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スタジオハーミットサテライトBLOG

The daily news from STUDIO HERMIT.

【ジョン&ユッキー劇場】

 

東京大田区・洗足池に勝海舟が眠るお墓がある。

 

勝海舟(勝麟太郎)は洗足池の風光を好み、ここに別荘を持っていたそうだ。

洗足池ではボートやスワンに乗ることもできる。

 

お墓の裏手、すぐ近くには「勝海舟記念館」もある。

立派な記念館だ。

規模では「ジョン万次郎資料館」に軍配が上がる。

(競ってどうする…)

勝海舟記念館では、ジョン万次郎のことにもチョコッと触れている。

 

勝海舟はジョン万次郎に「日本の表舞台に立たないか」と、何度もラブコールを送ったそうだ。

しかし万次郎は政治の表舞台に積極的に立つことを頑なに断り続けたそうだ。

そんな意志と魂が現代でも受け継がれているのだろうか。

未だに、現代(May.2025 present)になっても万次郎は表舞台に出てこようとしないのだ。

日本よりも、むしろアメリカでの評価が高いように感じる。

アメリカ人の方が万次郎をメジャーな有名人として扱っているように思える。

 

福沢諭吉は人を見る才に長けていたそうだ。

一万円札にもなった人だ。

慶應義塾大学という、日本でトップレベルの私立学校を設立した偉人だ。

福沢諭吉もまた、咸臨丸乗船メンバーだ。

 

諭吉からの視点で見たジョン万次郎はとても興味深い。

使節団として渡米後、ショッピング中、辞書(ウェブスター大辞典)を購入したことは有名な話だ。

その辞書を日本に持ち帰り、日本の教育をさらに進歩させたのは言うまでもない。

 

 

さて、ここで想像力を働かせてみよう。

初めての異国の地、言葉も文化もまったく知らない地。

鎖国が開けたばかりのこの時代。

そんな場所で気軽にショッピングができるだろうか?

 

どうやって買うの?

立ち読み、チョイ読みしてもいいの?

この本、タイトルからしてなんの本だかわからん。

これ値段、いくらするの?

なんて言えばいいの?

このお土産、日本に持ち帰っていいの?

 

お土産購入ショッピングは海外旅行の楽しいイベントのひとつだ。

未知の外国では楽しむどころか、どうしていいかわからない。

しかし、現地の言葉も事情にも詳しいガイドが一緒ならどうだろう。

 

ユキチ:万次郎さん、日本に持って帰る書籍とか手に入れたいんですけど…どうしたらいいのかなぁ

ジョンアァハァン、ブックア〜ンドスゥヴニィね! ユッキー、それなら本屋に行こうよ

ユキチ:ユ、ユッキー?

ジョンアメリカ人にはさ、ユキーチって発音しにくいんだよね、だからユッキーの方がいいよ

ユキチ:ま、万次郎さんは?

ジョンかたいなぁ、ジョォーンでいいよ、コーミィージョォーンってね、じゃあ早速ブックストゥアにレッゴォー

ユキチ:ほぇー、どれもこれもわけわかんないけど…あ、あの本はなんだろう?

ジョンあ〜、ザッツァ…アバウト、レイローピクチュアブック

ユキチ:レイロー? あ〜この前教えてもらった汽車かぁ

ジョンイヤァ、ザッツライ!

ユキチ:えと…あの棚の本、あ、あれがいい

ジョンワァット? あのぶ厚い本?

ユキチ:なんか豪華そうだけど、なんの本かなぁ

ジョンさすがヤッキー! 勉強家だね

ユキチ:あれ、ユッキーでないの?

ジョンソォリィ、ちょっとスラングになった

ユキチ:あー、それ、スランプね

ジョンノーノー、スラァーング、ナマリみたいな?

ユキチ:ちょっとなに言ってんだかわかんない

ジョンユッキー、あれは辞書だよー

ユキチ:ほえ〜…辞書かぁ、いいね!

ジョンでもこれを選ぶなら、あちらの簡易版の方が読みやすいし、手頃でいいと思うよ

ユキチ:へー、ではあれ、取ってくれる?

ジョンオフコース

ユキチ:だぶりゅ…なんて読むんだろう

ジョンウェヴスタァッ、リピートミィ

ユキチ:そういう音、出せないから…

ジョンこれ、辞書の中ではヴェリフェイマスだし、今ならこれマストヴァイでまちがいないよ

ユキチ:で、でも高くない?

ジョンえ、プライス? ウェル…ほら、ここに記載してあるネ、このコイン5枚で買ってお釣りが来るよ

ユキチ:日本の通貨ならいくらくらいかなぁ

ジョンたぶん1万くらいじゃね

ユキチ:えーっ、壱萬? そんな通貨、日本にないよ

ジョンそのうち日本でも1万なんてペイパー紙幣通貨が造られるかもね

ユキチ:そうかぁ、にしても高いなぁ…どうしよう

ジョンミスターキムラからたっぷり予算もらってるんだから、いいじゃん

ユキチ:それもそうだな…えと…これで、壱ダラの半分お釣りがくるのか

ジョンハスダラ、ザッツライ

ユキチ:お釣りのハスダラ、チップであげたほうがいいかな?

ジョンワァット? ティィップ? だれに聞いたの、そんなこと

ユキチ:勝さんがさ、メリケンではお礼に必ずチップ渡すって言ってた…

ジョンノーニードティップ、このお店ではチップなんて不要ネ

ユキチ:そっかあ、勝さんには悪いけど、万次郎さんと一緒でよかったー

ジョンヘーイ、コーミージョォーン、オライ?

