験だったりする。
一夜で世界がまるで違って見えることもある。
それは、素晴らしい体験にちがいない。

しかし、今日は、ここから、少し進んでみたい。

最近感じたのは、
「自分が愛されていたのだ」と、「気がついた(と口にする)」人たちに、
時々起きる、共通のある傾向。

それは、
「愛されているのに、それを認めないあなたは、足りていない」
と言いだしてしまうということ。

そして、さらに
「あなたは、なぜ、私の愛を、愛だと見なさないのか?」
なんて言葉へとつながる。

・・・この辺りにくると、お・・・この人、なんか違う・・・とわかる。

結論を書いてしまえば、そこにあるのは、
「あの全てを、愛だったと思いたい」「あの全てが、愛だったと信じたい」
ということなのだと思う。

ここまで考えて、僕は、ふと気がついた。
そうか、全ての行動の源泉は、愛だ。
あらゆる関わりの最も深いレベルに、愛がある。
つまり、人がつながり、人が出会う場所、全てに愛はある。
それは、きっと事実なのだ。

なお、ここでは、愛という言葉を、「無条件の肯定」という意味で、使っている。
一切の否定が入っていない、完全なる肯定。純粋なる肯定のエネルギー。

さて、しかし、
愛の「上」には、他のモノが乗っている。
嫉妬、支配、エネルギーを奪いたい欲望、怒り、恐れ・・・が、乗っているのだ。

問題は、その全てをひっくるめて「愛」と呼ぼうとすることにある。

例えば、
お母さんに怒られたこと。

そこに、きっと愛はあった。
今思えば、子供を思う、お母さんの切なる想いがわかる。
だけど、その事実と、「ひっぱたかれて、傷ついたという事実」は、まったく別のことだ。

確かに、一番下に「愛」はある。
だから、愛されていたというのも事実だけど、
上に乗っていたモノが、自分を傷つけたというのも事実なんだと思う。

単純に言えば、やっぱり、殴られたら、痛かったし、怖かったということだ。
それを、「愛」だとどれだけ感じようとしても、
身体は、傷ついている。

だから、傷ついたという事実は、否定しなくていい。
それを、無理やり「愛だった」へと回収しなくていい。

愛があったと気付くということは、
一番下に、愛が伏流していたことに気がつくこと。
それで十分なのだ。

逆に、それを「全部まるめて愛へと回収しようとする」のは、
上に乗っていたモノによる「傷」を見たくないからなのだ。

傷を見たくない時に、僕らは、それは愛だと思おうとする。
束縛を、暴力を、嫉妬を、犠牲を。

その時、僕らは、不寛容になる。
束縛や暴力に、傷ついた人に対して。

その不寛容の下に、愛はあるだろう。
だけど、その不寛容は、また、人を傷つけていくだろう。

僕は、傷つくこと、傷つけることに、あまりに敏感だろうか。
あまりに過剰に、反応しすぎだろうか?

うん、僕のテーマは確かにそこにあるだろう。
しかし、改めて思うこと。

それは、僕は、愛でつながりたいなってこと。
傷つけ合うのではなく、自分と相手のそのままを、ただ認められたらいいなって思う。

だって、そうやって繋がった時に生まれる関係、
本当にありのままで触れ合える関係が、
いかに美しいモノか、いかに暖かく、勇気をくれるモノか、僕らは知っているから。


愛の上にあったモノで、自分が傷ついたのなら
その傷ついた自分を、まず認めるしかない。
それが、ただの誤解に基づいたモノだったとしても、傷ついた事実は消えない。

だから、それを、ただ、認めていくことしかないんじゃないかな。
そうか、自分は傷ついたんだなって。

そういう立場に立つと、
「人が、傷つくこと」を認められるようになる。
「人が、愛を受け取れないこと」を認められるようになる。
自分の想いが受け取られないことを、許せるようになる。

