[5]Respect to John Mung/ジョン万次郎はUSAへ行く | スタジオハーミットサテライトBLOG

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【宇佐(USA)へ】PART.1

 

足摺岬から四万十町・中村を越えて、須崎市の先、土佐市に向かう。

この辺のエリアは仁淀川の河口付近でだ。

ここの海沿いに「宇佐」という漁港がある。

地元では遊び心で町名をアルファベットで「USA」と表記することが多い。

なんとなくジョン・マンとのUSA(米国)つながりを感じてしまう。

 

この宇佐湾には「宇佐しおかぜ公園」がある。

この公園の入口に巨大なザトウクジラ親子のオブジェがある。

 

入口でクジラを見つけては車から降りて、わざわざ記念撮影していく人が多い。

 

が…そのクジラの後方にひっそりと建つ「ジョン・万次郎ら漂流・出航の裏」という碑。

 

この碑をわざわざ観る人は少ない。

ここにもジョン万次郎ら、出漁4名の小舟のオブジェでも作って置いてほしいものだ。

そうすればクジラのオブジェとともにジョン万次郎をわざわざ見に来るだろうに…。

 

1841年の正月。

万次郎は漁に出た。

船頭(キャプテン)は筆之丞(後に伝蔵と改名)。

重助、寅右衛門、そして年上だが万次郎と歳が近い五右衛門、総勢5名での漁。

足摺岬からはるか遠い、この宇佐にまで来て漁をしなければいけなかった万次郎。

 

その日、もし漁に出なかったら。

その頃、もし黒潮大蛇行が発生した年でなかったら…。

 

歴史に埋もれる、漁を手伝う少年で終わっていただろう。

その目でアメリカを見ることも、世界の七つの海をわたり捕鯨することも、なかっただろう。

ホイットフィールド船長に会う縁もなかっただろう。

咸臨丸に乗船して、船酔い状態の勝海舟の代理キャプテンをすることもなかっただろう。

福沢諭吉とアメリカで一緒にショッピングをすることもなかっただろう。

後藤象二郎が少年時代に万次郎から学ばなかったら、どんな士になったのだろう。

アルファベットの「A」どころか日本の字も知らない、高知県の漁師で終わっていただろう。

東京大学(当時は開成学校)の英語教授として教壇に立つことはなかっただろう。

コーヒーなんて生涯、飲む機会はなかっただろう…。

 

そんな想いの詰まった場所がここ「宇佐」である。

 

実際に漁に出た漁港はこの碑がある場所とは異なるそうだ。

 

公園の看板に記載のある「ジョン万次郎漂流出漁の地」付近らしい。

(それにしても看板、ヒビだらけだ…)

 

 

【宇佐(USA)へ】PART.2

 

足摺岬から宇佐に来る途中の道の駅「あぐり窪川」。

ここに「高知人物伝フィギュア」のガシャポンがあった。

 

人物伝の中にジョン万次郎もいる!

海洋堂フィギュアだ。

しかもこのジョン・マンフィギュア、なかなかよい。

一回だけ試してみた。

 

高知県の四万十川流域の山あいにはフィギュアの造形で超有名な「海洋堂」が運営する「海洋堂ホビー館」がある。

その海洋堂が手掛けるフィギュアだ。

万次郎フィギュアをぜひとも当てたいものだ。

できれば塗装済みのタイプ。

しかし欲張ったせいか、当たったのは「坂本龍馬」だ。

しかも塗装済みタイプ。

ある意味、このリストの中では大当たりなのだろう。

 

スマホゲームのガシャをひいたとき、すっごく強力だけど、欲しくないSSRが出てしまったような気分だ。

なんというか…欲しいのこれじゃあないんだよなぁ。

坂本龍馬、恐るべし!

 

初めての高知県の旅。

宇佐のジョン万次郎船出の地を見とどけて。

ジョン万次郎を追いかけてきた高知県での聖地巡礼の旅は終了。

USA(宇佐)の宿泊は土佐龍温泉「三陽荘」でお世話になった。

[土佐龍温泉・三陽荘]

 

大変良い宿だったので付近を訪れる方にはおすすめの宿だ。

すぐ近くにはお遍路路の「青龍寺」もある。

足摺で食べ損なった清水サバ(酢じめ)。

幸運なことに、この宿の夕食でいただけた。

お皿のデザインもよいし、なによりもとても美味しかった!

 

お部屋から眺める宇佐の浦。

かつて目の前の海を万次郎が小さな船で出航したのだ。

 

どんな思いで寒い正月に漁に出航したのだろうか。

 

鳥島でナマのアホウドリを食べないと生きていけないサバイバルが待っているとは夢にも思っていなかっただろう…。

資料館の鳥島ジオラマとアホウドリ。

アホウドリが空飛ぶ怪獣、ラドンのようなサイズだ。

実際には素手で捕獲できるサイズだ。

 

宇佐の海を見ながらつくづく思うこと。

1841年の宇佐の浦出漁から10年後の日本はというと…。

 

1851年に万次郎凱旋帰国

1853年ペリー初来訪

1854年鎖国終了・日米和親条約

1860年勝海舟咸臨丸乗船アメリカへ

1862年植物博士・牧野富太郎、高知県で生まれる

1867年大政奉還・徳川江戸幕府終了

1867年夏目漱石、東京で生まれる

1867年坂本龍馬暗殺される

1868年江戸が東京市になる

 

万次郎が帰国してから約20年は、まさに激動の近代史の真っ只中だ。

万次郎の留学は、単に一個人が経験しただけの事では、もはや、すまされなくってしまった。

激動の時代となったゆえ、留学経験を果たした万次郎は国家レベルで、最重要人物に指定されたのだ。

同時に、要注意人物・国家機密対象人物でもあったのだ。

 

つくづく万次郎がネイティブイングリッシュで米国人と普通に会話しているシーンを見てみたかった。

その傍らに、下駄を履き、チョンマゲを結い、自慢げに帯刀し、紋付き袴(はかま)姿の江戸幕府の旧タイプの人種がいたとしたら。

さぞや痛快なシーンであっただろう…。

 

明日は東京へ帰宅だ。

帰宅後、仕上げとして万次郎が眠る東京のお墓参りに行く予定だ。

高知県、土佐清水、中の浜、足摺岬、宇佐浦に行ってきたことを報告しないと。

 

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