ユキチ:勝さんも船酔いしてなければ一緒に本屋行きたいって言ってたからなあ

ジョンオォ、ミスターカツ、He is seasickネ、アイレッコメンデッヒムゆっくり休む

ユキチ:やっぱちょっとなに言ってるかわかんない…

ジョンウェル…それよりさ、買った本、帰りの船で濡れても大丈夫なようにワァラプルーフバァーッグに入れてもらいなよ

ユキチ:ワラの夫婦バーグ? なにそれ?

ジョン厚めの袋ってこと

ユキチ:そっか、そだねー…え? 追加料金いるの? ハスダラも?

ジョンん? どした? 厚い袋は有料だと? んなバカな…ではミーが交渉してあげるよ

店員:オミヤゲ用の袋はね、別料金ね、でもチョトなら勉強するあるよ

ジョンあのさぁ、さっきさぁ、安いマァガズィン買ったイケてるマダムにはさぁ、厚い袋フリーサービスしてたよね

店員:うえっ?!

ジョンオレたちさぁ、あのマガジンのさぁ、十倍以上高い買い物してんだぜ、なあ、そこんとこどうなのよ

店員:あわわわ、そ、そりはぁー…ですね、えーと…

ジョンあれー…これってさぁ、もしかしてさー、まさかの人種差別的なぁ?

店員:オイオイ、ちょまっ、ちょまっ、な、なんでそんな流暢な英語しゃべれるんだよ

ジョンんなこたぁー聞いてねえスよ、人種差別してんのかってこと、ユーアンダスタンミー?

店員:ま、まいったな、バレバレじゃんか…

ジョンフリー? or 差別…

店員:はいはいっ、無料、無料でいーす、しかも、袋、二重包みの大サービスしまーすっ

ジョングッジョブ!

店員:ま、まいど…

ジョンほうらね、ユッキー、無料だよ、しかも二重包装サービスしてくれたよ

ユキチ:ぽかぁ〜ん…ほえー、ネイティブ英会話カッケー! 万次郎さんって交渉力もマジすげえー

ジョンオフコォーッス、世界に出たらネゴシエイションは常に必要ね

ユキチ:で、でも、店員さん、なんか怒ってないかな

ジョンなにも知らないと思ってさ、なめられてるんだよ、こういうときはさー、ガツンと言ってやらないとさー、ガツンと

ユキチ:や、やっぱ、万次郎さんの英語って、超すごすぎるわぁー!

ジョンていうかさユッキー、これさ日本で読むの、大変っしょ

ユキチ:そ、それなんだけさ、万次郎さん…

ジョンえ? 帰国したら翻訳手伝ってくれって? う〜ん、まあ時間があれば…たぶん無いと思うけど

ユキチ:そこをなんとか!

ジョンいやいや、そう言われてもさー、ノーサーンクスってことで

ユキチ:翻訳手伝ってくれたらさ、万次郎さんの株がまたまた爆上がりですよ!

ジョンいや、ほら、だって、ミーが活躍するとさ、なにかとやっかむ人が多いっしょ

ユキチ:そ、それは仕方ないことだし

ジョンそうなるとさ、ミスターユッキーにも迷惑かかるかもしれないっしょ

ユキチ:万次郎さん、そんなやつらは無視すればいいんですよ

ジョンI think so, but doesn't make sense...

ユキチ:え? ちょっとなに言ってるかわかんない…

ジョンまあ、私もそう思うけどね…て感じかな…

ユキチ:なんかさ、万次郎さん、米国に来てから日本語に変なナマリがありません?

ジョンうっ…た、たしかに…そうなっちゃってるかもぉー

ユキチ:でさ、この後もショッピングつきあってくれませんか?

ジョンソォリィバッタァ…あ、いや、すみません、実は、写真撮影のプロフェッショナーにキャメラッの使い方とかテクァピッチュア、アーンド現像のことを聞きに行くプロミッスがあるんで

ユキチ:キャラメル? お菓子買いに行くの? それなら一緒にいくいく!

ジョンち、ちがうって、キャメラ…なんていうか、自動写生装置? って言えばいいのかな

ユキチ:あっ、海軍の事務所とかにある、あれね、でもあれに写りこむと魂抜けるってうわさだけど…

ジョンオォーマイガッ…それっ、その発想、つくづく400年の鎖国が原因だよなぁ

ユキチ:あと、ゲンゾーって誰? 一緒に帰国した日本人の彼もいるの?

ジョンジーザスッ…イッツナットヒムッ

ユキチ:でもゲンゾーって言ったよね、たしかに聞いた!

ジョンあぁ、えとね、カンバーックトギャザはデンゾー、ゲンゾーじゃないヨ、現像を教えてもらう約束してんのよ

ユキチ:ゲンゾーにゲンゾーを教わる?

ジョンノーモア…その後も別の買い物する予定があるからユッキーとのミッションはインポッシブルね

ユキチ:なに買うの?

ジョンフォアマイワイフ、スーベニィにミシンも買おうと思ってね、へへへ

ユキチ:え? 四人の妻、スーとベニィとあと誰? 万次郎さん、こっちに妾(めかけ)つくってんのー?

ジョンどういう耳してんだよっ! ちっげーよ、ミシン、ミーシーン

ユキチ:維新?! そ、それってアメリカだと買えるもんなの?

ジョンち、ちっげーって、ミシン…ほら、ペリーも持ってたでしょ?

ユキチ:いや、ペリーの持ち物って言われても…どんなお菓子だっけ?

ジョンだからぁ、お菓子じゃないって…えとね…自動はた折り機械

ユキチ:自動で国旗とか製造できるの?

ジョンい、いやちがうな…そうそう、さきほど買った辞書で「S」で調べてみてよ

ユキチ:おっ、それいいね、早速使おう、辞書!

ジョンふぅ〜、ユキチとの会話は疲れるわぁ

ユキチ:えーと、最初のアルファベットはMだからぁー

ジョンノーノー、Sで調べてみなよ

ユキチ:え? どして?