その許しの中で、僕らは、きっと
本当に、愛でつながる関係性へと、進んでいくのだろうと思う。

自分が、誰かに対して
・変えてあげなくちゃ!理解させなくちゃ!教えてあげなくちゃ!
と感じたする。

そして、相手に色々な働きかけを行う。
叱咤し激励し、説得し、用意し、世話をやく・・・

それは、
・その人がより良い状態になれるように
・より安全な道を行けるように
・失敗しないように
・より幸せになれるように
という「善意」から生まれてきてるよね。

とくに、親という立場や、指導者という立場に立つ時、
僕らは、熱意に燃え、善意に燃える。

相手に働きかけ、相手の行動が変われば、
自分の使命を果たしているという充足感を感じるし、
自分は、貢献したぞ!
自分は、誰かの役に立ったのだ!と、思ったりする。

今日は、これが「暴力」だって話。
ぐぬぬ・・・って話  笑

さて、なぜ、この「賞賛されるべき行為」が、暴力なのだろう。

それは、これらの行為の本質は、
「相手を、自分の思う通りに動かす」ということだから。


実際にあった、
こんなケースを、考えて欲しい。

母親が、娘(といってももう成人です)に対し、
「あなたは、もっと人を思いやらなくちゃいけない!」と
お説教をする。

娘は、むっとする。
それはそうだ。
「あなたは、思いやりがない」と言われているんだから。
「そうだね・・・」なんて、ならない。
すると、母親は、娘の思いやりのなさを、証明しはじめる。
「あの時も、あの時もあなたは・・・」
さらに、自分の説を、補強するために、事例まで出してくる。
「Aさんは、思いやりがあるから、幸せに生きているのよ!
それに比べてあなたは・・・」

これが、ずーっと続いている。
もちろん、このやり取りで、誰もハッピーになっていない。
状況の好転もいっさいない。

***

母親は、娘が幸せになれるように、教え諭しているつもり。
「事実」に気づかせて、よりよい人生を歩んで欲しいと思っているんだ。

でも、実際には、
「母親」という強い立場を利用して、自分の正義を押し付けているだけだよね。

重要なのは、
それが、どんなに善意によるものであっても、暴力は暴力だってこと。

十字軍も、太平洋戦争も、テロも、お説教も、パワハラも、同じ。
本人たちは、口を揃えてこう言うよ。
「私たちは、彼らを、救うためにやっているのだ!!」
「私は、あなたのためを思って言っているのよ!」と。

これを読んでいるあなたも、書いている僕も、
「~してあげよう!」と思い立ち、それが受け入れられない時には、
必ずこの言葉を口にする。
「こんなに、やってあげたのに」「あなたの、ためなのに」。

つまるところ、
「こちらの善を、相手に押し付けること」のゴールって、
勝利ってことだよね。
相手に飲ませたら勝ち。突っぱねられたら負け。
だから、途中で、意地になってしまうわけだ。
「相手のため」に始めた試みは、必ず、ここに帰着する。

・人を変えようとする試みは、
 ”すべて”、支配と暴力の欲望を隠している。

これは、胆に命じておこうと思った。

親子、夫婦、上司と部下、すべての関係において、同じ。
それが良いとか悪いではなく、
また、それをするべきか、どうか・・・の話でもない。

「相手に対して、相手の意に沿わぬ力を行使する」という行為は、
どんなケースにおいても「暴力」なんだ。

そもそも、本当に思いやりがある人は、誰かに対し、
「あなたは、思いやりがない」なんて、言うわけない。

上のケースでは、母親は、「思いやりがない自分(という自己評価)」を
どうしても受け入れられなくて、
それを投影して、娘に八つ当たりしてます。

「相手を変えたい」という思いは、
自分自身と向き合うことへの恐れの裏返し。
「変えたい相手」は、自分の投影。
変えたい人がいるのなら、自分を見つめることが、スタート地点。

支配と暴力の先に見えてくるのは、終わらない戦い。
負けたら、次は、勝ってやる・・・!
あの恨み許すまじ・・・ってことが、繰り返されていく。
これが、「カルマ」ってことだよね。


もうやめよーこれ。
これは、もう、さんざんやってきた。
そして、もう十分に傷つけあったよ。

この構造を、終わらせてく世代になろう。

人との間に、暴力でなく、支配でなく、
愛と支援の関係を作り出していく世代になろう。
新しいパラダイムを生きよう。
そして、新しい時代を創ろう。

じゃあ、実際に、どうやって、人と関わる?
どうやって、誰かの役に立てる?

