通知を切って、自由になる。 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

さて、あっという間に7月が終わり、
このままいくと、僕の大好きな夏が、目の前をただ過ぎていってしまいそうで、
これは、いかん!と、今日は計画など立ててみた。
そして、もう一つ、長らく違和感がありつつ、放置しておいた問題をば、解決。

それは、スマートフォン。
さらに言えば、スマホの「通知機能」です。

僕はいつもマナーモードだけど、
メールが来るたび、Lineが来るたび、メッセージが届くたびに、
彼は「ぶぶー」と鳴くわけです。
こちらが、食事してようが、話をしてようが、瞑想してようが、
何をしていようと、おかまいなく「ぶぶー」。

鳴れば、どうしても、気になって、今やっていることを、中断します。
すると他にも何か通知があったりして、しばしスマホタイム。
そう、完全に、スマホ様のご意向の元に、付き従っているわけです。

スマホが主人で、自分は従者。
この関係性って、この上なく、不自然だなーと、改めて気が付きました。

僕らをより自由に、便利にしてくれるはずのモノが
僕らを縛り、生活を寸断しているって、変だよね。

・・・というわけで、
「自分がしたい時に、チェックする」ということに変更。

すなわち、「ぶぶー」を消しました。
これで、自分が見たい時に、見ればいい。返したい時に、返せばいいわけです。

設定変更なんて、1分だよね。
すっごい簡単なことだったけれど、なぜ何年も、放置してたんだろう?

それは、気持ちが良かったからだと思う。
呼ばれること、世界とつながることが。
そして、目の前のことから、ちょっと回避することが。

でも、通知機能を切ってみると、なんだか、清々しい心地。
はやく、やればよかったわい!

もし、緊急の用件に気づけなかったとしても、それはしょーがない。
それで、死のうが、生きようが、親の死に目に会えなかろうが、
それが運命だったってことだね。
もしそういうことが起こるのなら、何をしたって、それは起こったよ。

今の時代、必要なのは、やっぱり「減らすこと」なんだね。

今日のニュースの中で、自分の人生を変えるニュースは、
10年後覚えておきたいニュースは、いくつあったろう?
本当に必要なモノは、身の廻りに、いくつあるだろう。

生き方をシンプルにしていくほどに、僕らは自由になっていく。
自分のキャパシティは、本当に大切なモノに使おう。
そこにきっと幸せが宿るはずだから。