ジョンスワイン マッシィンン(sewing machine)だから

ユキチ:え? ちょっとなに言ってるかわかんない…

ジョンまあ…今後の日本でも流行るもんだからきちんと調べてみてよ…

ユキチ:よーし、帰国したら勉強すっぞー!

ジョンそんなに勉強してどうすんの?

ユキチ:学校作ろうと思ってるんだ、ヘヘヘー

ジョンリアリィ?! イッツグレイト!

ユキチ:そ、そんなにすごいかな

ジョンイヤァ、ユッキーにknock outされた気分だよ

ユキチ:ノックアウトって?

ジョンKOされたってこと

ユキチ:ケイオーか、いいね、その言葉!!

ジョンフォゴッドセイク…

 

一万円札にもなった福沢諭吉。

初めての海外旅行のショッピングはこんな感じで楽しんだのだろうか。

残念ながら、勝麟太郎くんは船酔い残って体調不良でショッピングには来れなかったようだ。

一緒に来ていたらジョンに「ヴィクトリー」(勝つ)または「ヴィクター」などと呼ばれていたかも。

 

ここに登場している親切なガイドのジョンはネイティブイングリッシュペラペラのジョン万次郎。

単に、そこらの英語会話ができるだけの外国人ではない。

あの1849ゴールドラッシュの現場で生き抜いて金をゲットしたしたたかさ、交渉力も持っているのだ。

諭吉もまた、先見の眼をもち、激動の時代で、上手に危険回避をしつつも日本に貢献した人だ。

右も左も天も地もわからない異国の地で。

さぞやジョン万次郎は頼りになるガイドだっただろう。

福沢諭吉もツアーガイドに感激、大いにリスペクトしたことだろう…たぶん。

 

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Respect to John Mung/ジョン万次郎、ありがとう![10]

 

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Respect to John Mung/ジョン万次郎を大河ドラマに[8]に戻る

 

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【ジョン万次郎を大河ドラマに】

 

足摺岬エリアでは「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう!!」の署名を複数してきた。

なぜこれほどの偉人が未だに大河ドラマにならないのか。

逆に不思議である。

ジョン万次郎を扱うテーマが自国(日本)のみで完結しないからだろうか。

今のCGやVFXを駆使すれば、鳥島サバイバル編や当時のアメリカ編などの舞台背景も作り込みは可能なはずだ。

 

ゴールドラッシュサクラメントシティの西部劇の町も、日米合作としてなら大規模なドラマ作りが可能だろう。

予算があれば俳優陣やスタッフもハワイ・ホノルル、ボストン、フェアヘイヴン、カリフォルニア・サクラメントへのロケ慣行となる。

手を抜かないで作り込むなら、二回の捕鯨航海編も作り込んでほしい。

そうなると、グアム、マニラ、インドネシア、タヒチ、インド洋に浮かぶ島、マダカスカル、西アフリカ沿岸、ロケ慣行だ!

今までの歴史ドラマなどでは万次郎がサブキャラ、脇役だったが今回は主演だ。

大河ドラマにしたいと訴えるだけでは弱い。

こうなったら、出演者を細かく設定してあげたらどうだろうか?

 

2027年 大河ドラマ

「ジョン万」

アメリカを初めて伝えた日本人

ジョン万次郎生誕200年記念作品

 

主演:ジョン万次郎(中浜万次郎)

ネイティブイングリッシュができる若手俳優もしくはアイドルタレント

漂流〜渡米青年期:英語力重視なら松田元太

30代咸臨丸乗船〜欧州遠征:山崎賢人に決定

中年期:仲村トオル(山崎賢人・中年メイク)

還暦期:佐藤浩市(山崎賢人・中年メイクなら仲村トオル)

晩年期:岩城滉一、骨格重視なら火野正平

 

準主演:ホイットフィールド船長

豪華ハリウッド俳優、海が似合うケビン・コスナー

(オファー快諾望む!)

船長の家族…豪華ハリウッド俳優陣

 

共演:

筆之丞(伝蔵)一家ら出漁メンバー…豪華俳優陣共演

筆之丞は吉田鋼太郎?

万次郎と年齢が近い五右衛門…スノーマン・渡辺翔太

ハワイに永住を決めた寅右衛門…志尊淳

 

ハワイのデーモン牧師…豪華ハリウッド俳優、ブラッド・ピット

(オファー快諾望む!)

 

フェアヘイブンの隣人・友人たち…ハリウッド俳優

 

万次郎の妻…数人いる

妻の鉄は菜々緒に決定

他の2名も豪華美人モデル・タレントを起用!

新垣結衣、高畑充希

 

万次郎のアメリカ滞在時のガールフレンド…アメリカ時代に花を添える豪華ハリウッド女優

 

ペリー来訪・咸臨丸乗船・サンフランシスコ上陸メンバー

勝海舟…豪華俳優、長谷川博己

福沢諭吉…豪華俳優、高橋一生か

後藤象二郎…豪華俳優、吉沢亮

木村摂津守…豪華俳優、堺雅人

万次郎の母…大御所女優、松坂慶子

万次郎の姉…伊藤沙莉

徳川慶喜…やはり、つよし君

ペリー提督…豪華ハリウッド俳優、まさかのトム・クルーズ?!

(オファー快諾望む!)

息子・東一郎…晩年の万次郎を看取る医師・竹野内豊

ナレーション…林田理沙アナウンサー様に決定!(ここだけ敬称?)

 

テーマソング…葉加瀬太郎作曲

オリジナルアレンジ(江戸幕府崩壊〜ようこそUSAへをイメージした曲)

エンディングソング…葉加瀬太郎作曲

オリジナルバイオリン(万次郎を偲び、外洋の鯨をイメージした曲)

 

脇を固める豪華俳優陣:

フランクリン号のデービス船長…ヒュー・ジャックマン(オファー快諾望む!)