それはシンプルなことだ。
僕らにできることは、ただ「場」を提供することだけなんだと思う。

・相手が必要とする時に、助けを求めてきた時に、
 相手が自分の中から答えを見つけ出すサポートをすること。

・相手が、自ら気づき、自ら見つけ、自ら学ぶための、
 機会を作り出すこと。

これだけで良いのだと思う。
自分が欲しい支援の形を想像してみたら
きっと、よくわかる。

僕らは、自分で自分の人生を生きる権利を持っている。
相手も、相手の人生を自分で生きる権利を持っている。
自分のペースで、自分のタイミングで、
自分のやり方で、学んでいく権利を持っている。

そこに敬意を持った時、一方的な介入なんて、できやしない。
相手がどんな存在であろうと、
そこにどんな関係性があろうと、

相手は、相手の人生を生きていて、
それは、その人だけが、生きることができるものだ。

素晴らしいことに、僕らは一人ではなく、
誰かと支えあって生きている。
そうでないと、生きていけない場所にいる。

だからこそ、
本当の支援を、学ぶ環境は、そこらじゅうにある。

利害関係のある関係性こそが、
愛と支援を学ぶ最良のステージになるだろう。
夫婦、親子、職場の上司と部下・・・

その中で、僕らは、
自分と相手を、認め、許し、愛していくことを学ぶだろう。

すぐには、できないよね。
あまりに慣れ親しんだ、方法論だ。

それに、支配も暴力も、する方は、止むに止まれずやっている。
追い詰められているから、それをしてしまうわけだ。
自分のことを鑑みれば、それはよーくわかる。

まず、そんな自分を認めることがスタートだよね。
そして、自分を追い詰める自分に気がつき、
自分を癒していくことになる。

上のケースの母親も、人を傷つけたいわけでも、
誰かを否定したいわけでもない。
ただ、自分を許せていないだけ。

許してこー。
どんな自分であっても、それが等身大の自分だからね、
自分を、許していこう。

僕らは、一歩いっぽそこに近づいている。
生きるということは、そこへ向かうことだから。

みなさん、共に行きましょう。
そんな仲間と出会え、互いに支えあいながら、進んでいけていることを、
僕は、本当に、嬉しく思います。


自由に、自分の生きたいように、生きる。
そのために、することは、シンプルです。

今回は、何かを終える、辞めるというテーマについて
書いてみます。


例えば、会社を辞めたい。でも、辞められない・・・

よくあるシチュエーションですよね、
僕も、相談を受けることが、けっこうあります。

先に書いておきますが、
僕は、会社を辞めることが良いとも悪いとも思っていません。
あくまで、
・~したい but できない 
という状態を打破する・・・ということについての事例として読んでください。



さてさて、理由はいくつか考えられます。

辞めたらどうなる?
 → 経済的に困窮してしまう・・・
  → 生活費が払えない
   → 生活ができなくなる

 → 今より良い環境に巡り会えるか不安・・・
  → もっと悪い環境に行ってしまう不安
   → 結局、後悔するのではないか。

このような感覚が出てくるのであれば
自分の中に、
・やりたいことで生きて行くのは、難しい
・仕事は、我慢するもの!!
といった自分ルール=信念があるということです。
また、
・自分には、力がない
・自分には、価値がない
・自分は、自分の人生を作り上げていくことができない
といった信念があるのかもしれません。