フランクリン号の船員たち…西洋人エキストラ

ジョン・ハウランド号の船員たち…西洋人エキストラ

サンフランシスコの人々…西洋人エキストラ

サクラメント金山の荒くれ者…ジョニー・デップ(オファー快諾望む!)、他

ハワイ・ホノルルのカメハメハ大王…ドウェイン・ジョンソン(オファー快諾望む!)

琉球上陸時の村の人々…役人は斎藤工? 沖縄県民エキストラ、沖縄で有名なユーチューバー

九州長崎の取締役編の役人…西郷どんじゃないが、鈴木亮平

土佐藩役…及川光博、染谷将太

江戸幕府役人…片岡鶴太郎、染谷将太、山田孝之ら、豪華俳優陣

 

特別友情出演:

(一コマ・一瞬の豪華出演)

フランクリン・ルーズベルト第32代アメリカ合衆国大統領…ハリソン・フォード

(オファー快諾望む!)

サンフランシスコの本屋の店員…エディ・レッドメイン(ファンタビの彼)

街を闊歩する後ろ姿だけの坂本龍馬…横浜流星

板垣退助は字幕のみか

江戸の鰻屋の店主…松重豊(鰻屋ゴローの店主)

江戸の甘味処の店主…阿部サダヲ

牧野富太郎…子役または成人後にチョイ出演、成人はやはり、朝ドラの彼でしょう!

夏目漱石…子役

 

などなど、想像すると無限にイメージがふくらむ。

が、これ、本気で大河ドラマにすると、膨大な予算がかかるだろう。

とくに人件費…。

 

「う〜ん…この偉人ドラマに、この予算かぁ…決済難しいよな」

「ちょっ…どんだけハリウッドタレント起用すんだよ、友情出演のハリソン・フォードって…」

 

と、毎回却下されているのではないだろうか…。

 

大河ドラマにできない別の理由は他にもあるのだろうか。

同時代に生きて大活躍した高知県出身の偉人や日本の偉人達に気を遣う部分が多々あるのだろうか。

なぜなら、時代の大御所たちを脇役やエキストラ扱いにするのだから…。

 

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Respect to John Mung/ジョン万次郎ショートコント[9]

 

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【ジョン万次郎のお墓参りへ】

 

ジョン万次郎は東京都豊島区南池袋にある「東京都雑司ヶ谷霊園」の墓地に静かに眠っている。

 

雑司ヶ谷霊園は、都電荒川線(都内唯一のチンチン電車)の「都電雑司ヶ谷」駅を降りて眼の前だ。

 

駅から万次郎のお墓参りに歩く途中、夏目漱石のお墓もある。

霊園の案内看板に万次郎のお墓の位置が掲載されている。

霊園なので撮影画像は最低限に控えさせていただく。

お参りの方は実際に現地で調べてほしい。

 

ジョン万次郎のお墓は、中濱家のお墓、親族のお墓もある。

親族ではない限り、お花を添えたりお線香をたてたりすることも遠慮するべきだ。

観光地ではないので、墓碑や墓石のある敷地内に入ることも、墓石の眼の前に立つことも控えた。

大人しく、静かに、他の墓参者の迷惑にならないよう配慮をして、通路から手を合わせてお参りをした。

 

人様のお墓である。

霊園の規則に沿い、万次郎墓地の案内パネル板と記念碑のみ掲載している。

また画像背景に写り込む他の墓石などにもぼかしを入れている。

 

今回のジョン万次郎に会う旅はひとまずこの東京のお墓参りで幕とする。

 

ここまで読んでくれた方に、敬意を表する。

 

記事に掲載している画像はすべて今回の旅で自身が撮影したものだ。

イラストなども、すべて自身で描いたものだ。

万次郎肖像画も個人の視点・着想から描いた想像画であることをご理解いただきたい。

画像の中には、著作権などが含まれる場合もある。

資料館では撮影OKと言われたが、だからといって撮影画像の乱用は避けてほしいと思う。

ジョン万次郎を一人でも多くの方に知ってもらうことに役立てたい意思をもって掲載している。

 

 

【万次郎肖像画】

 

さて、この記事作成にあたって、とくに必要以上の資料や参考文献を調べたわけではない。

というか、ジョン万次郎の資料はネットで検索してもそれほど多くはないからだ。

ジョン万次郎のオフィシャルな肖像画も数えるほどしか無い。

肖像画は大きく分類しても7種類しかない。

 

[1]Type-A:足摺港公園の万次郎少年像(一番若い)

[2]Type-B:ジョン万次郎の似顔絵(唇が厚く、つばの大きな帽子の)、27歳の肖像画

[3]Type-B:ジョン万次郎の似顔絵(唇が厚く、チョンマゲ仕様)、27歳の肖像画

[4]Type-C:足摺岬の万次郎像(年齢不詳、髪型からして40代〜50代)

[5]Type-C:髪の毛がふさふさしている40〜50代くらいの濃い和服姿の肖像画

[6]Type-C:万次郎48歳の肖像画(版画のようなもの)

[7]Type-D:お坊さんのような印象の古い証明写真(年齢不詳、正面顔)

 

[3]のチョンマゲ仕様は、幕府取り調べ中のイラスト肖像画だ。

[7]は微妙に顔の向きが異なる3パターンがある。

おそらく[7]が晩年の肖像画だろう。

晩年の万次郎の肖像画はホイットフィールド船長の肖像画よりも老けて見えてしまうのが残念だ。

ネットで調べれば多数見れるので、ここではあえて引用しない。

興味があれば調べてみてほしい。

 

なんとかしてジョン万次郎の他の肖像画をもっと見てみたいものだ。

しかし存在しないものは仕方ない…。

そこで、今回、意を決して、

 

ジョン万次郎にリスペクトしつつも少年時代からの表情を個人の想像力で描いてみた。

 

AIなどは一切使っていない、フリーハンド画だ。

DNAの基本は、上記の[7]Type-D、僧侶万次郎である。

この肖像画から、年齢、そのときの環境によって想像してみた。

 

骨格の基本

 

骨格から幼年期を想像

 

こんな調子で、いざ、万次郎肖像画を復元!

 

{ 万次郎想像画 }

 

・中の浜での万次郎9歳

父を亡くしたばかりの9歳。

貧しいので栄養不足の万次郎。

貧しい漁師町にどこでもいそうな子供だ。

それでも眼光だけは強く、がんばるぞと言いたそうな表情だ。

 

・宇佐出漁坊主頭14歳

漁師の見習いを始めた14歳。

家計を助けるために自分がやらねばと強い意思を持っている表情だ。

「口を動かす暇があれば、先に手を動かせ」と親方ならぬ筆之丞に厳しく言われてそうだ。

決して泣き言を言わずに、なにくそ、と歯を食いしばって黙々と働く万次郎少年。

しかし、まさか、この後、あんなことになるなんて…。

 

・鳥島サバイバル長髪14歳

坊主頭の頭髪も143日間のサバイバル生活で伸び放題。

陽焼けした肌も真っ黒だ。

もはや餓死寸前、身も心も絶体絶命状態だったはず。

それでも生き抜くための生命力にあふれた眼光だけは衰えない。

決してあきらめない!

ジョン・ハウランド号に救助を呼びかけ叫び続ける万次郎。

こうして想像だけで絵を描くのも大変だ。

あの、足摺港公園の万次郎少年像の完成度には脱帽だ!

 

・アメリカ留学生活開の17歳

フェアヘイブンに着いた当時は16歳。

アメリカ留学生活を開始した万次郎。

慣れないシャツを着てどこかぎこちない。

毎晩、鯨油のランタンで勉強をしていた万次郎。

学校で勉強を続けて2年後の18歳。

もうすっかり健康な肌艶を取り戻した万次郎だ。

どんな青春時代を送ったのだろうか。

 

・フランクリン号捕鯨航海ヤングセーラーマン20歳

再び捕鯨航海の乗船チャンス到来に喜ぶ万次郎。

海に出れば怖いもんなし。

女子に「かわいいわね!」と言われることもしばしば。

 

「ジョン、大きな捕鯨船に乗るんだって? スゴイわね!」

「まあね〜、サクッと世界一周してくるさ、しかも二回目だから楽勝っ!」

「ジョーン、お土産ほしいな」

「い、いいよ、な、なにがいい?」

「わたし南の島の素敵な色の鳥がほしい」

「鳥!(ト、トラウマが…)」

「ほら手に乗るかわいい鳥」

「あれね、いいよ、南の島できれいな色のインコを捕まえてきてあげるよ!」

(実際に万次郎は南の島でオウムだかインコだかを持ち帰っているのだ)

 

一番のモテ期だったか?

今や立派な好青年に成長。

若さと、希望にあふれるヤング万次郎、ジョンマンだ!

 

・カーボーイハット肖像画23歳

万次郎27歳の有名な肖像画(絵)がある。

赤いシャツにつばの大きい帽子をかぶった唇のぶ厚い万次郎だ。

この頃がすべてにおいて絶頂期の万次郎。

フランクリン号乗船経験も大成功。

ひと皮も、ふた皮も向けて成長した万次郎だ。

ゴールドラッシュに単身乗り込み帰国資金をゲットした万次郎。

すっかり頼もしい大人に成長した万次郎。

年齢よりも貫禄のあるオーラを漂わせる万次郎だ!

 

・咸臨丸乗船、渡米スーツ姿33歳

咸臨丸乗船時は和服だったのか。

いや、船員として久しぶりにセーラー服だろうか。

いずれにしても外洋に出てからは動きやすい服装に着替えたにちがいない。

実はポパイみたいに、こっそり腕に錨のタトゥーとか入れてたりして…。

 

しかし無事にサンフランシスコに着いてからはどうだろう。

すぐに慣れ親しんだアメリカ生活スタイルに戻ったことだろう。

シスコのオーダーメイドスーツ屋さんでビシっと決めたスーツ姿に衣装チェンジ。

ネクタイは自分のサインをオーダー刺繍。

 

勝海舟も福沢諭吉も、ビシっと決めた万次郎のスーツ姿にビビったことだろう。

木村摂津守など、ぽかーんと口が開きっぱなしだったかもしれない。

こ、これが自分たちと同じ日本人なのか?

本来のジョン・マンを目撃して、かの偉人たちはどう思ったのだろうか。

 

・Type-Cの肖像画48歳

この肖像画は、どこかで見たことがありそうな絵だ。

版画のような万次郎肖像画を参考にして描いた一枚だ。

48歳というと、時代でいえば1875年。

長男・東一郎と実家、中の浜に母を訪ねた年でもある。

すっかり父親の顔になったようにも見える表情だ。

母を訪ねる親孝行は、ホイットフィールド船長の愛情教育のおかげだろう。

少し平穏な表情をしているようにも見える。

 

・鎌倉で好物のうなぎを食す53歳

53歳時に、鎌倉のうなぎを食べていたか、正確なところわからない。

しかしだいぶ和服姿が板についている。

まだ眼光は衰えず、鎌倉の海岸ビーチで遠い海の先を見ているような表情だ。

よく見ると、家紋が鯨の尾ひれのデザインだ!

 

・Type-Dの晩年の肖像画60歳代?