僕らは、このような信念を持っていると、
そのような現実を経験します。

ですから、自分の中に、矛盾する感覚が生まれてきたのなら
自分の中に不要な信念があり、それを手放す準備ができたことを意味しています。

そのような自分の信念を、書き換えることができた時、
辞めるのに、なんの勇気もいりません。



もうひとつのバージョン。

辞めたいけれど、できない
 → 周囲に反対される、迷惑がかかる
 → 上司にダメと言われる
 → ルール上、できない。

この場合、テーマは、二つ。
「誰かの期待を生きるのを、辞める」ということ。
「良い子」を辞めること。
もうひとつは、
「被害者」を卒業するということです。

まず、良い子を辞めること。
・周囲の期待を裏切る
・上司や会社のルールを無視する
ことで、自分の評価は失墜するかもしれません。
「悪い子」になるわけです。

信頼を裏切る。
すると、あなたは「見捨てられる」でしょう。
ダメな人と烙印を押されます。

それが、恐れの本質です。
よく思われたい。
悪く見られたら・・・捨てられる・・・
そう、「見捨てられ恐怖」と呼ばれるモノです。

断りたいけど、断れない。
そんな状態は、この恐怖によって作られます。

この場合
・良い子じゃないと、価値がない
という信念を、自分の中に見つけ、変えていくことになります。
未完了の感情や、記憶とともに。
多くの場合、幼少期の出来事に触れていくことになります。

僕も、なかなか、苦労しました。


さて、被害者からの卒業についても、書いておきます。
・~だから、~できない。
という文法で生きている限り、
僕らは、自分の人生の主人公になることは、できません。

書き換えてください。
・私は~したくない。だから~という状況を作り出した。
ということです。

あなたは、会社を辞めたくないのです。
辞めるのが、怖い。
だから、辞められない理由を、懸命に作り出すのです。

それ以外の形で、現実を経験することは、
僕らには、ありません。

さて、すると「辞めるのが怖い・・・」という形に戻ってきましたね、
・~したら、~になる。
という信念の問題だということです。

・会社を辞めたら、生きていけない
という信念があるから、恐怖が出てきます。

それを、書き換えるだけです。

繰り返しになりますが、
僕らは、信じている通りに、世界を経験します。

・会社を辞めたら、生きていけない
と思っていると、
会社を辞めて、困ってしまうことなります。
思った通りに。

・会社なんて辞めても、まったく大丈夫!
と信じているのなら、会社を辞めても、生活が成り立っていくでしょう。
ただ、思っている通りに、現実を体験するということです。

これらの「信念」は、
心の深い場所に存在していることもありますので、
一朝一夕では、書き換えができないこともあります。
でも、プロセス自体は、同じです。

サポーティブなテクニックは多々ありますけれど、
今日は、構造のお話にとどめておきましょう!


さて、この文章が、伝えたいこと。
それは、「僕らは、完全に自由だ」ということです。
僕らは、今、この瞬間、自由なんです。

無限の可能性と、際限ない自由が、そこにある。
世界の側には、それが用意されているんです。

自分が、自分を縛る鎖を放てば、
僕らを縛るものは、どこにもありません。

・期待に応えたい
・人を傷つけたくない
・努力をしなくてはいけない
・迷惑をかけてはいけない
・優れた存在でなくてはいけない ・・・

すべて、ただ、自分が自分を縛っている鎖です。
そして、鍵は、自分の手の中にあるのです。

今、この瞬間、あなたは、100%自由です。
無敵です!!無限です!!なんの制約も、制限も、ない。

そのことを、覚えておきましょう。

昨日の続き。

昨日書いたのは、

僕らは、誰もが、自分自身の現実を、
必要に応じて作り出している。
そして、その自分に必要な体験を作り出すために、
誰かにサポートしてもらう・・・ということ。

例えば、自分一人で、傷つくことは、できないので、
「傷つけてくれる人」を演じてくれる人を、呼んでくる。
自分一人で、奉仕することは、できないので、
「奉仕させてくれる人」を呼んでくる。