還暦も越え、60歳代後半の万次郎。

よく普及されている万次郎肖像画を参考に描いた一枚だ。

さすがに鯨の家紋ではなく、万次郎の紋付き袴を着ている。

あんなに得意な英語も忘れてしまうほど、日本に根付いた万次郎。

やることはすべてやった…いや、まだ…という少しさみしい眼光だ。

晩年は京橋・弓町(今の銀座)に住んでいたとのこと。

このような和服姿で近所の甘味処におやつを食べに散歩していたのだろう。

もう…和菓子をいただいても「デリーシャス」とは言わなかったと思う。

 

当時の万次郎は、日本で一番あか抜けていただろうと、勝手にリスペクトしている。

あくまでも個人の見解で描いた肖像画にてご理解いただきたい。

リスペクトしすぎたせいか、少し美化している部分もある。

そこはファンゆえと思って、ご理解いただきたい。

 

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Respect to John Mung/ジョン万次郎を大河ドラマに[8]

 

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【荒野の少年イサム】

 

自分はいつからジョン万次郎に興味を持ったのだろうか。

1970年初頭。

自分はまだ小学校の低学年。

当時、マカロニウェスタンと呼ばれた西部劇が流行りだった。

クリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマ、チャールズ・ブロンソン、ジェームス・コバーンなど。

一時代を担った西部劇俳優らがウェスタン映画で大活躍していた。

ジョン・ウェインの駅馬車からアラン・ラッドのシェーン、カンバーック、ダジャレで有名なOK牧場の決闘、などから引き継がれた次世代西部劇ブームが巻き起こった頃だ。

日本でも、大の大人がモデルガンを腰に下げて、早打ちガンマンごっこをする社会現象も起きたくらいだ。

そんな中、少年漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」が頭角を現し始めた。

当時、緻密な絵で、劇画からお笑い系までこなす人気の漫画家に「川崎のぼる」がいた。

「巨人の星」「いなかっぺ大将」の作者といえばわかりやすいだろう。

その「川崎のぼる」が「原作:山川惣治」とタッグを組んで挑んだ西部劇漫画。

 

「荒野の少年イサム」の連載が週刊少年ジャンプで始まった。

連載開始から大人気となり、何度もジャンプの表紙を飾った。

広島原爆をテーマにした「はだしのゲン」の作品もこの時代にジャンプ掲載が開始された。

ギャグ漫画では「トイレット博士」が大人気だ。

原爆と西部劇とトイレが読める週刊漫画雑誌って…。

 

 

小学生低学年の自分も少年イサムの活躍を応援した。

イサムにあこがれて西部劇の虜になった。

なけなしのお小遣いを使って、怪しい通販カタログからガンベルトやウェスタン銃、保安官バッジを買ったものだ。

この頃の通販カタログには必ずブルワーカーという健康器具販売の告知漫画が載っていた。

「私は貧弱な体だった…ブルワーカーを買った…すごいわね…いまでは誰もが羨ましがるからだに…」

あれはいったいなんだったのか?

 

この荒野の少年イサムの冒頭に、舞台となった歴史背景が語られている。

そこに「ジョン万次郎」の名前も紹介されていたのだ。

荒野の少年イサムは12巻で完結。

1974年前後の時代に少年ジャンプでの連載は終了。

我が家には奇跡的に1冊だけ、11巻が残っていた。

 

しかも初版版だ。

 

荒野の少年イサムはデジタル漫画サービスサイトを探せば、有料でクリーンな絵で読むことができる。

今読んでもとてもおもしろいので、大変おすすめの漫画だ!

思えば、この少年イサムとイサムの父親の運命は、どことなくジョン万次郎のアメリカ苦労体験をフラッシュバックさせる。

 

そして自分の父親もまた、ジョン万次郎にリスペクトしていた一人だったのだ。

昭和一桁生まれの父親。

少年期は鬼畜米英を撃滅せよと教育されて育った。

米軍のB29爆撃機が東京を空襲。

焼夷弾の落ちる音を聞きながら東京の街を走り、生き残った一人だ。

そんな父は1950年代にサンフランシスコ大学に留学している。

当時はまだプロペラ機で約5日間以上かけて太平洋を渡ったそうだ。

米国に到着した頃にはプロペラエンジン音のせいで、しばらく耳なりがひどかったらしい。

戦後10年も経たない当時のこと。

よくぞ、そんな時代にアメリカ留学に行かせてもらえたものだ。

当時の米国に、サンフランシスコに留学する日本人はほとんどいなかったらしい。

2年半の留学中に出会った日系人は5人未満だったそうだ。

そういう環境だから、現在の留学環境とは異なり、英語力はイヤでも身についたそうだ。

そんな渡米で苦労した父が、ジョン万次郎をリスペクトするのもうなづける。

米軍は鬼畜だ、と教育されて育った父が、その米国人にとても良くしてもらったのだ。

日本が米も尽きて、畑の細い芋を食いつないでいた頃。

アメリカの一般家庭にはすでに電子レンジも冷蔵庫も普及していたことを知った父。

本土決戦で上陸してくる米軍に立ち向かうため、町内会で竹槍訓練をしていた頃。

アメリカ人はオーブンでクッキーを焼いて、冷蔵庫からキンキンに冷えたオレンジジュースを飲んでいたのだ。

父いわく、そんなアメリカに竹槍で勝てるわきゃあない!

そんな歴史のギャップも肌で感じながら、中身の濃い留学・青春時代を過ごしたのだ。

そして仕事も貿易商の会社に勤務、得意の英語力を駆使してよく渡米出張していた。

そんな父が、ジョン万次郎にリスペクトしたのは当然だろう。

読書好きでもあったそんな父が持っていたジョン万次郎の本。

当時モノの書籍を、ジョン万次郎資料館で見つけることができた。

 

【万次郎オフィシャル書籍】

 

中浜明 著「中浜万次郎の生涯」

これが自分が最初に見知った、出会った、ジョン万次郎である。

漫画しか読まない自分だが、なぜか、父に勧められて読んだ記憶がある。

アメリカに渡ってからはジョンマンジロウはジョンマンの愛称で呼ばれたのだ、と父から概要などを聞いた。

おそらく荒野の少年イサムとリンクするものがあったのかもしれない。

イサムと同じ時代に、本当に日本人がアメリカに渡っていたのか。

そうでもなければ、小学生低学年の自分が分厚い文字だけの書籍は読まなかっただろう。

中浜明さんは、中浜家の家系図からすると万次郎の孫にあたる方ではないかと推測される。

いずれにしても、この書籍が自分が出会った最初の本格的なジョン万次郎だったのだ。

 

この時期、小学四年生に進級、満10歳のとき。

私の通う私立の小学校のクラスに一人の転校生がやってきた。

彼は親の仕事で幼稚園卒業後、3年間渡米していたそうだ。

小学四年生になると英会話を教える授業が増えた。

日本語がほとんど話せないアメリカ人の女性英語教師が担当。

助手も通訳も付けずに、当時としては珍しい授業体制だ。

そんな状況で、先生が授業で話すネイティブ英語など、だれもわかるはずがない。

当然、授業はまったく進まない。

ちょっとなに言ってんだかわかんないを連発しながら、ふざけたり騒ぎ出す輩も増えてくる。

外人の女教師も何度も大きなため息を吐く。

西洋人特有の大げさなお手上げねポーズのジェスチャー連発だ。

ちょっとどころか、ぜんぜんなにいってんだかわからない…のだ。

先生のイライラ感がピークに達したときだった。

突如、その英語教師にペラペラと語りかけるクラスメイトがいるではないか。

そう、転校生はネイティブイングリッシュを余裕で話せたのだ。

 

自分にとって、この瞬間は衝撃的だった。

万次郎が見せたネイティブ英会話も、多くの日本人にこんなインパクトを与えたのではないか?

 

突如、先生との英会話がクラス中に響き渡る。

未来からやってきた同級生が異星人とファーストコンタクトに成功しているかのような強烈なインパクトだ。

ミニ万次郎到来か?!

転校生の独壇場だ。

先生はもはや、転校生しか相手にしていない。

いや、転校生に頼るしか無いのだ。

そして転校生の彼は先生の通訳をすることになる。

まるで万次郎が日本政府の通訳をしているのと同じではないか。

そう、これはまさに自分たちは鎖国当時の外国人に免疫のなかった日本人と同じ心境なのだ。

 

彼の通訳によって授業はスムースに流れ始めたのだ。

それからというもの、そのアメリカ人女教師はいつも上機嫌だ。

教室に入ってくるときも鼻歌まじりだ。

なんせ、対等に話せる小さな通訳者がいるのだからうちのクラスの時間だけは楽ちんだ。

当時クラス内ではその転校生に対する評価は賛否両論だった。

 

転校生のくせに生意気だ。

得意に英語なんか話しやがって。

あいつが余計なことしなければ、授業はサボれて楽ちんだったのに。

やっかみからか、いじわるするやつも少なくなかった。

 

しかし自分の彼に対する評価は高かった。

好感度と尊敬する目で彼を見るようになった。

とても興味がわき、積極的に転校生と仲良くなった。

お互いの家に遊びに行く同士の仲良しにもなった。

そんなこともあったからだろうか。

分厚い、父の書物「中浜万次郎の生涯」を読破できたのは…。

 

しかし、西部劇ブームも去り、スーパーカーブームが到来。

少年ジャンプも「サーキットの狼」が大人気だ。

小学生での後半3年間、とても仲良しになった転校生。

今の自分だったなら、リトル・マンジロウ、またはリトマンなどとあだ名で呼んだだろうか。

その仲良し転校生とは中学生受験のため、お互いの進路が変わり別れてしまう。

中学生になり、新しい環境に置かれた自分は、徐々にジョン万次郎を忘れていってしまった…。

 

還暦が近づくにつれて、なにかをやり残している気持ちが強くなった。

年をとると、なぜか歴史や歴史上で活躍する偉人らをあらためて勉強したくなる。

そして気がつくと、近代史をよく調べるようになっていた。

 

中濱博 著「中濱万次郎」アメリカを初めて伝えた日本人。

 

これを新たに読んで、再びジョン万次郎熱が再燃したのだ。

この書籍は直系子孫でもある著者ならではの、執念と努力により「ジョン万次郎の集大成」辞書と言っても過言ではない。

他にも複数の関連書籍を読破した。

「中濱万次郎 アメリカを初めて伝えた日本人」。

高知県訪問を決めたきっかけはこの書籍のおかげだ。

今回の聖地巡礼のバイブルと言っても過言ではない。

 

米国・フェアヘイヴンには行く機会があるだろうか。

今のところは未定だ。

趣味のスキューバダイビングを兼ねて、沖縄の万次郎帰国・上陸の地はいずれ行こうと思う。

沖縄の万次郎上陸記念の銅像は見たいと思う。

 

そこがかつての「マンビコシン」なる地だったのだろうか…。

 

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【宇佐(USA)へ】PART.1

 

足摺岬から四万十町・中村を越えて、須崎市の先、土佐市に向かう。

この辺のエリアは仁淀川の河口付近でだ。

ここの海沿いに「宇佐」という漁港がある。

地元では遊び心で町名をアルファベットで「USA」と表記することが多い。

なんとなくジョン・マンとのUSA(米国)つながりを感じてしまう。

 