すると、「した側」と「された側」という区分が、もはやナンセンス、
論理構造上、そのような二者は、存在し得ないという結論が出てくる。

つまり、誰もが、「その経験を、創造した側」だということだ。

この知見に立つと、見えてくる風景がある。
それは、誰もが、自分自身の創造した現実に、
責任を持っているということ。

このように書くと、「ふーん」と思うだけかもしれない。
でもね、それは

・傷つけた側に、責任はない。
・傷ついた側に、責任がある。

ということ。

それは、安易な自己責任論・・・ではない。
常識的な責任所在を反転させるということ。

小学校の風景。
「先生!Aくんが、Bくんを、叩きました!」
「Bくん、君は、Aくんに叩かせるという現実を創造することで、
何を実現したかったのか??」

・・・そう、この話は、実は、自分の「常識」のアップデート、
パラダイムのシフトを要する話なのです。

(ちなみに、セラピストなど、心理ワーカーって
基本は、この考え方をしてるんじゃないかな?)

閑話休題。
さて、では「責任」って何だろう?

それは、そこにアクションを起こし、
その経験をマネジメントする立場を選択するということ。

そう、それは、「権利」だ。
自分自身が、アクションをすることが、「できる」という宣言である。

その現象を、「我が事」として、取り扱うことを決めた時、
人は、はじめて、その問題を、リードすることができる。

・批判的な上司にいじめられる私
というポジションにいる限り、
その状態を変化させる権利は、一切放棄されている。
・批判的な上司にいじめ「させる」私
というポジションを採用した時、人は、その現実を自分の可変域へと引き寄せる。

ここに、責任という言葉が、自由という言葉と重なってくる。
責任を逃れている限り、人は常に、問題にリードされ、
生殺与奪の権利を相手に、現実に与えることになる。
責任をとろうとする限り、人は、問題をリードできる。
生殺与奪の権利を自分自身に与えることになる。

ここに、自由の本質がある。

・人が味わえる自由の限界は、
 自分の現実に対して、「自身が作り出した」と認められた範囲

だということだ。

だから、コミットメントと自由は、責任と自由は、
同じモノの違う呼び名のことなのだ。

現実に対して、責任をとるということ、
自分が作り出したモノとして、受け入れること、
それは、自分がその現実から学び、その現実を変容させていく、
権利と、その自由を得ることに他ならない。


さて、ここまで読んで、
「そうか、すべて、自分が悪いんだ・・・」と思わないように!!!

ここに、善悪の話は、一切関係ありません。

現実とは、
自分が、より自分らしい生き方をしていくために、
自分が、自分を承認し、より深く自分を愛していくために、
自分が、作り出したもの。

そして、それは、自分が生まれてから死ぬまで、
すべての瞬間、ありとあらゆる体験において、
機能している原理だということ。

自分自身が、何かをされるという経験すら、
それは「させた」という経験であり、そのように捉えることが、
自分を変容できる地平、自在に生きられる地平へと、自分を解き放つ第一歩だということ。

・・・・とまとめたら、ここだけ書けば良いじゃん!って感じになったけど、
時々、原理的なこと、しっかり「理解」しておくことも大切・・・
ということにしておきます。

最近の気づき。

人と人の関係というのは、ただ、

「経験を与え合う」モノだということ。


自分が必要な体験があり、相手が必要な体験がある。

ゆえに、出会い、互いに機会を贈与し合う。


表面的には、与え手と受け手という関係が見えたとしても、

経験の贈与という点において、両者は、完璧にフラットだ。


親と子。

子は、親に、「親である経験」を与える。

親は、子に、「子である経験」を与える。


クライアントは、セラピストに、「支援する経験」を与える。

セラピストは、クライアントに、「支援される経験」を与える。


それは、互いを、「利用している」ということだ。

セラピストは、クライアントを利用して、学び、

クライアントは、セラピストを利用して、学ぶ。


この関係は、普遍的なモノだ。


だから、

親は、子に育てられ、師は弟子によって磨かれる。

先生は生徒に、上司は部下に、育まれるのだ。


この関係は、される側(被害者)とする側(加害者)にも当てはまる。

(今回は、あえて、この、あまり耳触りの良くない、2つの言葉を使おう)