この宇佐湾には「宇佐しおかぜ公園」がある。

この公園の入口に巨大なザトウクジラ親子のオブジェがある。

 

入口でクジラを見つけては車から降りて、わざわざ記念撮影していく人が多い。

 

が…そのクジラの後方にひっそりと建つ「ジョン・万次郎ら漂流・出航の裏」という碑。

 

この碑をわざわざ観る人は少ない。

ここにもジョン万次郎ら、出漁4名の小舟のオブジェでも作って置いてほしいものだ。

そうすればクジラのオブジェとともにジョン万次郎をわざわざ見に来るだろうに…。

 

1841年の正月。

万次郎は漁に出た。

船頭(キャプテン)は筆之丞(後に伝蔵と改名)。

重助、寅右衛門、そして年上だが万次郎と歳が近い五右衛門、総勢5名での漁。

足摺岬からはるか遠い、この宇佐にまで来て漁をしなければいけなかった万次郎。

 

その日、もし漁に出なかったら。

その頃、もし黒潮大蛇行が発生した年でなかったら…。

 

歴史に埋もれる、漁を手伝う少年で終わっていただろう。

その目でアメリカを見ることも、世界の七つの海をわたり捕鯨することも、なかっただろう。

ホイットフィールド船長に会う縁もなかっただろう。

咸臨丸に乗船して、船酔い状態の勝海舟の代理キャプテンをすることもなかっただろう。

福沢諭吉とアメリカで一緒にショッピングをすることもなかっただろう。

後藤象二郎が少年時代に万次郎から学ばなかったら、どんな士になったのだろう。

アルファベットの「A」どころか日本の字も知らない、高知県の漁師で終わっていただろう。

東京大学(当時は開成学校)の英語教授として教壇に立つことはなかっただろう。

コーヒーなんて生涯、飲む機会はなかっただろう…。

 

そんな想いの詰まった場所がここ「宇佐」である。

 

実際に漁に出た漁港はこの碑がある場所とは異なるそうだ。

 

公園の看板に記載のある「ジョン万次郎漂流出漁の地」付近らしい。

(それにしても看板、ヒビだらけだ…)

 

 

【宇佐(USA)へ】PART.2

 

足摺岬から宇佐に来る途中の道の駅「あぐり窪川」。

ここに「高知人物伝フィギュア」のガシャポンがあった。

 

人物伝の中にジョン万次郎もいる!

海洋堂フィギュアだ。

しかもこのジョン・マンフィギュア、なかなかよい。

一回だけ試してみた。

 

高知県の四万十川流域の山あいにはフィギュアの造形で超有名な「海洋堂」が運営する「海洋堂ホビー館」がある。

その海洋堂が手掛けるフィギュアだ。

万次郎フィギュアをぜひとも当てたいものだ。

できれば塗装済みのタイプ。

しかし欲張ったせいか、当たったのは「坂本龍馬」だ。

しかも塗装済みタイプ。

ある意味、このリストの中では大当たりなのだろう。

 

スマホゲームのガシャをひいたとき、すっごく強力だけど、欲しくないSSRが出てしまったような気分だ。

なんというか…欲しいのこれじゃあないんだよなぁ。

坂本龍馬、恐るべし!

 

初めての高知県の旅。

宇佐のジョン万次郎船出の地を見とどけて。

ジョン万次郎を追いかけてきた高知県での聖地巡礼の旅は終了。

USA(宇佐)の宿泊は土佐龍温泉「三陽荘」でお世話になった。

[土佐龍温泉・三陽荘]

 

大変良い宿だったので付近を訪れる方にはおすすめの宿だ。

すぐ近くにはお遍路路の「青龍寺」もある。

足摺で食べ損なった清水サバ(酢じめ)。

幸運なことに、この宿の夕食でいただけた。

お皿のデザインもよいし、なによりもとても美味しかった!

 

お部屋から眺める宇佐の浦。

かつて目の前の海を万次郎が小さな船で出航したのだ。

 

どんな思いで寒い正月に漁に出航したのだろうか。

 

鳥島でナマのアホウドリを食べないと生きていけないサバイバルが待っているとは夢にも思っていなかっただろう…。

資料館の鳥島ジオラマとアホウドリ。

アホウドリが空飛ぶ怪獣、ラドンのようなサイズだ。

実際には素手で捕獲できるサイズだ。

 

宇佐の海を見ながらつくづく思うこと。

1841年の宇佐の浦出漁から10年後の日本はというと…。

 

1851年に万次郎凱旋帰国

1853年ペリー初来訪

1854年鎖国終了・日米和親条約

1860年勝海舟咸臨丸乗船アメリカへ

1862年植物博士・牧野富太郎、高知県で生まれる

1867年大政奉還・徳川江戸幕府終了

1867年夏目漱石、東京で生まれる

1867年坂本龍馬暗殺される

1868年江戸が東京市になる

 

万次郎が帰国してから約20年は、まさに激動の近代史の真っ只中だ。

万次郎の留学は、単に一個人が経験しただけの事では、もはや、すまされなくってしまった。

激動の時代となったゆえ、留学経験を果たした万次郎は国家レベルで、最重要人物に指定されたのだ。

同時に、要注意人物・国家機密対象人物でもあったのだ。

 

つくづく万次郎がネイティブイングリッシュで米国人と普通に会話しているシーンを見てみたかった。

その傍らに、下駄を履き、チョンマゲを結い、自慢げに帯刀し、紋付き袴(はかま)姿の江戸幕府の旧タイプの人種がいたとしたら。

さぞや痛快なシーンであっただろう…。

 

明日は東京へ帰宅だ。

帰宅後、仕上げとして万次郎が眠る東京のお墓参りに行く予定だ。

高知県、土佐清水、中の浜、足摺岬、宇佐浦に行ってきたことを報告しないと。

 

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