被害者は、加害者に、「加害する経験」を与える。

加害者は、被害者に、「加害される経験」を与える。


被害者は、加害者を作り出すことで、

自分に必要な経験を得ているのだ。


ここは、とても、大切な視点だ。


僕らは、自分を中心に風景を眺める時、

知らず知らずのうちに、自分を「被害者」とおく。

・自分が、傷つけられた。

・自分は精一杯やったのに、報われなかった。

・自分は我慢しているのに・・・etc


しかし、実は、相手の立場に立つと、必ず逆の風景が見える。

相手も、こう思っているのだ。

・自分が、傷つけられた。

・自分は精一杯やったのに、報われなかった。

・自分は我慢しているのに・・・etc


そこで、一般的に、社会的に、どちらがより「被害者であるか」の討論に、

生産性はない。説明する必要もないよね・・・。

(誰もが、その不毛なやりとりを、経験しているだろうから)


「~されて、傷付いた。」「こっちだって、傷付いた。」

この終わることない、やりとりを解決するには、

僕らは、新しい地点に立つしかない。

その視点が、ここまで述べてきた

「関係性とは、互いに、必要な体験を与え合っているだけ」という視点だ。


その視点を、あえて、被害者・加害者という言葉を使って表現するのなら、

加害者とは、被害者によって、加害を「させられている人」だということになる。

すなわち、加害者とは、被害者の、被害にあっている人ということになる。


「する側」と「される側」という区分は、もう意味がないのだ。


僕らは、誰もが、自分自身の現実を、必要に応じて作り出している。

そして、その自分に必要な体験を作り出すために、誰かにサポートしてもらう。


自分一人で、傷つくことは、できないので、

「傷つけてくれる人」を演じてくれる人を、呼んでくる。

自分一人で、奉仕することは、できないので、

「奉仕させてくれる人」を呼んでくる。


僕らの目の前には、いつだって今、自分に必要な体験が、ある。

自分に必要な人間関係が、ある。


だから、目の前の人間関係は、常に、自分が自分に宛てた手紙であり、

神様がくれたギフトなのだ。


そう、自分が自分に戻っていくための。

自分がより自分の可能性を花開かせるための、契機。


僕らは、ただ、互いに、今、互いにとって、必要な経験を、

懸命に贈与しあっている。


 あなたは、その人生を使って、私にひとつの経験をくれている。

 私は、その経験がどうしてもしたくて、あなたに出会っている。


その実感を持てた時、

所有するでも、支配するでもなく、変えようとするのでも、変わろうとするのでもない、

ただ、そこにある経験への、本質的なフォーカスが、

目の前にいる相手への、純粋な出会いが生まれてくる。


さて、この話は、頭での理解はけっこう簡単だけど、

それを生きる地平に立つのは、なかなか難しい(・・・と僕は感じている。)


そして、僕は、まだそんな地平に立っているわけではない。

でも、なぜ書いたかというと、ほんの少し、覗いたからだ。


先日、僕に、この感覚が、この視座が、訪れた。

世界のすべてがフラットに見渡せる視座。深い実感と理解。

突然感覚が降ってきて、「きたー!!」って感じ。プチ不思議体験。


これは、時々ある、「ギフト」。

ちょーっと先を見せてくれる経験。

ビギナーズラックみたいなモノなのかしら。


だから、僕は、もう、この視座には、居ないのだ。

この視座に本当にたどり着くためには、

もうしばらくの経験が必要になりそうだ。


けれど、本当にたどり着いてしまったら、

僕はもう、この話を書かないと思うので、

ここに、記しておこうと思ったのだ。


今日は、こんなところで。